第22話 魔導士は甘い幻想を砕かれる。

「……ふむ」


 久しぶりの仕事だったが、ほぼ予定通りの稼ぎを得ることができた。ロクは、満足気に頷き、数えた金を帳簿に記す。


 エスタディア北区にある小さな材料屋は今、朝の商いを終了し、その片付けに追われていた。


「リコっ。違う、それはこっちなのっ」

「えっ? そうなの?」


 アビスは、その辺にぽんと置かれた鉱石を見て、リコベルに正しい片付けを教え始めた。


 今日はこのあと、三人でアビスの服を買いに行く予定となっている。


 明日は、エスタディアで大きな祭りが開催されるとの事で、そこへ着ていく新しい服をアビスに選ばせてやる約束なのだ。


 それは、アビスの日々のお手伝いに対する、ロクなりのご褒美のつもりだった。


 色々と考えた結果、これで最後だからと、自分に言い聞かせての事だ。


「あ、あとは、あびすがやっておきますので」


 とうとうリコベルは、アビスにお手伝いを干されてしまったようだった。


「……意外と細かいのね」

「お前が雑なだけじゃないのか?」


 ロクは、片付けを進めながら、リコベルに呆れるような目を向ける。


「そう言えば、ここのところ引き篭もってみたいだけど何してたの? 職人連中もずっと心配してたのよ?」

「ああ、すまない。ちょっと……新しい商売をしようかと考えててな」

「ふ~ん。でも、アビスちゃんの事はちゃんと見ててあげないと。あのくらいの歳なら、結構敏感だからさ。あんたに避けられてるかもって、気にしてたわよ」

「……そうか」


 ロクは、感情が表に出てしまわないように、その言葉を聞かなかった事にして、素っ気ない返事をする。


 禁忌の術式から逃れる方法は無いかと、この間ずっと続けてきた古文書漁りも、思うような成果を上げられぬまま、ついにその資源が尽きてしまった。


 事実上のタイムリミットであり、ここから先は自分が助かる方向で時間を使うわけにはいかない。


 これ以上は、本来の自分がやるべき事に支障をきたしてしまう。数日前に、そう踏ん切りをつけて、材料屋の仕事とアビスの引取先探しを再開したのだ。


 いくつか候補に挙げた集落は、どれも満足行く環境ではないが、もう気長に考える猶予は残されていない。


 最悪の事態だけは避けなくては。


 相変わらずの無表情で、何気なくアビスに目を向けると、ふさふさの尻尾を揺らしながら、薬草の入った麻袋を持って、とてとてと近づいて来た。


「これは、どこだった?」

「それは、棚の隣だ」

「わかったっ」


 アビスは、いつも以上に張り切って、お手伝いに勤しんでいた。


 それは、半ばロクを急かすようでもあり、彼女の小さな体から、そわそわ、わくわく、と言った雰囲気が見て取れる。


 自分の服を自分で選べるという初めての体験への期待と、ロクと一緒にお出かけできる事への嬉しさが行動に表れていた。


「……こんなもんか」


 ロクが、あらかた片付いた店内に言葉をこぼすと、アビスは尻尾をぱたぱたさせながら、期待の目を向けてくる。


 何を言うでもなく、ロクが何気なく外套をまとうと、アビスも準備万端とばかりに素早く肩がけのポーチを装備した。それは、リコベルに買ってもらった物で、中にはうさぎのぬいぐるみが頭だけを出す形で入っている。


