第5話 魔導士は幼女の「触ってもいいよ」に誘惑される。

 材料屋の朝は早い。


 ロクは狭い店内をあちこち動きまわり、開店の準備を進めていた。


 そろそろ寝坊した小僧が、親方のげんこつで起こされる時間だろう。


 材料屋の主な客は、市場に魔導具を売り出す職人の為、自然とそれに合わせた起床時間となってしまう。


 ロクは大きく欠伸をしながら、いつも通り一人で準備を進めていた。それはロクにとって、取るに足らない日常なのだが、今日はその後ろをとてとてと付いて回る者が居る。


 その何者かとは、黒い獣耳とふさふさの狼尻尾を有した幼い女の子だ。


 ロクが腰を下ろして鉱石に目を向ければ、隣に座って同じように鉱石を覗きこみ、薬草の葉を数えれば、声に合わせて小さな体が揺れる。


 ロクは、アビスの扱いに困っていた。


 物心ついた時には、魔導士としての訓練を受け、同年代の男女が色恋に夢中になる頃には戦場に出ていた。そんな男である。おんなこどもへの接し方など分かり様もない。


 今も、テーブルに陳列された商品を眺めていると、隣に立って、あたかも自分の功績かのように満足気に頷いたりしている。


「ん?」

「っ!?」


 だが、視線を向けると、あわあわしながら、柱の影や大きな壺の後ろにぴゃーっと隠れてしまう。それなりに警戒心はあるようだ。


 しばらく、物陰からじっと観察し、ロクが作業に戻ったのを確認すると、再びその後をびくびくしながら付いて来る。


 ロクは、構わず放っておくことにした。


 そんなことを繰り返している内に、開店準備は完了し、ぼちぼち店を開ける時間となっていた。


「そろそろ客が来る。後ろに行ってろ」


 ロクがカウンターの後ろを指すと、アビスはとてとてと言われるがまま歩いて行き、彼女の定位置となりつつある、背もたれ付きの椅子によいしょと腰掛けた。


 自分の店に、客以外の誰かが居るのは、何だか不思議な気分だ。


 一息付いて、店内を見渡し最終チェックを終えると、商いの始まりを告げるようにドアを開けた。


 外には十人ほどの列ができていた。見た目から言って、職人や、その弟子、後は金を同価値の物に変えたいだけの商会の人間などが主だろうか。


「どうぞ」


 ロクはいつも通り無愛想に言うと、客達も特にあいさつするでもなく、ぞろぞろと狭い店内へ吸い込まれていく。


 客達は一瞬アビスを見てぎょっとするものの、すぐに興味の無い振りをして材料の品定めに入った。


 商人連中は利益に従順な生き物だ。今は、店主と娘の関係が何であるかよりも、如何に良い物を安く買えるかの方が重要であった。


 何より、彼らが早朝に並んでまで買い付けに来るのには理由がある。


 ロクの採取技術はずば抜けており、同じ鉱石、薬草でも、最高の物を最良の状態で販売している。しかも値段は通常価格ときているので、一流の職人はもちろんのこと、商会の人間までもが買い付けに来るのだ。


 しかし、だからと言って、もっとたくさん仕入れて儲けようというつもりはさらさら無い。むしろロクは、わざと需要に対して供給を減らしている。そうすることで、他の材料屋にもしっかりと金が流れるので、必要以上に目の敵にされる心配が無くなるからだ。


