第2話 魔導士は森で幼女を拾う
深く木々が生い茂る渓谷を一人の男が進んでいく。
ここのところの長雨もあってか、谷の中腹にある森の中は静まり返っていた。
聞こえてくるのは虫の声、小川のせせらぎ、後はせいぜい自身が下草を踏みしめる音くらいなものか。
野生動物や草木の状態を見る限りでも、しばらく人が入っていない事が見て取れた。
これは当たりかも知れないな、と採掘道具が入った腰のポーチをひと撫でする。
男の名は、ロク・バックスフィード。元は教会と相反する組織『魔導レギオン』所属の魔導士であった。
だが、今は魔力が使えなくなり、レギオンからも姿をくらませたままだ。
誰にも迷惑をかけずに、誰からも心配されず、ただ普通に生きて普通に死ぬ。そんな最期を迎えようと、ただ食って寝る生活を送っている。
一時はレギオン最強とまで謳われたその魔導士は、若干19歳にして、終わりの時を静かに待つだけの、終わった存在へと成り下がっていた。
もう、随分前に考えるのはやめた。魔導士としての自分は死に、今はしがない材料屋なのだ。
陽光がまばらに差し込む道を更に奥へと進んでいく。すると、少し先に目印となる大きな岩石が、以前と変わらず佇んでいるのが見えた。
この真上の洞穴に魔鉱石出現の前兆を確認している。
岩肌に茂った蔦を頼りに崖を登っていくと、すぐに光り輝く鉱石が目に入った。
やはり。
魔鉱石は魔導具錬成の材料となり、その汎用性からそこそこの高値で取引される。
この量ならば、しばらくは食うに困らないかもな、と採掘用の道具を取り出した瞬間。ロクは背後、洞穴の奥の方に何者かの気配を感じ取った。
――誰か居る。
この辺りに魔物は出ない筈だ。
何者かを刺激せぬよう、ゆっくりと振り向き、仄暗い奥の方を凝視する。
…………(人間?)
少しずつ暗闇に慣れたロクの目は、地面に横たわる黒いローブの人型を映していた。
動く気配のないそれへ近づいていくと、僅かに胸部が上下しているのが確認できた。
生きている。
急いでポシェットから、暗闇に明かりを灯す魔導具を取り出す。その小さな四角い石は、衝撃に反応して一定時間光を放つというものだ。
ロクは地面に叩きつけて効果を発動させる。
恐る恐る動かない何者かに明かりを向けると、不意にその眼が開かれ、互いの視線が交差した。
まだ年端もいかぬ幼い女の子だ。
肩まで伸びる闇を映したような黒髪に、長いまつげを乗せた、大きくつぶらな瞳が蠱惑的な光を放っている。
その整った顔立ちと質素なローブが、敬虔な修道女のような清楚さを感じさせるが、反して、頭に有した黒い狼耳と尻尾が、印象を教会から一気に遠ざけていた。
「……おい」
大丈夫か? そう声を掛けようと思った。だが、ロクを認めると、幼女の寝惚け眼のような瞳の色が、瞬時に警戒のそれへと変わり。
「……っ!?」
バネが弾けたように後方へと跳んだ。
しかし、いかんせん狭い洞窟内である。幼女はゴツっと、岩肌に後頭部を打ちつけ、「くぅ」と小さく呻き、うずくまってしまった。
「落ち着けって。俺は奴隷商ではないし、お前に何かしようとも思ってない。ここへは採掘で来たんだ」
ロクは採掘用のピッケルを見せてやる。
「……」
幼女は涙目になりながら、それをじっと見つめている。
ロクが奴隷商ではないと自称したのには理由がある。彼女の手首には、ごつい鋼鉄の手枷が嵌っていたからだ。
幼い体に不釣り合いなそれが、とても痛々しい。
誤解されぬよう先回りしたつもりだったのだが、幼女は壁に張り付いたまま押し黙っている。警戒心が強いのか、それとも。
「言葉、わかるか?」
亜人族の中には、特殊な言語を使う者たちもいる。
……。
僅かな沈黙の後、幼女は問いに対して、こくりと頷いてみせた。
言葉は通じるみたいだ。
体つきや顔つきから察するに、七つか八つくらいの歳だろうか。見たところ目立った外傷は無さそうだし、毒や病に冒されている風でもない。さて、どうしたものか。
「……」
幼女は、未だにロクの存在をどう受け取れば良いのかわからない、といった様子で、隙あらば逃げ出しそうな構えだ。
それならそれで構わないのだが、とロクが気を緩めたその時。
きゅるるるる、と間の抜けた音が鳴った。
幼女は思わず、「はうっ」と自身の腹部を隠すような素振りを見せる。
どうやら腹が減っているらしい。
ロクはリュックを下ろし、中をごそごそと漁る。非常食というわけではないが、小腹が空いた時用に小麦のパンを持ってきていたのだ。
「こんなもんで良ければ食うか?」
そのほんのり甘い香りに誘われたのか、黒狼の幼女はゆっくりと、半ば無意識に近づいてくる。
彼女にとっては少し大きめだが、亞人のこどもは良く食べると聞く。問題ないだろう。
幼女は、腹ぺこの子犬然とした表情で、「たべてもいいの?」と言わんばかりだ。彼女の黒い狼尻尾も、期待するかのようにふわりふわりと宙を泳いでいる。
「ほら、食えよ」
ロクはあくまで淡々とした態度で、幼女にパンを差し出す。
「……と、ちょっと見せてみろ」
手枷が付いていることを失念していた。
