(8)

「ねえ、江畑さん」

「うん?」

「前のあの子の時も今回も。異変に気付いたのは俺じゃないんですよ。中学生なんです」

「へえ。それは知らなかった」

「彼は、何か変だなっていう自分の直感を信じてる。感じた異変をスルーしません。そこから全てが動き出してます」

「ああ、みさちゃんもそうだもんな」

「はい。だとすれば……」


 俺は……手の中で粉々に砕け散っているガラスの破片をじっと見つめる。


「自分すら信じられなくなった戸倉は、どうするんでしょうね」


 しばらく黙って俺の顔を見つめていた江畑さんが、何度か大きく頷いた。


「そうか。そういう……ことか」


 かすかに笑って見せる。


「みさちゃんにしては、ずいぶんとえげつない言い方で戸倉を挑発してた。単なる憎まれ口かと思ったが、違うんだな」

「ええ。俺はね」


 革手袋で包んでいたガラスの粉をざあっとゴミ箱に放った。手から外した手袋も一緒に捨てる。


「あらゆる危険な要素を最小にしておきたいんです。戸倉は部下を二人射殺してる。今回の件以外にも、きっとコロシに絡んだ余罪が出てくるでしょう。間違いなく死刑だとは思うんですが」

「ああ。判決が出て、刑が執行されるまでに何があるか分からんということだな」

「はい。万一無期刑にでもなれば、どこで娑婆に出てくるか分からない。脱獄しないとも限らない。その時あいつが何をしでかすかを考えたくないんですよ」

「確かにな……」

「戸倉は完璧主義のナルシストです。自分しか信じていない。黒いルパート王子の涙みたいなもので、どんなに俺らが外から破壊しようとしても、自分が崩れない限りは絶対に屈服も反省もしないでしょう」

「うむ」

「ですが、あいつの尻尾、自信ってのをぽきっと折ってしまえば」


 ばん! 両手をぱっと開いてみせる。


「拠り所は一瞬で全部消える」

「それで、か」

「はい。今回、作戦が失敗した原因が実行犯二人のヘマのせいだとあいつが結論付ければ、あいつはまたパーツを変えてろくでもないことを考えるでしょう。指揮ってのは、あいつが娑婆にいなくても出来てしまうんですよ」

「……そうだな」

「だから、あんたの猿知恵は射殺された奴と何も変わらんと挑発しました。失敗の原因は不出来なメンバーのせいではなく、戸倉が立てた穴だらけのお粗末な計画のせいだと奴にぎっちり印象付けるためにね」


 江畑さんが、ゆっくり背筋を伸ばして苦笑いした。


「そいつはごっつい弾丸だな。防弾チョッキじゃ止められん」

「いや、ふにゃ弾ですよ。普通の人にとってはビー玉と同じです。何の害もありません。出来が悪いって言われりゃ、ああそうかって手直しするだけの話ですから」

「はっはっは。そうだな」

「だけど、戸倉は完璧だと思ってる自分を手直し出来ない。出来の悪いパーツとして、自分を一度抹殺しない限りね」

「む……そういうことか」

「はい。あいつはこれから何度も自殺を試みると思います。それは後悔や悲観からじゃない。あいつが不完全な自分の存在自体を認められなくなるから、です」

「……」

「やつの目論見を安易に達成させない。それこそが、絞首台以上にあいつには堪える刑罰でしょうね」


 ゆっくり立ち上がった江畑さんが、俺の言葉を手帳に控えた。


「収監されているあいつから、絶対に目を離すなと言っておく。何もかも飲み込んだままであの世に片道切符で旅行されたんじゃ、亡くなった被害者が浮かばれんからな」

「……よろしくお願いします」

「ああ」


◇ ◇ ◇


 脅迫を受け続け、しかも目の前で恐ろしい光景を見せられたおばあちゃんはショックだろう。戸倉に射殺された二人の男の血で、リビングは血塗れだし、とても一人では居られないと思う。警察で婦人警官をサポートに付けて、落ち着くまで養護施設に一時避難させることにしたらしい。俺は……おばあちゃんが忌わしいことを忘れて、一刻も早く平穏な日々を取り戻せるようにと祈るしかない。


 江畑さんと一緒に事務的な後片付けを済ませて。俺が自宅に戻ったのは、もう日付けが変わった深夜だった。翌日までかかるかと思って、明日はひろのところに顔を出せないと言っておいたが、行けそうだな。


 俺は電子レンジでコンビニの弁当を暖めて、ビニール包装を外した。


「そういや、今日はまともにメシを食ってなかったな。腹減ったー……」


 箸を突っ込み、がばっとメシを掻き取って口に放り込んだところで座卓の上の携帯が鳴った。正直、今日はもう電話には出たくないと思ったが……。そうはいかん。


「はい。中村です」

「おお! みさちゃんか!」


 あ、フレディか。声を聞いて、心底ほっとする。


「産まれたぞ! 母子ともに健康だ!」


 ぼきっ!! 思わず立ち上がり、握っていた箸が折れるほど激しいガッツポーズを取っていた。


「よおっしゃああああっ! おめでとう!」

「おう……おおう……うおおおう!」


 フレディが、電話の向こうでおんおんと声を上げて号泣していた。信じられるものがなくて孤独に喘いでいたフレディに、かけがえのない家族が出来たんだ。嬉し泣きだろう。俺も目が潤む。


 なあ、姉貴。本当に良かったな。子供が生まれたのを、こんなに心から喜んでくれるダンナが当たって。そうさ。どうせ流すならこういう涙がいいよ。苦い涙、辛い涙は……もうたくさんだ。



【第十二話 ルパート王子の涙 了】

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