第14話 魔導士は再会した幼女に棒を握らせる。
ロクは焦っていた。
職人との長話を終えて振り返ると、そこにちんまい奴が居なかったからだ。
ロクは間抜けな表情で辺りを見回したあと、最悪の事態を思い浮かべ、気付けば走りだしていた。
それから、どれくらいの時間を費やしたか。
こどもが行きそうな場所を想像しては、街中を駆けずり回ったが、一向に足取りすらつかめずにいた。
(ああ、くっそ。あの犬っころ、どこ行きやがった!?)
そろそろ陽も暮れる。エスタディアには、多くは無いが奴隷商だってあるのだ。
落ち着いて冷静に考えようとすると、解決策よりも嫌な予感ばかりが膨らんでいく。
途中からは、走っている理由がアビスを探すためなのか、不安をかき消すためなのか、よくわからなくなってきていた。
あの時、話しかけてきた職人を心底恨む。自分の注意不足を棚に上げて、そんな逆恨みも浮かんでくる。
夕暮れ時の中央区は、更なる賑わいを見せ始めていて、これでは闇雲に探しても埒が明かないと、とにかく一度店に戻ってみることにした。
犬の帰巣本能というのは案外バカに出来ないものだ。
辺りに気を払いながら北区に入り、僅かばかりの期待を胸に自身の店がある通りに入ると、見慣れた赤髪の少女が視界に映った。リコベルだ。
「お、おいっ、どこかで――」
アビスを見なかったか? そう言いかけたところで、リコベルの影から、ちょこんと黒い尻尾が顔を覗かしている事に気付いた。
そこで、ロクはようやく我に返り、頬をさすりながら怒っている表情を作る。
リコベルはそれを見て、笑いを堪えるのに必死だった。
今しがた、何とも情けない顔で息を切らしていたくせに、アビスが居る事に気付くやいなや、咄嗟に取り繕ろうように表情を変えたのだ。
「あー、事情は聞いたよ。たまたま北区で会ってさ。アビスちゃんも反省してるみたいだし、ね?」
「……勝手にどこか行って、ごめんなさい」
アビスは恐る恐るリコベルの影から出てくると、しょんぼりと獣耳を垂れさせながら頭を下げた。
「ああ、居なくなってたのか? まったく気付かなかった。いつもより仕事が捗って調子が良いとは思っていたがな」
ロクはこの期に及んで、気付いてなかった体でいく事にしたらしい。リコベルは大きく息を吸い込んで、こみ上げるものに耐える。
「……ロク、怒ってない?」
この茶番にアビスだけが気付いていなかった。
「何でお前が居なくなったくらいで俺が怒るんだ? これから明日の仕込みがある。早く中に入れ」
ロクは、バツが悪そうにリコベルに視線を送ると、頭をがしがしと掻いて、「今度埋め合わせはする」と小さくつぶやいたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ああ、それはこっちのと一緒にして大丈夫だ」
アビスは薬草の葉を言われた通りに、幾つも並べられた木箱の一つに詰め込む。
あれから、しゅんとする幼女に僅かばかりの説教をしたあと、小さな材料屋は仕込みの時間となっていた。
「これは……こっち?」
「……そうだな」
アビスは、ちょっとした手伝いくらいならできるようになっていた。
ロクから見ても、アビスはかなり器用と言える。北の生まれだからなのか非常に眼も良く、熟練の材料屋でも難しい薬草の選別も難なくこなしてしまう。
「今日は鉱石の選別もやってみるか?」
ロクは、あらかた薬草の仕分けを終えたアビスをちらりと見て、切り出してみる。
「やってみたい」
「じゃあ、ここに座れ」
アビスは思ったより賢い。教える方としても、覚えが良く器用で素直とくれば、教え甲斐があるというものだ。
隣に座って、にこっと見上げてくる幼女を見て、一瞬ロクの心が重たくなる。
もちろん、これを教える理由は引取先で重宝されるようにだ。
ロクは、絡みついてくる不快な感情をそんな言い訳で打ち払い、大きな麻袋から鉱石を取り出した。
「いいか? この赤いのがガーネット。冒険者がお守りとして好んで持つ。それで、こっちの青いのがラピスラズリ。病を恐れる老いた貴族連中に人気がある」
幾つかの鉱石を取り出して、一つずつ説明していく。
アビスは元々、鉱石に興味があったらしく、真剣な面持ちでうんうん、と頷いている。
「最後にこいつがエメラルドだ。色恋に効くらしく、教会が魔性の石だと嫌う事もあるが、それが逆に信憑性を持たせてしまってな。まあ、若い女が好む傾向がある」
アビスは、色や形の特徴以外はほとんどわからなかったが、最後の緑色の石はリコベルが持っていた事を思い出した。
その後、まがい物との見分け方や、注意点などを教えたあと、幾つかの鉱石が混ざった麻袋をアビスの目の前に置いた。
