第9話 魔導士は幼女の引取先に頭を悩ます。

  田畑で作業をする者達を横目に、荷馬車があぜ道を進んでいく。


 ロクは馬車の御者台で、ぼんやりと空を見上げていた。


 陽は高く、息を吸えば朝露に濡れた草木の香りが、肺いっぱいに広がっていく。


 今日の目的を忘れれば、本当に心地の良い陽気だった。


 荷馬車は、アビスの引取先探しの為、予め当たりを付けておいた、とある集落へ向かっている。移動手段がいつもの手押しではなく、たくましい雄馬なのもその為だ。


「……おきた」


 幌付きの荷台から、ひょこっと顔を出したのは、黒い獣耳を有した幼い女の子だった。街を出た時間が早かった為、荷台に寝かせておいたのだが、もう十分らしい。


「飲むか?」


 ロクは、ちゃぷちゃぷさせながら、アビスに水筒を見せる。


「うん。ありがと」


 アビスは御者台の隣にすとん、と座ると、ロクを見上げて嬉しそうに、ニコッと笑った。彼女の中では、ピクニックにでも来たような気分なのだろう。んくんくと、水を飲みながら、ゆっくり流れる景色に目を輝かせている。


 ロクは、そんな彼女を見て罪悪感を感じていた。


 アビスに今日の事は仕事だと言ってある。仮に、これから行く集落が、引取先として相応しかったとしても、すぐに引き渡すわけではない。あくまでも、候補の一つとして挙げておくだけだ。時間は無いが、どこでも良いというわけにもいかない。


 ロクは、慎重に事を進めようと思っている。


 なので彼女には、決まってから話せば良いと思っていた。内心は、引取先を探しに行くと伝えた時の、悲しそうな顔を見るのが嫌なだけなのかもしれないが。


 ロクは、隣に座っているアビスと触れ合わぬよう、なるべく端に身を寄せた。その暖かなぬくもりは、必ず決心を鈍らせる毒になる。ロクは恐れていた。


 そんなロクの想いなどお構いなしに、アビスは立ち上がったり、座ったりしながら、ぱたぱたと動く尻尾を無遠慮にぶつけてくる。


 こんな小さな女の子相手に何を恐れているのだ。ロクは自嘲気味にため息をつく。


 しばらく行くと、質素な住居が転々と立ち並ぶ、小さな村がすぐそこまで来ていた。


 聞いていた通りに、獣耳と尻尾を有した亜人が多く見られる。


 荷馬車を村の入り口まで進めると、自警団と思しき男二人が怪訝そうに近づいてきた。


「自分は、エスタディアで材料屋をやっている者なんだが……」


 ロクは御者台から降りて、軽く頭を下げる。さて、どう説明したものか。


「えっと――」

「ロクさんっ!?」


 ロクが言葉に迷っていると、向こうから若い男が、こちらに気付いて駆け寄ってきた。日焼けした肌に坊主頭がよく似合うこの青年は、エスタディアにある小さな商会との、村を代表した交渉役である。ロクも同じ商会に出入りすることが多く、自然と顔馴染みになっていたのだ。


「ああ、この人は商館での知り合いなんだ。大丈夫だから」


 青年に言われて、自警団の男たちは、ロクに会釈をすると、持ち場に戻っていった。


「あれ? そっちの子は?」


 青年は、ロクの隣に居る幼女に目を向ける。


「ああ、知人の子だ。少し預かっている」


 アビスは、おどおどしながら少し頭を下げた。


「そう……ですか。それで、今日はどうしたんですか? こんな辺鄙な場所に来るなんて」

「いや、仕事でたまたま近くを通りかかったんだが……よかったら村を見て回っても構わないだろうか?」


 ロクは、何度か青年から村の事を聞いていた。のどかで、こどもが多く、麦と工芸品により将来的な展望もある。そして、住人の半数以上が亜人という話だった。アビスの引取先候補としては十分な内容だ。


