(7)

 まさに一網打尽。冷酷なボスが巧妙に仕組んだ完全犯罪の目論みも、トップがこければひとたまりもない。しょうもないかつあげを繰り返していた下っ端連中も、おばあちゃんの監視役も、即日全員検挙された。事件に関与していたのは十人以上。しかも、そこに佐々木さんも入っている。


 続々と連行されてくる連中を横目にしながら、江畑さんが寂しそうにぽつりと呟いた。


「佐々木もなあ……。何十年もまじめに働いてきて。最後の一瞬で、そいつが全部ぱあだ……」

「佐々木さん、どこにつけ込まれたんですか?」

「女さ」

「ええー!? 佐々木さん、奥さんも子供もいますよね?」

「そうだ。古典的な美人局つつもたせでまんまとはめられたんだよ」

「……」

「警察官が未成年相手に援交。ばれたら即座に免職さ。佐々木だって、それを知らないわけないだろうに……」

「はい」

「万年巡査でうだつが上がらない自分に……どっか納得してなかったんだろな」


 江畑さんは、やりきれないという風に首を垂らした。


「稼ぎや役職は関係ない。そこにいる奴にしか出来ないことがあるんだ。だったら、それをプライドを持ってやるっきゃないだろ」

「俺もそう思うんですけど……」

「あいつに……みさちゃんの爪の垢を煎じて飲ませたいよ」


 そうこぼした江畑さんが、がっくりと肩を落とした。俺は……なんと言っていいか分からなかった。つまらないことしか出来てないっていう劣等感。それは佐々木さんだけじゃない。俺だって持ってる。でも、江畑さんの言う通りさ。俺にしか出来ないことがあれば、それは俺がやるしかないんだ。


 探偵業も。ひろの夫も。隼人の父親も。俺に出来て、俺にしか出来ないことがあるんだ。だから俺は……今度は胸を張って言える。今日は。今回は。俺の出来ることは残さずやり切った、と。しておけば良かったっていう後悔は、かけらも残さないで済んだ、と。


「なあ、みさちゃん」

「はい?」

「戸倉に射殺された実行犯二人」

「ええ」

「二人とも目潰しを食らってたが、あれはみさちゃんがやったのか?」

「そうです。俺は足で稼ぐ貧乏探偵ですよ。フレディみたいに武器や体術が使えるわけじゃない。得物を持っていたって何の役にも立ちません。でも丸腰はさすがに……ね」


 俺を見回した江畑さんが、苦笑した。


「相変わらず細っこいものなあ」

「ははは……」


 太れないのは体質だ。しゃあないだろ。


「少なくとも多対一の状況になるのを回避して、戸外に逃げる時間を稼がないとならない。で、見た目には危険だと分からないような護身具を考えたんです」

「ほう。そりゃなんだ?」

「ルパート王子の涙、です」

「はあ!?」


 鞄の中のプラスチックケースからそれを慎重に出して、絶句した江畑さんの目の前に掲げた。


「ガラス玉、だな」

「そうです。ものっすごく丈夫なんですよ」


 会議室の床のピータイルの上にそいつを乗せて、思い切り踏み付ける。でも、びくともしない。


「金槌で叩いても、力任せにぶっ叩かない限り、簡単には砕けません」

「へー……」

「でもね」


 俺は両手に革手袋をはめて、それでガラス玉を包み込んだ。


「江畑さん、はみ出してる尻尾のところを、そのニッパーでぱちっと切ってください」

「おう」


 何の気なしにひょいとニッパーを手にした江畑さんが、ぽきっと尻尾を切った途端……。


 ばしんっ! かなり大きな音がして、衝撃とともに俺の手の中でガラス玉が粉々に砕け散った。


「うわっ!」


 驚いてのけぞった江畑さんが、持っていたニッパーをごとんと床に取り落とした。


「ま、まるで……爆弾だな」

「はい。前にひろと時々行ってたガラス工房でこれを見せられて、おもしろいなあと思ってたんですよ」

「なんでこんなことになるんだ?」

「溶けたガラスを水の中に落とすと、急に冷やされた外側の部分、皮に当たるところがものすごく硬くなった上に、強烈な張力テンションがかかるんだそうです」

「へえー」

「太い胴の部分は堅牢なんですが、尻尾は細くてもろい。そこが折れると、張力のバランスが一気に崩れて全体が爆発するように壊れるってことらしいです」

「ほう。なるほどなあ」

「催涙スプレーにしても、スタンガンにしても、既知の護身用器具を俺が持ち出せば、向こうがすぐそれに備えてしまいます。銃や投げナイフのような飛び道具が出てきたら、俺にはどうしようもない。だから、連中が予想もしないような得物が必要だったんですよ」