「じゃ、行くか」

「うんっ!」


 アビスは、今日の天気と同じく、麗らかな気持ちで店を後にする。


 北区を抜けて中央区へ着くと、明日の祭りへの準備で、いつも以上の賑やかさを見せていた。


 アビスは、旨そうな匂いを漂わせている屋台には目もくれず、一直線に衣服が並ぶ一角へと向かっていく。


「あんまり先に行くなよ」


 またぞろ迷子になられても困る。ロクが声をかけると、歩くペースを一時的に落とすものの、すぐ先を歩いてしまう。ほとんど無意識なのだろう。


「おっしゃ。私も今日は買っちゃうかな~っ」


 リコベルは、歳相応の表情でロクを一瞥すると、アビスのあとを追うように駆け出した。


 ロクは、そのあとをゆっくり歩いて行く。


 売り場に目を向けると、雑多に並べられた衣服が、これでもかと積まれていた。祭りのために、衣服を新調しようとする客に対して、商人たちもしっかり備えていたようだ。


「おっ、材料屋のあんちゃん。今日は、嬢ちゃんと買い物かい?」


 通りを歩いていると、顔馴染みの露天商が声をかけてくる。


「ええ。明日の祭りに向けて、少しばかり」


 ロクは、こどもふくに夢中のアビスに目を向けて、困ったように肩をすくめてみせた。


「だっはっはっは。まあ、嬢ちゃんも小さくても女だ。あれだけべっぴんさんなら多少の出費は仕方ないわな」


 ひげ面の店主は豪快に笑うと、ロクの背中をばしばしと叩いた。


 いつからだろうか。ロクが街の誰かと、こんな風に会話をするようになったのは。


 アビスを拾ってからの間に、ロクと街の関係性は随分と変わったように思える。


「ね。本当に何でも買っていいのよね?」


 そんな事をぼんやり考えていると、不意にリコベルが顔を覗きこんできた。


「え? ああ。金貨が必要になる物じゃなければな」


 今日は、買い物に付き合うお礼に、リコベルにも好きなのを一つ買ってやる約束になっているのだ。


「絶対だからねっ」


 リコベルは、疑うような猫目でロクをじっと見つめたあと、「きゃっほう」と表情を緩ませて、アビスをそっちのけで自分の服を選び始めてしまった。  


 こどもが二人になったみたいだ。


 一方でアビスは、すでに膨大な量のこども服とにらめっこをしていた。


 買ってもらったワンピースも、もちろん気に入っているのだが、自分で選んだ服でロクに褒めてもらいたい。


 リコベルからは、ドレスがいいのではないかと言われていたので、意を決して少し高そうな衣服がある一角に紛れ込んでいく。


 やがて、アビスは一着の可愛らしいフリフリ付きのを手にとっていた。黒を貴重としたリボン付きのそれは、一瞬でアビスの心を虜にした。


 だが、ときめく心は、少しずつ萎んでいった。このドレスは、凄く高そうだ。ロクをちらりと見てみる。


 何やら誰かと話をしているようで、こちらに気付いてくれそうにない。


 アビスは、直接聞いてみようと思い、若い店主の服の袖をちょいちょいと引っ張った。


「ん? なんだい、お嬢ちゃん」

「これはどれくらい?」


 アビスは、自分のワンピースを指して店主に尋ねる。今、自分が着ている物の値段を目安にしようと考えたのだ。


「え? 嬢ちゃんの着てるそれのことかい?」

「うん。これがどのくらいか知りたいの」


 アビスは、手にしたドレスを自分の体の横に並べて見せる。


「ん~。大体だが、そのドレス一着で、嬢ちゃんのワンピース十着は買えるかな。これは一点ものだし、仕立て職人の手作りだからね」


 高すぎる。


 アビスは、その言葉を聞いてしょんぼりしてしまった。これを買ってもらうのは、ロクにとって迷惑になるかもしれない。


 でも、これが一番良いのも本当だ。


 未練がましく手にしたドレスを見つめていると、不意に誰かの視線が自分に注がれている事に気付いた。


「それ。買わないならこっちへくださらない?」


 いつだったか、ロクの材料屋に怒鳴りこんできた、膨よかな貴婦人だった。アビスは苦手意識からか、びくりと仰け反ってしまう。


「ん? あなたはっ!? ふんっ。そのドレスは、あなたみたいなみすぼらしい亜人が買える値段じゃなくてよ? さあ、服が汚れてしまいます。早く渡しなさいな」


