第3話 魔導士は幼女に冷たくしようと頑張ったけど。

 石畳が敷かれた大きな通りを、ガラガラと音を立てて荷車が進んでいく。


 夕陽に染まる街の中央区は、相変わらずの賑やかさだった。


 冒険者一行、行商人、街商人、軒先でジョッキを片手に談笑する者など、多くの人でごった返している。


 ロクは荷車を引きながら、自嘲気味に一つため息をついた。


 街に着いてからというもの、皆がわかりやすい一瞥を向けてくる。


 荷台に積まれた様々な鉱物や薬草は、特別目を引くようなものではないのだが、その中に一つだけ珍しい品が混じっているからだ。


 その珍品は、黒い狼耳とふさふさの尻尾を有した幼女であり、一見する限りでは奴隷のようにも見える。


 しがない材料屋が奴隷なんて。そんな声が、すれ違う者たちの瞳に映っているようだった。


 どうしてこんな事になったのか。ロクは今更ながら後悔していた。


 拾ってしまったのだから仕方ない。一度手を出してしまったからには責任を果たさねば。頭に浮かぶのは、自分を納得させる為のそんな言葉ばかりだ。


 ロクは何となく気になってしまい、肩越しにアビスを見てみる。


 一応は、こども特有の丸みを保持していて、すすけたローブに裸足という装いに目を瞑れば許容できる範疇だ。


 とは言え、引取先が見つかるまで、このままというわけにもいくまい。


 だが、衣服を買ってやったら、好意と受け取られないだろうか。


 ロクの中にそんな葛藤が渦巻いていく。


 当の本人はと言えば、荷台から尻尾と顔だけを出して、ところ狭しと並んだ屋台に目を丸くしていた。


 ここエスタディアは、商人が入り乱れる発展途上の都市である。北で育ったこどもからすれば、好奇心の的なのだろう。


 アビスは尻尾をそわそわさせながら、通り過ぎて行くハチミツ菓子に、未練がましく視線を送っていた。


 何にしても、まずは荷物を置いてこなければ。ロクは、気付かない振りをして進んでいく。


 幾つかの角を曲がり細道へ入ると、騒がしさは変わらないものの、通りにバラック小屋が混じり始めた。


 ここは主に職人や材料屋などが工房を構える、エスタディアの北区に位置する場所だ。


 やがて、荷車は一軒のこじんまりとした店の前で止まった。一応は石造りで二階建てである。


「降りろ」


 ロクは、相変わらずの無表情で素っ気なく言い放つ。


 アビスは荷台から降りると、どうしたら良いのかわからず、にこっと、ぎこちない愛想笑いをした。


 ロクは、それをなるべく見ないようにしながら、荷車を定位置である店の真横に付ける。


 ここは、小さいながらもロクが営む材料屋だ。


 ロクは、ぼんやりと立ち尽くしているアビスを横目に、次々と採取物を店の中へ運んでいく。


 少しして、店と荷台を数回往復したあたりで、アビスがとてとてと近付いて来た。


「……あ、あのっ」


 アビスは両手を固く握って、意を決したように口を開く。


「なんだ?」


 ロクは、言おうとしている事をなんとなく察して、わざと語気を強めた。


「……」


 なにかおてつだいを……。


 アビスは、そう言いかけた言葉を飲み込み、首を小さく横に振った。


 余計なことをするな。ロクから発せられる、そんな雰囲気を察したからだ。どうやら、歓迎されていないらしい。アビスは、萎れる気持ちに押しつぶされそうになる。


 一方ロクは、何とかアビスを拒絶できたと胸を撫で下ろしていた。彼女の居場所をここに作ってやるわけにはいかないのだ。


 最後の荷物を運び終えると、自分の役割を今一度反芻し、外で突っ立っているアビスに手招きをする。


「水差しはこれな。喉が渇いたら勝手に飲んでくれ。んで、用を足す時はそこだ」

「……」


 恐る恐る店に入ってきたアビスは、不安そうにロクを見上げて、おどおどしていた。これから先、ここに住むという事なのか判断に困っていたからだ。


「ん? ここが嫌だったら、今すぐ出て行っても構わないんだぞ?」


 突然の言葉に、アビスは首を強く横に振って否定する。