材料の仕分けというのは、こどもからすれば遊び感覚なのだろう。アビスは、あっという間に、作業に集中し始める。
ロクも作業に没頭し、このまま静かな時間が流れる筈だったのだが、鉱石の仕分けを半分ほど済ませたところで、アビスが口を開いた。
「ロク……あくまつきってなに?」
「ん?」
突然のアビスの問いかけに、ロクの手がぴたりと止まる。
「あびすにさわるとのろわれる? あびすといっしょに居るとふこーになる?」
堰が切れたかのように、アビスの口から矢継ぎ早に言葉が溢れ出す。
アビスは、少年たちに言われた事をずっと気にしていた。
確かにロクはいつも自分の引取先を探しているし、触れないように避ける素振りを見せる時もある。
アビスは不安だったのだ。
ロクは突然の問いに低く唸ると、徐ろに立ち上がりアビスに歩み寄る。
「っ!?」
ロクはアビスの狼耳を優しく掴むと、無表情のまま、ぴこぴこと動かし始めた。アビスは、少しくすぐったそうに身じろぐ。
「お前ごときに呪われてたまるかっ」
「あぅっ」
アビスは鼻先を指で、ぴんっと弾かれた。
「なにかあったのか?」
「ううん、なにもない。なにもありませんのでっ」
「なんだそりゃ」
ロクが、怪訝そうな顔をして再び作業に戻ったのを見て、アビスは段々とドキドキしてきた。
その話をした事で、テッドの言葉が思い出されたからだ。
リコベルにも、ロクにも内緒。
嘘を付いているような罪悪感が、アビスの小さな体いっぱいに溢れていく。
商会のおとなが来たらどうしよう。
そんな不安が大きくなり、アビスの鉱石を仕分ける手はぴたりと止まっていた。
アビスは嘘が上手くない。バレてしまって、ロクのお店を追い出されるのは嫌だし、お店が潰されてしまうのはもっと嫌だった。
どうかこのまま誰も来ないでください、とアビスは願う。
心ここにあらずのアビスに気付いたロクが、声をかけようとしたその時。
部屋の中に、少し強めのノック音が響いた。
「んひっ!?」
アビスは小さく悲鳴のような声を漏らして、びくっと跳ね上がる。
「誰だ? こんな時間に」
ロクは気怠そうにのそっと立ち上がり、ドアに手を伸ばす。
すると、アビスがシャツの裾をぎゅっと掴んできた。
「あ、あ……あのっ」
アビスはどうしたら良いのかもわからず、とにかく何かを言おうと思ったが、ロクの手は、ほぼ同時にドアを開けてしまっていた。
「わたくし、リーデ商会に属する商人の妻ですが、おたくのところの……その亜人が、うちのこどもに怪我をさせたんですっ! 無抵抗の人間に暴力を振るうなんて、悪魔の所業ですわよっ! わたくし、その亜人を魔人裁判にかけようと思っていますので、こちらに引き渡してもらえますわよねっ?」
凄い剣幕で怒鳴りこんできたのは、高そうな衣服に身を包んだ膨よかな貴婦人だった。背後には数人の鎧を纏った護衛の姿も見える。
ロクは、色々と突っ込みどころがあるなと思ったが、とりあえずは隣に居るちっこい奴に目を向けた。
アビスは、人生終わりました、とでも言わんばかりの表情のまま、殴られるとでも思っているのか、ぐぎぎぎ、と歯を食いしばっている。
そもそも、こいつが理由もなくそんなことをする筈がない。ロクは、アビスを見ながらどうしたものかと考えていると、不思議と少し腹が立っている自分に気付いた。
(こいつがこんな顔するなんてな……いや、こんな顔させてるのはっ)
ロクの中で静かに、だが確かな怒りの炎が灯る。
「どうなんですっ? 悪魔憑きを庇い立てすれば、あなたも同罪ですわよっ!!」
なるほど、とロクの中で先ほどのアビスの問いに得心が行く。
新しくできた商会のこどもたちが、北区でちらほら見られるから関わらないようにしろよ、と職人たちからも言われていたのだ。
「いや、ちょっと待ってください……とにかく、詳しくお聞かせ願えますか?」
ロクは、ガミガミとしゃべり始める貴婦人の言葉を聞き流しながら、リーデ商会ね、と記憶のページをめくっていく。
元魔導士という特性上、ロクは様々な事情に精通していた。例えば、どこの商会が、どのような不正をしているかなどだ。
「わかりました。少し、おとなだけで話をしましょう」
「ふんっ。構いませんけど、さっさと終わらせてくれるかしら?」
「ええ……もちろん」
ロクは、「中で待ってろ」とアビスに告げ、扉を閉めてしまった。
騒がしかった貴婦人が外へ出た事で、店の中がしんと静まり返る。
部屋の中に一人取り残されたアビスは、血の気が引いていくのを感じていた。
(ど、どおしよぉ……。ロクのお店ちっちゃいから、やっぱりつぶされちゃうんだ……あびすがいっぱい怒られれば許してもらえないかな?)
