第9話 ワルド⑤

 今日は『開拓者』に選ばれた者達が、ついに『外界』に出発する日だった。『神託』によって選ばれた職業につくのは、皆同じ日からと決まっていたが、『開拓者』だけは一日早い。皆で『外界』へ向かう者たちを見送るためだ。

 今年の『開拓者』は四人だった。僕達の『学び舎』から選ばれたのは、ラウディ一人。皆、口々にラウディと別れの挨拶を交わした。皆寂しい気持ちがないわけではないだろうが、それ以上にラウディのためを思って、笑顔で見送る事にしているようだった。

 ラウディと二度と会えなくなる。それは正直寂しいが、ここで見送るのが彼のためなのだ。そう考えていた。

 でも、どこか釈然としない気持ちがある事も確かであった。本当に黙って彼を見送ってよいのだろうか、と。

 そういう疑いを持つ事自体が、自分自身ですら奇異に思えた。『神託』は絶対だ。それが他人とって一番の選択になるように『デルポイMk-II』が考えてくれた事なのだ。僕達はそれに従ってさえいればいい……そのはずなのだ。

 ここ最近ずっと考えていた事だった。

 どうして「他人のため」に僕らは行動しているのだろう。太陽が東から昇って西に沈む理由を考えてみようとする事がないのと同じで、その理由を検討した事すらなかった。 

 自己本位の行動は悪だ。

 『安全機構』によって僕達はそれを常識として知っていた。

 しかし、『安全機構』はその理由を教えてはくれないのだ。

 確かに、人が互いの事を思って行動していれば、自分の事を考える必要はないのかもしれない。なぜなら自分の事は他人が考えてくれるからだ。だから、自分は他人を思う事だけに注力すればよい、と。

 だがこの理論には、大前提がある。

 全ての人間が他人を思いやっている事だ。

 仮に、自分が他人のために滅私したとして、自分以外の誰もが自分の事しか考えていなかったとしたら。そのとき、自分の事を考えてくれる人間は一人も居なくなる。

 もしそうなったときは、一体誰が自分を助けてくれるのだろうか。

 長く『悪夢』に触れすぎたのかもしれない。

 誰もが『異世界の悪夢』という穢れた世界の夢を見る。しかし、その期間も内容も個人差がある。たとえば、ルウの夢の中の世界では、現実と同じように豊かな自然があるらしい。だが、害虫や害獣といった危険な生物がうじゃうじゃ居るという話だ。人間に従順でない生物など恐ろしくて仕方がない。しかもやはり『安全機構』はないというのだ。僕だったら恐ろしくて外にも出られないだろう。

 僕の夢が特異であるのは人一倍長く、陰鬱だという点だった。

 ルウの世界のように害獣が蔓延っては居ない所だけは恵まれているかもしれない。食べ物に関してもまあ悪くはない。差し迫って命の危機に直面する可能性も比較的少ない。

 だが、人間の中味は最悪だった。「いじめ」を行っていた人間の例を取り上げるまでもなく、ほとんど全ての人間の心は薄汚れていた。極一部例外は居たのかもいれないが、それだってどこまで信用できるか解ったものではない。

 「いじめ」は「向こうの世界」でもよくない物と認識されているようだった。しかし、それでもなお実行するものが居るのは、理解に苦しむ所だ。だが、現実にも『汚染者』という存在がいる様に、何事にも例外というものは存在するものなのだろう。

 しかし、それにしても不可解なことがある。それは、一部の闘争行為は推奨されている事なのだ。一つ覚えているのが「ボクシング」という物だった。あろうことか人が人を殴るのだ。そして、その野蛮な姿を見て周りの人間は喜ぶのだ。現実では絶対に、ありえない光景だった。

 ともかく、僕の『悪夢』が最悪の部類である事は言うまでもない。

 しかも、その期間は他の同年代の人間に比べて圧倒的に長い。向こうの自分の年齢を考えれば、向こうに居た時間の方が長くなってしまうくらいなのだ(もちろん、さすがに感覚としては現実に居る時間の方が長いが)。

