第2話『超越者《トランセンド》』
途中コルセットが突っ走ったせいで回り道をしてしまったものの、開けた場所に出れば目的地が見えてきた。
白煙が視界の中で増えていき、
ホームにはつい先刻着いた機関車が、雨に打たれて熱を落としている。煙を吐く近代の大発明である鋼鉄の黒き車両には、いつ見ても驚かされるばかりだ。
人は良くこんなデカい乗り物を開発出来たなと、馬鹿正直に思うってしまう。
半世紀前までは馬が交通の主流だったのに、いつの間にか鋼鉄の馬車が誕生しては、それが今や大陸を横断するまでに。
私は散っていく景色があまり好きではない。しかし身をもって体験した世界は確かに新世界。詩人に憧れているわけではないが風との一体、そんな言葉を恥ずかしながら口ずさみたくなってしまう程の速さだった。
だけど驚愕も生まれるからこそ、技術の革新には恐怖すら覚える。
特にここ数年の技術は革新と言ってもいいほどのものかもしれない。
実は目の前にある蒸気機関を積んだ機関車ですら、今や時代遅れになりかねないのだから。
隣国で液体燃料を使用した新たな動力を開発すれば、それを機関車へと搭載しようとしているらしい。
こちらの国でも技術は別系統ではあるのだが、電気を使用した電灯が少しばかり整備され始めた。まだ安定した明るさを保つことは難しいらしいが、それでも眩い光は火の色とは違う。
文明の象徴と言えば火ではあるが、それが電気へと移り変わるのも時間の問題かもしれない。
オルティリアでも電灯はちらほらと目にする事がある。しかし比較的整備されているのは外壁周辺ばかりで。中心部に向かえば向かうほど時代と逆行しているこの都市では、法も関係している以上、近代的な文化が到来するのは当分先になるだろう。
なんにせよ技術者と開発者には脱帽するしかない。たった半世紀も満たない期間で、人間の生活をここまで向上させたのだから。
向上と言っても、別に機関車や、電灯だけが技術ではない。
相対的に人々の生活は技術と比例している。手にする本に、口にする食事。それらも文明が進化する事によって、中身も合わせて変化をしていく。
より良く、より上手く、より安く。人の欲望に底が無い限り、永遠と繰り返される成長は、恐らくいつまでも人々の願いを叶えるに違いない。
まあ、長ったるしく語らず、一言で済まそうとすれば。
人生が楽になる。それだろうな。
私も恩恵を十分に受けているし。文明万歳と言ったところだ。
ただ――時として技術は狂気にもなってしまう。
身に余る力を手にすれば必然と起きるのは争い。そうなれば私のような下級の真っ当な庶民が真っ先に被害を食らうことになる。
熾烈な開発競争が国境を越えれば、互いの国力を競う事にも繋がるからだ。
切迫した国際情勢から広がるのは数多もの負の連鎖。食料の高騰に、貨幣相場の暴落。それらが大袈裟ながらもちらりと頭の中を過ってしまった。
ただでさえ、冬の寒さを一際に感じる懐具合が一層寂しくなってしまう。金が無い。そんなのは悪夢だけでいいよ、本当に。
私が考えたところで手も足も出せない話なので、どちらにせよ考えるだけ無駄に近いが。
それはそうと、歩みを止めたくなる物を、人を見つけてしまった。
なるべくなら顔を合わせたくはなかったのが、向こうが大きく手を振ればどうやら見つかってしまったらしい。
「こるっちー!」
改札口の奥から駆けてくるのは、多彩な色を白衣に引っ付けた一人の女性だった。
嬉しそうに声を上げる彼女は助手の友人であり。
「あ、リンカさん!」
「やっぱり、こるっちだぁ! と、偏屈ジジィも一緒かよ……」
私の天敵。
リンカ・エントナー。
朱色の瞳をしては人によっては親しみ深く、短めの赤色の髪は火の粉をまき散らす面倒くさい奴だ。
私に対して性格に難あり、助手の友人という時点で考えるだけでも頭痛起こす彼女は、助手と同じ都市学院の出身者でもある。
そして白衣に残る色は彼女の仕事を意味しており、彼女は国内では名の知れた芸術家として通っている。
彼女は都市学院に入学前からそこそこ売れていた絵描きではあった。持ち味の独特な世界観が高評価で、その界隈の人間たちからは将来を嘱望されていたらしい。
