第5話 ワルド③

「ファーラム先生へのお礼として贈るプレゼントを考えたいと思います」

 ある日の放課後。僕達三年三組の生徒は教室に集まっていた。一週間後には、卒業式と『神託』が行われる。その前にお世話になった担任のファーラム先生に贈り物をする計画を立てていたのだ。

 ファーラム先生は微笑むだけで皆の心を安らがせてくれる様な女の先生だった。このクラスの誰もがファーラム先生のことが大好きだった。

 立案はルウが中心になって行われた。当然、誰もがやりたがったのだが、一人まとめ役が居た方がスムーズなのは明らかだったので、この件に関するリーダーはルウという事になった。

「何かアイデアがありますか?」

 ルウは教卓の上から僕達を見まわした。

 その時、一人の生徒が手をあげた。

「はい」

「では、ミヅキさん」

 ルウはまとめ役としての役割を果たそうとしていたのだろう。ミヅキの事を「ミヅキさん」などと呼ぶルウを、僕は微笑ましく感じた。

「やっぱりお花がいいと思います。最近、農場で虹色の花が出来たって聞いたし」

 ミヅキは短い黒髪の女子生徒だ。幼い頃からよく遊んだ幼馴染の一人で、ルウの親友だ。彼女は花や動物が好きだったからある意味予想通りの意見だった。

「なるほど。いいと思います。他には意見はありますか」

「はい」

 次に手を挙げたのはラウディだった。

 ラウディは切れ長の瞳の優男で、いつもどこか気取っている感じがする。もちろん、悪い奴であるはずがないのだが、どこか上手く言えない違和感がある男でもあった。おそらくは、僕以外の誰も気がついていないと思う事だが。

「花もいいと思いますが、僕達にしかできない事をやるのが面白いのではないかと」

 ラウディはどこか勿体付けたように言った。

「ファーラム先生を驚かせる、というのはどうでしょう」

「具体的にはどういう事ですか」

 ルウは司会としての口調のまま問う。

「花のようなプレゼントは先生ともなると何度も受け取っていると思うんです。もちろん、悪い事じゃないんですけど。だから、今までに貰った事もないような物をあげれば喜ぶんじゃないかと」

「勿体付けてないで結論を言えよ」

 僕は思わず口を挟む。

 ラウディは僕の方を見て、顔しかめた。だが、すぐに調子を取り戻したようで言葉をつないだ。

「『外界』に居る『龍』の羽を取りに行こう」

「だ、だめだよ!」

 ルウが思わずいつもの口調に戻って、慌てて言う。

「『外界』に『中央審議会』の許可なく出る事は『禁止行為』だよ!」

「ラウディ……あんた、何考えてるの?」

 ミヅキは呆れたという表情でラウディを見ていた。

 『外界』に出る事が『非推奨行為』どころか『禁止行為』である事は誰もが知っている事だった。こんな公の場で『禁止行為』をしようと発言するラウディには舌を巻く。

 僕だって『外界』の事を考えた事がない訳じゃない。『外界』はほとんど未知の世界だ。極一部の人間しか踏み入る事を許されていない。

 『禁止行為』を行わない理由は、それが他人の為にならない行為だからだ。行きたいという気持ちは利己的な感情だ。それ故にすぐに『外界』へ行こうなどという気持ちは失せてしまったはずなのだが……。

 それに『外界』へ続くゲートは『オートメーション』によって常に見張られている。そう簡単に『外界』へ行く事が出来るとは思えなかった。

「『禁止行為』が何故禁止されていると思う?」

 ラウディはクラス全体に対して言った。

 ラウディと目があったミヅキが答える。

「他人のためにならないからよ。常識でしょ」

 ミヅキは非難がましい目でラウディを睨んでいる。

「その通りだ。つまり、裏を返せば他人のためなら『禁止行為』は『禁止行為』ではなくなるんだ」

 それは確かな事だった。

 『安全機構』が発達し、健康も寿命も安全も管理できる時代になってからは、めったに起こりえる事ではないが、何事にも予想もつかない事態という事はありえる。『安全機構』は僕らの生命を守ってくれるが、故障する可能性はゼロではない。故障の瞬間と危険が不運にも重なってしまったとしたら。

「人を傷つける」のは言われるまでもない『禁止行為』だ。だが、『安全機構』が故障した者が、崖の崩落に巻き込まれそうになった時に、その人を助ける為に突き飛ばす行為は『禁止行為』には当たらない。