「……?」
幼女はパンを受け取ったまま、よくわからない、と言った風に小首を傾げる。
「それが付いてちゃ食いづらいだろ。取ってやるから」
幼女はおっかなびっくりではあるが、おずおずと言われるがまま両手を差し出した。
……かなり古いタイプの錠だ。これだけでも、相当北の方からやってきたということが伺える。
ロクは細いピックと短剣を使って解錠へ挑む。
幼女は特に抵抗することなく、自身の手枷を弄くるロクの顔をぼんやりと見つめていた。
これも魔導士の嗜みといったところか、ほどなくして、ガチャリと音を立てて手枷が外れた。
「自分で食べれるだろ?」
幼女はその言葉にこくりと頷き、はむっと小さくパンをかじった。
「っ!?」
瞬間、幼女はその味に驚いたような表情を見せ――バクバクバクバクっと、一気に口に詰め込んだ。
小麦の甘くて柔らかいパンは、北の地方では、まだまだ高級だったりする。
幼女は、ほっぺをぱんぱんに膨らませて咀嚼すると。
「んーっ!?」
顔を真っ青にし、胸の辺りを押さえた。
喉に詰まらせたらしい。
「何やってんだっ!? ……ほら、これ飲め」
ロクは携帯していた水筒を手渡してやる。
幼女は受け取り一気に煽ると、ゴホゴホとむせながら何とか飲み下したようだった。
「誰も取らないから、ゆっくり食えよ」
幼女は、少し恥ずかしそうにしながら、残りのパンを小さく口に運ぶ。
ロクも戦場で何度か餓えを経験したことがあるので、彼女の気持ちは良くわかる。あれはひとつの地獄であり絶望だ。
幼女が食べ終わるまでの間、ロクは手持ち無沙汰になってしまい、小石を手で弄びながら外の景色を眺めていた。
しばらくして、幼女は少し落ち着いたのか、正座したままロクが喋るのを待っていた。その様はまるで、自分の生殺与奪は貴方が握っています、とでも言うようだ。
「奴隷商から逃げてきたのか?」
ロクは単刀直入に訊く。
「……おっきなとかげでた」
幼女はこくりと一つ頷き、そんなことを言った。
バジリスクか、とロクはすぐに思い当たる。同時に、良く生き残ったものだと感心した。
ロクが知っている限りでは、その魔物が生息している山は、ここから大人の足でも三日はかかる距離だ。
つまり、彼女はそんなとんでもない距離を、独り当ても無く歩き続けたという事になる。
「帰るところはあるのか?」
故郷があるのならば話が早い。移動馬車の金を出してやれば、後は知ったことではないからだ。
だが、というか、やはりと言うべきか、幼女は口をへの字に引き結んで、首を横に振った。
恐らくは、教会による異教徒狩りにでも合ったのだろう。資源が豊富な北の土地では、利権を欲する貴族をバックに付けて、居もしない魔女と、ありもしない呪いをでっちあげて討伐隊を送る、なんてことは日常茶飯事だ。そして、それらを騙り模倣する賊も後を絶たない。
幼女は獣耳をしゅんとさせ、俯いてしまった。
「……そうか」
ロクは苦虫を噛み潰したような顔になる。この幼女と自分は、教会に大事なものを奪われた、という点については共通しているらしい。
教会というのは人を胸クソ悪くすることだけは、神の領域に達している。
そんなことを思いながら、ロクはふと、幼女を見て我に返った。
一体自分はこの子をどうするつもりなのか? という自問が浮かんだからだ。ここに置いていく? まさか、そんな選択肢はない。一度手を出したら最後まで、とは師の言葉だ。
でも、だからと言って、ロクには自分で面倒を見るという選択肢は微塵も無かった。
彼女を育てるには、ロクに残された時間は余りに短すぎる。
この小さな肩に、これ以上背負わせてはならない。
幸いこの辺りには亜人の集落も多いし、街には孤児院もある。なんとかなるだろう。
そんな葛藤をしているロクを、幼女はきょとんとした顔で見上げている。
「この谷を抜けた先に街がある。俺はこれからそこに帰るんだが……お前も一緒に来るか?」
彼女には他の選択肢が無いだろう、ということはわかっている。それでも、本人が選択し望んだ結果とする為、問わずにはいられなかった。
幼女はまん丸の瞳でロクを見つめ返し、ゆっくりと首を縦に振った。
彼女にとって今ロクは、唯一頼りすがれる対象である。
幼女は、そっとロクのシャツを摘むと、くいくいと引っ張った。
「……あびす」
彼女の名だろうか。自身を指さして、そんな言葉を言った。
「……なまえ」
そして、今度はロクを指さす。
名乗るつもりもなかったし、名を聞きたくもなかったが仕方ない。ロクは少し考えるような素振りを見せて、
「ロクだ」
と、自身の名を告げた。
ロクは一度大きく深呼吸をし、彼女に情を持たれぬよう、一刻も早く引取先を見つける事を決意する。
一方でアビスは、お手伝いでも何でもして、良い子にしていれば側に置いてくれるかも知れない、という淡い期待を抱いた。
こうして二人は、思惑の異なる日々を共に送る事となったのだった。
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