第21話 魔導士は引き篭もって仕事もしない。

外は深い闇に覆われ、職人たちが夕食後のささやかな団欒を終える頃、小さな材料屋のテーブルには屋台料理が並んでいた。


 準備を進めるのは、女二人だけで、いつもの無愛想な男の姿はない。


 リコベルと風呂へ行った帰りに、中央区で夕飯を調達して、ロク抜きで食事をする。最近では、そんな日々が当たり前になってきていた。


「そうだ。これ、残ったお金はロクに返しといて」

「わかったっ……」


 異教の楔で死にかけてから十日が経ち、アビスはすっかり元気になっていた。


 だが、それはあくまでも肉体的な意味であり、少し気を抜くと、すぐにため息が漏れ、獣耳を垂れさせてしまう。


「あっ、このお肉の串は私のおすすめだから、ロクと半分こで食べてね」

「はんぶんこっ……」


 アビスは、リコベルの何気ない『ロクとはんぶんこ』の言葉に、一瞬嬉しくなるが、すぐに叶わないと悟り、しゅんとしてしまった。


「……私があいつにビシッと言ってこようか?」


 リコベルは、アビスの様子を見て不憫に思い、耐え切れず二階へ向かおうとする。


「だっ、ダメなのっ! ロクは忙しいのでっ!」


 アビスは、慌ててリコベルの前に立ちはだかり止めに入る。


「う~ん。でも私もこれから、明日の打ち合わせがあるからさ……」

「美味しいごはんがあれば、ひとりでも、へーきっ」


 アビスは、いつもの強がりでにこっと笑って、とりあえずリコベルを安心させようと振る舞った。


 ロクは、ここのところ二階に引き篭もり、書物を漁る時間が増えていて、ほとんど仕事も休んでいる。


 材料屋が働かないという事は、アビスにお手伝いがないという事で、自然と二人の接点は少なくなっていた。


「……そう。何かあったらシッポ亭に居るからね?」

「うんっ。リコ、ありがとう」


 リコベルは、店の二階の方を一瞥すると、不安そうにアビスを撫でて、後ろ髪を引かれながらも、出て行ってしまった。


 一人きりになった材料屋は、壁に備え付けられた魔導具が、狭い店内に薄明かりを灯すのみとなり、しんと静まり返る。


 誰かと居るとなんとも思わないが、一人でいると怖い気がしてくるから不思議だ。


「こわくない、こわくない……へーきっ」


 アビスは、寂しさを紛らわせるように独りごちると、ぽつんとテーブルについた。


 眼前に広がるのは、パンや串などの屋台料理の包みであり、普段ならば、その獣耳と尻尾がわかりやすく動くのだが、今はどちらも精気を失っていた。


 早く食べて、二階へロクの様子を見に行こう。


 そう思ってパンを手に取ると、不意に梯子階段が軋む音が響いた。


 ロクだ。


 アビスはもしかしたらと思って、料理の包みを手に取り、声をかけてみる。


「あっ、あのっ……ロクっ。これ、リコベルがおすすめと言ってたお肉のくしでっ――」

「先に食べててくれ」


 おいしいので、いっしょに半分こを……。


 そう続く筈だった言葉は、あっさりと遮られてしまった。


 ロクは、のそっと下りてきて水差しを取ると、再び梯子階段を登っていってしまう。


 やはり、顔を見てさえくれなかった。


「……いただきます」


 結局、アビスは味気ない食事を取る事になった。


 それは、もちろん料理自体の事ではなく、独りだからだ。


 せめて、いつもみたいに二人でご飯だったらと想像して、ロクが好きそうな串や包み焼きなんかを普段彼が座っている方に置いてみる。


 ……虚しいだけだった。


 ここ三日間くらいは、目も合わせてくれないし、あからさまにロクから避けられている気がする。


 アビスは、ずっと悩んでいた。


 何か嫌われるような事をしてしまっただろうか。串にかぶりつき、もぐもぐしながら、考えてみる。


 ぬいぐるみを買ってもらった。学校に行かせてもらった。武闘会に出てもらった。病気で迷惑をかけた。迷子になった事もある。


 それから、それから……。


 思い返してみると、思い当たることばかりで嫌になった。


 アビスは、ロクに好かれていないと思い込んでいる。


 それは、彼女が転々としてきた集落での経験から、無条件に誰かからの愛情を感じる事が困難になっているからだ。


 アビスは、わかりやすい言葉や態度でないと、自分が誰かに好かれているとは思えないようになっていた。


 ロクの態度は、十分にわかりやすいものではあるのだが、アビスは少しでも悪い要素があれば、そちらを取ってしまう。


 それは、期待しては裏切られてきた、彼女なりの自己防衛術なのかもしれない。


 だから、アビスの中で、優しくされるという事は、迷惑をかけているという事に変換されてしまうのだ。


 もっと良い子にしていないと、もっと嫌われてしまうかも……。


 そう思うと、腹の底から食欲にも勝る不安がせり上がってくる。


