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「さて、そろそろだな」


 AS操縦服――真っ黒な鎧を思わせるそれをまとった男がにやりと笑う。

 くいくい、と軽く右手を動かすと、この薄暗く狭い密室――コクピットの外から、洪水が起こっているかのような轟音が響いてくる。

 セミ・マスター・スレイブ方式による滑らかな運動。操縦者オペレーターの動きを正確に読み取り、忠実に再現。さらにはその動きを数倍にも増幅させ、操縦対象を意のままに動かすシステムだ。


「バイラテラル角を調整しろ。5だぞ、いいな、5だからな」


 モニター付近に搭載されている音声入力スイッチを押しながら、男は機体のもう一人の操縦者であるAIに語りかける。

 バイラテラル角とは、トレースした搭乗者の動きなどを増幅させる時に、その目安となる設定であり――単純に「2の時に腕を45度動かせば、機体は倍の90度動く」ということになる。


了解ラージャ。バイラテラル角を50に設定》


「ふざけるなボケェーッ! ンな数値にしたら今頃オレは自動車のタイヤよろしく、ぐるぐる大回転しちまうだろうが! 0が多いんだよ、0がなぁ!」


《この設定では機体の機動、およびパイロットの安全に大きな支障をきたす可能性があります。修正を提案》


「ああ、そうするに決まってんだろう……いいから5だぞ、バイラテラル角は5!」


《了解。バイラテラル角を2.5に修正》


「だから、さっきから5だっつってんだろうがこのポンコツAIめがァーッ!!」


 出来の悪いコントのように、AI相手に男は悪態をつきまくる。


「ええい――本当なら、今すぐここでぶっ叩いてやりたいぐらいだ。そうすりゃあ、壊れたTVのようにきっと直るだろう――たしか、日本にもそういう諺があったはずだからな。けっ、とにかくそれは後回しだ」


 観念したのか、男は慣れない手つきでマニュアル操作を用い、バイラテラル角を当初の設定予定だった5に変更していく。気のせいか、音声入力スイッチがしょぼんと落ち込んでいるかのように思えた。

 その直後、通信を告げるモニター通知と共に、たくましい女性の声がスピーカーから流れてくる。


『……またかい、アンタのAI。本当に困りもんだねえ。どうだい、いけそう?』


「ああ、大丈夫だ。作戦行動・・・・に支障はない……手間を取らせた。【連中】は?」


『予定通り、こっちへ進行中。そろそろパーティの下準備は終わらせときな」


「あいあいよ、っと」


 通信はすぐに切れ、再びコクピットの中に静寂が戻る。

 AIのアナウンスやガイドは、先ほどのいざこざに呆れたのでオフにしておいた。

 これで、男の支度は終わり。あとは野となれ、山となれ、だ――――

 いつでも急速機動が可能なように、ペダルに両足をかけておく。


「さあ、いつでもきやがれ――キャプテン・フックのなりそこないども」


 薄暗く、機体のエンジン音だけが響く狭いコクピットの中で、高まる闘気と鼓動。

 彼に呼応するかのように、機体全体が小刻みに軽く振動する。

――そして。


 コクピットの外。男が操るアーム・スレイブを覆う、外界の景色は―――― 

 機体のモニターに映されたその場所は――深淵のごとき、何も見えぬ深海だった。











「くけっ、うけけけけけ……今回も大漁だったぜえ」


 夕陽が辺り一面を照らし続ける、紅い大海原のど真ん中。

 ぎこちない動きで進み続ける一隻の小さな輸送船と、それを護衛する形で随伴する5機のASの姿があった。

 各部に細かな改造こそ加えられているものの、その『卵』を連想させる独特のシルエットは――第二世代AS、Rk-92 〈サベージ〉のものだった。

 いずれの機体にも、その脚部には海上移動用の特殊ブースターが装備されており――その激しい騒音は、海上のみならず、海中の住人である魚たちを脅かしていた。


「美人のネエちゃんもたっくさんいるしよォ、こりゃあ夜が楽しみだなぁ……」


 輸送船の船長と思わしき、髭面の男――甲板に立ち独り言を漏らすその姿は、下衆以外の何者にも見えなかった。


『キャプテン、イイんですかい? こんな目立つように移動しちまって』


 携帯型の無線機に、雑音混じりの船員クルーの声が届く。


『これじゃあ軍の連中に、見つけてくださいって叫んでるようなもんですぜ。こんな珍しいモンを試してみたいってえ気持ちは分かりやすが、これほどの音じゃあすぐにバレちまう。せめて1機だけにして、他の〈サベージ〉は船内に格納した方が……』


「バーカ、せっかくのオレたちの旗揚げ時なんだぞ? 派手にやらなきゃ損だろう。それによォ、こんな面白いモノを――海の上を走るASなんざ、そうそうお目にかかれねえだろう! 仮に嗅ぎつけられたとしても、だ。ヘリで来りゃあ撃ち落とせる、船や潜水艦で来ようが、海の上を自由に動けるこっちの方に分があるんだぜ! 都市伝説の『幽霊潜水艦トイ・ボックス』くらいだろうよ、オレたちに近づけるヤツなんてなあ!」


 激しく興奮しているのか、船長は饒舌に意気込みと作戦を語り続ける。

 

『ですが、それこそASを持ちだされたら終わりですぜ! 向こうは第三世代を大量に持っていやがるんだ、いくら強化された〈サベージ〉でも、正面からじゃあひとたまりも……ヘリを撃ち落とす前に、搭載されている何機かが先に投下されるかも』


「弱気なこと言ってんじゃあねえぞ! 『あの人たち』がくれたこのASと装備以外に、海でここまで自由に動ける機体なんざ存在しねえ! 出し抜ける、オレたちは軍やそこらのPMCさえ出し抜けるんだ……ククク、まさに『十年先を行く装備』を手にした気分だぜ、ブハハハハハ!」


 船長は見事なまでに天狗となっていた。

 冷静な船員たちがこうして進言したところで、まったく聞く耳をもたない。

 驕りと慢心――戦場、あるいは今にもそうなるかもしれない危険地帯において最もいだいてはいけないものを、この男は時限爆弾のようにいくつもかかえていた。

 そして――その時限爆弾のスイッチが何者かの手によって押され、カウントダウンは既に始まっているのだということに、誰も気が付いていなかったのだ。

――1機の〈サベージ〉が、轟音と共に沈んでいくまでは。


「…………は?」


 先ほどまでべらべらと喋り続けていた船長の口が、ぽかんと開きっぱなしになる。

 そしてその間にも、残りの〈サベージ〉が同じようにして、次々と脚部を破壊され紅き大海原に沈んでゆく。

 船長が自慢気に語っていた『海上を走れるAS』――元はただの陸戦用ASであって海の上なんてものは運用の想定外であるし、脚部に半ば無理矢理搭載したブースターを破壊されてしまえば、ただ沈んでいく他に道はない。


「なっ、何が起こった……!? そんな、ブースターを……!?」


 狼狽える船長、無線から聞こえる船員たちの困惑の叫び――一気に騒がしくなった輸送船の付近に、沈んだ〈サベージ〉と入れ替わる形で、別のASが姿を現す。

 あまりにも突然のことに、船長は腰を抜かして甲板にへたれこんだが――その目はある一点に釘付けになっていた。


『………………』


 大陸を表す図と、それを覆う巨大な錨――その上に座する鷲の姿。

 アメリカ海兵隊所属であることを示す、黄色で彩られたエンブレム。

 機体胸部に描かれたそのマークから、船長は目を離すことが出来なかった。

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レッド・オーシャン 鎧衣剣坊 @domijin5

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