 貴婦人はアビスに気付いたようで、あからさまに態度を変える。


 アビスは、仕方なく俯きながらそれを差し出そうとしたのだが。


 そのドレスが貴婦人の手に届く寸前で、誰かがアビスの腕を掴んだ。


「これをもらう」


 そして、その腕ごと店主の前に突き出されてしまう。


 当然、その誰かとはロクだ。


「はい~。まいどっ」


 ロクは、唖然とする貴婦人を一瞥し、あっけなく代金を支払ってしまった。


「えと……あの」

「これじゃなかったか?」

「ううんっ。これがいいっ……けど」


 ロクは、がしがしと頭を掻いて、少し視線を外したあと、もごもごとするアビスをまっすぐに見据えた。


「俺は、お前に何でも買ってやるって言ったよな?」

「……うん」

「じゃあ、あとは……そっちで、それに合う好きな靴を選べ」


 ロクは、申し訳無さそうに上目遣いで見てくるアビスに、何でも好きなのでいいからな、と付け加えて背中を押してやった。


 こんな事はダメだとわかっている。


 それでも、これで最後だからと、何度も自分に言い訳をして、自身の間違った行動を許容した。


 再び一人になったロクは、改めてエスタディアの街並みを眺めてみる。 


 長い間、魔導士として生きてきたロクにとって、この街は初めて普通の人間らしく暮らせた場所かもしれない。


 ロクは、エスタディアに来てからの事を思い返す。


 アビスを拾うまでは、取るに足らない毎日だった。ただ普通に生きて、普通に死ぬ。そんな終わりの時を静かな気持ちで心から受け入れていた。


 楽しい事など一つも無かったし、誰かとの繋がりも必要としていなかった。


 だが、今はどうだろうか。


 確実にロクの中には、一つの願望が生まれてしまっているし、同時にそれが自身に残された時間の短さから、否定されている事も重々承知している。


 過去は、変える事ができない。


 ロクは、先の戦で仲間を助けるため、その身の内に魔神を封じている。熟練の魔導士一人の魂を生贄に、魔神一柱を元の偶像世界に帰す禁忌の術式だ。


 ロクの命を掌握する魔法印は、袖を少しめくれば見えるほどに侵食してきていた。


 嫌な気持ちを打ち消すように、アビスに目を向ける。


 靴選びに悩んでいるのか、子犬のように小さく唸りながら、あまりに気合が入りすぎて、尻尾がピンと立ってしまっていた。


 ロクはその様を見て、思わず頬が緩んでしまった。


 叶うならば、こんな光景をずっと見ていたい。


 ロクは、断ち切った筈の想いがぶり返さぬように、自身の弱さを吐露してしまわぬように、強く自身を戒めた。


「……でいい?」

「……?」


 ふと声に気が付くと、アビスが足元でロクを見上げていた。


「え? ああ、決まったのか」

「うんっ」


 ロクは、何でもないかのように取り繕うと、アビスが選んだ、ドレスに合った黒い革靴の代金を支払い、手渡してやった。


「……ロク」

「ん?」


 アビスは、ドレスと靴の入った袋を持って、心底嬉しそうに、満面の笑みでロクを見上げた。


「ありがと。すっごくうれしいなっ」


 心が崩れそうになる。 


「……勘違いするな。これは、単にお前が働いた分の給金だ」


 ロクは、アビスと目を合わす事ができず、そっぽを向くしかなかった。


「うんっ。でも、ありがとっ。ロク」


 このまま、魔法印の事など忘れて、この暖かな安寧に身を委ねていたい。そうすれば、自然と術式も消滅して……。


 そんな、狂気にも似た思考が頭をよぎる。


 その後は、リコベルが持ってきた服を買ってやったあと、三人で麦のシッポ亭へと向った。


 こんな日々がずっと続けばいい。


 だが、運命とは残酷であり、古くから詩人が謳ってきた『事実は冒険譚よりも奇なり』ということなのだろうか。


 その日の夜遅く、魔導レギオンと教会から全世界に、とある警報が発令されることになる。


 それは、明日が紅夜になるという報せであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る