第4話 魔導士は幼女に服を脱げと迫る。

 結論から言って、ロクの作業は長くは続かなかった。


 あれから少しして、動く気配を感じなくなったので変だとは思っていた。


 ちょうど鉱石を一つ研磨し終わったロクは、もう食べ終わったのか? と、後ろを振り向いてみる。


 そこには、ローブの上に瓶をひっくり返して固まる、幼い女の子の姿があった。


「……おい」


 ロクが声をかけると、アビスはびくっと体を跳ねさせるほど驚く。


「……へーき」


 アビスは取り繕うように、へたくそな作り笑いをする。


「平気じゃねえよ。虫がくるだろうがっ」


 瓶を持っていた手を滑らしたのか、見事なまでに逆さまになっている。アビスは、どうしたら良いのかわからぬまま、それを手で押さえていた。


「……っ」


 アビスは、謝ろうと思ったのだが、緊張からうまく言葉がでなかった。


 叩かれるかもしれない。


 過去の経験から、全身に力を込めて身構える。


 だが、ロクの手はアビスではなく、ひっくり返った瓶に向かい、器用に元に戻してみせた。


「下になにか着ているか?」


 ロクは、ローブにこぼれたハチミツを見て、そんな事を訊く。


「……?」


 アビスは質問の意味がよくわからなかったが、ローブの襟元から中を覗き、こくりと首肯した。


「よし。じゃあ、脱げ」

「っ!?」


 ロクは大きくため息をつくと、べたべたになった黒いローブを脱がしにかかる。こぼれたハチミツの量が思ったより多く、拭き取るより洗った方が早いと判断したからだ。一応下着は身に付けているようだし、くるみながら脱がせば大丈夫だろう。そう思ったのだが。