アビスは責任感で押しつぶされそうになりながら、狭い室内をうろうろと行ったり来たりする。
いつか材料屋としての仕事を全部覚えて、ロクに「アビスが居ると楽だなぁ」と言ってもらうのがささやかな夢だった。
これでは、恩を仇で返すようなものだ。ロクの店が自分のせいで潰されたら、リコベルにも愛想を尽かされるに決まっている。
アビスの思考は悪い方へ悪い方へと流れていき、腹の底がきゅうっと締め付けられるような感覚が続いた。
結局、良い考えが浮かばないまま、がちゃりとドアが開いて、ひどく疲れた顔をしたロクが戻ってきた。表情から察するに、良くないことがあったのが見て取れる。
もう、おしまいだ。
「おい――」
呆けた顔をしたアビスに、ロクが声をかけた瞬間。
アビスの双眸から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれた。
「っ!?」
ロクは一瞬、意味がわからず唖然とする。
「ごっ、ごめんなざいぃ~。あびすのせいで、お店なぐなっちゃう~っ。あびすないしょにしてだの~っ」
「はっ? なにいって――」
「ロクのおみぜちぃざいからっ。ロクのおみせ、ちいさぃからぁ~っ。なぐなっちゃうよぉ~っ」
アビスはわんわんと声を上げて大泣きする。
「い、いや、落ち着け。何でそうなる? 確かに俺の店は小さいが……無くならん。その、お前らの喧嘩の事も話し合いで解決したから。店はなくなんねえんだ」
「……ほんと?」
アビスはそれを聞いて、嗚咽まじりだが少し涙が止まる。
「ああ、本当だ。こどもの喧嘩で店がなくなってたまるか」
「で、でも、あびすは追い出される?」
「なに? なんでそうなるんだよ?」
「だ、だって、あびすが悪いことになって、怒られるって。追い出されるから、ないしょだってっ」
アビスから出たその言葉に、ロクは眉間にシワを寄せた。
「何言ってんだ? 俺はお前を信じるに決まってるだろっ!」
「……っ!?」
…………あっ。
ロクは、素で言ってしまってから、それが失言だと気付き、撤回しなければと思考を巡らす。
だが、これ以上泣かれても困る。
ぴたりと泣き止んだアビスを見て、後で訂正すればいいかと思ったのだが。
「うわぁーんっ」
何故か泣き止んだ筈のアビスが、ロクの言葉のあとで余計に泣きだしてしまった。
「えっ!? なんだ? どうした? くそっ、意味がわからん」
アビスは、嬉しかったのだ。
さっきは自分のせいで店が無くなると思って、不安で、悲しくて、申し訳なくて出た涙だった。
今泣いてしまっているのは、ロクが、自分を信じてくれるなんて思わなくて、あんな事を言ってくれるなんて思ってなくて、嬉しくて出た涙だった。
そんな事とは露ほども知らないロクは、あたふたとしながら、街で買った包みを漁りだす。
「ほら。いいもんあったぞ」
「うわぁーん」
ロクは、どうしたら良いのかわからず、仕込みが終わったあとで渡そうと思っていた棒付きの飴を、泣き続けるアビスの手に握らせたのだった。
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