第15話 魔導士は幼女にぺしぺしされる。
心地よい風が頬を撫で、思わず欠伸が漏れる正午前のこと。荷車を引くロクの視線の先では、黒い狼尻尾がひょこひょこと揺れていた。
耳を澄ませば「ふんふふーん」と、小さく楽しげな鼻唄が聞こえてくる。
もちろん、そのごきげんな奴の正体はアビスだ。
今ロクたちは、材料採取のため、街から少し離れた西の森へと向かっていた。
「おい、あんまり先に行くなっ」
この辺りは魔物が出る区域ではないが、野生の動物だって十分に危険がある。アビスくらいのこどもならば、イノシシに突撃されただけでも大惨事だ。
だが、そんな心配などよそに、アビスは歩く速度を落とし隣に来ると、ふふふ、と不敵な笑みを浮かべる。
「ん?」
変なものでも拾い食いしたかと邪推していると、アビスは口の端からちんまい犬歯をちろりと覗かせた。
「へーき。だって、あびすは狼だから」
「……」
アビスは、必死に怖がらせるような表情を作ってはいるが、どう見ても愛嬌しか感じられない。
馬鹿にしているのか、驚かせようとしているのか判断に困るが、恐らくは後者なのだろう。
ロクは感情の無い目で一瞥して、素っ気なく「そうか」と返した。
「むぅ~っ! アビスは狼なのっ!」
ぺしぺし。
アビスはその反応が不満だったのか、ぷうっと頬を膨らませて、横を歩くロクのふくらはぎを尻尾で叩いた。
良い返しが思いつかず、困ったように片眉を釣り上げると、不意に誰かが後ろから声をかけてきた。
「あれっ? お二人さん、奇遇だねっ」
その声に振り返ると、そこには赤髪の女冒険者の姿があった。
「なんだ? これからダンジョンか?」
「うん。たまには、ゆっくり行こうと思ってさ」
お気楽なやつだ。ロクがそう思うと同時に、隣を歩くアビスがリコベルに向かって駆け出した。
「リコっ!」
「あびすちゃんっ!」
リコベルは、アビスの頭を撫で回した後、ほっぺをぷにぷにしたり、尻尾に頬ずりしたりと、相変わらずやりたい放題だ。
ロクは、その光景を色々な感情がこもった目で見つめて、低く唸る。
あの場に居るのがリコベルではなく、自分だったらどうだろうか。そんな想像をして、二人のじゃれ合いが終わるまで、手をわきわきさせながら疑似体験しておいた。
「ここから先は、野犬が出るかも知れないから気を付けてね」
リコベルは、ひとしきりもふもふを堪能すると、少し心配するような眼差しを向けた。
「ああ。野犬くらいなら大丈夫だ」
二人のやり取りを聞いた後で、アビスは何かを思い出したように、はっと表情を変えた。
「アビスちゃん、怖いのが出たらすぐにロクの後ろに隠れるんだよ?」
リコベルの忠告を聞くと、アビスは再びふふふ、と不敵な笑みを浮かべた。
「うん? どうしたの?」
「……リコ。あびすは狼だから、まものが出てもこわくないの。あびすはもっとこわくてつよい狼だから」
アビスは良い相手を見つけたとばかりに、さっきと同じように口の端からちんまい犬歯を覗かせた。
「わぁっ! こわ~いっ! 狼さん、私を襲わないでねっ!!」
リコベルは、あっさりとそれに乗った。
「おそわない。あびすはいい狼だから」
「ありがとうっ! 怖いけど、かっこいい狼さんなんだね」
「そうなの」
アビスは、したり顔でちらりとこちらを見てくる。
付き合ってられるか。
ロクは、二人のやり取りに呆れて、荷車を引く手に力を込めた。
最近のアビスは良く喋る。元々、話すのが好きなのかもしれない。出会った頃はロクの無愛想な雰囲気にびくびくしていたが、今では二人で居る時も、暇さえあれば口を開いている気がする。
何より、ロクがここのところ、アビスの引取先探しを行っていないのも大きな要因なのかもしれない。
「そう言えば、今日はいつもの片割れは居ないのか?」
ロクは、幻獣騒ぎの一件以来、カヤに対して少し構えている。無論、街で自分の能力を知る唯一の存在だからだ。
「うん。今日は現地集合だから……って、なに? なんでカヤ? 紹介した事あったっけ?」
「いや、特に理由はないが……」
「ふ~ん、ふぅ~んっ」
リコベルは不満そうに、下から覗きこむような視線を向けてくる。
「なんだよ?」
「べっ、別になんでもないけどっ」
