第24話 幼女は魔導士のために。

主(あるじ)無き材料屋の店内は、いつもと違う静けさだった。


「何で……こんな事に」


 リコベルは、頭を抱えて大きくため息をつく。


 あれから、一度店に戻ってきたものの、やはりロクの姿は無く、事の真相は噂頼みとなっていた。


 アビスはと言えば、自分のせいだと何度も繰り返して泣き疲れてしまったので、今は二階の寝室で休ませている。


 あんな酷いことを言って乱暴して、本当に、あれがロクの本性だったのだろうか。


 リコベルは、髪の先を指で弄びながら、記憶を思い返してみる。


 彼とは短い付き合いだが、これまで見てきた、アビスを想っての優しい行動や、時折彼女に向けていた柔らかな眼差しは、とても演技とは思えないものだった。


 さっきは、ついカッとなってしまったが、冷静になって考えると不可解な点も多い。


 だが、所詮それはリコベルの希望にも似た推測であり、実際に流れてくるうわさ話とはかけ離れている。


 元々、多額の借金を背負っていた。奴隷商と深い繋がりがあった。罪人であった。金に卑しい貴族と何やら画策していた。


 数えるのが嫌になるほど、悪い話ばかりが耳に入ってくる。


 彼が自身の過去について、あまり口を開かないという事もあるが、なんだかんだで、リコベルはロクのことをよく知らない。


 アビスを拾ったのも偶然ではなく、自分たちは、ずっと彼に騙されていたという事だろうか。


 個人的には、何か理由があるとしか思えないのだが、辻褄を合わせようとすれば、いくらでもロクを悪者に仕立て上げることができる。


 わけがわからない。


「だ~っ、もうっ!」


 リコベルは、まとまらない頭をがしがしと掻く。


 信じたい。でも、信じるための材料がない。そんな堂々巡りであった。


 やはり、このままでは埒があかない。一度アビスをアゼーレに預けて、ロクを探しに行こう。


 とことんまで問い詰めないと、こんな事は納得できない。


 リコベルは、沈む気持ちを奮い立たせるため、よし、と頬を張って椅子から立ち上がる。


 すると、不意にノックの音が響いた。


 また悪いうわさ話を誰かが持ってきたのかと、辟易して扉に手をかけると、そこには予想外の来訪者の姿があった。


 金髪蒼眼の少女。


「…………」


 茶色のローブを纏った華奢な体と、フードから覗く整った顔に目を奪われたその時。


 ――突風。


「っ!?」


 そう感じた時には、リコベルの体は狭い店内の壁に叩きつけられていた。


 不意を突かれた、というのが言い訳になるほど、少女の魔法は速かった。リコベルは冒険者としての性質から、素早く起き上がり、頭で考えるより先に、戦闘態勢に入る。


「冒険者リコベル・クルーガー。先輩と親しくしていたそうですわね。貴方の事は調べさせて頂きましたわ」


 少女が言って、指をくいっと動かすと、内側に風が流れ店の扉が閉まった。


「なっ、なんなのよ、あんたはっ!?」


 リコベルは、不穏な空気を感じ取って、油断なく金髪の少女を見据えたのだが。


「羨ましいですわっ!!」

「はっ?」


 突如、金髪の少女は地団駄を踏んだ。


「先輩と一緒に御飯を食べましたわねっ? 一緒に買物をしましたわねっ? 同じ時を過ごしたりしましたわねっ? 同じ空気を吸いましたわねっ? 羨ましいっ、リコベル・クルーガーっ! 私は貴方になりたいくらいですわっ!! その記憶だけでも頂きたいっ!」