 これが僕の特殊な所だった。

 それ故に他人の気持ちを疑うなどという悪行を犯しそうになっているのかもしれない。

 気をつけなければいけない。

 僕らは常に他人のためを思って行動しなければならないのだから。

 だが、この現実にだって他人の為に行動していない人間は居るぞ。もう一人の僕がささやく。

 こないだの刃物を持った男だ。

 そして――

 そのとき、皆の輪から外れ、ラウディがこちらへとやって来た。

「ワルド、さよならを言ってはくれないのかい」

 ラウディはどこかおどけた調子で言った。どこか芝居かかった口調。だが、それはきっとわざとだ。ここ数日の気まずさを誤魔化すための。だから、僕も彼の芝居に乗ってやる事にする。

「ふん、男同士にそんなもんは必要ないだろう」

 ラウディは僕からはきっとこういう返答を欲しがっているだろう。僕は彼のためを思ってこんなぶっきらぼうな返答をした。

「まったく最後まで相変わらずだな……」

 ラウディは苦笑していた。

 僕はそれを見て、思わず表情を引き締めた。

「……ちゃんと帰ってこいよ」

 僕は我知らず、本音を漏らしていた。

「変な事を言う奴だな。『開拓者』になったら普通は帰ってこられないぜ」

 そうだ。『外界』は想像もつかない規模で広がっている。その土地をひたすら進むのだ。彼らは二度と帰って来ないと言われていた。

「でも、何があるか解らないだろう? もしかしたら何かトラブルがあって引き返して来なくちゃいけない可能性もある」

「まあな。そんな事、一度も聞いた事ないが」

「……ラウディ」

「なんだよ、最後に急に気持ち悪い事言いだしやがって」

 ラウディの表情が少しだけ曇っているのを、俺は見逃さなかった。

「おまえ、本当は『外界』になんて行きたくないんじゃないのか?」

 僕は思わず強い口調で詰め寄る。

「口を慎めよ……」

 ラウディは眉根を寄せる。

「『神託』で選ばれたんだ。俺が『外界』に行けば、みんなが幸せになれるにきまっているだろう……」

 勢い込んで言い始めたラウディだったか、最後には声は凋んでしまっていた。

 僕は思わず彼の肩を掴んで揺さぶる。

「おまえ、本当は行きたくないんじゃないのか。先生のプレゼントを考えるときに『外界』に行こうだなんて言ったから引っ込みがつかなくなってるんじゃないのか」

 ちょっとした冒険と二度と帰って来られないのでは、天と地ほどの差がある。ほんの悪戯心で発した言葉が彼自身を縛っているのだとしたら……。

「だったらなんなんだよ!」 

 ラウディは語気を強めた。

「今、俺がみっともなく泣き叫んで『外界に行きたくないです』って言えば、それで行かずに済むのかよ」

 僕はいつの間にか、首元を掴まれて『外界』と僕らの世界を仕切る柵に押し付けられていた。

 それは信じられない事に「暴力」だった。

 夢の世界でしか起こり得ないはずの。

 一瞬で僕の頭に血が上る。目の前にいる男に反撃したいと考える。

 しかし、次の瞬間、僕のその気持ちは凋んでしまった。かつて「向こうの世界」で「いじめ」に反撃した時の事を思い出したのだった。今、ここで手を出せば、向こうの醜い自分と同じになってしまう。

 僕は冷静になって、彼への抵抗を止めた。

 そして、そんな僕を見て、ラウディは頭が冷えたようだった。興奮で上気していた顔が一瞬で青ざめる。

「すまない! そんなつもりじゃ……」

 冷静になってみても、僕はショックを隠しきれなかった。身体に力が入らず、思わずその場にへたり込む。

(急激な脈拍の変化を感知しました。対症療法を開始します)

 脳内に『安全機構』によるアナウンスが流れる。

 僕の動悸やめまいは少しずつ収まっていった。

 僕はラウディが刃物を持った男を殴り飛ばしたときの事を思い出す、彼は笑っていた。暴力を正当に振るう事ができたあの状況を喜んでいたのだ。

 彼は汚れた『悪夢』の世界の住人と同じ思想を持っているのだ。だから、こんな風に簡単に僕を害する事ができる……。

 不穏な空気を察してルウ達がこちらにやって来る。

 僕はただ呆然と『外界』との柵にもたれかかっていた。


 そして、ラウディは出発し、二度と帰って来なかった。

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