「んっ、へーきっ」


 思いの外アビスは抵抗した。ローブの裾をぎゅっと掴んで、涙目で訴えてくる。


「そんなんで歩きまわって、商品に付いたらどうすんだよっ。ほら、早く脱げってっ」

「んっ、んんっ!」


 そんなやり取りをしていると、不意に店のドアが開け放たれた。


「おっすー。この鉱石の相場、教えて欲しいんだけどー…………って、あんた何してんの?」


 最悪のタイミングで最悪の奴が来た。


 来客者の名前はリコベル・クルーガー。顎先程度までの赤髪ショートカットで、シンプルなデザインの軽鎧を身に纏っている、どことなくボーイッシュな感じの美少女だ。


 そして、その美少女の目には、幼女の服を無理やり脱がそうとする、目つきの悪い男の姿が映っていた。


「お前、何か勘違いしてねえか?」


 この状況下において、ロクの言葉に説得力は皆無である。


「勘違い……ねえ?」


 リコベルは引きつった表情で、腰に差した剣の柄に手をかけた。彼女は十七という若さでありながら、ここエスタディアでは中堅クラスの冒険者である。


「東の谷で拾ったんだよっ。奴隷商の馬車がバジリスクに襲われたみたいでな。こいつは唯一の生き残りだ」


 面倒だが店を壊されてはかなわない。ロクはしぶしぶ説明した。


「奴隷商?」

「ああ。恐らくだがな。んで、こいつが食い物こぼしたから……」


 ロクはリコベルに見えるように、べとべとになったローブを指し示す。


「……そう、なんだ」


 リコベルは勘が良い奴だ。アビスの獣耳と尻尾を見て、すべてを悟ったのだろう。途端に瞳の色が穏やかになる。


「お名前、なんていうの?」


 リコベルはロクを押しのけると、アビスの前にしゃがみこんで視線を合わせた。


「……あびす」


 アビスは恥ずかしそうに、小さな声で答える。


「アビスちゃんかー。お姉ちゃんはね、リコベルっていうんだよ。リコって呼んでね」

「……リコ?」

「うん、よろしくね」


 言ってリコベルは手布を取り出すと、アビスのローブにべったりついたハチミツを可能な限り拭き取ってやった。


「これでよしっと。それで、アビスちゃんは何歳なのかな?」

「…………」 


 アビスは指折り数えていき、両手で七まで数えて見せた。


「七歳か~。そうかそうか~」


 リコベルにわしわしと頭を撫でられて、アビスもまんざらでもなさそうだ。


 ロクはその様を見て、ある事を思いついた。


「なあ、これから風呂か?」

「うん? そうだよ。なに? 覗きたいの?」

「ちげえよ。こいつも一緒に連れて行ってやってくんねえか?」

「へ? いい……けど?」

「詳しい事は戻ってから説明する」


 アビスは、そんなやり取りをする、ロクとリコベルの顔を交互に見ている。


「わかった。じゃ、行こっかアビスちゃん」


 アビスは何日も遭難していたせいか、ところどころすす汚れている。このまま寝かせるのは、ロクとしても思うところではなかった。


「じゃあ、これで頼む」


 ロクはリコベルに銀貨を数枚握らせる。


「えっ!? こんな高級なお風呂屋さんなんてあったっけ?」

「いや、悪いが今日の着替えも買ってやってくれないか?」

「あー、そういうことね。りょーかい」



 アビスは話の流れについていけないといった様子で、不安げにロクをちらりと見上げた。ロクはそれに頷くだけで、特に何かを言うつもりもない。察したリコベルが、微笑み手を出すと、アビスはそっとその手を握る。


 連れ立って店を出て行く二人を見て、ロクは姉妹のようだと思った。


 …………。


 北区の小さな材料屋にいつもの静寂が戻る。


 僅かに感じる寂しさを馬鹿馬鹿しいと鼻で笑い、ロクは残りの仕事を再開することにした。


 リコベルは、ダンジョンで手に入れたモノの相場をよく聞きに来る。冒険者とは言え、若い女なので足元を見られるのだろう。予めある程度の価値を知っておかねば、エスタディアのような商人が入り乱れる都市では良いカモだ。


 そういった面から考えれば、リコベルには結構な貸しがある。いよいよになったら、あいつに押し付けるというのもありかもしれないな。


 ロクは、リコベルをアビスの引取先候補に入れておく事にした。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 あれから、どれくらいの時間が経過したか、すべての仕事を終えたロクは、いつものように寝付けの葡萄酒をグラスに注いでいた。それは、ロクにとって一日の終りを意味する行動なのだが、今日に限ってはそうもいきそうにない。何せ、誰よりも面倒くさがりを自負するくせに、とんでもない面倒事を拾ってしまったのだから。


「戻ったよー」


 声と同時に扉が開け放たれ、リコベルは、紺のワンピース姿となったアビスをおぶって戻ってきた。


「お風呂出たところで、ばったり顔馴染みに会っちゃってさ。少し話し込んでる内に、こうなっちゃった」


 アビスは、リコベルの背中で、スースーと寝息を立てている。


「まあ、少なくとも三日は遭難してただろうからな」


 魔獣が犇めく深い森で、独り当ても無く、何度も夜を明かしたのだ。心身ともに限界であったことは想像に難くない。


「後ごめん。靴も買ったから、もらったお金全部使っちゃった」

「ああ、構わない」


 初めからそのつもりだったので、ロクは特に咎めるつもりもなかった。


「それと、このローブなんだけど多分魔防具だと思う。少しだけど魔力の波長を感じるんだよね。洗ったら綺麗になったから、とりあえずここに置いとくよ」


 リコベルは、黒いフード付きのローブを椅子の上に置いた。


 魔防具ということは、一族に伝わる何かかもしれない。だから、脱ぐのをあんなに嫌がったのだろうか。


 そんな思考を巡らせていると、アビスを背負ったリコベルが顔を覗きこんできた。


「寝室は……二階だっけ?」

「ん? ああ、そこまでしなくても大丈夫だ。後はやっておく」


 ロクは、何気なく言ったのだが、リコベルは意外な言葉を返してきた。


「え? なに? 見られちゃ困るものでもあるの?」


 リコベルの顔には下衆な笑みが張り付いている。


「んなもんねえよっ。ベッドは俺だから、ソファーに転がしといてくれ」

「はいはい」


 リコベルは、にひひと、少女特有のうわさ話を楽しむ笑みを浮かべ、梯子階段を登って行った。


 まったく、なんなんだあいつは、と胸中で悪態をついて、薄めたワインをちびりと舐める。


 それにしてもアビスは七歳か。ならば、もう少し喋っても良いものだが、とそこまで考えて、自分の態度が彼女の口を閉ざしているという事に気付く。だが、それで良いとも思う。言葉を多く交わせば、信頼になってしまうかもしれない。


