第10話 魔導士は残り時間を再確認する。
北区の狭い通りを荷車が行く。
荷台を引くのは、目付きの悪い無愛想な青年であった。少し長めの焦げ茶色の髪に、少年の面影を残す整った容貌は、密かに街娘の目を惹いていたりする。
だが、そんな視線にこの朴念仁が気付く筈もなく、相も変わらず女っ気といえば、荷台に積んだ黒い尻尾の持ち主くらいなものだ。
そいつを肩越しにちらりと見てみると、何故か酒場の看板娘のように、腕まくりをしていた。
ロクは、首を傾げながら荷車を店に横付けする。
夕日に目を細めながら、いつも通り採取物を降ろしていくと、視界の端におかしなものが映った。
それを見て、ロクの作業の手が止まる。
隣でちんまい奴がぷるぷると震えていたからだ。
そいつは、「ふむむん」と鼻息荒く採取物の詰まった麻袋を持ち上げると、ふらつきながら店の中へ運んで行ってしまった。
そして、再び荷台へ戻ってくると、自分で持てそうな物を選んでは、使命感に満ちた表情でそれを持ち上げている。
そういえば今日の採取中も、ロクが摘んだ薬草を入れやすいように、ずっと麻袋の口を開いていたりした。
ロクは何を言うでもなく、せっせと働くアビスを見て、どうしたものかと逡巡する。
早く終わるからいいか。
結果、そんな適当な答えを出して、彼女のお手伝いを受け入れてしまった。
先日行った引取先候補の村で、アビスが自分をかばった一件以来、保つべき関係性が、なあなあになり始めている気がする。
違う。これは、こき使っているだけだ。ロクは、不意に浮かんでくる感情に、そんな言い訳をして最後の麻袋を店に運び入れた。
「これで全部だ。仕込みが終わるまで、本でも読んどけ」
「うんっ」
アビスは、いつもの背もたれ付きの椅子に腰掛け、膝の上で絵本を広げる。
ロクは早速作業に取り掛かり、その後は互いに口を開くことはなく、小さな材料屋にしばしの静寂が流れた。
黙々と作業を続けてどれくらいが経過したか。ロクは今日の仕込みの中で、最も難しい薬草の選別に入ろうとしていた。
しかし、手を伸ばした先には、そこにある筈の麻袋が無かった。
辺りを見回すと、にこにこしながらロクを見つめるアビスが視界に入った。そして、彼女の手元には、薬草が入った二つの箱と、空っぽになった麻袋がある。
勝手に材料に触るなと何度も言った筈だ。ロクは、こどものいたずらに向けるような目でそれを見て驚愕した。
仕分けが出来ている。
しかも、その薬草は熟練の材料屋でも難しいと言われている、微妙な色と質感で見分けるしか無いものだった。
「これ……お前がやったのか?」
「おんなじのでわけた」
アビスは、褒めてほしそうに尻尾をそわそわと揺らしている。
「……よくできたな」
ロクの口から、思わずそんな言葉がこぼれる。純粋に凄い。ロクは感心しながら、箱の中身をじっくりと確認する。
偶然では無さそうだ。ロクは、低く唸りながらアビスを普段とは違う顔で見る。
「も、もっかいやる?」
アビスはあまりの嬉しさから得意になって、せっかく仕分けた薬草を混ぜようとする。
「いや、待て待てっ。大丈夫だっ」
ロクは、すんでのところでアビスを制した。
「今日の分が丁度それで終わりなんだ。薬草の仕分けは、また今度頼む」
「わかったっ!」
アビスは、ロクの役に立てるのが嬉しくて、満面の笑みで返事をした。
薬草や山菜は、小さな集落では家計の肝だったりする。目利きができれば、引取先に喜ばれるかもしれない。
ロクは、そんな言い訳じみた考えで自身を正当化しながら、仕事道具と仕込みの終わった材料を端に寄せた。
そろそろ、街の酒場が活気づき、こどもの腹が鳴り始める時間だ。
「飯にするか」
「うんっ」
ロクは、嬉しそうなアビスを横目に商品陳列用の台と椅子を二つ並べる。
今日は、リコベルが泊まりの仕事ということだったので、中央区の屋台で夕食を買っておいたのだ。
小麦のパンに羊肉を挟んだものや、魚や貝類を串に刺した焼き物なんかがメインだろうか。
大小様々な包みを台の上に並べていく。
気の赴くまま適当に購入したので、種類も数もバラバラだ。
尻尾をそわそわとさせる腹ペコ幼女に目配せをし、それぞれに料理の包みを剥がしていく。
すると、胃袋をくすぐる香りを伴って、ほくほくと湯気が立ち昇った。
屋台で買った時と、何ら変わらぬ状態なのは、魔導布と呼ばれる、高い保温能力を持つ魔導具を被せておいたおかげだろう。
「何か食いたいのあるか?」
今にもよだれを垂らしそうなアビスに、好きなのを選ばせてやる。
「……こ、これがいい」
「あとは?」
「……」
遠慮しているのか、パンを一つ指さすだけで、これ以上はとんでもない、と言った風に首を横に振った。
「俺は、こんなに一人で食えん」
ロクは、幾つかの串などをアビスの前に寄せてやった。
「んじゃ、食うか」
「うんっ! いただきますっ」
アビスはこの世の楽園を見たように目を輝かせ、見ていて気持ちが良いほどガツガツ食べ始める。
ロクも、コリコリとした食感が癖になる貝の串を肴に、薄めた葡萄酒をぐっと流し込んだ。同時に腹の底に落ちたのは、消化できない幾つかの想いだったかもしれない。
しばらくして、自分の分を平らげたアビスは、ロクが手を付けていないサンドイッチを見つめていた。
「……ん? これも食うか?」