それが都市学院に入学して以降更なる飛躍を遂げては、卒業後には国内を代表する画家となって現在に至る。
私は芸術については門外漢なので絵の良し悪しはさっぱりなのだが。彼女の絵は一部の上流階級の間では、高額で取引をされるほどの物とのこと。たった一枚の絵が大豪邸に代わったと、新聞に載っていたのを記憶している。
「悪かったな、ジジィも一緒で」
「ああ、別に……」
エントナーが私に対して口が悪い理由は幾つかある。
私の顔が気に入らないとか、声が嫌い、他にも性格が気に食わない。言い尽せば、私の存在を全否定するほど私は彼女に嫌われている。会えばいつも際限なく罵倒の嵐だ。
だが、こんなのはある大元の一つの理由にくっ付いてきたおまけにしか過ぎない。
彼女が私を嫌う理由、それは私が――彼女の一番の親友であるコルセットを奪ってしまったのが要因だろう。
コルセットが私の事務所に勤める以前、エントナーは学院生時代に、助手を自身のサポートとして働かないかと彼女を誘ったらしい。けれど助手は首を縦に振ることは無かった。助手にはその時すでに決めていた道があったからだ。
親友が大手の商会や、研究職に就くなら芸術家も口がここまで悪くなることは無かったはずだ。
しかし残念ながら助手が務める事になったのは、都市の片隅に沈む、泥水被った犬のような事務所。
この時点でもう、可哀想を通り越して、同情したくなってしまう。
エントナーのプライドも当然のこと、私のような男に大切な親友をかどわかされては、結果として奪われた形になってしまったのだからな。
矛先向ける相手が私しかいないのも納得がいく。
けど、私としては全くもって罪も無ければ、いわれのない言葉は冤罪に近い。
「リンカさん、もっと仲良くしようよ」
助手が毎回エントナーの手綱を引いてくれているので、未だに私は傷を負わずに済んでいる。
しかしよく考えれば、一番の元凶は芸術家に好かれた
コルセットが本心を語ってさえくれれば、私もエントナーも被害者にならずに済んでいるのだ。親友や雇用主にさえ語らない彼女の闇は、ある意味でオルティリアの中でも相当な深さかも知れない。
そしてそれは、私達の信頼がそこまで深くない事にも繋がっている。一年近く一緒にいても、これだ。
所詮、仕事の内は素顔を見せたくないのかもしれない。
いつかは見たいものだよ。彼女の本当の顔というのを。
「けど、私からこるっちを」
「ね、仲良くしよ?」
けど、そのためには先ず彼女の笑顔に勝たなければならないな。
目の前のエントナーもそうだが。コルセットの海色の瞳と笑顔を向けられると、自然とこちら側が妥協してしまう。
愛嬌、人懐っこいとも言えるが。彼女から向けられるのはまた違う。
抗えないような、人が本来持っている善意の心を痛めつけるのか。
彼女の笑顔にはこちらの心を制御してしまう何かがあるのだろう。それこそ人を惑わす魔の魅力に似ている。
容姿が重なってしまえば、尚更にだ。
「うぅ……。分かったよぉ、こるっちがそう言うなら」
結局のところそれも彼女の才能の一つなのかもしれない。自身を傷付けずに、周りも己の言葉と笑顔で納得させてしまう。
自分のペースに持ち込んでは人をたぶらかすのが上手いと思うよ、コルセットは。
幼子のような澄んだ瞳で見つめられてしまえば、どんな言葉よりも強く襲ってくるのは自身の罪悪感だ。それを本能的に呼び覚まされては、自ずと心は冷静さを取り、愚かさを打ち付けるようにして自身を脅していく。
悔い改めよというわけではない。そもコルセットは女神でもなければ聖母でもない。さらに言えば、彼女自身も自身の笑う顔にそんな秘密が隠されていることも知るはずもない。
それは当たり前であり。
これは単に私達の意志が彼女に屈服しただけなのだから。
「いつもはアトリエにいて絵を描いているのに、リンカさんが駅にいるって珍しいね。何処か街に行く予定でもあるんですか?」
「うんにゃ、何処にも行く予定はないよ。ちょっと学院から頼まれごとがあってね」
エントナーもそうだが、コルセットもたまに学院からの要請で仕事を休むことがあった。
それに国家が選定をした人間を育成すると言う事ならば、それは国の税金を突っ込むことと同じで、学院とは無関係の人達の血税を使うことも意味する。