 金髪の少女は取り乱しながら、わけのわからぬことを言った。


「……っと、これは失礼。ですから、最初の一撃は貴方に対する嫉妬ですわっ」


 一つ咳払いをし、居住まいを正して胸を張ると、堂々とそんな事を言い放った。ここまでくると、逆に清々しさすら感じる。


「……えっと」


 リコベルは、少し対応に困っていた。


「申し遅れました。私はロク・バックスフィードの妻っ! になる筈だった者ですわ。少しばかり彼の遺品を貰いに来たのですが」

「妻? 遺品……?」


 一瞬、頭の中が混乱する。


「ん? あー、そうですか。やはり先輩は何も言ってなかったのですね。前言撤回ですわ。彼の私物を貰いに来ましたの」


 金髪の少女は、何事も無かったかのように言い直す。


「あんた……何者なの? あいつのこと何か知ってるの?」

「貴方には関係のない事ですわ。先輩の寝室はこの上ですか? 失礼しますわね」


 リコベルの質問をほとんど無視する形で、少女は一歩踏み出した。


「……何の、つもりですの?」


 だが、それを阻むものがあり、金髪の少女は目を細めた。リコベルが、剣を抜いたからだ。


「悪いけど、こっちもイラついてんのよ。あんたの知ってること、全部話してもらうわよ」

「……やめておいた方がいいですわ。生憎こちらも時間がありませんので、手加減できませんの」

「あんたが強いのはわかる。多分私じゃ勝てない。でも、北区の冒険者が騒ぎに気付いて、駆けつけるくらいまでは粘れるつもりよ。時間が無いんでしょ?」


 リコベルは、冒険者らしい追い詰められた時の笑みを浮かべる。


「……命を賭ける、というのですか。なぜ、そうまでこだわりますの? まさか、先輩に惚れているとか?」

「さあね」


 リコベルは、魔力を練り上げ、相棒の剣を強く握り直す。


「……わかりましたわ。ま、今更ですしね」


 金髪の少女は、降参するようにため息をつくと、わかりやすく戦意を消失させた。


「その代わり、これを聞いたら、貴方の日常に支障をきたすかもしれませんわよ?」

「……いいから、早く話しなさいよ」


 少女は少し眉を吊り上げ、一泊の間を持って口を開いた。


「……私も、ロク・バックスフィードも、魔導レギオン所属の魔導士ですの」

「はっ!?」


 その話は、リコベルの予想の遥か上空を飛んで行った。


「信じる信じないはご自由に」


 少女は、リコベルの反応に興味のない目を向ける。


 魔導レギオンの魔導士といえば、聖騎士団のパラディンと同義であり、ある意味、とある国の王族だと言われるよりも衝撃的だった。


「先輩は一年前、一つの戦いにおいて、仲間を救うため、その体に魔神を封じました。その代償として、マナを吸収する度に、命が縮む呪印をその身に刻んでいますのよ」

「命って……!?」

「平たく言えば、今日の夜、先輩は死ぬという事ですわ」

「あいつが……今日、死ぬ?」


 一瞬、頭の中が真っ白になり、リコベルの手からは、力なく剣が床に落ちた。


「じゃあ……あいつは死ぬとわかって、わざとあんなことっ」


 リコベルの中で、正しい方向に辻褄が合っていく。


「あんなこと? ああ、街に流れていた噂のことですの。あれは笑えました。先輩が金のために仲間を売るなど、天地がひっくり返ってもありえないことですわ」


 そのありえない事を鵜呑みにしかけていたリコベルにとっては、耳の痛い話である。


「先輩は不器用ですから。恐らくは貴方たちに嫌われる事で、縁を断ち切ろうとしたのでしょう」


 ようやく合点がいった。


 ならばあの時、ロクはどんな気持ちで……。そう考えると胸が締め付けられる。


「それで、その魔神を倒す方法は? だから、あんたが来たんでしょ?」

「はい? そんなものはありませんわよ? 相手は曲がりなりにも神ですもの。勝てるわけありませんわ」


 少女は小首を傾げ、当然のように言ってのける。


「……はっ!? じゃあ、あんたはどうしてここへ来たのよ?」

「私は、一緒に死んで差し上げようと思いまして。かけらでも、先輩の寂しさが紛れるのならばと」

「はっ? あんた馬鹿なのっ?」

「馬鹿とは失礼ですわね。冒険者でも、魔導士であっても、死の間際というのは、とてつもなく恐ろしいものなんですのよ。それは先輩とて例外ではない筈です。ですから、私はそれを埋めるためだけに参りましたの」


 リコベルには、彼女が言っている事が良く理解できなかった。


「ですからまあ、貴方にレギオンの秘密事項を話したのも、そういうわけですの。規則とかもう、どうでもいいんですのよ。私も死ぬのですし」

「……そんなっ」

「おわかり頂けましたか? もういいですわよね。どうにもならない事もありますわ。貴方はこれまで先輩と一緒に居られたのでしょう? 最後の時ぐらい私に譲って頂きますわよ」