 アビスは、一つため息をつくと、料理の半分以上を残して、テーブルの上を片付け始めた。


 嫌われていたとしても、構ってもらえなくとも、それでもそばに居たい。


 アビスは、音を立てないように、ゆっくりと梯子階段を登っていく。


 二階にたどり着くと、そこには相変わらず机にかじりついている、ロクの後ろ姿があった。


 こちらに気付いてはいる筈なのに、声をかけてくることはおろか、見向きもしない。


 一緒に居るのに、すぐそこに居るのに、独りぼっちのようだった。


 アビスは、邪魔をしないように、できる限り気配を絶ち、自身の寝床であるソファーに横になる。


 いつもみたいにお話がしたい。仕事のお手伝いをしたい。リコベルと三人で麦のシッポ亭でご飯を食べたい。


 ロクの背中を見つめていると、そんな願望が次々に浮かんできた。


 手が届かないからこそ、叶わないからこそ、余計に普段通りの事が恋しくなってくる。


 でも、ロクはすごく大変そうだし、我慢しなくては。


 アビスは、ぶんぶんと頭を振って、自身の弱い心をぐっと押し込むと、ウィズから借りた難しい文字の教本を開いた。


 自分が難しい文字をできるようになれば、お手伝いになるかもしれない。


 そう思って、みんなからは、アビスにはまだ早いと言われたが、無理を言って貸してもらったのだ。


 アビスは、使命感に満ちた顔で、その分厚い教本に挑み始める。


 その後は、屋根裏のような狭い材料屋の二階に、ただただ静寂が流れていく。


 どこまでも不器用な二人の『独り』は、互いに気付かれぬよう、互いのためを想い行動していた。



 そんな中、先に一息ついたのは、ちょうど一冊の書物を読み終えたロクだった。


「…………っ」


 ずっと同じ体勢で居たせいか、バキバキになった身体をぐっと伸ばす。


 すると、服の袖から奇怪な紋様が覗いている事に気付き、瞬間的に胸を打つ鼓動が早まった。


 自身の終わりが、すぐそこまで迫ってきている。


 本当ならば、アビスとは今すぐにでも別れてやらないとならない。


 だが、異教の楔が発動した時、既にどこかへ引き取らせていたら、確実にアビスは命を落としていた筈だ。そう考えると、中々に手を離し難くなっていた。


 とんだ思いあがりだ。


 同時に、ロクは自嘲気味に苦笑した。


 この魔法印が自身を蝕む限りは、彼女を守る事などできないのだから、決して願ってはならない。


 ロクは、気付かれぬよう、肩越しにそっとソファーへ目を向けてみる。


 アビスは、むむむ、と眉間にしわを寄せて、彼女にとっては難解で歳不相応な教本に目を落としていた。


 ロクには、その頑張りが誰のためなのか、すぐにわかってしまう。


 だからこそ、余計に苦しい。


 ロクは、無遠慮に視界に入ってくる忌々しい呪印を睨みつける。


 このまま、何事もなかったとして、あと1月(ひとつき)あるかどうか、というところだろうか。


 それまでに、禁忌の術式から逃れる方法が見つかれば、それに越した事は無いが、どれだけ書物を漁っても、そのとっかかりさえ掴めずにいる。


 生み出したのが古代の魔女とされている以上、禁忌の術式に関連する情報が、手に取れる書物に記されているとは考えにくい。


 じゃあ、どうする。これから魔女を探しに行く? それこそ馬鹿な考えだ。


 本物の魔女を肉眼で確認し、認識したのは、魔導レギオンにおいても、その頂点である総帥ぐらいかもしれない。


 結局、この間に膨大な書物を読み続けてわかったのは、紅夜が来たらどうなるか、という事だけだった。


 紅夜は平均すると、20年に一度くらいの頻度で訪れている。


 前回が15年前なので、平均から見れば、あと5年くらいは猶予があるだろうか。


 だが、それがどんなに馬鹿な仮定なのかは、ロク自身もよくわかっている。


 それでも、今のロクには、そんな考えにすがるしかなかった。


 魔法印は、自身の魔力と魔脈から発せられる魔力粒子を吸収しながら成長していく。


 もう、悠長に構えている余裕は無い。 


 とりあえず、あと一日あれば、集めた書物はすべて読み終える事ができる。それが終わったら、今度はひたすらに引取先探しをしようと考えている。


 とにかく、少しでも条件の良い場所に引き取らせて、その後万が一にでも、命を繋ぐ事ができたら迎えに行けばよい。


 当然、何よりも優先すべきは、アビスが穏やかな日々を過ごせるよう最善を尽くす事だ。


 あの小さな体に、背負わせてはならない。


 ふと目を向けると、アビスは、重たそうな瞼に抗いながら、未だに教本と格闘しているようだった。


 時間の許す限り、僅かでも可能性がある限り、あがいてみよう。


 ロクは、自身にそう誓って、その後も取り憑かれたように、古文書と額を突き合わせたのだった。

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