「村を……ですか?」


 青年は、一瞬商人の顔になり視線を宙に投げる。


「ああ、特に理由があるわけじゃない。興味本位ってやつだ」


 ロクは、いらぬ期待をさせぬよう付け足しておく。


「わかりました。どうぞ、好きに見ていってください。長には僕から話しておきます」


 青年は快く了承してくれた。村の工芸品を気に入ってくれれば新たな商売になるかも、と考えたのかもしれない。


 ロクは、青年に促されるまま中へと進み、村の空き地に荷馬車を置かせてもらった。


「すみません。僕が案内したいのは山々なんですが、まだ仕事が残ってまして……」


 青年は頭を掻いて、心底申し訳無さそうな顔をする。


「いや、こちらこそ忙しい時間に来てしまってすまない。勝手に見させてもらうよ」


 青年だけでは無く、村の中の大人たちは、それぞれの作業に追われている。


 ロクは、わざとこの忙しい時間を狙って来ていた。案内人に付かれると、村が見せたい部分だけをかい摘まれる可能性があるからだ。それでは意味が無い。


 本当は自分で案内したいのだろう。青年は、手にした帳簿を恨めしそうに睨んで、仕事へ戻っていった。


 さて、適当にぶらついてみるか。


 ロクはアビスを伴って、村の中を散策する。


 通りを歩いていると、村人たちから一瞥の雨を受けるが、これは亜人の多い集落では珍しくない光景だ。


 よそ者に対して閉鎖的というのは、危機管理能力の高さであり、村の連帯感の強さでもある。


 特に気にするでもなく村の中央広場に行くと、大きく翼を広げた鳥の銅像が目に付いた。立派な台座の上から、村全体を見渡しているそれは、ここに住む者たちが崇める神なのだろう。


 ロクもアビスも、その鳥を見上げて呆然と立ち尽くしていた。


 鳥を神として崇めることは珍しくない。だが、この神はその見た目に問題があった。両方の目が、それぞれあさっての方を向いており、クチバシからは舌がだらしなく出てしまっている。


 正直言って化物にしか見えない。教会関係者でなくても、つい密告してしまいそうな不気味さである。


「……ロク~」


 銅像を見上げていると、足元で誰かが呼んでくるので目を向けてみる。


 アビスが、目線を斜め上に投げて、口の端からぺろっと舌を出していた。察するに銅像の真似をしているのだろう。


 なんて畏れを知らないやつだ。ロクは何を言うでもなく、冷ややかな視線を送っておく。


 次に、家畜小屋を見てみることにした。


 鶏の声を頼りにふらふら歩いて行くと、すぐに辿り着いたのだが。


 あまり肥えていない豚と鶏が、広い柵の中で一緒に放たれている。見た感じ、あまり管理が行き届いているようには見えない。


「……くさい」


 アビスは、自身の尻尾を貴婦人の扇子のように使い、顔半分を覆い隠していた。確かにちょっと匂いがきつい。ロクは少し羨むように、アビスの尻尾を一瞥する。


 さて、次はどこを見ようかと考えていると、隣を歩く小さい奴の腹が鳴った。そう言えば、朝から何も食べていなかった事を思い出す。アビスに目を向けると、気まずそうに下を向いていた。


 少し早いが昼食にするか。ロクは、食堂へ行くことにした。


 食堂に着くと、既に数人の村人が食事をとっており、挨拶代わりに無遠慮な視線を向けられる。ロクはそれに目礼で返しつつ、適当なテーブルについたところで、あることに気付いた。外から来る者がいないせいか、メニュー表が見当たらない。


 ロクは、かえって好都合だと、村民が食べているのと同じものを注文する。


 頼んだ品が来るまでの間にと、飲み物をサービスしてもらった。この村特産のお茶と、りんごの煮汁で作ったジュースらしい。ジョッキは二つ。どちらも似たような黄金色をしている。当然、ロクはお茶のジョッキを手に取った。


 特産のお茶か。ロクは、特に期待するでもなく早速飲んでみる。


「……っ!?」

(なんだこれはっ?)


