第16話 魔導士は幼女に気圧される。

「おそうじ終わったら、お出かけする?」

「いや、今日はしない」


 北区の小さな材料屋は朝の商いを終え、のんびりとその片付けを進めていた。


「じゃあ、どうする?」


 アビスは、売れ残った薬草を木箱に戻しながら小首を傾げる。


「……どうする?」


 ロクは思わず聞き返す。


 言われてみれば、この後の予定を何も考えていなかった。


 いつもならば、店が終わればそのまま採取へ出かけるのだが、今日に限ってはその必要が無い。


 街の職人連中は、何やら特殊な仕事が大口で入ったとかで、魔導具作りに手が回らない状態らしい。


 職人が魔導具を作らないのならば、材料屋で売れる物は限られてくる。


 ロクは、滅多にない機会なので、明日は店を休もうと考えていた。


 採取へ行く必要がないとなれば、必然的に暇ができる。


 さて、どうしたものかと思案していると、せっせと働くちっこい大飯食らいと目が合った。


 とりあえず街をぶらぶらして、少ししたら昼飯だな。ロクは、今日一日をそんな思いつきの行動から初めてみようと、片付けの締めに商品台を端に寄せていく。


 そんな頃合いだった。


「おっす~」


 聞き慣れた軽い挨拶が狭い店内に響き渡る。


「どうした? こんな時間に」


 軒先に現れたのはリコベルだった。今日は、いつもの軽鎧ではなく、珍しくワンピース姿だ。


「あんたさ、今日は採取に行かないって言ってたわよね?」

「ああ。どうかしたのか?」

「だったらさ、これからここで学校させてくれない?」

「はっ? 学校?」


 そう言えば昨夜、明日は野暮用があるからダンジョンは休み、とか言っていた事を思い出す。そして、いつもより遅くまで麦のシッポ亭に付き合わされた事も。


「職人連中が忙しいみたいで、普段学校代わりに使ってる倉庫もてんやわんやでさ」

「だからって、何でここなんだっ。他にあるだろ?」

「いや~。今日はどこもいっぱいでさぁ。それにアビスちゃんも、そろそろ文字とか数とか、勉強した方がいいと思うし……ね?」


 リコベルは、お願いっ、と手を合わせて頼み込んでくる。


 どうしたものか。


 ロクは、あまり気乗りしないまま、逡巡する。


 学校、色んな奴が居る、アビスは尻尾と耳、皆と違う、いじめられる、しょんぼりする……。


「ダメだ」

「あんた今、変なこと考えてなかった?」

「考えてない。アビスにはまだ早いと思っただけだ」

「学校って言っても、教会がやってるようなのじゃなくて、北区の人たちが持ち回りで先生やってる、身内だけの集まりみたいなもんだから大丈夫だって」


 ロクは、難しい顔をしたまま、低く唸る。


「いーじゃん、ケチっ」

「なっ!? 誰がケチだっ。俺は一昨日、麦のシッポ亭で、こいつに三つ多くポテトを食わせた」


 ロクは、ムスッとしながら、隣に立つアビスを指さす。


「えっ? なに? 細かっ、そんなこと覚えてるの? あんた意外と小さいわね」

「くっ」


 ロクは墓穴を掘った。


「ロク。あびす、学校やってみたい……ですけど」


 アビスは、おずおずと言って、上目遣いにこちらを覗きこんでくる。


