二通目

「おい、じじい!」

「んああ、なんや、角谷かどやのくそばばあやないか。朝っぱらからやかましいのぉ」

「くそは余計だ、くそじじぃ」

「あんたも言うとるやないか、くそばばあ」

「減らず口ばあっか叩きよって」

「口が減ったらえらいことや」

「少しは減らしてもらってこんかい」

「誰にや」

「えんまさんに」

「あほ。戻ってこれへんがな」

「はっはっはあ」

「なんや、おまえさんも足ぃ調子悪い言うとったんにふらふらと」

「けっ。あのけったくそ悪い嫁の顔なんざ見ていたくないからねえ」

「おいおい、世話してもろてその言い方はあらへんやろ」

「あれが世話のうちに入るかい。あたしが犬の世話する方がなんぼかましだよ」

「はっはっはあ。ほんまに口の悪いばばあやなあ」

「あんたには言われたくないね。口だけじゃなくて頭まで悪くなったんかい。なんだい、そのポスト」

「ああ、これな。懐かしいなあ思うてな」

「懐かしいからって、こんなもん普通買うかいな、ばか。買うなら墓とか仏壇とかにしとけ」

「ほんまに口の悪いばばあやな。そんなん買うたとこで、おまえさんとこの嫁に饅頭くれてやるんとなーんも変わらへんがな」

「ひっひっひ。あんたも充分口ぃ悪いわ」

「ほっといてんか」

「それは使えんのかい?」

「いやあ。単なるお飾りや。お地蔵さんと同じやな」

「そんな口のでっかいお地蔵さんがあるもんか」

「はっはっは。まあ口ぃあったかて、腹ぁ減ったとはよう言わへんやろ」

「言ったら怖いよ。でも、手紙を食えないポストは年中腹ぺこだねえ」

「茶ぁでも飲ましたってぇな」

「腹壊すだろ」

「はっはっはあ。水掛けばばあにはならへんか」

「あんたをポストに突っ込んでやろうか? くそじじい」

「まあ、座りぃ」

「気ぃ利かないんだから。そういうのは最初に言わんかい」

「はっはっは、しゃあないやろ。それでここまで生きてきたさかい」

「死ななきゃ直らないね」

「せや」


 どっこらしょ。


「真面目な話ぃ、おまえさん、嫁はんとどないすんねや?」

「ああ、そのうちあたしがいびり出されるよ」

「どうにもならへんのか?」

「息子が嫁の言いなりだからね。孫やひ孫までわたしをバカにすんだよ。まったくアタマに来るったら」

「お互い、子供の出来ぃ悪かったなあ」

「なんだ、あんたんとこもかい」

「せや。せやけど、おまえさんとこは息子がちゃんと働いとるやないか。わしに言わせりゃあ、それで充分やて」

「そうかねえ……」

「いい年こいてわしの蓄えや年金掠め取るような極道息子は、正直言うて要らへんわ」

「なんだいそりゃあ。情けないねえ」

「せやせや。でも、息子の前で何万べんそれぇ言うたかて、なーんも変わらへんさかい。あほくさ」

「あんた、それで食ってけるんかい?」

「まあ、今んとこはな。先は考えとうないわ」

「困ったもんだね」

「かなんわ」

「……ねえ」

「なんや」

「あたしら、どこで何ぃ間違ったんだろね」

「さあなあ。そらあ分からへん。単に運が悪かったんか、わしらが何かへましてもうたんか」

「ああ」

「かみさんがさっさと死んでもうて、わしぁ息子抱えて生きるだけで精一杯やった。ほんな、育て方ぁ考えてる暇なんかあらへんがな」

「うんうん」

「せやからわしは、父親はできてん母親の真似はようせんかった。せやさかい、はよせいはよせい言いすぎたんかもしれへんな」

「ふうん」

「とにかくはよう大きくなってくれい、自分のこたぁ自分で始末してくれい、わしん頭ん中にぃそれしかあらへんかってん。息子と一緒に遊んだるとかぁ、どっか連れてったるとかぁ、そない余裕なんかどーっこにもあらへん」