 凄まじく苦い。一瞬、毒かと思って吐き出しそうになった。それほどの衝撃である。


 そんなロクを不思議そうに見ていたアビスは、自身のりんごジュースが入ったジョッキを手にした。


「飲んでもいい?」


 アビスは、律儀にロクの確認を取る。そこで、ロクに僅かないたずら心が芽生えた。


「ちょっと待て。ジョッキを置いて、あれを見てみろ」


 ロクが指さすと、アビスは素直に背後を振り向く。


「……どれ?」


 目立った物が無く、アビスは、はてな顔だ。


「いや、何でもない。気のせいだったみたいだ。飲んでいいぞ」

「……?」


 アビスは、よくわからない、といった様子で小首を傾げる。


 だが、すぐに興味はりんごジュースに移ったようで、期待に満ちた顔でジョッキを口に運んだ。


 アビスの口の中いっぱいに、りんごのさわやかな甘みと酸味が……。


「……んーっ!?」


 広がらなかった。


 アビスは何故か、それを飲んだ途端、雷にでも打たれたかのように固まり、尻尾の毛をボンっと逆立たせた。


 ロクは、アビスが後ろを向いている間に、ジョッキをすり替えておいたのだ。


「どうした?」

「……なんでもない、へーき」


 意外と根性のある奴だ。ロクは感心する。アビスは、出された物に文句を言うなんてとんでもない、という精神から我慢しただけだった。


 口を半開きにしたまま、ぷるぷると震えるアビスを見て、ロクは堪えかねて種明かしをする。


「すまん。本当は、お前のはこっちなんだ。俺がさっきすり替えておいた」


 ロクは素直に謝ってジョッキを取り替えてやる。


「……どうして取り替えた?」


 アビスは不満気というより、純粋に理由がわからなかった。


「それ、すっごく苦かっただろ?」

「……苦かった」

「だから、お前がどんな反応するかと思ってな。すまん」

「……それだけ?」

「それだけだ」


 ロクは相変わらずの無表情で、きっぱりと言ってのける。


 アビスは、しばらく思案顔でいたが、そういう事もあるのかと、それ以上考えるのをやめて、甘いりんごジュースに舌鼓を打った。


 それから少しして、注文した品がテーブルに届いた。くず野菜のスープと、硬いライ麦パン、それに申し訳程度にヤギのチーズが添えられている。当たり前だが、麦のシッポ亭と比べると、明らかに見劣りする内容だ。


 だが、肝心なのは味だ。そう思って口に運んでみるが、塩を惜しんでいるのか味がうすく、お世辞にも美味いとは言えなかった。


 一方アビスは、誰に言われるでもなく、慣れた手付きで、硬いライ麦パンをちぎってスープの中に入れていた。もしかしたら、アビスが元暮らしていた集落では、こんな食事が普通だったのかもしれない。


 ロクは、なんとも言えない気持ちで、その味気ない食事を済ませた。


 食堂を後にしたロクは、一応工芸品も見ておこうと思い、道すがら村民に話を訊きながら工房へと向かっていく。


 すると、建物の影から数人のこどもが顔を見せた。


「ねえねえ、一緒に遊ぼ?」


 その中の一人が、無邪気な笑顔で声をかけてきた。アビスは確認を取るようにロクを見上げる。


「遊んでもらってこい」


 エスタディアでは、同年代のこどもと遊ぶ機会は少ない。ロクが背中を押してやると、アビスは恥ずかしそうにしながら、その輪の中に入っていった。


 ロクは、その様を見て、あるべき姿だと思う。


 さて、こっちはこっちで用を済まそう。


 こどもたちを見送り、工房へとやってきたロクは、作業中の男に声を掛けて、完成品を見せてもらうことにした。


 ロクは、手渡された見事なそれをじっくりと眺める。


 この村の工芸品は、近くで取れる琥珀を使ったアクセサリーだった。


 だが、工芸品というのは、先祖代々その地に受け継がれた技術の粋であり、大体良く出来ている物である。肝心なのは、むしろ価格設定の方だ。


「これは良い物だ。どのくらいで取引しているか聞いても?」

「はい。えーっと、確か……これは銀貨2枚だったと思います」


 男はなんでもないように答えるが、ロクは驚きを隠せなかった。あまりに安すぎる。それでは、琥珀をそのまま売った方が良いのでは? と、思えるほどだ。


 一度大口で買い付けされてしまえば、村はその金を当てにして財政を計画するようになる。そうなれば、売らないという選択肢は取れなくなり、商会が値上げ交渉に応じることはないだろう。この分ならば、麦の方も怪しいものだ。


 清貧潔癖な領主の意向か、或いは交渉役の能力不足のせいか。いずれにせよ、これから先、この村に経済的な余裕が生まれていくとは考え難い。


 工房をあとにしたロクは、通りを歩きながら、どうしたものかと頭を悩ましていた。アビスとは早く別れてやった方がいい。だが、できるだけ良い場所を探してやりたい。そんなジレンマを抱えながら歩いていると、建物の影から女性の怒鳴り声が聞こえてきた。