 もちろん、『安全機構』には一時的に『禁止行為』を行ったと記録されるが、きちんと検証を行って、それが妥当な行為であると判断されれば、記録は抹消される。

 しかし、今回はそういった緊急避難の場合とは違う。『外界』に許可なく立ち入れば、間違いなく『禁止行為』の記録が残る事になる。こっそり行くなんて事はまず出来ないのだ。

「僕がこう言う事を言い出した理由は二つある」

 ラウディはまたクラス全体をゆっくり見回す。

「一つ目は『外界』への抜け道を見つけた」

「うそ!」

「ほんとさ。『オートメーション』のエラーなのか、柵に切れ目が入っているのに修復機能が働いていない。巡回の時間さえ掻い潜れば、侵入は簡単だ」

 その話が本当なら物理的には侵入は可能かもしれない。

「それは『中央審議会』に報告しないと不味い事だよ……」

 ルウは、表情に困惑を浮かばせる。ルウには、『オートメーション』のエラーなどという一大事を放置していたというラウディの言葉がうまく呑み込めないのだ。

「この抜け道は昨日の夕方に見つけたんだ。見つけてすぐ帰宅時間になったし……まだ、報告が出来ていないだけなんだ。残念ながらね」

「でも、『安全機構』に『禁止行為』記録が残るでしょ」

「もう一つの理由っていうのが、それに関することさ」

「……早く言えよ」

 僕は思わず、ラウディを急かしていた。

 僕は『外界』へ出られるかも知れない方法がある事に興奮していた。

「なぜ『禁止行為』が『禁止行為』なのか。それは、基本的に『禁止行為』は自分のためにする行動だからだ」

 確かに『禁止行為』にあげられた事は、利己的な行為が多いように思う。人を傷つけてはいけない。人の物を盗んではいけない。人の家に許可なく立ち入ってはいけない。自己本位な行動をしてはいけない。

 これは『安全機構』によって生まれた時から刷り込まれた常識だった。それを破ろうなんて考える事自体が異常だった。

 証拠にそれを破ろうなどという考えがある事を表明しただけで、クラス全体のラウディへの目線が、未知の存在に触れた子供のように怯えているように見えた。

「つまりだよ。『ファーラム先生のため』なら『外界』に出る事は禁止されないはずなんだ。ファーラム先生は『外界』に居るっていう『龍』を見てみたいとおっしゃっていたしね」

 とんでもない屁理屈だった。そんな論法が罷り通るなら、二人の人間が組んで、「お互いの為を思ってやった」と言えば、どんな行動も『禁止行為』に当たらないという事になる。もしも組んだ相方が、自分以外の誰かが人に殴られる所を見てみたいと思っていたら、相方の為を思って人を殴ってもいい事になる。

「ダメに決まってるでしょ!」

 ミヅキはもはや感情を抑えようとせずに言った。きっと、そうする事がラウディの為だと思ったのだろう。強い口調でラウディを非難することが、結果的にラウディのためになると判断したのだ。

「うん、ダメだよ。そんなの。ファーラム先生も喜ばないよ……」

 ルウも諭すように言った。

 ラウディは最後にゆっくりクラスを見まわして、賛同者が居ない事を悟ったのだろう。そっと席に着いた。

 その落ち着いた表情から察するに、最初からこういう展開になる事は予想していたようだった。

 しかし、僕だけは違った。

 ラウディの言う事に僕は一種の共感に近い感情を覚えていたのだ。


 「自分のため」か「他人のため」か。

 その線引きはどこにあるのだろうか。

 「向こうの世界」で、貧しい病人を救うために、一生をささげた人が居たらしい。「向こうの世界」にも善良な人間は居るんだと少しだけ安心した記憶がある。

 でも、それは本当に「他人のため」だったのだろうか。

 自分が他人を救ったという満足感を得るためにした行為でないとどうして言いきれるだろうか? 貧しい病人を救う行為は、救われる側であっても基本的に喜ばしい行為だから問題は無かった。しかし、それなら仮に「貧しい病人は可哀そうだから、本人達のために安楽死させましょう」という発想が生まれていたらどうだろう。そうであっても「他人のため」と心から信じている行為であるなら許されたのだろうか。

 今までは、この疑問は「向こうの世界」の人間にだけ向けてきた。現実の人間にそんな屁理屈で利己的思考を行う人間が居るなんて到底思えなかったからだ。

 しかし、このラウディの一件は、同じ事が現実でも考えられるのではないかという恐ろしい思いを抱かせた。

 「他人のため」と装う事で「自分のため」の行動を押し通す。そんな邪な考えを持った人間が現実にも存在するのではないだろうか……?

