第1話『都市オルティリア』
――オルティリア。
学術と芸術が街の構成の大部分を無駄に占めており、知識と知恵が重なり合い氾濫しては、美と愚がお互いを追求して二律背反する土地。
国内でも有数の学術機関が集まるこの都市には二つの別名がある。一つは――『魔都オルティリア』と敬意と侮蔑の名を刻まれた呼び名だ。
斯くも渾名付けられる理由としてはいくつか存在するのだが、その根本的な原因を作っているのはこの都市に住まう人間達。特に幾つかの都市に名高い機関を利用している者達のせいだろう。
たとえば――天才鬼才、変人奇人を発掘しては育成する【エリアレーデ都市学院】。私の所の
国中の選りすぐりの青少年少女を集め、国内どころか国外に於いても類を見ない程の資金を投入して設立された学院は、その中身が外部非公開扱いになっている。
研究は勿論の事、組織図、都市学院の中に関する情報が外に知らされた事は一度も無い。
唯一分かっている事があるとすれば、都市学院を出入りする人物程度だろう。
しかし学院の詳細を学院生や卒業生、関係者に聞いても閉ざされた口は堅く、真相を語ってくれる者はいなかった。
そんな秘匿しかない都市学院がどうして国内、国外でとして認められるほどの実力を持っているのか。それは単純明快で。
都市学院を卒業した学生が全員――。化け物染みた実力を持っているからだ。
とある博士は天に数字の羅列を並べて新たな数式を作り、また別の学者は古代に残りし遺物の残滓から歴史の謎を紐解き、口悪い芸術家は誰もが想像し得ない空間を生み出し、寡黙な騎士は天下に轟く無敗の猛者として。
とかく変人と紙一重の奇人たちは、その性格や性根から害悪な物を取り除いたとしても、人間にとっては掛け替えのない財産となりつつある実力を保有している。
出自不明な流浪な旅人が国の財政を立て直したとの、明らか様に信憑性に欠ける噂もあるが、それも都市学院が絡んでいるとすれば虚言も事実として広まっていた。
知識面、肉体面からも見てもずば抜けて能力が高い都市学院の学生は将来を約束され――確約したも当然であり、だからこそ不思議は神秘を重ねてオルティリアを『魔都』とさせているのだろう。
けれど私は最近、都市学院の実力に疑いを持ち始めている。
どうしても、
だが紛れもなく彼女が、エリアレーデ都市学院の卒業の肩書を持っているのも事実であり。
となれば、都市学院には別の、何か特別な選考があるのかもしれない。
人を人としてはまた違う、別な観点から、何かを。
些か妄想染みた推理をしていれば、オルティリアと外界を繋ぐ――門が見えてきた。
円形都市のオルティリアを囲む壁は古き時代の香りを残して、血生臭い檻に似た窮屈も醸し出してくれる。
それはオルティリアのもう一つの名前を語るに近く。
古の賢者達は知識を授けるのか、それとも今を生きる賢者を妬むのか。そんな問答が通りから聞こえて来れば、必ず飛び出してくる言葉がある。
『虐殺都市オルティリア』
未だに鮮血の跡が残る壁面は怨嗟を表して。
此処はかつて愚王の号令の下に、文化人の粛清が行われた場所でもあった。
※
オルティリアの玄関口、トレイズム大門駅は外と結ぶ道が一本なくせをして複雑な構造になっている。
都市と外界を結ぶ路線は一つだけ。そのせいか最初、この都市を観光目的などで訪れた者はまさか駅構内で迷う事になるなんて考えもしないだろう。
しかし残念ながら外から中へ入る門は一つでも、中の外へ出る門は複数存在している。
トレイズム
数時間歩き続かされた結果、都市の反対側まで向かった者もいるほどだ。案内図はあるものの、
大概は付き添いや、団体で来訪するので最近は迷う人もあまりいないが。右も左も分からぬ少女一人で来るなら、確実に迷うのは目に見えていた。
それも、この助手の妹ともなれば。
「それで、妹さんは何時頃に駅に着くと?」
馬車鉄から降りると、冷たい雨は傘に落ちて音を立てている。
「十時には駅に着くと手紙には書いてありました」
「今は、十時半――と言う事は、妹さんが駅から外に向かって歩いていない事を願うしかないな」
慣れぬ街で親しき者もいない中、私が知っている少女ならばその場で蹲り人を待つのも考えられる。
だが、どうにも助手の妹からはそれを想像することは無理だった。
勝手気ままに出歩いては、機関車のホームから最も近くて、最も遠くの出口に向かう。安易な想像は幾多の解答よりも答えが近いような気がしていた。