 ロクは考えを無理矢理打ち払うように、グラスのワインを一気にあおった。


「きちゃない部屋ね。たまには掃除したら?」


 軽口をたたきながら、リコベルが梯子階段を降りてくる。


「ほっといてくれ……ああ、さっきの鉱石だが、大体銀貨3枚くらいが相場だな」

「え? ああ、うん。ありがと」


 リコベルは何か話そうと思った矢先に、忘れていた本来の用事の話を出されて、面を喰らったようだった。


「それで、あの子どうするつもりなの?」

「……そりゃ、どうにかするさ」

「ふ~ん。あんたがそう言うなら、何とかするんでしょうけど」


 リコベルは、ロクの事をどこぞの貴族の次男坊か何かだと思っている節がある。なので、いざとなれば、幾らでもその後ろ盾を利用するだろうと踏んでいるのだ。


「でも、困ったことあったら言ってよ。あんたじゃ、女の子の事なんてわからないだろうし」


 ロクはその言葉に軽く舌打ちをし、


「ああ、助かる」


 と、リコベルを見ずに言った。


「……」


 リコベルは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、立ち尽くしている。


「なんだよ?」

「いや、何か意外だなって。あんたが素直にお礼言うなんて」


 実際には助かると言っただけなのだが、それでもリコベルにとっては、想定外の反応だったらしい。


「ちっ、もう行けよ」


 ロクはバツが悪くなり、心底嫌そうな顔をしてやる。


「はいはい。アビスちゃんについては、ギルドでも調べておくから。じゃ、またね」


 リコベルは、後ろ手にひらひらとやりながら、出て行った。


 アビスを拾ってから調子が狂ってきている気がする。ロクは引き締めなければ、と軽く頬を張って梯子階段を登っていく。


 たどり着いた場所は、二階建てとは名ばかりで、狭い屋根裏の様相を呈していた。部屋の中は薄暗く、窓から差し込む月明かりだけを頼りにベッドへ向かっていく。


 その途中、ふと視界に入ったのは、狼尻尾の生えた大きなソファーだった。別に酔っているわけではない。その立派なモノの所有者は、もちろんアビスだ。


 ロクは何気なく寝顔を覗き込み、深く眠っている事を確認すると自身のベッドで横になった。 


 まさか、こんな事になるなんて。ロクは自身の運命を呪うしかない。


 情を向けられてはならないし、向けるのもダメだ。自分と、この幼い女の子は親しい関係になってはいけない。なるべく早く引取先を見つけなくては。


 ぼんやりと考えながら天井を見つめていると、胸の奥が締め付けられるような感じがした。


 きっと疲れのせいだ。早く寝てしまおう。ロクは、ゆっくりと目を閉じようとしたのだが。


「んん……」


 声がした方に目を向けると、アビスはリコベルに掛けてもらった薄い毛布にくるまり、もぞもぞと動いていた。


 ロクは、それを見て舌打ちをし、徐ろにベッドから起き上がる。


 確かこの辺りに……と、衣類の山から毛布を引きずり出し、もう一枚重ねて掛けてやった。春先とはいえ、まだまだ冷える夜が続いている。


 よく眠っているな。何気なく思ったあとで、ロクは頭を掻きながら「なんで俺がこんなことしなきゃなんねえんだ」と胸中で呟いた。


 死にはしないし、放っておこう。そう思ったのだが。


「んっ……んん」


 毛布がソファーからずり落ちてしまった。


 ロクはかけ直しながら、もしかしてこれはキリがないのでは? と気付いた。こどもというのは、大抵寝相が悪いものである。


 気にしたら負けだ。早く寝てしまおうと、ベッドに戻ろうとしたロクの視界に、小刻みに震えるアビスが映った。


 風引をひかれても困る。自身にそう言い訳をしてため息をつくと、押入れから寝袋を引っ張りだした。


 これなら、かなり暖かい筈だ。


 ロクは、起こさぬよう細心の注意を払いながら、寝袋にアビスを詰め込む。


 こどもというのは、ちょっとやそっとじゃ起きないものだ。


 ……これでよし。


 すやすやと寝息を立てる、みのむしアビスをソファーに置いて、ロクは満足気に頷く。


「ったく、手間かけさせやがって」


 ロクは独りごちると、ようやく眠りについたのだった。

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