第6話 魔導士はめちゃくちゃ自分に言い訳をする。
これは……無理か? と、ロクは眉間に寄ったシワをつまみながら、むむむと声を漏らす。
ロクたちは今、富裕層が多く住む街の西区へとやって来ていた。
視線の先には、孤児院の中庭で遊ぶこどもたちの姿がある。
先生と思しき女性たちは、教会のシスター服を纏っており、首元にはそのシンボルたる銀の十字が下げられている。
当然、こどもたちの中には一人として、尻尾や獣耳を有した者など居ない。仮に、無理矢理この孤児院に引き取ってもらったとしても、その後に受けるアビスの待遇は、およそロクの望むものではないだろう。
ちょいちょい、と不意に誰かがシャツを引っ張るので横を見ると、「まさかここに置いていかないよね?」という目をしたアビスが、不安げにロクを見上げていた。
「お前、あの中でやっていける自信あるか?」
ロクは、一応聞いてみる。
「ちょっと……むずかしいと思う」
アビスは、少し考えるような素振りをして、素直に答えた。
「……だろうな」
少し考えればわかりそうなことだった。孤児院と言うのは、大概が年老いた領主や貴族連中が、死後を恐れて出した基金から成り立っている。もちろん教会の慈悲と教えを周知させる役割も担っているので、彼らにとって悪魔の手先である亜人の黒狼など歓迎されるわけがない。
「ここはダメだ。後日、他を当たる」
「……」
その言葉にアビスは、表情を変えずに小さく頷いた。内心は安堵していたが、決して表情には出さないし、ロクを困らせるような事も言わない。
良い子にしていよう。それが今の彼女に出来る精一杯だった。
ロクはそんなアビスを見て、頭をがしがしと掻く。
孤児院が無理となれば、やはり街の外にある集落に当たってみるしかなさそうだ。
だが、街の外となると、今すぐというわけにもいかないし、引取先がすぐに決まるとも限らない。それまでの間は、自分が面倒を見なくてはならないだろう。
ロクは一度天を仰ぎ、少しの間だけだ、と頭を切り替えることにした。
そうとなれば、こんな場所にもう用はない。
「行くぞ。少し買い物をする」
ロクはアビスを促して、閑静な通りを進んでいく。
二人はそれぞれに思いを馳せ、しばらく無言のまま歩いていると、中央区の喧騒がすぐそこまで近づいてきた。
時刻はまだ午前過ぎ。朝市は相変わらずの賑やかさを見せており、露天商の客引きの声が、そこかしこから聞こえてくる。
商人と客だけでも目眩がするような人混みなのに、そこに街の治安を守る警吏も加わるものだから、小さな女の子などすぐに飲み込まれてしまいそうだ。
「おいっ」
ロクが呼ぶと、アビスは、はっと我に返り、とてとてと小走りで追い付いてくる。恐らく、自分が立ち止まっていたことに気付いてなかったのだろう。
先を歩くロクとしては、いつの間にかにはぐれていた、という事態が容易に想像できたので、こうして時折振り返りながら進むことを余儀なくされていた。
向かう先は、こども用の衣服が売っている店だ。
ロクは人混みが好きではない。さっさと済ませてしまおうと、歩みを速めたのだが。
付いて来ていない。
ロクは、またかと振り返り、口を開こうとしたところで観念した。本来、朝食なんて贅沢なのだが仕方ない。アビスが立ち止まり、熱い視線を送っている先へと近付いていく。
「腹減ったのか?」
「っ!」
アビスは、気付いたら隣に立っていたロクに体をびくっとさせ、自分はまったく興味がありません、とばかりに目を逸らした。このいじらしさである。
「そこで座って待ってろ」
中央区の露天商には、外にテーブルと椅子を置いて、軽食を座って取れるようにしている場所が幾つもある。アビスはただ言われたとおりに、少し背の高い椅子に腰掛ける。
朝食を食べさせてやるくらい問題ないだろう。ロクは、そんな妥協をして、旨そうな匂いを漂わせる屋台へ近づいていく。
アビスが見ていたのは、羊の肉を甘辛く味付けし、小麦のパンに挟んだサンドイッチだった。ロク自身は朝食をとらない質なので、アビスの分だけ購入する。
「ほら、こぼすなよ」
アビスは一瞬、ロクが差し出したそれに戸惑ったが、「食わないのか?」という言葉で、それが自分に対しての施しなのだと気付いた。
「あ、ありがとう」
アビスは、にこっと笑ってサンドを受けとる。
少しずつだが、アビスはロクという人間を理解しつつあった。
言葉や態度は冷たくて、少しびくってなるが、なんだかんだで凄くやさしい人だ。そもそも自分をあの地獄から引き上げてくれた恩人である。悪人である筈がない。
そんなことを思いながらロクをじっと見つめていると、
「なんだよ?」
「なっ、なんでもない。へーきっ」
怒られた。やっぱりまだ少しびくってなる。アビスは気を取り直して、買ってもらったパンにかぶりつく。
ロクは、もしかしてアビスが半分こしよう、なんて事を言い出すんじゃないかと思い、先手を打っただけだった。
どうやら雰囲気から察するに違ったらしいが、黙って食べてくれるならそれに越したことはない。
アビスが食べ終わるまでの間、ぼーっと行き交う人々を眺めていると、ロクはあることに気付いた。
すれ違う人々、特に男が皆わかりやすい一瞥をアビスに向けていく。やはり、亜人が中央区に居るのが不自然なのだろうか。何気なくアビスを見る。
いや、とロクはすぐに正解に辿り着いた。出会った時はすす汚れていたものの、風呂に入り、リコベルに買ってもらった新品の服を身に纏った今、アビスの容姿はかなり可憐だと言える。ひとつの美少女である。ふさふさの尻尾と獣耳も、教会の人間でなければ、愛くるしいと思う要素だろう。
当の本人は、そんな視線などおかまいなしに、今しがた食べ終えた朝食の余韻に浸っているようだった。
満足気なアビスを伴って、再び歩き始める。
少し先に、衣類を取り扱う店が軒を連ねる一角が見えてきた。ところ狭しと並べられた木箱の上には、多種多様な商品が並べられている。
ロクは、店に近づくにつれて、やはりリコベルに頼めば良かった、と今更ながらに後悔した。衣服を品定めしているのは、そのほとんどが街の奥様方である。
別にやましいことがあるわけでもなし。意識するからいけないのだ、と意を決して人垣の中へと入っていく。
女性用の下着と言えば、布の胸当てなどが主流だったか。扇情的なもの以外にも、こども用と思しき可愛らしいものも幾つかある。
しかし、このくらいの女の子にそれが必要なのだろうか。隣に立つアビスのぺったんこな胸を凝視する……いらない気がする。が、またぞろリコベルにバカにされては癪だ、適当に幾つか購入しておくことにした。
とりあえず、最難関だった下着を買い終えて一息つくと、露天に並んだ何かをじっと見つめるアビスが視界に入った。
その屋台の周りには、やけに親子が集まっている。耳を澄ますと、
「これほしぃ~。買って、買ってっ」
「う~ん。じゃあ、代わりに何をお手伝いしてくれるのかな?」
そんなやりとりが聞こえてきた。
そこらじゅうで似たような、親子の仲睦まじい光景が見られる。アビスは、その様も含めて、羨望の眼差しを向けているようだった。
何をそこまで欲しているのか。ロクは、こどもたちを虜にしている屋台の売り物に目を向ける。
それは、様々な動物を模して作られたぬいぐるみだった。
ロクは、アビスとそれらを見比べて、自分自身も似たようなもんだろうが、と思う。
だが、このくらいのこども、それも女の子となれば、ぬいぐるみというのは一つの宝物に成り得るものだ。アビスが欲しがるのは理解できる。できるのだが。
ロクは低く唸りながら、遠目にアビスを観察する。
アビスは、きらきらと目を輝かせながら、尻尾をふわふわと泳がせていた。時折、自分が欲しい物が売れたのか、あっ、と無意識に虚空へ手を伸ばしたりしている。
ロクは、ぬいぐるみ一つ買ってもらえない可哀想な少女をじっと見つめる。
わかっている。ここで優しくして情を持たれてはいけない。当然無視して帰るべきだろう。例えアビスが母親恋しさに、ぬいぐるみを欲していたとしてもだ。
……いや、待てよ。と、ロクは思考の角度を変えてみる。
すぐに引取先が見つかるとも限らない。その間にアビスが心を閉ざしてしまい、受け入れ先で心を開けずに可愛くないやつだと虐待される可能性だってある。自分が構ってやれないとなれば、心の友にひとつ持っていた方が良いかもしれない。
正直、ロクは買ってやるための理由が欲しいだけだった。
アビスは、近づいてくるロクに気付くと、即座に屋台から離れていこうとする。買ってもらえるなど微塵も思っていないし、欲しがっている事に気付かれたら、嫌な子だと思われるかもしれない、と考えていたからだ。
ロクは、そんなアビスの首根っこをむんずと捕まえて、露天の前へと引き戻した。
「どれだ?」
「……?」
アビスは、意味がわからず呆けた顔でロクを見上げる。
「欲しいんだろ? 一つ選べ」
「っ!?」
アビスは、ぱぁっと表情を明るくさせると、尻尾を犬のようにぱたぱたさせて、そのつぶらな瞳で、「いいの?」と聞いているようだった。
ロクが視線で早くしろ、と促すと、アビスは商品台の上に、これでもかと積み上げられたぬいぐるみたちを真剣な面持ちで選び始める。
「……こ、これ。これがいいっ」
悩んだ末にアビスが選んだのは、うさぎのぬいぐるみだった。
「お嬢ちゃんツイてるね。それ最後の一個だよ」
可愛らしいそれらとは、似ても似つかないひげ面の店主に料金を支払い、ほらよ、と茶色のうさぎを手渡す。
アビスは受け取ったぬいぐるみを見つめると、にへぇ、とだらしない笑みを浮かべ、堪らなくなったのか、ぎゅっと強く抱きしめた。自分のぬいぐるみを買ってもらうなんて初めてで、嬉しくて、嬉しくて、嬉しかった。
「あびすも……おてつだい、いっぱいがんばるっ」
アビスは、ぬいぐるみに向けて小さくつぶやいた。
手伝いなど必要ない。ロクに、そう突き放されるのが怖かったから、面と向かっては言えなかったのだ。
ロクは、そんなアビスの気持ちに気付くことなく、ふと一つの懸念を思い浮かべて口を開いた。
「あー、そのぬいぐるみな、俺が買ったってことはリコベルに言うなよ」
「リコにはないしょ?」
「ああ、内緒だ」
アビスは、その意図までは理解できなかったが、こくっと首肯で了承する。
ロクは、嬉しそうにぬいぐるみを抱くアビスを見て、これは良い引取先に引き渡すまでの過程で必要なことなのだ、と無理矢理に自分を納得させた。
自身の欲が満たされていることには、気付かない振りをして。
その後も慣れない買い物は続き、帰る頃にはロクの両手いっぱいに幼女の衣類が溢れていたのだった。
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