 一時間ほど過ぎたあたりで、客足もまばらになり、商品もそのほとんどがテーブルから消えていた。


 最後と思しき客を見送り、片付けをしながら、ふとアビスを見る。


 まだ寝足りなかったのか、椅子に座ったまま、こくりこくりと船を漕いでいた。


「おい」

「……っ!」


 ロクが声をかけると、アビスは、はっと体を強張らせた。


「飲むか?」


 アビスは目元をこしこしとこすりながら、水差しを受け取ると、んくんくと喉を鳴らした。


 なにか変な生き物を見ているようだ。


 アビスを改めて見てみる。


 昨日に比べれば大分顔色も良いし、特に変わったところもない。だが、病というのは小さな変化から始まるということも多々ある。


 一応、診ておくか。


 はてな顔で小首を傾げるアビスの額に、すっと手を伸ばす。


「っ!?」


 アビスの体がびくっと跳ねる。


「……ふむ」


 熱は無いようだ。


 魔導士というのは、その性質上、病にも詳しい。


 ロクは次いで、アビスの両目の下瞼を引っ張って眼球を確認する。アビスは、「ひいぃ」と泣き出しそうな表情でそれに耐えている。


「どこか痛いところはあるか?」


 アビスは、首をぶんぶんと横に振る。


 亜人の場合は、毛並みにも出るんだったか。ロクは昔に読んだ文献を思い出す。これは、あくまでも診察のためだ。決して尻尾を触りたいわけではない。


 ロクはもふもふ尻尾を無表情で見つめながら、ゴクリとつばを飲み込んだ。


 と、店先に見慣れた女剣士の姿が映った。


「おっすー」


 また、あらぬ誤解をされてはたまらない。ロクは舌打ちをし、アビスを解放した。


 それにしても、朝からこの赤髪は刺激が強い。それも、よそ者の冒険者や商人のほとんどが振り返るであろう美少女とくれば尚更だ。


「リコっ……」


 アビスはリコベルを認めると、足早に近付いていき、ぎゅっと脚にしがみついた。尻尾をぱたぱたとさせ、まるで飼い主を見つけた子犬のようだ。昨日一日で何があったのかわからないが、アビスはリコベルに懐いているようだった。リコベルも嬉しそうに、アビスの頭をわしわしと撫でている。


「あーっ、このもふもふな尻尾めっ」


 リコベルは狼尻尾をかなり大胆に触っているが、アビスもそれを嫌がる素振りはない。


 ロクは、阿呆がと思いながらも、手がわきわきと動いていた。今となっては、あれの触り心地は想像する他ないからだ。 


「リコ、どこか行く?」

「う~ん。お姉ちゃんは冒険者だからねん。悪い魔物をやっつけにいかなきゃ」

「……そう」


 アビスはわかりやすく獣耳と尻尾を垂れさせる。


「あ~、でもすぐ帰ってくるから。そしたらまた一緒にお風呂行こうね」

「……うんっ」


 お風呂の約束により、曇り空のようなアビスの表情が一気に晴れる。


 その様を呆然と見つめていると、不意にリコベルはロクに視線を向けた。


「……なに? 嫉妬してるの? ほんとは、あんたもこのもふもふ尻尾触りたいんでしょ?」


 リコベルは、アビスの尻尾を愛でながら、意地の悪そうな笑みを浮かべる。


「ちっ、あほかっ。早くそれをよこせっ」


 それとは、リコベルが持っている紙の束のことで、ここ最近のトップニュースや、冒険者への依頼一覧が記載されているギルド発行の読み物だ。


「はいはい。んじゃ、また夜にね」


 寂しそうなアビスをもう一撫ですると、リコベルは外門の方へと人混みに紛れていった。


 二人きりになったアビスは、ロクを見て凄く気まずそうな顔をした。リコベルとの仲良しを見られて、後ろめたさを感じたのかも知れない。


 ロクは特に気にとめるでもなく、椅子に腰掛け書面に目を通す。


 さて、問題なければよいが……? 


 おかしい。何故か文字が見えない。文字のほとんどが、黒くてもふもふなモノで覆われていた。


 視線を横にずらしてみる。


 アビスが少し恥ずかしそうにしながら、ロクと書類の間に尻尾をふわふわと泳がせていた。


 リコベルの言葉を本気に取ったのだろう。アビスなりに気を使い、「触ってもいいよ」という精一杯の表現だった。


 アビスは、あくまで無言のまま視線を合わそうとしない。


 魔導士が最初に教わることは、誘惑に負けない心だ。


 ロクは、少し迷ってからそれを払いのけた。


 視界の端には、あからさまにショックを受けるアビスの顔がある。


 気にしたらダメだ。無視だ、無視。ロクは、気を取り直して紙の束に意識を集中していく。


 ……教会、異教徒、魔女。ロクは読み始めてすぐに、その文字を見つけて顔を顰めた。


 一月(ひとつき)の間に教会が焼き払った集落が三つもある。いずれも、ここより北方の地で、この中のどれかがアビスの暮らしていた村だと考えると、文字通り他人事では無い。


 一方で奴隷商の捜索依頼や、それに関係するような記事は見られなかった。


 察するに、アビスは北の国で異教徒狩りに合い、西の国に売られて行く途中で、魔物に襲われた。そんなところだろうか。


 教会は異教徒を皆殺しにするので、アビスを運んでいたのは、戦場のどさくさに紛れて誘拐を行う、裏ルートの商会と見てまず間違いない筈だ。


 ややこしい問題が無いのであれば、後は信用できる引取先を見つけてやればいい。


 アビスに目を向けると、未だせっかく勇気を出したのに、と落ち込んでいる様子だった。


 やはり、早い方が良い。


 ロクは、一つ咳払いをすると、


「これから、お前の引取先を探しに行く」


 追い打ちをかけるように、彼女にそう伝えた。


 アビスの表情は一層暗くなり、何かを言いかけて口をつぐんだ。その小さな両の手は強く握られている。


 まったく損な役回りだ。


「行くぞ」


 ロクは、できるだけアビスを見ないようにして、扉に手をかけたのだった。

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