駅へと入る足は自然と足早になっていく。
するとトレイズム大門駅に待ち受けているのは、傷付いた外観とはかけ離れた整備された美しさ。都市内部は都市の政令により過度な修復は歴史を穢す為に禁じられているが、中身は法の範疇には含まれない。建物に入れば近代的な造りも混じっている。
セメントで固められた床は碁盤で象られたようにして整っており、見上げれば都市の芸術家の集団によって描かれた空が創り上げられていた。オルティリアなりの歓迎の挨拶とされる絵は正門まで辿り着いた者の特権だ。
絵を見られなかった者達は何時までも構内を迷う事になるのだが。
さて、コルセットの妹は大人しく待ってくれているのやら。
「コルセット、お前の妹はどんな容姿をしているんだ?」
「可愛らしくて、キュートな子ですよ」
答えが重複している以前に、適当過ぎる回答は雨雲の重たさを感じさせられる。
コルセット自身に悪意はないにしても、この場で彼女の頬を引っ張りたくなる気持ちは大きく高まっていた。
この場で妹を知るのは都市に住まう姉だけが頼りだと言うのに、妹も不憫としか言いようがない。
「せめて身長に体格、それから髪色は――金色だと分かっているから、しているであろう髪型。あとは荷物か、こちらに引っ越してくるならば大きな荷物を抱えているだろう」
コルセットの実家から短い日程であっても、少女の一人旅、非力な少女にトランク程の荷物を持たせるとは考えにくい。
都市に一人で住むならいざ知らず、助手の部屋に住むと言う事は多くの荷物を持ってくる必要性はない。持ってくるとしたら自身の着替えや、必要最低限の生活必需品。それに幼くても女性である事を加味したとして、スーツケースと言ったところか。
あとはオルティリアであまり目にしない金色の頭をしているので、金髪の少女がいればほぼ間違いなく助手の妹だ。
まあ、それでも万が一、旅行者と言う点も考えられるので、髪型ぐらいは事前に確認した方がいい。
「身長は百四十ちょいで、髪型は先がくるっとした腰まで伸びた綺麗な髪です。たぶん見かければ直ぐに分かると思いますよ、お人形さんみたいな感じなので。あ、体重は女の子秘密なので教えませんからねっ!」
「百四十か――十五歳の少女にしては低い身長だな」
コルセットの身長が百六十そこそこあるから、彼女似て背が高いと思っていたが、髪質は同じでも肉体は似ないという事らしい。
「低身長ではありますけど、だからこそ可愛さも増すんですよ。実家にいた時は毎日、お姉ちゃん、お姉ちゃんって。もぉ、それは私が都市に行くまでは、夜も一緒に抱きしめたくなるほど可愛くて可愛くて……。あぁ、リリー元気かな」
自分自身の身体を抱きしめては、悶える助手を止めるには骨が折れる。
改めてこいつも都市学院卒業である事を思い知らされる変人っぷりには、もはや慣れてしまってはいるが、周囲の視線が冷めたものを送ってくればこの場に置いて行きたくなるところだ。
いや、待てよ……。
都市学院に関係する者の人間性が狂っているならば、コルセットの妹もどこか歯車がずれた人間として考えなければならないのではないだろうか。
だとしたら会うのが少々億劫になってきた。
「リリー・エルレイン。それが妹さんの名前か?」
「いいえ違いますよ。リリーは愛称みたいなもので、リートリー・エルレイン、それが私の妹の名前です」
「愛称がリリーね……。どうかその名の通り純粋な少女だといいけどな」
「リリーは純粋で、それこそ聖水が自ら蒸発するような女の子なんですよ。姉である私が断言するのですから間違いないです!」
膨らんだ頬でコルセットの顔がこちらの視界に映れば、それを片手で往なす。
聖水が蒸発するとか言っているが、それが本当なら神さえも嫌う手が付けられない少女と言う事になる。
意図せずして間違えた発言であったとしても、私の中での
そして私自身の予想と言うのは不運なことほどに追い風は吹き、自分で想像して悲しくなるほどに良く当たる。
「それにしてもトレイズム大門駅の天井って、いつ見ても凄いですよね」
妹は、それにしても扱いか。
愛しているのか、愛していないのか判断できない言い方だな。
「トレイズム大門駅自体の歴史は浅いからな。今の人に受けがいいように作られているんだから、そんな風に感じるのも当然だろ」
