やさぐれリリーの屈折した日常

浦染霞

プロローグ

 月が灰色の雲に隠れて報せたのは凶報だった。

 そして俺が報せを受け取り、駆け付けた先に彼女はいた。


 柔らかい首を切られ、血が石畳に広がっては、雪片大きくなる度にその跡を広げていた。

 明るかった彼女は地面に伏したままで、言葉を発してはくれない。煌びやかな金色の髪は白へと変わり、桜色の唇は蒼くなっていた。

 嘆きは手を赤色に染めていく。

 天を仰げば自分の声が雪に埋もれ、地を見れば抱き寄せた彼女の命が潰えようとする。

 彼女が掛けていた眼鏡のレンズには罅が入り、その先に映る瞳は虚ろになりつつ。

 握る手はその血潮すらも感じない程に雪の冷たさと同化していく。

 掠れる声は何を求めているのか教えて欲しい。皮肉や憎悪、それとも俺に何かを願うのか。


 答えは何も出ない――。

 俺は救えなかった。

 事件を解決するどころか、犠牲を増やし、あまつさえ身内に犠牲を出してしまう。

 頼られ、頼られた結果がこれだ。


 俺は何時、間違えたのだろうか。

 俺は何故、止められなかったのだろうか。

 俺は――。


 俺が信じていたら彼女は死ななかったのだろうか。











 その日は朝から雨が降っていたと記憶している。

 そう、十二月の雪に変わりつつある雨だった。

 寒さと同時に懐具合が寂しくなる中、彼女は現れた。






――――私がいつも通り事務所の部屋で寝ていれば、錆び付いた事務所の扉が引かれていく。

 しかしながら扉は途中で木の擦れる音は出してはその扉としての役目を果たそうとはしてくれない。

 築年数のせいか、事務所自体が傾きつつあるせいで扉は中々開いてはくれないためだ。

 そうなれば聞こえてくるのは扉の向こう側からの悲痛な声。

 私としては助けるのも程ほどにしたいとこではあるのだが、唯一の従業員である彼女に見捨ててしまわれたら色々と困ってしまう。


 仕事にしても、プライベートにしても。

 思いっきりドアノブを回してこちら側へと引っ張れば。


「わ、わわっ!」


 一人の女性が部屋の、私の方へと――躱して床へと盛大に転がっていく。

 女性が手にした大きな袋の中身が事務所の床へと散乱すれば、パンに果実、それと珈琲の豆が二袋。へんてこな猫のデザインを見ると彼女のお気に入りの銘柄の珈琲豆だった。

 腰を突きだして床に突っ伏しているだけかと思ったが、女性――。私の助手は多少の事ではへこたれない。

 朱色のフレームをした眼鏡を掛け直せば、立ち上がりこちらに振り向く。


「所長、おはようございまぁあす!」

「はい、おはようさん」


 我が榊探偵事務所に所属するただ一人の従業員、コルセット・エルレインは今日も無駄に元気が良い。と言うよりはそれが仕事で専ら彼女の出来る事と言っても差し支えない。

 ただ、そんな彼女とて雨粒に晒されてしまえば風邪も引くし、何より事務所内を濡れた姿のまま歩かれたら敵わない。

 ただでさえ朽ち始めているボロ事務所の腐り具合が加速してしまう。

 適当に転がっているタオルを拾っては、とりあえず彼女に投げつけといた。


「ありがとう――。て、臭いんですけど、これ!」


 だろうな。


「あー、それな。一週間ぐらい前に床に零れた酒を拭くのに使った」

「ひどっ! しょちょうー、乙女の髪はオルティリアの芸術観では、ありとあらゆる宝石よりも価値が高いと言われているんですよ。国指定の宝なんですから」

「その割には扱いがぞんざいだな、その国宝」


 コルセットは手渡されたタオルで馬の尻尾をした髪を絞っていく。躊躇いの無い姿は彼女が言う乙女とはかけ離れている。

 しかし彼女の髪は彼女自身が褒めるように本当に美しい物だと思う。

 オルティリアでは珍しい金色の髪もそうだが、水滴含んだとしてもその輝きは失われない。それどころか室内の揺らめく灯に照らされては、髪自体が光りを発しているようにも見えた。

 コルセットの家族はみな同じ髪質しているらしく。けれどここまで煌びやかな髪色をしているのは一族の中では彼女だけらしい。彼女自身がそう答えていた。


 まあ、それ以外にもコルセットの魅力はある。


 例えば桜色の唇は冬であろうと季節を誤魔化し、海色の大らかな瞳は彼女の内面と著しく違わせる。はつらつとしているその快活さは目覚ましと似てけたたましく、口開けば感嘆符が付いてくる女性だ。

 彼女が私のところで働きたいと言い出した時はラッキーだと思ったよ。彼女の経歴は私の所ではもったいないほど優秀であったから。

 オルティリア随一の名門エリアレーデ都市学院を卒業も含め、彼女自身の容姿もそうだった。見た目だけでは理知的な印象が高く、口を開かなければ見目麗しい可憐な乙女だった。