ならば学院側からの要請は義務であり、責務でもある。国に報いることでもある。
そう考えれば、彼女達は子飼いの羊。
人生を管理されるのとまったく変わらないコルセットたちを見ていると、金が無くても自由の身である自身の方がまだマシなのかもしれない。
ちなみに、どんな仕事を頼まれているのかを酒の席で訊いたことがあるが、酔いが回っても口は軽くはなかった。
適度にはぐらかされては、睡魔にやられて終わっている。
いちおう、私も直接的な仕事は無いが。探偵業を生業としている身分なので、ちょっとばかしコルセットの動向を探った事がある。
その時は日がな一日都市を延々と歩いていたな。一日中歩きまわされて、こちらの足が翌日筋肉痛になったのは痛い失敗だった。
もちろんカフェ巡りするような散歩が、学院の仕事でもないのは分かり切ったこと。
私は撒かれたのだと思うよ。コルセット相手に。非常に遺憾ながら。
しかし、内容は掴めなくても推測は出来る。コルセットたちが学院から何を頼まれているのか、平凡な頭を使って導き出した私なりの考えというものを。
コルセットたち学院関係者が動くときは、決まってある事件達と同時期に重なっていた。
中身は如何に狡猾に隠し通しても、時間は人間が操れない事象の一つでもある。私の事務所にもコルセットの休暇申請が残ってるので、それと事件らを照らし合わせれば、簡単に私の持論を展開することが出来るだろう。
事件ら、としたが。それらが私の好奇心をくすぐっては、私も本気にしてしまう。それらは可笑しいほどに、ぴったりと当てはまっているから。
コルセットたち、学院関係者が行う仕事それはたぶん――今、オルティリアを賑わしている事件と関係していると思われる。
そう、それは今個人的に話題の『髪喰い理髪師』とかな。
「頼まれ事と言うのは、もしや『髪喰い理髪師』の件ではないのか?」
学院関係者が二人もいるのだ。運が良ければどちらかが話をぽろりと漏らしてくれるかもしれない。それこそ砂粒程度の世間に出回っている情報かも知れないが。
「あのさぁジジィ、私は警官でも無ければただの絵描き。私がどうして『髪喰い理髪師』の件と関係があるんだよ」
エントナーはせせら笑う、呆れを含めて。
「いや、何となくだが、用もなく駅にいるのが気になってな。エントナーほどの芸術家なら、特に今さら駅の完成された芸術品に手を出す事もないし。もしかしたら都市に出入りする人間を観察しているんじゃないかと思ったんだよ」
「なんで私が人間観察をしなければいけないんだ。そんな事をしている暇があったら、絵を描くか、こるっちとお茶をしている」
「何でって、エントナー。キミは観察して――記憶することが出来るんだろ?」
都市学院の卒業生は化け物。
揶揄する言葉は、人を人として見ない言い方だ。自身と違う存在、秀でた能力を持つ者を妬む事は、人間に元から備わっている本質的な物であるから無くすことは出来ないだろう。
でも、それが世間一般の評価でもあった。身近に関係者がいても、私もそう思ってしまう事がしばしばある。
力を観てしまうと、思いたくなくても、そう思わざるを得ないのだ。
一般常識が通じない、人の領域を超えた賢人と例えられてもいいような力を。
そんな彼女達の事をいつしか私達普通の人間は、憧憬と畏怖の念を込めてこう呼ぶようになった。
私達普通の人間とは一線を画くした、化け物と紙一重の人間達のことを。
リンカ・エントナー、彼女もそんな人ならざる力を有した者の一人だ。
一度見た世界をそのまま記憶に残して、それを絵として再現できる能力を持つ超越者。
「まあ、私の力はそうだけどよ。それが人間観察へとつながる理由にはならないだろ」
「しかし絵を描かなければ、否定も出来ない。違うか?」
エントナーは芸術家としてこの場には来ていないと言っていた。
言葉が詰まった彼女を見れば、そう言う事らしい。
エントナーの性格からして、私に負けたくないという気持ちもあるのかも知れないけど。
「……やっぱ、あんたムカつくわ。人の事を詮索して何が楽しいんだよ、探偵気取りのくそジジィが!」
「気取りじゃなくて、探偵なんでな。そこのところ間違えないでくれ」