 金髪の少女は、呆然とするリコベルの横を抜けて、梯子階段に手をかけたのだが、先に上から降りてくる者が居た。


「まじんって、わるいかみさまのこと?」


 話を聞いていたのだろうか、アビスは降りてくるなり、金髪の少女にそんな事を訊いた。


「アビスちゃんっ」

「……相変わらず、犬猫を拾ってるんですね、先輩は。肝心なときに徹しきれないところを良く怒られていましたっけ」


 金髪の少女は、どこか遠くへ視線を向けて、苦笑した。


「わるいかみさま居なくなったら、ロク……死なない?」

「そうですわね。神を倒せる神のような者がいればですけど。さあ、そこをどいてくださいな」


 金髪の少女は、こどもの話に付き合っている暇はないと、素っ気なく返す。


「あびす、わるいかみさま帰ってもらうの、あるっ」

「なんですの?」


 アビスは、徐ろに両手を宙に構えた。


 瞬間、店内の空気が張り詰めていく。


「何を――」

「さもんっ」


 その短い言葉と引き換えに、アビスの手には、ボロボロの紙の束が出現していた。


「それは……魔導書? 貴方は……」

「ここに、わるいかみさま帰るところ、書いてあるの」


 アビスがそう言って指し示したページは、白紙であった。


「……アビスちゃん。それは、なに?」


 リコベルは、アビスが召喚したそれに戸惑いを隠せずにいる。


「これ、ないしょだったけど、ロク助けたいからっ」


 アビスが、根本的なリコベルの疑問に答える事は無かった。


「貴方、アビスと言いましたわね。下の名前はなんていいますの?」

「したのなまえ?」

「アビスという名の他に、誰かから名前を教わりませんでしたか?」


 アビスは、少し思案顔で視線を斜め上に投げたあと、はっと何かを思い出したような顔をした。


 そして、ぼろぼろの紙の束をめくり、一つのページを指でなぞった。


「あびす……るど・れすあーて・きるえる・ど・おるこす」


 …………。


 オルコス。その言葉が出た途端に、狭い店内が凍りつく。


 アビスだけが、よくわからない、と言った風に小首を傾げていた。


「やはり、間違いなさそうですわね」

「どういう……ことなの?」


 リコベルは、何となく察してしまっているが、訊かずにはいられなかった。


「彼女は、魔女の系譜。それも、原書の魔女の血族ですわね」


 アビスが……魔女。


「はっ、はははっ。ちょっと、待ってよ」


 リコベルの頭の中は、とうとう爆発寸前まで追い込まれた。


 顔馴染みの材料屋は魔導士で、可愛がっていた亜人の幼い女の子が魔女だという。


 こんな突飛な事、一介の冒険者に受け入れろという方が無理な話だ。


「心中お察ししますが、この際、細かい事は後にしませんこと? 今は、本当にその術式が、使えるのかという事ですわ」


 言って、金髪の少女は、威圧するような目をアビスに向ける。


「できるっ。いっぱいれんしゅーしたっ」


 アビスは臆すこと無く答える。


「良い答えですわね。それで、具体的にそれはどんな術式ですの?」

「じゅつしき? ……よくわからないの。でも、ここから悪いかみさまがおうちに帰るって」


 アビスは言って、ボロボロの紙の束を指し示すが、金髪の少女の目には、白紙のページが映るのみだ。


「う~ん」


 金髪の少女は、顎に手を当てて、低く唸りながら同じ場所を行ったり来たりする。


「ま、考えても仕方ないですわね。召喚できるのですから、元に戻せるのも道理。どの道他に方法なんてありませんものね」


 結果、そう開き直ったようだった。


「ですが、成功する確率はほとんどありませんわ。死を覚悟できますか?」

「し? たぶん……できる」


 自信無さそうに曖昧な答えをするアビスに、金髪の少女は更に続ける。


「その両腕、両足を切り落とされ、目玉を繰り抜かれ、地獄の苦しみをもってなお、死ぬことすらできない。そんな苦しみがあるかもしれませんわよ?」


 フレアの脅しに気圧されて、アビスは、はわわわと身体を恐怖に震わせ、うっすら涙目になる。


 だが、同時にアビスの脳裏には、照れくさそうにそっぽを向く、ロクの姿がよぎった。


 不思議と、恐怖だけが払拭され、勇気が湧いてくる。


「できるっ! ロク、たすけたいからっ」


 アビスは、ふむん、と鼻息荒く力強い眼差しで、金髪の少女を見つめ返した。


「……わかりましたわ。貴方の覚悟、この疾風の魔導士フレア・ブランディエリが、確かに預かりました。難しい術式になるとは思いますが、できる限りのサポートは致しますわ」


 そんなやり取りを聞いて、もう一人決意した者が居た。


「私も……行く。それとも、冒険者ごときじゃ、足手まといにしかならない?」


 リコベルは、色々と考えるのを止めて、素直な言葉を口にする。


「いえ。魔女の術式には、膨大な瘴気を伴います。結界を維持するため、そのお力をお借りしますわ」


 言ったあと、金髪の少女は、徐ろに試すような視線をリコベルに向けた。


「冒険者に、覚悟を問うのは野暮ですわよね?」

「あたりまえでしょっ」


 話がまとまったところで、リコベルはふと、ある問題に気付いた。


「でも、ロクがどこに行ったのかわからないんじゃ……」

「それは、私にお任せくださいな。先輩の私物があれば、術式魔法で追えますので」


 フレアの術式魔法『ストーカーハンド』は、本人が使用していた物を燃料に、その居場所を探索する能力である。


「わかった。それじゃ、改めてよろしく頼むわ」

「ええ。私の事はフレアでいいですわ」


 こうして、ここに、冒険者、魔導士、小さな魔女の三人による、ささやかな邪竜討伐パーティーが結成されたのだった。


 タイムリミットは、夜明け。

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