こどもというのは、自分のではない、人の食べ物を欲しがるものだ。ロクは、「じーっ」っと音が聞こえそうな視線に気付き、アビスに鶏肉とチーズのサンドを差し出してやる。
アビスは、「やったーっ!」とでも言わんばかりに、無垢な笑顔をロクに向けた。
「たべるっ!」
アビスは、尻尾をぱたぱたとさせながら、そのサンドイッチを受け取ろうと手を伸ばしたところで、あることに気付いた。
ロクの手元には、数本の串と芋しかない。
これを自分が食べてしまったら、ロクのお腹が空いてしまうかもしれない。そう思うと、食欲よりも勝るものがこみ上げてきた。
大きく揺れていた尻尾も徐々に大人しくなっていく。
「どうした?」
ロクは、サンドイッチを差し出したままの形で首を傾げる。
「だいじょうぶ……だった。それは、ロクが食べるといいと思うので」
アビスは、出しかけていた手をおずおずと引っ込める。
ロクは怪訝に思い、自分の卓上とアビスが食べた量を見比べて、遠慮しているのだろうと察した。
「いや、俺はもう食えない。お前が食べてくれないのなら、捨ててしまわないとならないんだが……」
「じゃ、じゃあっ、あびすがっ!」
勢い良く言ってしまった後で、「あっ」と気まずそうに目を伏せ、アビスは恥ずかしそうにサンドイッチを受け取った。でも、ロクのお腹が空かないなら良かった。アビスは、気持ちよく大きなサンドイッチにかぶりつく。
ロクは、それを見ながら、亜人のこどもが食べる量を見誤っていたと、その認識を改めた。
その後は、それぞれに時間を過ごし、アビスは再び絵本を読み、ロクは更新された鉱石の分布図を広げ、といった具合に夜が更けていく。
少しして、種族も出自も異なる青年と幼女は、揃って大きな欠伸をした。ロクだけがそれに気付き、絵本に目を落とすアビスに声をかける。
「そろそろ寝るぞ。あとは上に行ってからにしろ」
「わかったっ」
アビスはぱたんと絵本を閉じて、梯子階段を登っていく。
ロクは、アビスが二階へ行ったのを確認すると、仕事用の服から着替えるため、徐ろに衣服を脱いだ。
意識せぬよう、さっと着替えるつもりだったが、それは否応無く視界に入り、急激に頭の中が冷えていくのを感じた。
肩にほど近い左の二の腕には、ロクだけが視認できる、奇怪な紋様の魔法印が刻まれている。
アビスと出会ってからだろうか。自身の残り時間を示す、この呪印から目を背けるようになっていたのは。
侵食が進んでいる。
魔法印から派生する複数の線が、まっすぐに下へと向かっており、半年の期間を経て肘の辺りまで伸びてきていた。
これが手首に達した時、魔導士一人の魂と引き換えに、魔神を元の偶像世界に帰す、禁忌の術式が発動する。
魔法印は、自身の魔力と大気中にある魔力粒子(マナ)を吸収し、術式発動に必要な力を蓄えていく。
半年で肘の辺りまでということは、手首に至るには、もう半年くらいはかかるだろうか。
魔法印を見つめていると、不意にとある女性の言葉が思い出される。
楽しいことでも探しなよ。
すべてから逃げておきながら、自分だけそのようなことなど。そこまで考えて、ふと頭に浮かんだのは、とても許容できるものではなかった。
楽しいこと。その言葉の後に、すぐアビスの笑顔が浮かんだ。
それが、楽しいこと。
その考えをバカなと打ち払い、これ以上おかしな事を考えてしまわぬよう、さっさと着替えを済ませた。
このままではいけない。
ロクは、今日一日の自身の振る舞いを反省しながら、梯子階段を登っていく。
……いつもと何かが違う。
二階の部屋を見た瞬間、その変わりように思考が停止した。目の前には、ベッドのシーツを敷き直す幼女の姿がある。
アビスは、ロクが下で物思いに耽っている間、ずっと寝室の片付けをしていたのだ。
脱ぎ散らかしていた衣服や、そこら中に放り出された書物が、綺麗にまとめられている。一方で、触れられると困る棚の辺りはそのままとなっていて、彼女なりの配慮が見て取れた。
「おそうじできたっ」
額に滲んだ汗を拭いながら、ちんまいそいつは、褒めてほしそうに尻尾を振っている。
今さっき、現実と向き合ったばかりだ。
ロクは、無言でアビスの横を通り過ぎると、どさっとベッドに横になる。
「余計なことはしなくていい。早く寝ろ」
ロクは、出来る限りの冷たい声色で拒絶を示す。
アビスの褒めてもらえるかも、という期待に満ちた表情が、次第に悲しげな雰囲気へ変貌していく。
アビスは、しばらく立ち尽くした後、とぼとぼと自身の寝床であるソファーへと進み、力なくぽてっと倒れこんだ。
ロクは背中一杯に、その哀愁ただよう雰囲気を感じていた。
「……さい」
ごめんなさい。多分、そう言ったのだろう。ロクは、とうとう耐え切れなくなる。
「ああ、でもシーツを綺麗にしてくれたおかげで、布団は気持ちがいい。部屋も凄く片付いたな。ごくろうさま」
ロクは、アビスに背を向けたまま、壁に向かって言葉を投げた。
――っ!?
喜んでもらえた。アビスは、一気に嬉しくなるが、寝入るロクを邪魔してはいけないと、感情を抑える。
でも、どうしても我慢しきれず、ソファーを二回だけ、ぽすぽすと尻尾が叩き、アビスは小声で、「どう、い・た・ま・し・て・」と呟いたのだった。
無論、ロクが眠れぬ夜を過ごしたのは言うまでもない。
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