「しょ、しょちょー! それにリンカさんも、公衆の面前で喧嘩しないでくださいよ!」
こんな感じで流れる一連の会話が、私とエントナーの中の悪さを示す証左でもあった。
彼女に対して、矛に剣を突き返す私にも問題はあるがな。
まあ、彼女はとことん私の事が嫌いなようだが、私はそんな彼女との会話が好きだから意地悪もしたくなってしまうのかもしれない。
人々が恐れすら抱く、都市学院の怪物たちを手のひらで転がす事が出来るというのは、私の中にある一種の欲求を満たしてくれている。
にやけた顔を必死に抑えては、心の中でほくそ笑んでしまう。
本音を語れば、きっと目の前の女性たちは逃げ出すだろうな。
それだけ私自身も思っているよ、下卑た欲だとな。
「しょちょー、私達はリリーを迎えに来たんですよ。それに、学院のお話は出来ませんって、毎回言っていますよね?」
「いやあ、すまない。オルティリアに住まう者ならば、都市学院の秘密を解き明かしたい者は大勢いるからな。つい私もその秘密に迫っては、と勢い余ってしまったよ」
「秘密が好きなのは知っていますけど、少しは抑えてくださいよ。妹が待っているんですから」
助手に諭されては、雇用主としての体裁が。
しかし、私とて人間であり。たまには欲望に忠実になってしまう事もある。
「しょうがないだろ、私は探偵なんだから」
「探偵の前に人間です! 理性と秩序を頭の中に置いていてくださいっ!」
「はいはい、分かったから。そんなに怒ってばかりいると眉間の皺が増えていくぞ」
その言葉でぱっと額を抑えるコルセットに苦笑いを浮かべてしまう。真っ直ぐ過ぎる心は、他者を疑うということを覚えないようだ。
乾いた笑い声が自身から漏れると、真っ赤になった彼女の顔が僅かながら膨れていた。
羞恥心を起こしてしまえば、今度は彼女なりの反抗。私に対して言葉にならない言葉を浴びせ始めた。
「はぁ――羨ましい、羨ましいったりゃありゃしない。ほんと、もう。コルセットはこんなジジィのどこを気に入ったんだが」
意味のない言葉を避けていると、白いため息吐くエントナーが肘で小突いてくる。
「さぁな、今度本人に聞いていみたらどうだ?」
「ざけんなよ。そんなの聞いたら私の思考が爆発する。と言うか恥ずかしくて、死ぬ」
「死んでみるのも悪く無いんじゃないか。キミのその能力で死後の世界とやらを描いてみてくれよ。私も見てみたいからさ」
「テメェが直接見てこいよ。そして二度と戻ってくんな」
「あははっ、それは無理な相談だな。死んでしまえば、キミとの会話が楽しめなくなってしまうよ」
エントナーの肩が一度震えた。でもたった一度だ。
赤色の髪に再び火を灯せば、朱色の瞳が私をしっかり捉えていた。
「……こるっちの妹がオルティリアに来ているのか?」
「ああ、そうだが」
私の返答を聞くや否や、エントナーがホームに点在する幾つかの小部屋から一つを指さした。
「こるっちの妹っぽいのは、この先のレストハウスにいると思う」
「コルセットの妹の情報は伝えていないが?」
「あの
「一度見ただけで忘れない記憶能力、流石としか言いようがないな」
褒めたつもりなのだが、彼女は気に入らなかったようだ。
軽い舌打ちが私の耳に届いた。
「私は仕事で忙しいんだからさっさと行けよな」
「ああ、分かったよ。コルセットも、こいつの妹も待っている事だしな――おい、コルセット!」
「ひゃ、ひゃいっ!」
素っ頓狂な声が上がれば、コルセットが帯びた熱が一気に冷めていく。彼女も、エントナー並みまでの嘲罵とまでは言わないが、少しは私に通じる悪口を吐いてほしいものだ。
これでは張り合いが無くて、子供の喧嘩を眺めているのと同じになってしまう。
「な、なんですか所長。あやまってくれるんですか」
「それは後にしてだな。エントナーがお前の妹を見つけてくれたぞ」
「えっ! ほんとうですか! わぁっ、リンカさんありがとうございますっ!」
コルセットがエントナーを抱きしめた。愛しい親友の抱擁を頂いてしまえば、芸術家の捻くれた心も幾分か道を正していく。
つまりは、恥ずかしがっていた。
髪や瞳だけではない。顔を真っ赤にしてだ。
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