今日も魔導士は幼女に耐える

虎山たぬき

第1話 序幕

 赤黒く淀んだ空に稲妻が走る。


 視界は悪く、辺りには霧状の瘴気が漂っていた。


 宵闇の迷宮、魔神の棲家、地獄の門。様々な呼び名で畏れられた、禍々しい気配が満ちる山の頂で、誰もが希望にあふれていたのは数時間前のこと。


 目の前に広がるのは、凄惨を極める惨状であった。


 夥しい数の魔物が跋扈する中、動かなくなった魔導士たちが三々五々地に伏している。


 その中心に神々しく屹立するのは、この世の畏怖を集結させたかのような、巨躯の邪龍であった。


 それはいつか、古文書の挿絵で見た魔神そのものであり、捻れた角と漆黒の翼が少年の脳裏に刻み込まれていた。


 一時休戦。そう銘打って行われた、教会と魔導レギオンによる協同の邪龍討伐戦は、思わぬ形で終結を見せようとしていた。


 教会の裏切り。


 勇者率いる聖騎士団は、魔導士たちに奇襲を仕掛け、戦線を離脱した。


 もはやレギオンに、邪竜の固有結界を打ち破る余力は無く、後の混乱は筆舌に尽くし難い。


 その絶望の淵、致命傷を避けていた一人の少年が、レギオン指揮官の女と岩陰で密談していた。


「ごめんなさい。あなたにばかりこんな役を押し付けて……でも、もうこれしかなくて」  


 女の近くには、意識を失った若い魔導士が幾人か寝かされている。


「全滅よりはましだ。こいつらだけでも助けられるなら、文句の言いようもない」

「本当なら私の役目なんだけど、もう果たせそうにないから」


 女の体の損傷は絶望的だった。


「俺は孤児だ。こいつらと違って悲しむ家族も居ない。気にするな」

「ごめんね。約束……守れなかった」


 女は弱々しく目を伏せる。


「お互い様だ」

「……ごめんね」


 女は、少年の二の腕に自身の血で奇怪な紋様を描くと、静かに魔力を込めた。


 眩い光が空間に満ちていく。


「……っ!?」


 左腕の刻印を媒介として、少年の中に膨大な瘴気が流れ込んでくる。


 それは、魔導士一人の魂と引き換えに、魔神一柱を封じるという禁忌の術式だった。


 数瞬して、邪竜の固有結界が消滅する。


「少しだけど時間あるから……楽しいことでも探しなよ?」


 女は苦痛の表情の中に、いたずらな笑みを混ぜる。


「……無茶言うなよ」


 少年は、感情を押し殺して肩をすくめた。


「それじゃ、いくよ」


 二人は最期の瞬間を悟り、謝罪も礼も無く、ただ互いに苦笑し握手を交わす。 


 女は、少年の手から解けた小さな手で、最後の力を振り絞り、魔力を練り上げた。


 呼応するかのように空間が振動する。


「……さよなら」


 円形に展開された魔法陣が、少年たちを飲み込んでいく。 


 僅かな静寂の後、そこには女だけが残されていた。


「ごめ……ね」


 女の目が静かに閉じる。


 状況だけを見れば、魔導レギオンの全滅であった。


 後にこの戦いは、様々な形で世界に語り継がれる事となる。

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