第18話 魔導士は幼女の楔に立ち向かう ~前編~
夕刻。
一日が終わりへと向かい、行き交う人々が頬を緩ませる中、ロクは、思い詰めた顔で、荷車を引いていた。
リコベルにアビスを預けて遠方へと採取に出たのが、今朝早くのこと。
アビスの引取先探しも兼ねての事だったが、残念ながらそちらは徒労に終わった。
そもそも、ロクの条件は厳しすぎる。のどかで、村民が皆優しく、こどももそれなりに居て、経済的に余裕があり、悪しき教えの神を崇めていないこと。
そのあまりの理想の高さに「そんな場所があるなら私が拠点にするから教えて」と、リコベルに言われたほどだ。
ある程度の場所で妥協して、なるべく早く別れてやらなくては。
そんなこと、初めからわかっていたのに、現実から目を背け、暖かな日々に身を委ねてしまった。
だが、リコベルの何気ない一言で、ロクは完全に目を覚ました。
『もう、あんたが面倒見れば? 私も手伝うから』
昨夜、麦のシッポ亭で言われた、たったそれだけの言葉で、ロクの穏やかな暮らしは崩壊した。
だが、所詮それは、偽りの安寧だ。
むしろ、取り返しがつかなくなる前に、現実に引き戻してくれたリコベルに感謝しなくてはならない。
すべては、自分の弱さのせいだ。
逃げた期間が長いほど、現実に引き戻された時の衝撃は大きい。この間、自身に課した義務である引取先探しを行なわなかった。彼女に好かれないよう、距離感を徹底できていなかった。
何もしてやれないくせに、一丁前に、彼女に嫌われたくないと思っていたのだ。
「何をやってんだ俺はっ!!」
ロクは、行き場の無い憤りから、荷台の引き棒を強く拳で叩く。
このままだと、あの黒狼の幼女と名の付く関係になってしまうかもしれない。そうなれば、彼女に自分と同じ痛みを背負わせる事になってしまう。
これ以上親しくなる前に……。
そんな事を思いながら歩いていると、ふと、商人風の父親に肩車されて、はしゃぐ幼い女の子が視界に入った。
彼女たちは望みさえすれば、ずっと一緒に居られるのだろう。
ロクは大きくため息をつき、何を今更と荷車を強く押し歩を速めた。その心とは裏腹に、荷台にはたくさんの鉱石や薬草の他に、甘いクッキーが積まれている。
幾つかの角を曲がり、細い通りに入ると、自分の小さな材料屋が目と鼻の先まで来ていた。
ロクは店の前で立ち止まり、しばし黙考する。
さて、どうやって土産を渡したものか。アビスとの関わり方について、思い直したばかりである。
逡巡していると、突如として店の扉が開け放たれ、中から慌てた様子で、赤髪の少女が飛び出してきた。
声をかけようと思ったが、それは彼女の鬼気迫る表情を見て憚られた。
「ロクっ!」
リコベルはこちらに気付き、即座に駆け寄ってくる。
ロクは何となく気付いてしまった。きっと、アビスに良くない事が起こったのだろうと。
「どぉしよお……アビスちゃん、熱が凄くて、医者もわからないって……どおしよぉっ」
普段は勝ち気で弱音を吐かないリコベルが、今にも泣き出しそうにロクの腕を掴んだ。それだけで、アビスの状態は、およそ最悪なのだろうということがわかった。
一瞬、頭が真っ白になる。
「アビスは……どこだ?」
「二階の寝室で、アゼーレさんが見ててくれてるっ」
「っ!」
ロクはその場に荷車を投げ出すと、一も二も無く駆け出していた。
店に入るなり、そこら中に置かれた採取物や麻袋を蹴散らしながら、バタバタと梯子階段を登っていく。
たどり着いた狭い部屋には、ベッドを覗きこむアゼーレの後ろ姿があった。
「アビスはっ!?」
「ダメだ、ロク。熱が下がらないっ」
アゼーレは悲痛な表情で振り返ると、額の汗を拭った。部屋の温度は低く、むしろ寒いくらいだ。つまり、そういう状況という事だろう。
ロクは、ゆっくりベッドに近付き、普段は尻尾をパタパタさせながら出迎えてくれる幼女を見て、言葉を失う。
アビスは目を閉じたまま、苦しそうに短い呼吸を繰り返していた。
そっと額に触れてみる。
「っ!?」
尋常じゃない熱さだ。
「今日の昼すぎくらいに倒れてから、ずっとこの調子なんだ。何か定期的に黒い痣みたいのが出るんだけど、わかるかい?」
「あざ?」
「うん。ああっ! ほら、出たよっ!」
突如アビスの首元、手首、膝から下、とほぼ全身を締め付けるように、帯状の黒い影が出現した。それは、蛇に締め付けられているようにも見える。
「うっ、んんっ」
連動するようにアビスが苦しそうに呻き声を漏らす。
(これは……っ!?)