 そして先日、草原でルウと話したときの事を思い出す。

 あのとき、僕は利己的な考えを持っていなかっただろうか。

 身体の芯を震え上がらせるような寒気が、僕を襲った。


 結局、ラウディ先生へのプレゼントは農場の『虹花』に決まった。ミヅキの話では、『虹花』の元になった花はスイートピーで、その花言葉は「門出」だから卒業式にはぴったりだという話だった。

「『門出』なのは、僕達卒業生のほうなんじゃないかな」

「あ」

 ラウディの言葉にミヅキは思わず声を漏らす。一瞬の沈黙の後、ミヅキは叫ぶ。

「別にいいのよ! 大事なのは気持ちなんだから」

「そうだね、その通りだ」

「そうだねー」

 ラウディはいつものようにすかした態度で、ルーは見ていると力が抜けそうな笑顔で応じた。

「ほら、さっさと農場に行って『虹花』を貰ってこないと『通達』までに家に帰れなくなるよ!」

 ミヅキはそう言って歩調を早めた。

 ルウ、ミヅキ、ラウディ、そして僕。僕達四人はバスを乗り継ぎ、中央都市セントマリアを訪れていた。クラスの代表としてファーラム先生のプレゼントを買いにきたのだった。

 僕達の『世界』は空から見れば円形をしているらしい。この中央都市セントマリアを中心におおよそ半径五十キロの範囲が僕達にとっての『世界』だ。

 それより向こうは柵と『オートメーション』によって仕切られ、外に出る事は出来ない。唯一それが許されているのは、『開拓者』と呼ばれる職についたものだけだ。

 セントマリアの中心にはセントラルビルディングと呼ばれる巨大な塔がそびえ立っている。つるつるとした材質の円筒型の真っ白な塔。そこには『中央審議会』の象徴である巨大な黒十字が刻まれている。その頂上は、雲よりも向こう側にあり、肉眼ではよく見えない。この巨大な建造物は、かつてこの世界を支配していたという神という存在を想起させる。

 セントラルビルディングはこの『世界』を管理する『中央審議会』のための塔だ。彼らはそこでいつも政務をおこなっているらしい。

 そういえばと、素朴な疑問が沸き上がる。

 『中央審議会』というのは、普段一体どの様な仕事をしているのだろう。

 疑問の端緒を掴むと、なぜ今まで気にした事が無かったのだろうとすら思う。そういえば、『学び舎』でも周囲の大人も誰も教えてはくれなかった。

「ほら、ワルド! 置いてくよ!」

 何かを掴みかけていた思考はミヅキの叫びで、現実へと引き戻された。

「悪い! すぐ行く!」

 何を疑問に思っていたかという事は、すぐに僕の頭の中から『削除』された。


 農場で大量の『虹花』を貰って来た帰りのことだった。

「キャー!」

 大通りの向こう側から女性の悲鳴が聞こえた。「悲鳴」などというものを上げないといけない様な事態が起こる事自体が未知の経験だった。一体誰が人が悲鳴を上げないといけない様な事態を引き起こしたというのか。

 何かの事故が起こったのかもしれない。

「君たちはここに居て」

 ラウディはそう言って悲鳴のした方向へと走り出した。僕は一瞬遅れて、彼の背中を追う。『安全機構』もうまく働かないような事態が起こっているのだとしたら必ず助けなければならない。他人の為を思うなら当然の行動だ。

 僕とラウディが悲鳴の発生源に辿り着いた時には、周囲は彼女の悲鳴を聞いて駆け付けた人間で取り囲まれていた。僕はそんな群衆の隙間から中を覗きこむ。

「え?」

 そこでは、信じられない様な光景があった。

 男が女性に刃物を突き付けていたのだ。

「うるせえ! うるせえ! あああああっ!」

 男は激昂し、支離滅裂な言葉を喚き散らしていた。

 彼はきっと『汚染者』だ。

 自分の目が信じられない。まさか、『汚染者』などという存在を現実にまのあたりにするとは、到底信じられなかった。

 彼を取り囲んでいた群衆の内の一人の男が彼に声をかけた。

「どうして、君はナイフを振り回しているんだい? 何かそうしなければいけない理由があるんだろうが、彼女が怯えてしまっているよ」

 そう言いながらにこやかに彼の方へと近付いていった。

 瞬間、気付く。あの人はあの男が『汚染者』だと気付いていないんだ。そして、他の周囲の人間も一様に穏やかな表情で経緯を見守っている。そうなのだ。彼らは先程の悲鳴が想定外の事故によって引き起こされた物でないと知って安心しているのだ。