よくわからん奴だ。
リコベルの言動を怪訝に思っていると、不意にアビスが口を開いた。
「リコっ。あそこっ! 何か居る?」
アビスが指さしたのは、小高い場所にある草むらで、確かにその辺りはガサガサと揺れていた。
三人の意識が一気にそこへと向かう。
「……なんだろ? うさぎかなぁ」
「うさぎっ!?」
アビスは、それを聞いた途端、目を輝かせて走りだしてしまった。
「ちょっ、アビスちゃんっ!」
リコベルは、早計な失言だったと思い、その後を追っていく。
うさぎが居るかもしれない。アビスは、ガサガサと動く茂みの真下まで来て、わくわくしながら、そこを見上げていた。
ややあって。
――ボスン。
突如目の前に、上から何かが落ちてきた。
「ひっ」
アビスは小さく悲鳴を上げ、ぴゃーっと戻ってきてリコベルの後ろに隠れてしまった。
「あー、マウンテンワームかぁ」
リコベルは、何でもないかのように言って、ぴったりとくっつくアビスの頭をわしわしと撫でる。
そいつは、可愛らしいうさぎとは似ても似つかぬ巨大なミミズだった。
先端には牙を有した大きな口が付いていて、一見すると凶暴な魔物にも見える。その外見のせいか、ギルドでも稀に討伐依頼があるが、依頼主を説得して放置させるケースが多い。
何故なら、マウンテンワームは人を襲うことは無く、その土地を肥やし、豊かにする能力を持っているからだ。
だが、人を襲わないとわかっていても、その見た目は醜悪な化物である。
「あ~怖いな~。かっこいい狼さん助けてくれないかなぁ~」
「ああっ! だめっ! 押さないでっ! リコっ!?」
「あれぇ~? アビスちゃんは強い狼なんだよね?」
「ち、ちがった。あびすつよくなかった! あいつ、もっとつよい……ああっ、押しちゃだめなのっ!!」
「えっ!? ちょ、アビスちゃっ――」
「わぁっ!?」
アビスとリコベルは、ふざけあってもみ合いのような状態になり、マウンテンワームの目の前につんのめってしまった。
「シャーっ!!」
身の危険を感じたマウンテンワームが、牙をむき出しにしてアビスたちを威嚇する。
「「きゃーっ!!」」
そのおぞましさに、リコベルも思わず町娘のような叫び声をあげる。
まったくもって呑気で、どうしようもないほど平凡な日常だ。
ロクは、その一部始終を後ろから見て、何やってんだあいつらは、と肩をすくめたのだった。
「んじゃ、私はこっちだから、また夜にねん」
「ああ」
「リコ、がんばってね」
分かれ道に差し掛かったところで、ダンジョンと採取場所が反対方向だったため、そこでリコベルとは別れた。
こちらの目的地も、もうじきだ。
そう思って、ぐっと荷車を引くと、何故か荷台が重くなっている事に気付いた。
ロクは、首を傾げながら後ろを振り返ってみる。
何の事はない、アビスがちゃっかり荷台に乗っていた。
「ん」
ロクは少しだけ不満を表すが、アビスはにこっと微笑むだけだった。
最近は、アビスに対して「まあ、いいか」と、うやむやにすることが増えてきている。
そして、そんな自分を戒める事も、これから先を考える事からさえも、逃げるようになってきていた。
そんなことが許される筈ないと、わかっていても……。
「ここ?」
「……そうだな」
山道を抜けると、背の高い木々に囲まれた平地にたどり着いた。
辺りには、既に幾人かの同業者が採取をしている姿が見られる。
ここは、元々魔物が生息していた為、冒険者以外は立ち入る事ができなかった場所だ。
だが、冒険者の功労もあってか、最近になって一般に開放されるようになり、ロクもここへ来るのは今日が初めてだった。
ロクは、他の材料屋から少し離れた場所に荷台を停める。
植物などの分布図を見ながら、採取の計画を立てていると、不意にアビスが荷台からひょいと飛び降りた。
「ここの採取は難しい。終わるまで待っててくれ」
ロクは、お手伝いの雰囲気を纏った幼女を見て、先にそう釘を刺しておいた。
「……わかった」
これから採取するサーベルキノコは、傘より下が鋭利な刃物のようになっていて、アビスに手伝わせるのは憚られたのだ。
ロクは、早速茂みに入っていって、目を凝らしてみる。