「今日だけだからっ」

「……う~ん」


 ロクは、アビスが乗り気な事もあってか、やや譲歩気味の色合いを見せ始める。


 リコベルは、それを承諾と見なしたらしい。


「あんたたち、入んなさい」


 リコベルが言うと、背後からぞろぞろと5、6人のこどもたちが店の中に入ってくる。


「おー、ここがいちりゅーの店か。思ったより狭いなっ」

「だっ、だめだよテッド。おとなしくないと……」


 その中には、いつぞやアビスをいじめっこから助けてくれた、テッドとウィズも居た。


「ちょっと待て。まだ良いとは言ってないぞっ」

「えっ? もういいじゃん。みんな入っちゃったし」


 リコベルは悪びれもなく言って、勝手に商品台を移動させると、空き箱をひっくり返して席を作っていく。


「って、なにお前も席についてんだっ」


 アビスは初めての学校にドキドキしながら、ちゃっかり木箱に座っていた。


「はいっ。じゃあ、今日はお店を貸してくれる……いちりゅーさんにお礼を言いましょう」


 リコベルは、にんまりと笑みを浮かべてロクを一瞥する。


「「「いちりゅーさんっ。ありがとうございますっ」」」


 席についたこどもたちは、キラキラとした眼差しを向けてくる。


 ロクは、「もう好きにしてくれ」と大きくため息をついて、鉱石の標本を手に取ったのだった。


 その後は、簡単な文字の読み書きや、世界の常識などの授業が、リコベル先生の元で行なわれていく。


「はい。じゃあ問題だしま~す。この世界にスキル魔法をもたらしたと言われている、偉大な人物といえば誰でしょうか?」


 こどもたちが顔を見合わせて考えだす中、一人のこどもが勢い良く手を挙げた。


「はっ、はいっ!」

「おっ! じゃあ、アビスちゃん」

「ロクっ」

「えっ?」

「ロクだと……思います」

「……あ~、残念。違いま~す」


 何言ってんだこいつは、とロクが呆れた目を向けると、アビスは良い顔でぐっと親指を突き立ててきた。


「いや、なんでしたり顔なんだよ。合ってねえからな。ちげえからなっ」


 こいつは文字の読み書きとか以前の問題だな。ロクは素直にそう思った。


「ほか~。わかる人~」

「はいっ」


 間違ったアビスに変わって、隣に座る優等生然とした青髪の女の子が手を挙げた。


「じゃあ、ウィズ」

「原書の魔女オルコスですっ」

「は~い正解っ。よくできました~。教会では神がもたらした奇跡。魔導レギオンでは魔女の実験結果と言われていますので、両方覚えておいてね~」


 そんな問題形式がしばらく続いたあとで、こどもたちの腹が空く頃合いになり、休み時間となった。


「じゃあ、順番に並んで~」


 リコベルは、大きな箱からお弁当を取り出し、次々にこどもたちへ配っていく。


 それは、アゼーレに教わって作った、リコベルの手作りサンドイッチ弁当だった。


「リコ、凄いっ! パンがうさぎになってるっ!?」


 アビスは、サンドイッチのパンの型を見て、驚きの声をあげる。


「うん。それはクマです」

「クマっ! でもすごいっ」


 どうやら違ったらしいが、アビス的にはどちらでも良かった。