 この『世界』の人間は人を疑うという事を知らない。

 あの刃物を持った男も何かやむにやまれぬ事情があったのだろうという事しか考えていないのだ。落ち着いて話を聞いてやれば済むだろうと、心の底から本気でそう思っているのだ。

 あの男の血走った狂気の瞳を見ても、なお。

「危ないぞ!」

 僕は思わず叫んでいた。

 次の瞬間だった。

「邪魔するな!」

 刃物を持った男はにこやかに近付いて来た男を切り付けた。

 僕は息を呑んだ。

 その瞬間だった。

 群衆からにこやかな微笑みが消えた。

 刃物を持った男が、人を害した。

 ようやく、皆が気がついたのだ。

 この男は、人を害する事ができる『汚染者』なのだと。

「ひいっ!」

 群衆はパニックに陥り、現場から我先にと離れていった。現場に残されたのは、僕とラウディと最初に悲鳴を上げた女性。そして、切りつけられ倒れた男性と『汚染者』の男だった。

 切りつけられた男性は無事だった。薄い半透明の膜の様な物が彼の周囲を覆い、鎧のように刃物をはじき返していたからだ。あれはきっと『安全機構』の防護装置だろう。話には聞いていたが、実際に見るのは初めてだった。

 傷ついては居ないはずだが、男性は尻餅をついたまま動けないようだった。きっと、今現実に起こった事が信じられず。放心状態になっているのだろう。

 それは僕とラウディも同様だった。冷静に考えれば逃げるべきだ。『安全機構』があるとはいえ、この状況ではどんなイレギュラーに見舞われるか解ったものではない。事実、大方の人間は一目散に逃げ出している。

 だが、一方でなんとも言い知れない感情が心の内から燃え上がっていた。その感情が僕をこの現場に留め置いていた。

 なんだこの感情は。うまく言葉にする事ができない。だが、確かに言えるのは、その感情は、僕にこの現場を離れてはいけないと叫んでいる。

 二つの相反する感情の狭間で僕は動けなくなる。

「あああああああっ! ――――っ! ――――だ!」

 尚も刃物を持った男は意味不明な叫び声を上げている。何か口走っているが彼の言わんとしている事が全く理解できない。まるで解析不能な古代語を聞いている様な感覚だった。

「ラウディ?」

 次の瞬間、僕の横に居たラウディが男に向かってかけていった。

 そして、ラウディは、

「っ!」

 刃物を持って暴れる男を殴ったのだ。


 それは何よりも信じがたい光景だった。

 それは「暴力」だった。

 「向こう側の世界」に居る人間しかやらない行為。

 現実に居る人間なら如何なる理由があってもやってはいけない行為。

 その禁忌をよりにもよってラウディが犯してしまったという事実に、僕は途方もない衝撃を受けていた。


『意識覚醒。心拍数の異常な上昇を確認したため、調整を行いました』

 僕の口から『緊急通達』のアナウンスが流れる。僕の身体が精神的なショックで制御不能状態に陥っていたのだろう。僕は地面に横たわっていた。『安全機構』の健康管理システムによって息を吹き返させられたのだ。

 時間はほとんど経過していない様だった。

 ラウディは刃物を持った男と対峙していた。

「関係ない奴がでてくるんじゃねえ! 俺とこの女の問題だ!」

 男の表面も先程の男と同じ薄い膜の様な物で覆われていた。あれも『安全機構』の防護装置だろう。きっとラウディに殴られた事で発動したのだ。

 ともかく、こんな現場に居たらどれだけの想定外の危険があるか解ったものではない。早くこの場を離れないと。

「ラウディ!」

 僕はラウディを呼ぶ。

 その時に気が付く。

 僕はまだ甘かったのだと思う。ラウディが暴力を振るったのだって、きっとあの女性を想定外の危険から一瞬でも早く引き離してやる為の緊急的な措置であると思っていた。崖の崩落に巻き込まれた人間を突き飛ばしても暴力と見なされない様に、仕方なくやった行為なんだと思っていた。暴力を見た瞬間はショックで気を失ってしまったけど、それでも、ラウディを疑うなんて気持ちはこれっぽちも持っていなかったはずなのに。

