第19話 魔導士は幼女の楔に立ち向かう ~後編~
「っと、今度はこっちね」
リコベルは、光が弱くなってきた結界石に触れて魔力を補充する。
アビスのベッドを囲むように配置されているそれらは、不定期で魔力補充を必要とするので気が抜けない。
リコベルは、不安な気持ちを誤魔化すように、一つ大きく伸びをした。
ロクが出て行ってからどれだけの時間が経過したか、窓の外はすっかり明るくなっていた。
アビスの容態は相変わらずで、今も苦しそうに短い呼吸を繰り返している。
リコベルも長時間に及ぶ結界の維持で疲労してきてはいるが、まだ幾分か余裕があった。
もちろん彼女の本業は冒険者なので、迷宮区の中で夜を明かす、なんてことは日常茶飯事だからだ。
なので、どちらかと言えば、肉体よりも精神的な負担の方が辛かった。
それは、ロクが無事に帰ってくるか、という不安である。
常識的に考えれば、材料屋が護衛もなしにコカトリスの巣へ、なんて自殺しに行くようなものだ。
今も少し気を抜くと、すぐにロクが魔獣に殺されている光景が浮かんでくる。
それでも、無事帰って来てくれると信じていられるのは、リコベルの中で、彼には何か重大な秘密がある、という確信があるからだ。
「……んんっ」
辛そうに顔を歪めるアビスの体から、黒い煙のような瘴気が出かかっては、体内に戻って行く。
どれだけ自分が信じたところで、結果が伴わなければアビスは死ぬ。
信じなくては、と思う一方で、冒険者としての性ゆえか、冷静に状況を見つめている自分が居た。
ロクが死んでいた場合どうするか。
そんな、考えたくもない自問が浮かんだ時、下の階から扉が開け放たれる音が響いてきた。
女将かもと思ったが、足音を聞いてすぐにロクだとわかった。
生きていた。リコベルはひとまず胸を撫で下ろす。
「すまない、遅くなった」
梯子階段を登ってきたロクの顔に生気は無く、相当の疲労が伺えた。
「……女将は?」
「帰らせたわよ。材料は全部そこに」
リコベルは、部屋の隅に置かれた麻袋を指さす。
「……そうか」
魔力による耐性が無いと、微量でも瘴気が体に障る可能性がある。アゼーレは、自分も残ると言ってくれたのだが、リコベルが説得して帰らせたのだ。
「……それで、コカトリスの羽は?」
「手に入ってなければ、帰ってきてない」
ロクは、背負ったリュックを床に下ろすと、中から真っ赤な羽を取り出した。
「それが?」
「ああ。コカトリスの羽だ」
ロクは言って、珍しそうにしているリコベルに手渡す。
柔らかいような、硬いような、何とも形容しがたい質感だ。
リコベルが弄んでいる間に、ロクは錬成の準備を淡々と進めていく。
気が付くと、床の上には、重さを測る天秤や、すり鉢、皿などの錬成道具一式が雑多に並べられていた。
「私に……何かできることある?」
「いや、結界石にだけ集中してくれれば大丈夫だ」
ロクの手によって、見たこともない器具や材料を元に、錬成の準備が進められていく。
手伝える事は無さそうだ。
すべては、終わってから聞けばいい。
そう思って、光の弱まってきた結界石の一つに魔力を込めると、不意に調合用の皿が重ねられる音が部屋に響いた。
どうやら、準備が整ったらしい。
ロクは、すべての材料の下ごしらえを終え、錬成の工程に入るところで、手を止めていた。
錬成には、要所で魔力が必要となる。
ロクは、僅かに震える手で左腕をぎゅっと掴むと、意を決して意識を集中する。
「っ!」
しかし、魔力を練ろうと構えただけで冷や汗が噴き出し、激しい動悸が襲ってきた。
「くそっ!」
(ここで、やらなきゃあいつを助けることなんてできないんだぞっ!!)