 ロクが意地悪な物言いをしたのには、もちろん理由がある。近い内に、自分と彼女は離れ離れになるからだ。


 繋がりを持った相手との決別は辛い。ロクは、身に沁みてわかっているのだ。


「勘違いするなよ。ここが今日からお前の家というわけじゃない。俺はお前の面倒を見るつもりはないからな。引取先が見つかるまでの間だけだ」

「……」


 アビスはそれを聞いて、獣耳を垂れさせ、しょんぼりとしてしまった。


 覚悟してはいたが、やはりこういうのは結構きつい。 


 ロクは下唇を噛み締め、こみ上げるものに耐える。


「俺は仕事の準備がある。わかったらそこで座ってろ」


 アビスは言われるがまま、背もたれ付きの椅子に、ちょこんと腰掛ける。


 ロクは、それを見て早速作業に取り掛かった。雨が降っても風が吹いても、ましてや幼女を拾ったとしても翌日には客が来る。どんな時も、衣食住を得る為の螺旋からは抜けられないらしい。


 薬草の仕分けや鉱石の研磨など、採取した資源をすぐに使える材料にするまでが一日の仕事だ。


 次第に研ぎ澄まされていく集中力は、容易に小さな女の子をひとりぼっちにした。


 アビスは足をぷらぷらさせながら、何気なく店内を見渡してみる。


 見慣れない造りの室内。見たこともない、たくさんの不思議な道具。今日出会ったばかりの男の背中。そのすべてが、静かで冷たい印象を感じさせる。


 アビスは、その小さな体に収まりきらぬ程の不安を抱えていた。


 居場所がない。


 腹の底がきゅっとなる感覚に耐えながら、何気なく壁際に視線を向ける。


 そこには、色とりどりに輝く鉱石が背の高い棚に並べられていた。すごく綺麗で、思わずちょっとだけなら、と手を伸ばしてみる。


「触るなよっ」


 そんな気配を背中で察したのか、ロクに強い口調で先手を打たれ――びくっ、とアビスの体が強張った。


 ただでさえ、ロクは少し目つきがきつく、いつも無表情で無愛想だ。美男ではあるのだが、常に全身から近寄りがたいオーラが出ている。


 なので、アビスはロクのことが少し怖かった。


 おてつだいもない。おはなしもできない。勝手に歩き回ったら、叩かれるかもしれない。そんな状況で、彼女が思いつく事は一つしかなかった。


 静かにしていよう。


 ……。


 アビスはとうとう、することも考えることも無くなってしまい、尻尾を胸に抱えたまま俯いてしまった。


 このくらいのこどもにとって、動かず喋らずというのは、ほとんど拷問に近い。


 ロクはちらりとアビスに目を向けて、頭をがしがしと掻いた。そう言えばハチミツ菓子を見てたな、と記憶を思い返す。


 ロクは一旦作業の手を止め、黒い大きな箱の中をごそごそと漁り始めた。これは、コキュートスと洒落で名が付いた、中の物を冷やす魔導具だ。


「おい、これ食うか?」


 ロクは、箱の中から瓶詰めにされた桃のハチミツ漬けを取り出す。数日前、珍しさに惹かれて買ったっきり、放り込んだままだった。


 アビスは、ロクが手に持ったそれに小首を傾げる。


「ほら、これ使え」


 何か餌付けしてるみたいだな、と小動物然としたアビスに、瓶詰めと串を手渡す。


 アビスは、しばらくそれを手に取り眺めたあと、予め小さく切り分けられている桃の一つを串に刺して口に運んだ。


 未知の食べ物だったのか、視線を斜め上に投げたまま、もぐもぐと頬を膨らませている。


 ――そして。


 ごっくんと飲み込むと、夢心地と言ったように、ぱぁっと満面の笑みを浮かべた。


 興奮するほど美味しかったのか、彼女の狼尻尾は、ぱんぱんに膨れている。


 ロクはそれを見て思わず頬が緩んでしまい、アビスに気付かれぬよう咄嗟に片手で覆い隠した。


 だが、これならしばらく放っておいても問題ないだろう。


 ロクはもう一度アビスの尻尾を見て、他に甘い物は無かったかな、と考えてしまっている自分に気付き、さっさと作業に戻ったのだった。

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