 でも、ラウディは笑っていた。

 唇の端を吊り上げて確かに笑っていた。それでいて眉間には皺をよせ、刃物を持った男を強い視線で睨んでいた。

 その姿を見て、思い出してしまった。

 それは夢の世界で僕をいじめていた奴ら。

 その僕をいじめて喜んでいた男たちと、同じ表情をしていたのだ。

「ラウ……ディ……?」

 僕は今度は気を失わなかった。あるいは気を失う事さえできなかったと言うべきなのかもしれない。僕は無様にも地面に這いつくばったまま、まったく動く事が出来なかった。

 それからどれだけの時間が経過していたのかは解らない。

 気がつくと現場は鎮圧されていた。

 『オートメーション』がやって来ていたのだ。十字のマーク付きの個体。あれは確か災害救助用の『オートメーション』だ。

 円筒形のフォルムから二本の巨大なアームが飛び出し、刃物を持った男とラウディは地面に押さえつけられていた。

「離せぇ!」

 男は尚も抵抗を続けていたが、『オートメーション』に捕まってはどうしようもない。

 唐突な終幕に誰もついていけていない現場に、一人の男が表れていた。

 黒十字が刻まれたマントに身を包んだ長身の男。黒十字は誰もが知る印。

 『中央審議会』。

 その男は、この現場には似合わないさわやかな笑顔で告げる。

「申し訳ありませんが、この現場は『中央審議会』のアクセルが取り仕切らせていただきます」


 結局、解放されたのは『通達』による『帰宅命令』が出てから大分後のことだった。取り調べで現場に長く拘束されたのだ。当然、ルーとミヅキには先に帰宅してもらった。

 特例処置を施してもらったので、命令違反にはならなかった。自宅まで車で送ると言われたが断り、僕とラウディは深夜業務行っている人の為のバスに乗り、家路についた。

 その間、僕とラウディは一言も会話を交わさなかった。

 僕の自宅に辿り着いたとき、僕はどこかほっとしていた。ラウディと二人で居る事にどこか気まずさを感じていたのだ。

「じゃあな」

 そう言って自宅に入ろうとする僕をラウディは引き留めた。

「今から、ちょっと散歩しないか」


 いかに特例措置を貰っているとはいえ、本当はこんな時間に帰宅していないのは「非推奨行為」であった。だが、僕はラウディの言葉に逆らえなかった。あれだけ気まずさを感じていたにも関わらず、である。今、ラウディを一人にしてはいけない。なぜだか、そんな気がした。これはラウディを思っての行為なのだ。そう、自分に言い聞かせる。

 そして、ラウディは僕を連れ出したにも関わらず、相変わらず何も言おうとはしない。早足に村はずれへと向かっていく。この先にはただの柵しかない。その向こう側は足を踏み入れる事ができない『外界』だ。

 柵が見えてきた頃にラウディはぽつりと漏らした。

「さっき」

「うん?」

 何の前触れもなく会話が始まり、僕は虚を突かれる。

「なんでみんな、あの現場から逃げ出したんだろうな」

「…………」

 僕は何も言う事ができない。

「他人の為を、あの襲われてた女の子の事を思うなら全員戦うべきだったと思うんだがな……」

 僕は結局彼の問いかけに何も答えられなかった。

 ついに僕達は柵の前までやってきた。柵は半透明な物質でできている。向こう側の世界は僅かに透けて見えるが、見渡す限りの荒野が広がっている様にしか見えない。この向こう側には、人の命に従わぬ『龍』が居ると言われている。『龍』には誰も勝てない。だから、僕達はこうやって壁の中に引き籠っているのだ。

「ここだ」

 ラウディは柵の長い草に覆われた部分を掻き分ける。そこには小さい穴があった。

「これは……」

「昨日見つけたんだ、偶然な」

「なんでこんな……」

 柵は絶対の物だったし、仮に何らかの原因で傷がついても『オートメーション』が修復を行う筈だ。

「理由はわからないよ。草に隠れていたせいで見逃されたのかもしれない。案外、いい加減なシステムだよな」

「……報告しないと」

「おまえまで、ミヅキたちと同じ事いうんだな」

 ラウディはどこか冷たい目で僕を見ていた。それは僕が今まで見た事も無い表情だった。

「どうしたんだよ、ラウディ。おまえ、最近変だぞ」

「人に『暴力』を振るったりか?」

 僕はその時のラウディの顔を見て、納得してしまったのだ。そして、余りに簡単に納得してしまった自分に驚き、腹が立った。

 彼は向こう側の人間と同じだ。

 醜い夢の世界の住人と同じなのだ。

「おまえなら、解ってくれると思ったんだけどな」

 ラウディはどこかさびしそうに言った。そのときには、僕はもう彼の顔を見る勇気は無くなっていたから、彼がどんな表情でその言葉を漏らしたのかは解らなかった。

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