ロクはアビスを助けたい一心で、無理矢理に魔力を練り上げた。
ぐにゃり。
瞬間、ロクの視界が歪んだ。次いで、割れそうな程の頭痛と目眩、吐き気が襲ってくる。
「ぐっ!」
ロクの体は、魔法印の影響により、まともに魔力を練り上げることができなくなっていた。
落ち着いて呼吸を整え、材料の乗った小皿へ目を向ける。
何とか錬成に必要な魔力は捻り出せたようだ。
ロクは、正しく魔力を帯びた鉱石を見て、ひとまず胸を撫で下ろす。
「ちょっと、あんた大丈夫なのっ!?」
大量の汗を浮かべ、両膝を地に付かせたロクを見て、リコベルが不安気に駆け寄ってくる。
「大丈夫だっ。だが、錬成の途中で、何度か意識を失うかもしれない。その時は、水をぶっかけるでもひっぱたくでもして、俺を起こしてくれないか?」
ロクは、近づいて来るリコベルを片手で制すと、そんな事を頼んできた。
「えっ?」
魔法印の枷を逃れ、無理にでも魔力を練るには、生命力を代償とするしかない。
「見た目通り満身創痍でな。今も気を抜けばちょっと危ない」
ロクは珍しく、戯けるように肩をすくめて苦笑した。
「……わかった」
リコベルは、普段のようにふざける余裕も無く、真剣な面持ちで頷いた。
「あとはせいぜい上手くいくように祈っててくれ」
その言葉を最後にロクの表情が変わる。すっと、部屋全体の空気が張り詰めるようだった。
リコベルは、ロクを信じて任せると決め、アビスの額に浮かぶ玉のような汗を濡れ布で拭きとってやる。
(アビスちゃん。今ロクがお薬作ってるからね。がんばれっ)
気を落ち着かせるため、何気なく小窓から外の様子に目を向けると、不意に何か重い物が床に落ちる音がして、リコベルは咄嗟に振り向いた。
トクン、と胸が大きく脈打つ。
それは、ロクが意識を失い、倒れた音だった。
そもそも、材料を揃えたということは、この短時間で北の山へ向かい、死線をくぐり抜けてきたという事だ。
それだけでも、相当の体力と精神力を消耗したのは想像に難くない。
限界とも言えるロクの状態を見て、リコベルは歯を食いしばる。
(ったく、こいつは、なんて役を人に押し付けるのよっ!)
こんなにぼろぼろになって、意識を失うまで頑張ったのに、そんな奴を叩き起こさなくてはならない。
それでも、リコベルには、ここでロクを気遣い起こさないという選択肢は、用意されていなかった。
「……ロクっ! 起きなさいっ。アビスちゃん、助けるんでしょ?」
リコベルは心を鬼にして、ロクの肩を揺する。
「……んっ、ああ、すまない。気を……失っていたか」
ロクは鉛のような半身を起き上がらせると、再び錬成を始めた。
悔しい。
リコベルはその様を見て、無力な自分に対してそう思った。だが、今は泣き言を言っている場合では無い。
気を引き締め直し、自分にできることをしっかりと見据えた。
結界石に気を配りながら、アビスの介抱を行い、ロクが倒れたら起こす。
そんな事を何度か繰り返し、刻々と時間だけが過ぎていった。
そして、日が傾き始めた頃、ロクがゆっくりと口を開いた。
「リコ、聞いてくれ。次で最終工程なんだが、これが終わったら多分、俺はしばらく起きない。だから、薬はお前が飲ませてやってくれないか?」
「それは……構わない、けど?」
「これは特効薬だ。成功していれば、すぐに良くなる筈だ。頼めるか?」
ロクの真っ直ぐな視線に対して、リコベルは首肯で答える。
「よしっ」
最後の気力を振り絞り意識を集中すると、全身を引き裂かれるような激痛と引き換えに、残りの体力すべてが魔力に変換していく。
その魔力さえも吸収したのか、ずずっと左腕の呪印が下へ向かうのを感じたが、今は構っていられなかった。
練り上げた魔力を調整し、錬成へ向けると、床に置かれた天秤を中心に、円形の魔法陣が展開されていく。
――そして。
一際大きい光を放つと、ロクはゆっくりとその場に崩れ落ちた。
「……これを、全部……飲ましてやってくれ……少し……寝る」
黒い丸薬が三粒乗った小皿を這うようにリコベルに差し出すと――ロクの意識は、そこで途絶えた。
リコベルは、小皿を受け取ると、既に泣きそうになっていた。
こいつが、こんなになるまで頑張ったのだから、上手くいかない筈がない。
リコベルは、込み上げるものを堪えながら、ゆっくりとアビスのベットへ歩み寄る。
「アビスちゃんっ! わかる? ロクが作ったおくすりよっ! これを飲めばよくなるからっ!」
アビスは、問いかけに対して、ほとんど無意識で小さく頷いた。
リコベルは、小さな粒上の丸薬をアビスの口に入れる。
「アビスちゃん、頑張って飲んで!」
コップに注いだ水を口元にゆっくり当てる。
ごくっ、と喉が鳴り、ロクの作った丸薬が、アビスの腹の底に落ちていくのを感じた。
(おねがい、おねがい、おねがいっ!)
