第八話 二枚目のカード(鈴野唯菜)

 泣いた。はんぱなく泣いた。自分のとろさ加減がこんなに恨めしいのは、生まれて初めてだった。


 お母さんからも高階さんからも、ちゃんとヒントは出てた。自分でもそれで事態を変えられると思い込んでた。でも。問題用紙を見て最初の問題に食い付いた途端に、時間配分のことをきれいに忘れた。最初の一問めに半分以上時間使っちゃって、あとは頭の中が真っ白。選択問題もあるんだから、適当に数字をばらまけばまだ当たるのもあったのかもしれないのに。そういうことすら考えられなかった。


 ゆんの警告が重たい。


『志望校、変えたら?』


 確かに面接と小論文で行けるところはあるし、それを勧められてる。でも、わたしは小論文が大の苦手だ。しかもS大より下げると、女の子が遊び系の子ばっかになっ

ちゃうだろう。わたしは、きっとその子たちに付いてけない。


 どうしよう? どうしようったって、ぎりぎりまで勉強するしかないんだけど、それでクリアできる自信がない。どうしよう……。


 目を真っ赤に泣き腫らして放心状態のわたしに配慮してくれたのか、今日は高階さんがどやしにこない。もっとも、今の状態でわたしが急いでフルーツを乗せたら、間違いなくぐちゃぐちゃになるだろう。わたしはべそをかきながら、ケーキ台の前にただぼんやり座っていた。


「あらら、唯菜ちゃん、今日はブルーだねえ」


 陽気な声でそう言って、曽田そたさんが入ってきた。まだ若いパティシエさんで、毎日高階さんにぎっちり絞られてる。テンポのいい話し方をする人で、わたしは苦手だ。話に付いてけないから。


 わたしがどつぼったままだったのを見て、やれやれって感じで肩をすくめた曽田さんが、カードの束をわたしに押し付けた。


「高階さんが、今日はこっちやってってさ」

「あの……?」

「クリスマスに売るケーキに、うちの店のオリジナルメッセを付けようってことになってね」


 曽田さんが折り畳んだ紙をわたしに渡した。


「このどれでもいいから、その万年筆でメッセを書いといて。じゃあ、頼むね」


 曽田さんが、あっという間に厨房に戻っていった。


 わたしが書くの? 嫌だなあと思っても、今日は何も仕事が出来てないからやらないわけにはいかない。曽田さんに渡された紙切れを見回す。なるほどー。確かにシンプルなメッセージばっかだ。


『メリークリスマス!』

『楽しいクリスマスを!』

『よいクリスマスを!』


 わたしのクリスマスはそんな気分じゃないだろなあ。


 紙の一番下に、ちょっと異質なメッセージ文があった。


『あなたに幸せが訪れますように』


 わたしは、メッセージカードを持って事務机に移動した。そして、メッセージをカードに書いた。紙の上を滑るように動く万年筆。インクの匂いが、かすかに漂う。ちょっと丸っこい字が並んで、最初の一枚が書き上がった。それは例文集の一番下のフレーズに少しだけわたしの思いを足した、わたしだけのオリジナル。たった一枚だけの、わたしからのメッセージカード。誰の手元に行くか分かんないけど。


『あなたに、わたしの分まで幸せが訪れますように』


 インクが乾くのを待って、わたしはそれをそっと畳んだ。そして、シンプルな他のメッセージを黙々と。


 ……書いた。


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