ロクは、すぐに一つの結論に辿り着いた。
「……異教の楔だ」
それは、ほとんど最悪と言えるものだった。
「異教の……楔?」
アゼーレは、聞いたことのない言葉に眉をひそめる。
このまま放っておけば、アビスは明日の夜に――死ぬ。
助ける方法はある。あるのだが……。
ロクは呆然と立ち尽くしていた。
「ロクっ! どう? アビスちゃん、何かわかった?」
リコベルが両手に何かを抱えながら、梯子階段を登ってきた。
「知り合いの医者からありったけの熱冷ましと、活力草もらってきた。これでなんとかならないかな?」
「…………」
(……できるのか? 今の自分にっ)
「ロクっ?」
「っ!?」
リコベルが怪訝そうに顔を覗きこんできた事で、ロクははっと我に帰る。
いずれにせよ、やらなくてはアビスを見殺しにする事になる。
「これは、異教の楔という呪い病だ」
「呪い? ……じゃあ、術者を探しだして倒せば呪いが解けるってこと?」
「いや、術者は、もう死んでいる筈だ」
「……どういうこと?」
ロクは、言葉にしたくないものを無理矢理吐き出すように強く拳を握る。
「恐らく、呪いの術者は……アビスの両親だ」
「っ!?」
リコベルもアゼーレも、何かおぞましいものの一端を垣間見たような、言葉にならない表情で沈黙した。
異教の楔は、稀に北の隠れ里などで見られる、何かしらの秘密を有した血族が、生まれた子に施す呪いだ。
その効果は、呪いをかけられた子が魔力に覚醒し、一族の秘密に手が届く歳になった時に発動するとされている。
血族の者が一人でも生きてさえいれば、どこにいても呪いの発動を感知できるし、解除もできるのだが、異教徒狩りなどで集落が壊滅状態になった場合は、一緒に死ぬ事になる。
異教の楔は、外に秘密を漏らさぬようにという役割と、奴隷にされ、実験に使われ、苦しまぬようにと、子を想って施される呪いでもある。
「そんな……ことって」
リコベルは、信じられないというよりも、信じたくないという想いだった。
「本題はここからだ。必要な材料さえあれば、俺は特効薬を錬成できる」
本来、異教の楔は、術者にしか解除できないとされてきたが、魔導レギオンの長年の研究により、その特効薬の錬成方法が秘密裏に確立されている。
ロクも、その錬成方法を知る、数少ない魔導士の中の一人だ。
無論、非常に難易度の高い錬成であり、成功確率は二割程度と言われている。
「錬成っ!? あんた材料屋でしょ?」
錬成には特殊な技術を要するため、本当ならば、しがない材料屋にできるようなものではない。
「今は……説明している暇はない」
ロクは言いながら、素早くメモ書きにペンを走らせ、アゼーレに手渡した。
「これは……薬草類だね?」
「女将には、この材料を街で集めてもらいたい」
アゼーレは様々な疑問を胸の奥に押し込んで、今自分ができる最良の事に思考を変えた。こういう切り替えの早さは、さすが北区の顔役といったところである。
「多少高値でも構わないし、金はもちろん全額俺が持つ。明日の朝までに集められるか?」
「任せなっ! 北区の職人全員のケツを叩いてでも集めてみせるよっ」
アゼーレは、メモ書きを読み返しながら急いで梯子階段を降りていった。
「リコっ」
「えっ!? ああ、はいっ」
リコベルは、ただでさえ頭の中が混乱しているのに、ロクから普段呼ばれない名前で話しかけられ、気の抜けた返事をする。
「お前には、結界を維持してもらいたい」
「結界?」
「異教の楔は進行すると、体内から瘴気を発するようになるんだ。放っておけば、アビスは、この街の半数の人間を巻き込んで死ぬ」
ロクは、引き出しの中から小さな丸石を取り出して、アビスのベッドを取り囲むように配置していく。
リコベルはあまりの事の重大さに、血の気が引くのを感じていた。
「安心しろ。術式自体は結界石が勝手にやる。お前は定期的に光が弱くなった石に触れて、魔力を注入するだけでいい」
ロクは、結界石の配置を終えると、大きなリュックに、次々と魔導具を詰め込んでいく。
「あんた……なにしてんの?」
リコベルは、まるで冒険者のような旅支度を見て不審に思う。
「錬成に必要な物の中に、街に流通していない材料がある」
「なっ!? あんた一人じゃ危険よっ! 知り合いの冒険者に声かけてみるから、ちょっと待ってなさいっ」
夜になれば、大抵の場所で魔獣が出る。リコベルは踵を返し、梯子階段を降りようとしたところで、ロクに腕を掴まれた。
「何よっ!」
「コカトリスの羽だ」
ロクは至って真面目に、そんなとんでもない事を言った。
怪鳥コカトリス。冒険者ギルドの中でも、高位の危険度に指定されている魔物だ。
それでいて、コカトリスの素材は、魔導具の材料になる物が少なく、ほとんど無価値に近い。
今から討伐パーティーを集めるのは難しいだろう。
「そんな……無茶よっ! そんなの死にに行くようなもんじゃないっ!! 何とか明日を待って――」
「それじゃ、間に合わないっ。明日の夜までに薬ができなければ……アビスは死ぬ」
「じゃあ、私が行くからっ」
「俺には結界を維持する魔力がない」
「でっ、でもっ!!」
「別に討伐しようってんじゃない。近くに落ちている羽を拾ってくるだけだ。信じてくれ」
「っ……」
ロクは、真っ直ぐにリコベルを見据える。
僅かな静寂が流れ、リコベルが根負けし目線を外した瞬間、不意にロクのシャツがくいくいと引っ張られた。
話し声に気付き、一時的に意識が戻ったのだろうか。
苦しそうに呼吸をする弱々しい幼女が、不安げにロクを見上げていた。
アビスは、ぼんやりとした視界でロクの表情を見る。凄く辛そうで、大変そうだ。
「ロク、あびす……へーきっ」
異教の楔による症状は辛い。だがアビスは、これ以上ロクを困らせないように気遣い、にこっと笑ってみせた。
ロクはその様を見て、下唇を噛みしめる。
同時に、アビスの意識は再び闇へと落ち、シャツを掴んでいた小さな手がぽろっと、宙に落ちた。
「お前には土産を買ってある。楽しみにしていろ」
ロクはアビスの手を取り、そっと布団へ戻す。
死なせるものか。今度こそ、絶対に。
ロクはそう誓って、リコベルに小さく「頼んだ」と告げると、単身コカトリスの巣がある北の山へと向かったのだった。
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