第7話 魔導士は幼女のお絵かきに動揺する。

「どうした? 早く入れよ」

「……」


 ロクは、大きな扉の片方を半開きにし手招きするが、アビスはのけぞり固まっていた。


 ここは『麦のシッポ亭』という冒険者ギルドの分所を内包した、北区で最も大きな酒場である。


 その立派な石造りの建物の中には、今もいかつい男たちが、ぞろぞろ吸い込まれていっている。


 辺りには夜の帳が下りていて、ちょうど一日の仕事を終えた冒険者達が、依頼の報告がてら一杯やりにくる時間である。


 そして、そこには待ち合わせをしている赤髪の少女も来ている筈だ。


「行くぞ。リコベルも中で待っている」

「リコっ!?」


 リコベルの名前を出した途端、アビスの怯えた表情が嘘のように明るくなる。


 リコベル効果により、おっかなびっくりではあるが、とてとてと店に入っていくアビスを見て、ロクは軽く舌打ちをした。


 店の中は、かなりの盛況ぶりを見せていて、ほとんど宴のような騒がしさだ。


 リコベルを探しながら広い店内を進んでいくと、突然先を歩いていたアビスが、さっとロクの後ろに隠れた。


「珍しいじゃないか、あんたが顔を出すなんて」


 そう言って立ち塞がったのは、この酒場『麦のシッポ亭』を切り盛りする若夫婦の女将アゼーレだった。その恰幅の良さの通りに豪胆な人物である。


「今日は待ち合わせでな」

「そういや、リコベルがそんな事言ってたね。じゃあ、その子がアビスちゃんかい?」

「……ああ」


 アビスはロクの影から、ひょこっと顔を出して様子を窺っている。


「ふうん……」


 アゼーレは矯めつ眇めつアビスの全身を眺めている。その視線は特に尻尾と獣耳に注がれているようだった。


「亜人は入店お断りか?」


 ロクはアビスをぐいっと、アゼーレの前に突き出す。


「はっ、まさか。うちは金さえ払えば悪魔にだって飲み食いさせるよ」


 アゼーレは鼻で笑うと、大商人顔負けのセリフを吐いて、にかっと笑った。


「うちは味と量が自慢でね。いっぱい食べていきな」


 アゼーレはアビスの頭をぐりぐりと撫でると、片手に持ったおたまで奥の方を指して、リコベルの席を教えてくれた。


 全体を見ると広い店内でも、客が人数に合わせてテーブルを移動させるものだから、所々通路が狭くなっている。


 店の中で迷子になんてならないとは思うが、一応ロクは気にしながら進んでいく。


「おっ、材料屋のあんちゃんか。珍しいな。そっちのは妹さんかい?」


 どう見ても尻尾と獣耳で血の繋がりが無いことぐらいわかるだろう、と思うがただの世間話のきっかけと察して、軽くあしらう。


「あーっ、可愛いですね? 妹さんですか?」


 だから、見ればわかるだろ? とは言わずに、いつも通り無愛想に会話を躱す。


 何かがおかしい。最初の職人はまだしも、二人目の女冒険者は、明らかにロクに話しかけるような感じではなかった。


 自分の無愛想さは変わっていない筈なのに、何故か普段話したことない奴まで話しかけてくる。ロクは不思議に思い、首を傾げながら奥へと歩いて行く。


 ロクは知らなかった。こどもを連れているというだけで、相手の警戒心が一気に下がるということを。


「おーいっ! こっちこっち」


 不意に声をかけてきたのはリコベルだった。こちらに気付くと、同席していた青髪の少女が頭を下げて、入れ変わるように席を立って行った。


「いいのか?」

「え? うん。今日の反省会してただけだから」


 リコベルが何でもないように言うと同時に、アビスが走りだした。


「リコっ!」

「アビスちゃんっ! あーっ、もうこのもふもふめがっ! 一日の疲れが癒されますなー」


 リコベルは相変わらずアビスの尻尾や頭をめちゃくちゃに撫で回すが、アビスはむしろそれを喜んでいるように見える。


「あっ! なにそのぬいぐるみ! 可愛いね、うさちゃん?」

「うんっ!!」


 アビスは嬉しそうに、「見て見て」とぬいぐるみをアピールしている。何故だか少し嫌な予感がする。


「アビスちゃんはうさぎ好きなの?」

「うんっ!!」

「そうなんだー。ロクが買ってくれたの?」

「うんっ!!」


 ――はっ!?


 アビスは勢いで言ってしまったあとで、ロクと約束したことを思い出して、あわあわし始めた。


「ち、ちがった、リコ。これは……拾った。落ちてましたっ」


 リコベルは、必死に弁明するアビスと、バツが悪そうにするロクを交互に見て、にんまりと笑みを浮かべた。


「なんだぁ、私はてっきりロクが買ってくれたのかと思ったよぉ。そうか、そうか。落ちてたのかぁ」

「そ、そうなの。ロクは買わなかった」


 アビスは、なんとか誤魔化せたと表情を緩めたのだが。


「そっかー。でも、拾ったなら誰か落とした子が探してるかもしれないよね? 警吏に届けた方がいいかな~?」

「えっ? ああっ。へーきなのっ。さがしてないからっ」


 アビスはいよいよまずいといった様子で、ロクに「助けてー」という視線を送る。


「お前も良い性格してるよな」


 ロクは言って、思いっきり嫌そうな顔をしてやった。


「にゃははははっ。いやー、冗談冗談。ごめんねアビスちゃん」


 リコベルは、未だにおろおろとするアビスの頭を謝りながらわしわしと撫でる。


「……ん? あーっ!! アビスちゃんの服買ったんだ? 言ってくれれば私が行きたかったのにー」


 リコベルはロクが抱えていた衣服に気付いたようで、見せて見せてとせがんできた。


 ロクは、空いている椅子にどさっとそれを乗せてやる。


「……って、は? なにこれ? 全部ワンピースじゃん? なんで全部同じのにしたの?」

「いや、同じじゃないぞ。よく見てみろ。こっちはボタンが三つだし、これはここにポッケが付いている。それに、全部色が違うだろ?」


 ロクは、似たり寄ったりのワンピースを一枚一枚リコベルに見せて説明した。


「最悪。もっと色々あったでしょうに」


 リコベルは軽蔑するかのような目を向けてくる。


「ちっ、別に着られればなんだっていいだろ」


 何だって、買ってやったのに文句を言われなきゃならんのだ、とロクは少し拗ねていた。


「リ、リコ。あびすワンピース好き」


 とうとうアビスに庇われてしまった。


「はいー、お待ちどうさまっ」


 ロクが、なんとも言えない気持ちを持て余していると、タイミング良くアゼーレが料理を持ってテーブルへやってきた。


「はい、定食と……パンケーキねっ」


 アゼーレは手際よく、人数分の定食と甘い香りを漂わせるパンケーキをテーブルに並べる。もちろん、アビスのはこども向けの特別製だ。


「頼んでねえぞ」

「私のおごりよ」


 リコベルは得意気に胸を張って、どうぞと勧めてくる。


「……たべてもいいの?」

「いいよぉっ。いっぱい食べなね」


 リコベルから許可を得たアビスは、目を爛々と輝かせて、こどもらしくパンケーキから食べ始めた。


 ロクは、よく食べるやつだとアビスを眺めていると、リコベルが不意に身を乗り出してきた。


「それで、どうだったの?」


 アビスに聞こえないよう配慮してのことか、リコベルは小声で聞いてくる。どうとは、引取先のことだろう。


「ダメだった。まあ、この辺りには亜人の集落もある。今度はそっちを当たってみるさ」

「……そっか」


 リコベルは冒険者だ。自分がいつ命を落としても不思議ではないことを自覚している。それに、収入面も十分ではない。じゃあ、私が面倒を見るよ、なんて軽はずみなことは言えなかった。


 とりあえずの棚上げである。


 神妙な面持ちで、ロクとリコベルはそれぞれに思いを馳せていると、ゲスな笑みを浮かべて、ガラの悪い冒険者たちが絡んできた。


「おっ、若いってのはいいねえ」

「なんだぁ、リコベル。そんな冴えない奴を旦那にでもしたのか?」


 アビスに気遣って話していたのが、睦言でも囁きあっているように見えたのかもしれない。


「はっ!? ちっ、違うわよっ!」

「おおっ、こええっ」


 リコベルが追い払うように言うと、男どもはゲハハと下品な笑い声を上げながら、ずかずかと歩いていった。


「ったく、なんなのよあいつらっ。て言うか、あんたもちょっとは言い返しなさいよねっ?」

「いや、俺は構わない」


 ロクは、がつがつ食べるアビスを見ながら、上の空で答える。


「えっ? いや、別に……私だって、かまわない……けど」


 リコベルは若干頬を紅潮させて、ごにょごにょと小さな声で漏らした。


 ロクは単純に自分がどう思われても構わない、という意味で言ったのだが、リコベルには違う伝わり方をしたようだった。


 その後は、リコベルとアビスは何やら絵かき遊びに夢中になっているようで、ロクはテーブルに置かれている冒険者への依頼一覧を肴に、薄めた葡萄酒をやっていた。


「そろそろ行くか」


 リコベルにはアビスと風呂に行くという任務が残っている。あまり遅くなって明日の仕事に響いてはいけない。そう思って切り出したのだが。


「おい、聞いてんのか?」


 リコベルはにやにやと、アビスはにこにこしながら、一枚の紙に描かれた絵を見ていた。


 もちろん画伯はアビスだ。


 その紙には、一人の男と小さな亜人のこどもが描かれている。


「……誰だ、この目つきの悪い野郎は?」 


 リコベルはぷっと吹き出し、くつくつとのどの奥で笑いを噛み殺している。


 なんだ感じ悪いな、とそこまで思って気付く。


「これは……俺か?」


 アビスは嬉しそうにこくこくと頷いた。


 これはダメだ。かなりまずい。


 ロクは舌打ちをすると、あろうことか、その紙をくしゃくしゃとまるめて脇にあるゴミ箱に投げ込んでしまった。


「あーっ!! あんたなんてことすんのよっ!? アビスちゃん一生懸命書いたのにっ」

「うっせえっ。もう行くぞ」


 アビスはその行動に、唖然としたあと、わかりやすくしょんぼりした。予定では、ロクがお礼を言って頭を撫でてくれる筈だったのだ。


「なっ!? ちょっ、なによっ。押さないでよっ!?」


 ロクは構わず、無理矢理にアビスとリコの背中を押して、店の外へと向かっていく。


「もう、なんなのよっ? 行くわよ、行けばいいんでしょ?」


 とうとう店の外まで押し出されたリコベルが、不満気に声を上げた。


 ロクの目には、斜向かいにある風呂屋が映っている。


「まったく、最低な男よね。アビスちゃん気にしないでね。お風呂入って忘れよ?」


 リコベルは、肩越しに敵意むき出しの一瞥をくれると、アビスを伴って風呂屋の中へと消えていった。


 ロクはそれを確認し、全力疾走で麦のシッポ亭に戻っていく。扉を跳ね開け、驚く客にも構わず店内を駆け抜ける。ロクは元居た場所に戻ると、一心不乱にゴミ箱を漁り始めた。


 ……あった!


 ロクはくしゃくしゃにしてしまった紙を折りたたみ胸元にしまうと、ようやく周りの目を気にして、そそくさと店を後にする。


 その一部始終を見ていたアゼーレは、おたまの柄で肩を叩きながら、「難儀な性格だねえ」と零したのだった。

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