 私には勿体無いほどの女性が入ってくる。これは一生にあるかないかのチャンスだと。


 そう――だった。

 少なくとも一年前はそう思っていた。

 彼女を私の事務所に雇った時には参った。失敗したと思っていた。

 その理由は簡単簡潔で。


 彼女は仕事ではほとんど役に立たなかったからだ。

 手紙を受け取れば中身ごと鋏で切ってしまい、一時間ほどで終わる届け物を頼めば半日しても帰ってこない。接客を任せれば客に茶を零して、引きつる笑いを生んでくれる。

 正直、私の事務所が貧しいのは私のせいだけではないような気がしていた。

 それでも彼女の愛嬌の良さや、人懐っこい性格のお蔭で顧客は失わずに済んでいる。結果だけ見れば、彼女の功績は失敗と半々だろう。


 ところで、私の『榊探偵事務所』は名前こそ探偵を冠してはいるが、その実態は何でも屋に近い。飼い猫の捜索や、近所の子供らの家庭教師、時には珈琲ショップでの店員なんかもやっている。

 二十半ばの私とは違い、未だ十代のコルセットの受けがいいのもそれらの職種があるからかもしれない。仕事の失敗を取り返すほどの愛され具合は得難い物。

 不愛想で偏屈、頑固で野暮ったい顔したおっさんなんかよりもそれは当たり前の事だが。


「そうだ所長!」


 何かを思い出したかのように口を開けば感嘆符。


「うるさいぞ、コルセット。遠吠えなら外でやれ」

「えっと、あ、わんわん! て、犬じゃないし! そうじゃなくて、所長はもう朝ご飯は済みましたか?」

「いや、まだだが……」


 コルセットが来るまで深い眠りに就いていた。何か奇妙な夢を見ていた気がする。

 いや、奇妙と言うより悪夢に近かったような。

 出来れば思い出したくない夢……。


「なら今から私が料理を作りますね。今日はハンスさんのパン屋さんと、リコッタさんのフルーツショップがセールをやっていたんですよ。だから、コーヒー豆以外も買っちゃって、えへへっ!」

「なんだか嬉しそうだな」

「そう見えちゃいますか! 実は実家から手紙が届きましてね。今度私の妹が、私の母校に通う事になりまして。それで機関車に乗って一人で来ては、こちらで一緒に住む事になったんですよ」


 コルセットの妹……。

 たしかコルセットの家族は父母に妹が二人だったか。彼女ともそう歳は離れてはいなかったはずだ。となれば、妹もエリアレーデ都市学院に通うのだろうか。

 受験資格すら特殊な物である都市学院に受ける事でも名誉な事なのに、姉妹揃っての才媛とは親も鼻高々だな。

 一つ懸念があるとすればコルセットみたいに外見だけのポンコツで無い事を祈りたいな。


 と言うか、こいつはそもそもどうやって学院に入学できたのかも不思議でしかない。それも無事に卒業とか。

 私の所に来たのも至って意味不明だ。

 本人も聞いても気に入ったからの一点張りで、詳細を語ってくれはしない。

 自慢ではないが私の所は零細もいいところの貧困具合、仕事の受注が無ければ直ぐにでも潰れてしまう軟な会社だ。


 そんなところに惹かれる部分があるとすれば――。

 自分で考えて悲しくなる物がある。


「それで、なんですけど――。しょちょうー」


 甘ったるい声出しては猫なで声。

 腰をふら付かせ、くねくねしては嫌な予感がしない。


「はいはい、なんだ」

「あの、ですね。私の妹がオルティリアに着いたら……。ここに連れてきてもいいでしょうか?」

「何故、此処に連れてくる。私の事務所は観光名所でもなければ、ただの仕事場だぞ」

「妹が見たいって言っているんですよ。お姉ちゃんの仕事場を見たいって。可愛いですよね、えへへっ!」


 素直にそうだな。と、言い掛けたが寸前で喉の奥へと引っ込めた。

 コルセットと話していると、場の雰囲気が根こそぎ彼女に持っていかれては思わぬ言葉まで口にしてしまう。彼女の緩み切った顔がこちらの口まで緩くするのかもしれない。

 それにしても仕事場を見たいと言う妹も珍しい物だ。

 年頃の女の子であれば若者に人気のスポットとかに行きたいとか思わないのだろうか。


 よりによってこんな廃れた辺鄙な場所を見たいとか……。

 しかし折角の頼みを無碍にするのも姉の雇用主としての心の狭さを露呈するようなもの。


「まあ、取り急ぎの案件もないからな。構わんぞ」

「ほんとですかっ! やったぁ!」

「はしゃぐのは勝手だが、その妹さんは何時こちらに来るんだ?」


 コルセットが背負った鞄からファイルを取り出すと、そこから一枚の手紙を取り出した。

 手紙ぐらいファイリングしなくてもいいと思うのだが、彼女なりに外せないこだわりもある。

 人の想いが詰まった手紙を大事にすると言うのは彼女個人の内面を表していて良い。人との繋がりを重視し、それを穢すことなく育んでいく。

 そんなコルセットを魅入ってしまった馬鹿な男も此処にいるんだから、彼女に対しては甘くなってしまう。


「えと、ですね――」


 コルセットの手が止まった。

 手紙を読んでいるかと思ったら、口を開けてはわなわなと震えている。

 その姿を見れば。

 もう、何となく想像ついた。


「コルセット、まさかとは思うが今日というオチは要らないからな」

「しょ、しょちょう……」


 涙目になっていくコルセットに傘を手渡すと、くたびれた背広を手にして事務所の扉へと向かう。

 約束を反故にするどころか、その中身さえも覚えていない。

 どうかコルセットの妹君が雨でずぶ濡れではないところ願いたいところだ。でなければ昼頃には確実に体が凍り付いてしまうのは間違いない。


 オルティリアでは十二月の朝降る雨は、昼には雪へ変わる。

 冷たさに寒さが追い打ちを掛けては温める慈悲もない。

 此処は――そういう都市だ。

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