 そんなやり取りをしながら、お弁当をこどもに行き渡らせると、リコベルは徐ろにロクの方へと近づいて来た。


「はいっ。これは、あんたのぶん。まあ、ここの使用料みたいなもんだから」

「ああ、悪いな……」


 ロクは、丁度腹が減ってきた事もあり、早速アゼーレ仕込みの鶏肉のサンドにかぶりつく。


「……ん? どうした?」


 リコベルは、何故か食べるのをじっと見つめてくる。


「へっ? ああ、別に……なんでもないよ」


 相変わらずよくわからん奴だと思い食事を済ませると、わんぱくな瞳を輝かせながら、赤髪の男の子が近づいてくるのに気付いた。


「なあ、いちりゅー。これは、なんて石だ?」


 テッドは棚に置いてある鉱石を無造作に掴んで、ロクの目の前に突き出した。


「それは、トパーズだ」

「おおっ! トパーズかっ。これは剣になるか?」

「いや、剣にはならんな」

「剣にはなんないかぁ。でも、かっけえな……こっちのはなんだ?」


 テッドは、次々に棚にある鉱石に無垢な興味を向けていく。


「テっ、テッドだめだよっ。勝手に触ったらっ。すっごく高いのもあるんだよ、きっと」


 鉱石をぞんざいに扱うテッドを遠目に見ていたウィズが、とうとう我慢できなくなって止めに来た。


「いや、ここにあるのは大したものじゃない」

「そっ、そうなんですか……」


 ウィズは、それを聞いて、何故か少し考えこむような仕草をする。


「あっ、あのっ、これは、なんていう鉱石ですか?」


 ウィズは乙女チックな女の子だ。綺麗な石に興味があるのだろう。ロクの許容する雰囲気に安心したのか、便乗して訊いてくる。


「それはクォーツだ。占い師がそれで未来を見ることもあるらしい」

「わぁ~。未来かぁ……」


 ウィズは、透明なそれを矯めつ眇めつ眺める。


「なんだよウィズっ。俺がいちりゅーに聞いてたのに、割り込むなよなっ」

「えへへ。気になっちゃって」


 ウィズは誤魔化すように、少しはにかんだ。


 その楽しげな雰囲気に、周りのこどもたちも次第に集まってくる。職人は寡黙な強面が多く、こどもに仕事の話をするような事はまずない。


 つまり、こどもたちは、鉱石や鉱物がなんとなく生活の中にあるのだが、それがどういった物なのか知る機会がほとんど無いのだ。


 ロクを囲むように、こどもたちが集まり、質問攻めが続いていく。


 アビスは、他のこどもの倍くらいの量をもぐもぐと食べながら、その様子をじっと見つめていた。


 ロクが、他のこどもたちに囲まれて、楽しげにしている。アビスの目には、そう映っていた。


 何故だろう。理由はまったくわからないが、胸の奥がふわふわしてくる。何かが差し迫ってくるような、何かを今すぐ何とかしなくてはならないような、曖昧な感情がせり上がってくる。


 アビスは、残りのパンを一気に詰め込んで、栗鼠のようなぱんぱんのほっぺで考える。


 不意に、ひとつの想像が頭の中に浮かんできた。


 テッドとウィズが、アビス以上に材料の仕込みができるようになり、ロクが二人を褒めて嬉しそうにしている。そして、それぞれの頭をぐりぐりと撫でて、アビスを置いて麦のシッポ亭に行ってしまうのだ。