「むぅう……。所長って、風情とか感じないんですか? こんな雄大で壮大な絵を見てもそんなちっぽけで寂し気な感想って、ちょっと悲しいですよ」
「ちっぽけな感想しか吐けない人間なんでな。それに風情と言うのは空虚の中にある美しさを指す言葉だ。何処で知った似非知識なのかはしらんが、意味を持って言葉は使えよ」
「え、これ違うんですか。せっかく本屋で所長が暮らしていた国についての本があったのに。やっぱり海を越えると本当の知識も波にさらわれちゃうんですかね?」
「俺が知るか、そんなの」
実りの無い会話を続けていれば、進む先に見えてきたのは六五門の入口及び出口。もしくは迷宮への誘いでもある。
コルセットの言葉を借りるつもりはないが、それにしても今日はトレイズム大門駅を利用する人が少ないように感じられた。
年末には都市で毎年恒例の『逝く者への感謝祭』が行われるため、その時期の駅構内は毎日のように混雑している。その時期までまだ日数はあるのだが、それでも平時の利用客数よりもだいぶ人の数が少ない。
暇そうに駅員が欠伸をしていれば尚更だ。
その理由も恐らくあれが関係していると思われるが。
と、床に張り付いた新聞が目に付けば――知らせてくれるのは三文記事。其処に書かれた大袈裟な見出しだった。
『髪喰い理髪師、深夜の都市に出没。次なる被害者は誰だ!』
意識はしていないが、呆れた言葉が口から漏れた。
実に安っぽさ丸出しのつまらない見出しだと思う。今度これを書いた奴に説教をしたいところだ。頭の悪そうな見出しで食いつく客がいると思っているのかって。
けど、それでも三流記事に目を向けてしまう自分がいるのから心には嘘を付けない。散々暴言を頭の中で吐いていても、実のところそんな記事を楽しみにしている私も読者の一人である。
上手い具合に嵌る客層があるのだから、商売っていうのは良く成り立っていると思うよ。
此処――オルティリアでは定期的に謎が舞い込んでは人知れずとして解決していく。
今までにも幾つかこの様な記事が世間を賑わしていた。
以前には。
『六五門に繋がる冥府、消えていく隣人』『白昼夢の悪夢、記憶を失う人々』『オルティリア壁面の鮮血、古から蘇り処刑人』『怪鳥? 暗夜に飛翔する
自分で購読していながら阿保の一笑しかない。クソみたいな絵空事な文字に金を払っているのだから。
でも、私はこれからも読むのを辞められないだろうな。
単純に謎と神秘が好きだから。私はいつまでもそれを知りたいし、それを見ていたい。
自分から解き明かすとか、そんな大それたことはしない。私はただただ、好きなだけだ。
探偵業を営む者としては自ら動かない人間はどうかと思われそうだが。平凡な日常を崩そうとする、無法者の闖入者が好きなだけ。ただ、それだけ。
それに迂闊に足を踏み入れて、自分から厄介事を作る馬鹿もいない。
「所長は駅で迷ったりしないのですか?」
歩けば手持無沙汰になったのか、妹の心配をよそにコルセットが訊いてくる。
「私も最初は迷ったさ、迷った挙句に駅員を捕まえて道を教えて貰ったよ」
「へぇ、意外ですね」
クスリと笑われた。
「何がだ?」
「所長って、いつも慎重に物事を進めているので、此処に来る時もあらかじめ調べてから来ると思ったんですよ」
「多少なりは調べたりはした。けど、それ以上に都市に着いたという興奮で頭は冷静でいられなかった。若かったからだろうな、頭で理解しようとしても体は欲求には勝てなかったんだよ」
「しょちょー、おじさんっぽい台詞禁止ですよ。所長だってまだ二十代、今をはつらつと生きる若人なんですからー」
「ならせめて助手がしっかりしてくれれば、こちらも老け込まずに済むんだけどな」
「うぐっ――さあ! 行きましょう、所長! リリーが待っていますから!」
動揺を見せれば直ぐに逃げ出す。
雨で濡れた床に足を取られそうになりながらも、コルセットは今さっきの言葉を忘れるようにして走り出していた。
一人で勝手に走り出すなら、転んで怪我をするのも一人ですむかもしれない。けどこいつの場合、他人を巻き込む癖がある。今回もそうだ。私の手を掴んでは、私に言葉を継がせないようにしていた。
いい迷惑だが……。
時として強引な手も、日常を僅かながら違う世界へと見せてくれるので嫌いではない。
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