「うーん……」

「せやから、息子はいーっつもわしの顔色ばっか見るようになってもうた。普通に話できひんねや」

「そうなんかい」

「ああ。ごっつ口下手やし、後ろ向きぃに育ってしもたなあ。ほいで、すぐにすねよんねや」

「はん?」

「おとんはボクをちぃとも構ってくれへんかった言うてな。もうすぐ六十のおっちゃんの言うことかいな。どあほう」

「ははははっ」

「笑いごっちゃないわ。薄ら寒いで」

「そうだねえ……」

「おまえさんとこは、息子はんしっかりしとるやろ。ええなあ」

「……。そうなんかねえ」

「そらそやろ。孫、ひ孫入れて四世代同居や。うらやましいわ」

「はっはあ。そいつぁ隣の芝生だねえ」

「ほか?」

「そうだよ。あたしに言わせりゃ一緒に住んでるだけさ。みんな、自分以外のこたあめんどくさいって思ってんだよ。誰か一緒にいりゃあ寂しくないなんてこたあないね。豚や狸と暮らしてたってさあ、うるさくて臭いだけで楽しくなんかないだろ?」

「おまえさんも言いよるなあ」

「いやあ、本当にそうなんだよ。足ぃしんどくても、こやって家から出てた方がほっとすんのさ」

「そか」

「はああ」

「おまえさんとこは、嫁はんがえろうしっかりしとるやろ」

「しっかりって言うより、ごうつくばばあだよ」

「ばばあにばばあって言われて、今頃くしゃみしとるで」

「風邪引いて、死んでしまえ」

「過激やなあ。まあ、家の中にはおかんは二人要らん。そういうことなんちゃうか?」

「……。あたしに出てけってかい」

「ちゃうがな。おまえさんの息子もおっとりやさかい、あんたによう似たやり手の嫁はんに惹かれたんやろ。因果なこっちゃ。せやからどっちかが母親ぁ止めへん限り、それは続くちうことや」

「あんたもすごい薄情なこと言うねえ。あたしに母親止めれってかい」」

「そんなんできるわけなかろ。せやけどな、わしらがなんぼトシ食うた言うてん、黙ってても母親、父親や。そこぉ他人と張り合ったかてしゃあないわ」

「そうかねえ」

「なあ」

「なんだい?」

「わしら若い時には、じじばばはみぃんな悟っとって、何かてちゃっちゃっとこなしよるように見えてん。そんなんウソやな」

「ああ。それだけは間違いないね。ろくでもないことの数だけ増えて。肩ぁ凝ってしょうがないよ」

「それでん、最初に戻ってやり直しぃはでけへんねや。そういうもんやと思うしかあらへんね」

「そうだね」


 ふう。


「なあ」

「うん?」

「おまえさん、遺書ぉ書かへんのやろ?」

「あははは。もう税金対策だとかで、あたしのものは息子が全部取り上げちまってるよ。書き遺すことなんざないね」

「せやろな。けどな、ぜぇんぶ持ってあの世行くんもしんどいでぇ」

「持ってくもんなんかないって言ったろ」

「物やないて」

「へ?」

「わしらなあ。多分。多分やぞ。一番失敗したのはなあ、言わなあかんことは言えへんかったのに、言わんでええことぎょうさん言うたことやと思うねん」

「……そうかい?」

「ああ。わしはそう思っとんね。せやけど、それはもう今からはどうにもならへん」

「うんうん」

「今さらきれいごと言い遺したかて始まらん。せやけど、こんなん持ってえんまさんの前に行きたないなあ言うんがあるやろ」

「ああ、いっぱいあるねえ」

「それな。書いて置いてき。ポストもそこにあるさかいに」

「はっはっはあ。じじいもたまにはいいこと言うねえ」

「たまには余計じゃ。くそばばあ」

「どれ」


『どいつもこいつも人の気も知らんで、ばかやろう!

  タキノ』


「見ないのかい?」

「見んでも分かるわ、そんなもん」

「はっはっはあ。そうだねえ。ああ、ちょいと油ぁ売り過ぎた。あんた構ってると時間ばっかりかかって困るわ」

「ほっとけ」

「じゃあね。あたしより先にくたばるんじゃないよ」

「そらあ、こっちのセリフや、くそばばあ」


 よっこらせ。


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