 そんな映像が、アビスの頭の中でぐるぐると回り出した。


 アビスは、言い様がない焦りと不安を抱き、気が付いたら、ロクたちの方に小走りで向かっていた。


「おおっ。これはかっこいいな。ルビーか。俺みたいな熱い男にぴったりだなっ!」


 相変わらずテッドは、ロクに鉱石の質問攻めを続けている。


「じゃあさ、こっちの青いのは――」


 次の鉱石を掴んだ時、アビスはテッドとロクの間に割り込んでいた。


「あっ、あああのっ!」

「なんだよ、アビスっ。今いいところなんだからっ」

「あのっ! ロクは……材料屋でいそがしいので、ここまでにすると……いいかも」


 アビスは、ロクを隠すかのように、その小さな両手をいっぱいに広げる。


「そうなのか? いちりゅー」

「いや、明日は休みだから別に――」

「いそがしいのでっ!!」

「あ、ああ」


 アビスの、その鬼気迫る表情に、ロクも思わず気圧されてしまった。


 その雰囲気に、ウィズだけがなんとなくアビスの心情を察していた。


「そっ、そうだよね~。ロクさんはいちりゅーだもん。それにほらっ。もう休み時間終わりだよ?」 


 ウィズが、そう切り出した瞬間、店の外から大きな音が聞こえた。


 店に居る者すべてが、その意識を扉の方へと向ける。


「あっ、まさかっ!」


 丁度、扉の近くに居たリコベルが、何かを察して店を飛び出していく。


「あ~あ~っ。だから言ったじゃんっ。この荷車もう限界だってっ」

「いや~、まだ持つと思ったんだけどなぁっ」


 なんてことはない。北区の商人の荷車が、ちょうどロクの店の前で壊れたらしかった。


「あ~、あんたたちは自習してて。ちょっと時間かかるわっ。ロク、悪いけど少し手伝って」

「ああ」


 リコベルは、こどもたちに告げると、ロクを伴って再び外へ出て行ってしまった。


 自習自体はよくある事なのか、こどもたちは慣れた様子で、それぞれの勉強を始める。


「ウィズ。じしゅーってなに?」


 アビスは、よくわからなかった。


「自習っていうのはね。自分でこれ勉強したいっていうのをやっていいってことだよ」

「べんきょーしたいこと?」

「うん。文字でも、数でも、なんでもいいんだよ」

「あれもいいの?」


 アビスは、言って店の箒で素振りを始めるテッドを指さす。


「う~ん。テッドはおバカさんだから、しょーがないね」

「ほむらしきっ! てやぁっ」


 テッドは、狭い店内で剣に見立てた箒を振り回し始める。


「テッド、みんなの邪魔になるから座ってお勉強しようよぉ」

「何言ってんだウィズっ。俺はすっげえ冒険者になって世界の秘密を解き明かすんだから、強くなんないとだろっ!」

「で、でも、その秘密は難しい文字で書かれてるかもだよ?」

「じゃあ、それはウィズが読んでくれよ……たぁっ」

「……もぉ。アビスちゃん、テッドは気にしないでいいからね」

「わかったっ。好きなのやってみるっ」


 その後は、テッドが昼寝をし始めた事もあって、店内に静かな時間が流れていく。


 少しして、文字の読み書きが一段落したウィズは、隣のアビスがやっている事に目を向けてみた。


 途中で、隣から何やらつぶやく声が聞こえたりして、少し気にはなっていたのだ。


 アビスは、ぼろぼろの古紙の束を見ながら、それを書き写しているようだった。


 ウィズは、そんな教本あったかな、と首を傾げる。


 アビスの手元の紙に目を向けると、とてもこどもが書き写したとは思えない精度の、不思議な図形が描かれていた。


「わぁっ。アビスちゃん、すっごく上手だねっ」

「っ!?」


 ウィズが何気なく声をかけると、アビスはびくっと体を跳ねさせるほど驚いた。


「びっ、びっくりした。ウィズ、急にお話したらびっくりしますので……」


 アビスは尻尾をぱんぱんに膨らませて、目をまん丸にする。


「ごっ、ごめんね。そんなにびっくりするなんて思わなくて……それ、何描いてたの?」

「これは帰る場所なの。これとおんなじに描くのがすごくむずかしい」


 ウィズは、アビスが言っていることがよくわからなかった。


 アビスが、ぱらぱらと古紙をめくって見せてくれたそこには、何も描かれていなかったからだ。


「でも、ここは明るいからたすかる。ずっと、お月さまの光だけだったから」

「そ、そうなんだぁ……」


 やっぱり、ウィズには、アビスの言っていることがよくわからなかった。


「はっ!?」


 ウィズが疑問を口にしようとしたところで、突如アビスが何かを思い出したかのように驚きの表情を見せた。


「どうしたの?」

「わすれてた。これは、誰にもないしょだった。ウィズ、これ……ないしょなのっ。しーっ。いい?」

「う、うん。わかった」


 ウィズは、そういうごっこ遊びなのだろうと勝手に思って、特に気に留めることはなかった。


 幼いこどもの言動というのは、支離滅裂なものである。


 その後も自習の時間は続いていき、こどもたちの集中力は頂点に達していた。


 アビスが徐ろに手を触れた古紙が、すっと虚空へ消えていった事に、誰も気付くことがないほどに。


 その後、しばらくしてリコベルとロクは店へと戻り、何事もなかったかのように、材料屋での臨時学校は終わりを告げたのだった。

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