「~~って言ったでしょっ!!」

「だって、お姉ちゃんたちは――」

「あんたはうちの子じゃないんだから、我慢しなっ!」


 幼い女の子が、母親と思しき女性に叱られていた。察するに、女の子の方は孤児なのだろう。ロクの中で、容易にその姿はアビスと重なった。


 経済状況が悪ければ、誰かが割を食うはめになる。


 女性はロクと目が合うと、気まずそうに女の子を伴って家に入って行った。


 ダメだ。ここは、アビスの引取先としては相応しくない。ロクは、そう結論づけた。


 そうとなれば、いらぬ世話を焼かれぬ前に退散しよう。ロクは、アビスを探しながら来た道を戻っていく。


 確かこっちの方へ行った筈だ。こどもたちが歩いて行った方向を思い出しながら進んでいくと、井戸の辺りでこどもたちの寄り合いを見つけた。


「~~ちゃん、やめなよっ」

「なんでだよ? アビスを助けるためだろっ」


 微笑ましく遊んでいると思ったのだが、何やら剣呑な雰囲気だ。ロクは、そっと建物の影から覗いてみる。


「あいつは街の商人なんだろ? だったら、あいつとはなかよくするなっ!」

「そうだっ。街の商人はな、あくまだって父ちゃんが言ってたぞ」


 やはり、この村は街商人に対して嫌悪感を抱いている。そして、それはこどもにも伝染しているらしかった。


 アビスは押し黙ったまま、村のこどもたちを見回している。


 こども同士の関係というのは、存外馬鹿にできないものだ。ロクは、アビスがこの話に乗ったとしても攻めるつもりは無かった。


 だが、アビスは予想外の事を口にした。


「……じゃないもん」

「なに?」


 小さく口ごもった言葉に、一人の少年が聞き返す。


「ロクはあくまじゃないもんっ!」


 涙目で、ワンピースの裾を掴みながら、アビスは大声で言い放った。


「ロクはぬいぐるみ買ってくれたもん。あびすを助けてくれたもんっ」

「ちがうっ! おまえはだまされてるんだっ!」

「そうだ、そうだっ!」


 いくらアビス一人が否定の声をあげても、多勢に無勢である。


 ロクは、すぐに出て行って止めるべきなのに、何故か傍観してしまっていた。


 更にこどもたちの悪口は続く。


「街のやつは金のことしか考えてないんだっ」

「アビスだって、いつかはどこかに売られちゃうぞっ」


 どこかに売られる。その言葉は彼女にとっての地雷であり、ややあって小刻みに震えるアビスの堰が――切れた。


「うわぁーんっ!」


 必殺のぐるぐるぱんちである。


「わっ、なんだこいつっ!? やめろっ、やめろってっ!」

「ロクは、あくまじゃないもんっ。やさしいもんっ。あびすのこと売らないもんっ!」


 アビスは、リーダー格の男の子を泣きながらぽかぽかと叩く。すると、周囲のこどももそれに混ざり、同調する者、仲裁に入ろうとする者、入り乱れて、押し合いへし合いのような状況になる。


 その騒ぎを聞きつけて、村の大人たちが、何事かと駆け寄ってきた。ロクも我に返り、ここぞとばかりに走って行く。


 なんとかこどもたちを引き剥がし、ロクと親たちは互いに謝罪し合った。


 もう、ここに来ることはないだろう。


 その後、事なきを得たロクたちは、商会の青年に一声かけると、さっさと村を後にしたのだった。



 ――帰り道。



 傾きかけた陽を背負って馬車が進んでいく。行きと異なり、アビスは御者台で獣耳を萎れさせ、しゅんとしていた。時折、一丁前にため息を付いたりしている。村を出てからずっとこの調子である。


「どうした?」


 ロクは耐えかねて、声をかける。


「……あびすのせいで、お仕事だめになった?」

「ん? いや、そんなことはない」


 ロクは、そんなことかと気抜けするが、よい返しが思いつかずそのまま黙ってしまった。アビスは、それを悪い方に取ったらしい。


「……ごめんなさい」


 アビスは荷台にしゅるんと隠れて、言葉だけを投げてくる。


「仕事は本当に大丈夫だ。怒ってもいない」


 ロクは、御者台から荷台へ言葉を投げ返す。


 アビスは、悪魔と呼ばれた自分の名誉を守る為に、独りで戦ってくれた。彼女の性格を考えれば、彼らに歯向かうには相当の勇気を必要とした筈だ。そう思うと、熱いものが腹の底から沸き上がってくる。


 だが、その感情は絶対に認めるわけにはいかない。ロクは、それを無理矢理に押し下げる。


「帰ったら麦のシッポ亭で飯にしよう。アゼーレが最近、新作のデザートをメニューに加えたと言っていた。少し気にならないか?」


 それは、小さな騎士に対するロクなりの、せめてもの恩返しだった。


「……きになる」


 アビスは、ひょこっと幌の隙間から顔をのぞかせる。


 ロクは、やっぱり悪魔なんかじゃない。


 アビスは、こみ上げるものを堪えて、目の前の暖かそうな背中を見つめていた。今はまだ、手の届かぬその背中を。

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