リコベルは、結果が怖くて、下を向いたまま、数瞬を過ごす。
ややあって、恐る恐るアビスを見て、リコベルは自身の呼吸が早くなっている事に、少し遅れて気付いた。
アビスの口からは、依然として苦しそうな吐息が漏れている。
変わらない。熱も下がってない。
錬成の失敗。
普通に考えれば、あの状態で、まともな錬成などできる筈もなかった。
リコベルは、全身の脱力感と共に絶望を感じていた。
神の奇跡などない。わかってはいたが、運命の残酷さを呪うしか無い。
「ごめんね……アビスちゃん。ごめん……」
頑張って薬を飲んでくれたアビスに謝り、頬を撫でる。
ゆっくりと自身の頬を伝うしずくが、苦悶の表情を浮かべる幼女に落ちた、その時だった。
リコベルの視線が、アビスの黒い髪に注がれる。
「っ!?」
そこには、細い髪に絡まるように、一粒の丸薬が落ちていた。
何せ薄暗い部屋に、アビスの髪は闇に溶ける漆黒。一粒飲み損じていたのを見逃していたのだ。
リコベルは震える手でそれを摘み、すがるような気持ちで再度アビスの口に運ぶ。
「アビスちゃんっ! わかるっ? もう一度だけ飲んでっ!」
「…………」
だが、ぽろり、とそれは口の端から落ちてしまう。アビスの体力も限界に達していた。
リコベルは、意を決して自ら水を口に含み、アビスと唇を重ねる。
肌伝いに、ごくり、と細い喉を通過する音が聞こえた。
これでダメなら、もうどうしようもない。
リコベルは目を逸らさず、祈るようにぎゅっと布団を掴んだ。
すると、数瞬して、全身に巻き付いていた帯状の影が、すっと消滅していった。
リコベルは油断せず、じっと経過を見つめる。
やがて、短く苦しげだった呼吸が、嘘のように穏やかになり――。
「……リコ?」
アビスは、半睡半醒のような表情で、目を覚ました。
「アビスちゃんっ!? どう? 平気っ?」
「……うん。ちょっと、のどかわいた」
リコベルは呆然としながらも、言われるがままベッドの脇に置いてあった水差しを手渡す。
「はいっ」
アビスは、んくんくと中身を一気にあおる。
「ちょっと、ごめんね」
リコベルはそわそわしながら、アビスの額に手を当てた。
熱が、下がっている。
リコベルは、まだ完全に信じきれていないのか、アビスの服をまくって、体をすみずみまで確認していく。
黒い帯状の痣も、もうどこにもない。
「リコ?」
アビスは不思議そうに小首を傾げる。
「成功……したんだ。よかった。本当に……よかったよぉっ」
リコベルはこどものように大粒の涙をぽろぽろと零し、アビスの体を強く抱きしめた。
「リコ。泣いてる?」
「泣くよぉ、こんなのっ」
「あびす、病気になったから? ごめんね」
「いいよぉっ、アビスちゃんが治ったなら、よかったぁ」
アビスは未だぼんやりとする頭で辺りを見回すと、床に横たわるロクが視界に入った。
「ロク……死んじゃった?」
一瞬、アビスの表情と体が強張る
「ん? あはは、大丈夫よ。ちょっと疲れちゃっただけだから」
あとは、この状態のロクを何とかしなくては。
「アビスちゃん。ちょっと向こう……むいててくれる?」
「どうして?」
「ロクが元気になる魔法はね、誰かに見られてると上手くいかないのっ。いい?」
「……わかったっ」
アビスはこくりと頷くと、言われるがまま窓際に体を向けた。
よし、ちゃっちゃと済ませてしまおう。
だが、いざロクの顔に自身の顔を近づけると、邪念が交じってくる。
(うわっ。こいつよく見ると、女みたいな顔してるな……まつげ長っ)
「って、なにを考えているのよ私はっ」
リコベルは、小さく呟き軽く頬を張る。
高鳴る鼓動を抑えて、これは形式上の問題だ、と自身に言い訳すると、ロクの唇に自身の唇を重ねたのだった。
そんな二人の事をアビスの尻尾だけが見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます