第七話 一枚目のカード(三村悟)

 やっぱり。きっちり現実を突き付けられると気合いが失せる。なにくそと奮起するには、ちょっとショックがでか過ぎた。


「三村くん、今日は元気がないな」


 手が止まってる俺を見て、洲本さんが眉をひそめた。


「すんません、昨日の模試がしゃれになんなくて」

「そっか」

「俺には無理なんすかねえ」


 じっと黙り込んだ洲本さんが、言葉を選ぶようにして、慎重にそれを俺の前に並べた。


「チャンスは、挑まない人のところには来ない。受験しない大学に絶対に合格できないのと同じさ」

「はい」

「あとは三村くんの選択と決断だ。どこで踏ん切るか。それは君にしか出来ないだろ?」

「そうっすね」


 洲本さんは、どこまでも突っ込めとも、さっさと諦めろとも言わなかった。受験するのは俺だ。洲本さんじゃない。だから、洲本さんが言えることは少ない。そう思ったんだろう。きっと。


 はあっ。とりあえず、今は仕事中だ。集中しよう。悩むのは、帰ってからでいい。俺は手元の手紙の束を見る。増えてきた年賀はがきに混じって、クリスマスカードの封筒が見えた。


「クリスマスかあ」


 うちが貧乏だって言っても、クリスマスにはそれなりに楽しみがあった。クラッカーを鳴らして、ごちそうを食べて、ささやかにプレゼントを交換して。でも今年は俺に、クリスマスを楽しむ心の余裕が生まれそうにない。お袋とふみぃには八つ当たりしたくないけど。


 洲本さんが、他の人に呼ばれて席を外した。さっさと仕分けを済まそう。ええと。


 赤と緑の地合いに金色でベルがプリントされた、ぺったんこの封筒。中には、立体になるカードや音の出るカードじゃなくて、ただ一枚っぺらのクリスマスカードが入ってるんだろう。仕分けしようと住所を見て、手が止まった。


「あれ?」


 これって、うちのクラスの音沼宛てじゃん。変わった名前だし、あいつは俺と同じ市営団地に住んでるから、間違いないだろう。あいつにカードを出すやつなんか、いたんか? 女子からだけじゃなくて男子からも敬遠されてる、無口で取っ付きにくいやつ。俺もほとんど会話を交わしたことはない。露骨に人を遠ざける姿勢を見せてるわけじゃないんだけど、とにかく地味でしゃべらねーからなあ。


 信書の秘密は漏らしてはいけない。それはそうなんだけど、俺は好奇心に負けた。

もちろん、開封なんかしない。誰が投函したのかが知りたかったんだ。


 封筒を裏返す。


『○○市桜台×条×丁目11ー5  樅山由香里』


 思わず声が出そうになった。ありえねえ!! 絶対にありえねえ!!


 モミの性格の悪さは天下一品だ。わがまま。自分勝手。人の気持ちなんかこれっぽっちも考えねー。好き放題に遊び、要らなくなりゃあ捨てる。それが男であっても女であってもだ。うちの高校始まって以来のとんでもな女王様で、かつ、やりまの女。それがモミだ。そのモミが、究極の地味ぃちゃんの音沼にカードを出すか? この世の終わりが来ても、そんなんありえねえ!


 おかしい。俺はもう一度、じっくりとその封筒の表裏を見る。そして……。


「そういうことか」


 納得した。


 表書きと裏書きの筆跡がぴったり一致している。それはどちらも男の字だ。つまり音沼が自分に宛てて、このカードを出したってことだ。裏書きがモミになってるってこと。それは、音沼がモミのことを好きだからだろう。だけど、あいつは究極の地味ぃちゃんで、シャイだ。告白なんて、百年経っても千年経っても出来ないだろう。そして、今のクラスで毎日普通に見ているモミの姿も、あと一週間もすれば見られなくなる。そこで終わり、だ。


 確か、あいつの成績も俺並みだったよなあ。受験のプレッシャーでモミのことを考えてるどころじゃないんだろうけど、でもモミに告るチャンスももうわずかしかないんだ。だから、ほんの少しだけ幸運が。自分のやる気を後押しするものが欲しかったんだろう。モミの名義でカードを書いて、自分に宛てて送った。


 それは歪んでる。バッカじゃねえかって思う。でも、俺にはその気持ちがよく分かる。俺だって、お金や生活のことを考えないできちんと受験勉強に集中する時間が欲しい。もし、それが得られるのであれば。

 だけど、俺は生きていかないとならない。お袋とふみぃを支えて自分の暮らしを守るのが、まず絶対条件だ。そして、俺はそれを放棄することができない。美談じゃない。美談なんかじゃない。それしか生きる方法がないんだ。


 音沼のカードもそうなんだろう。自分の人生を懸けた受験を放棄することは出来ない。でも、モミへの想いをぶん投げることも出来ない。そのぎりぎりのバランスの上に、このカードがある。


 手にしたカードを穴が開くくらい見つめる。俺の興味は中身じゃねえ。このカードの意味だ。


 運命は。黙っていても、俺らの生き方を左右する運命の日は来る。来てしまう。それならば。俺がチャンスを与えられているように、音沼にもチャンスがあっていいんじゃないかって思う。それは俺のエゴかもしれない。音沼とモミの間には、どんな接点も生まれそうにない。だけど、音沼はどこかでそれにけりをつけないとならないだろう。そうしないと、受験も想いも両方とも共倒れになる。


 俺は、備え付けの用紙をその封筒に糊で貼った。


『宛て所に尋ね当たりません』


 日付けを書いて洲本さんの判を押し、封筒を桜台の棚に放り込んだ。どうせ、配るのは俺だし。


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