樹の根元には、小指の爪ほどの小さな傘のキノコがびっしり生えていて、一見すると、全部同じ物に見える。
だが、中には紛い物も一緒に生息しているので、どれだけ早く正確に選別できるかが、材料屋としての腕の見せどころなのだ。
ロクは、皮の手袋を付けて採取に集中していく。
その雰囲気を察して、お手伝い幼女は行動を開始することにした。
勝手に手伝う気満々である。
もっと役に立ちたい。この間のように、ロクに凄いと褒めてもらいたい。
アビスは、自分がやった採取に、ロクが驚くところを想像して、尻尾をゆらゆらさせる。
がんばろう。俄然やる気が出てきた。
アビスは、ロクが採っているキノコをじっと見つめる。
色と形が、アビスの頭の中に詳細に記憶されていく。
わかった。多分できる。
アビスは、ふむむん、と腕まくりをして、ロクの目を忍んで茂みに入っていく。
視界に映る樹の根元からは、大小様々なキノコが生えていた。
集中して見てみる。
似たような色や大きさのキノコが幾つかある中で、段々とサーベルキノコだけが、アビスの目に映るようになってきた。
これだ。
アビスは、ドキドキしながらサーベルキノコを掴んだ。
「っ!?」
熱い。一瞬、そう思った。咄嗟にキノコから手を離して、違和感を感じた掌を見てみる。
そこには、スッと横に手の皮が切れた線が入っていて、次第に赤く滲んでいくのがわかった。
手を切ってしまった。
徐々に広がっていく痛みと、血が出てくるのを見て、アビスの目には涙が浮かんできた。
泣いたら駄目だ。アビスは、バレたら怒られると思い、ロクに背を向けたまま、こみ上げるものに必死に耐えていた。
だが、手で押さえていても次から次へと血が出てきてしまう。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
アビスは、どうすることもできずに、少し怖くなってきていた。
このまま、もしかしたら死んでしまうかもしれない。そう思うと、余計に怖くなってくる。
もちろん、そんな彼女のピンチに、その男が気付かない筈が無かった。
「なにやってんだ?」
「っ!?」
突如、背中に声をかけられ、アビスはびくっと体を強張らせた。
「へ、へーきっ……なので」
「見せてみろ」
ロクは、アビスの前に回りこんで、頑なに拒否する小さな手を無理矢理に開く。
「……っ」
「……大丈夫だ。大した怪我じゃない」
ロクは怒る前に、まずは怪我に不安がるアビスを安心させようと、ポーチから取り出した薬で血止めをした。
「待っていろと言っただろ」
次いで、少し怒った口調で言いながら、包帯で器用にアビスの手を巻いていく。
「……ごめんなさい」
「ああ」
ロクは、わざと冷たい声色で返事をする。
「ロク……怒ってる?」
「怒ってる。言うことを聞かなかったからな。あと少しだから、そこでじっとしていろ」
ロクは、アビスを荷台に座らせた後、残りの採取を進めていく。
だが背後からは、どんよりとした幼女の空気がひしひしと伝わってくる。
それから少しして、アビスの小さく呻くようなため息を聞いたところで、ロクは観念した。
採取の手を止めて、帰ってからやる予定だった、キノコの傘と下の部分を切り離していく作業を始め出す。
そして、大量のキノコの傘が入った木箱を、さりげなくアビスから見える位置に置いた。
「あ~、そうだ。これを三つずつにして袋に詰めるのが中々大変なんだった。誰かがやってくれると助かるんだが」
ロクは、棒読みで言ってちらりとアビスを見る。
「あびすができるっ!」
アビスは、名誉挽回のチャンスだと、尻尾をぱたぱたさせながら、荷台から降りて来た。
その後は、何事も無かったかのように、黙々と二人の作業が続いていく。
本来ならば、サーベルキノコを傘の部分だけで判別するのは不可能に近い。
ロクはおろか、アビス自身ですら気付いていなかった。
サーベルキノコを探していた時のアビスの瞳に、僅かだが稀有な魔力が込められていたことを。
そしてそれが、彼女の生い立ちに深く関わる重大な性質であることを、今はまだ誰も知る由もなかった。
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