「すげえな……」


 俺は、ガラス玉を包んでいた手をゆっくり開いていく。細かく砕けたガラスの粉末が、指の隙間から砂のように零れ落ちた。


「どんなに頑丈に見えても、尻尾が崩れれば全部一瞬で崩壊する。戸倉の計画は、まさにそうでしたね」

「……」

「あいつは、頭はいいけど誰も信用してません。自分以外はしょせん替えの利く部品に過ぎない。自分の側近すら使えなくなった途端に射殺してますからね。でも、部下が部品に過ぎない以上、計画がどんなに完璧でもそこから崩れるんです」

「うむ」

「オトナに小中学生相手のかつあげをさせるっていう作戦。馬鹿げてますけど、期間限定の陽動作戦なら充分有効なんですよ」


 江畑さんが、じっと俺の顔を見つめた。


「おばあちゃんを落とした後、かつあげ部隊を速やかに解散させる。そうすれば、学生も地域住民も加害者が姿を消したことに安心して、警戒心が一気に緩みます。誰もおばあちゃんの連れ出しに気が付きません」

「む……」

「ですが、かつあげを受け持った連中は端役です。プロじゃない。そして、かつあげ犯と戸倉の間では意識に大きな差があったんですよ。自意識が強い戸倉は、そこまでは気が回らなかった」

「どういうことだ?」

「戸倉は連中が捕まっても別に構わなかったんです。たぶんかつあげをやらせてた連中には、計画を何も話していなかったはず。裏職安でカネで雇ったんじゃないかと」

「なるほど……」

「佐々木さんのサポートがあるからそうそう捕まらないし、捕まったところで微罪です。しかも連中の口からは戸倉の名前は絶対に出てこない。用心深い戸倉は、連中を使い捨ての切り代としてしか考えてません」

「捨て駒……か」

「はい。ただ、捨て駒扱いは雇われた連中には分からないんですよ。前科持ちの連中は、絶対に捕まりたくないんです。それがたとえどんな微罪であってもね」

「あ!」


 江畑さんが、がたっと椅子から立ち上がった。


「そ、そうかっ!」

「ええ。だから、自分たちの正体がばれないようにって、学生への脅迫が執拗だった。で、保身に執着するあまり致命的なへまをしでかした」

「へま?」

「かつあげに失敗して逃げ出した学生をたまたま見かけた連中が、昼間なのに彼を追いかけてしまったんですよ。口封じのためにね」

「なるほど……」

「追いかけられた子は、警察や学校がかつあげを把握していながら被害を防げていないことに苛立っていた。それで」

「ああ、みさちゃんのところに来たのか」

「はい」


 江畑さんが、にやっと笑った。


「大失敗だな」

「ははは……」


 思わず苦笑いする。


「よくある高校生のヤンキーのかつあげだったなら、俺も裏を読めなかったです。でも、陽動だけにおかしな点がてんこ盛りだった」

「ああ。そうだな」

「そうしたら、陽動の裏にあるものは見えてきます」

「俺は、その勘がすごいと思うが」

「江畑さん。あの界隈は商業地じゃない。百パーセントの住宅街ですよ。銀行強盗とか事務所荒らしとかの対象になりそうな、金目のものがある施設はないです」

「なるほど……」

「それを承知の上で、なおかつ連中が煙幕張ってまで狙うものがあるとすれば、資産家しかない。それも、セキュリティの甘いお年寄りだ」

「見事に読みが当たったということか」

「運もありましたけどね」

「運?」

「勝山さんに、老人会での付き合いがあったということです。もしおばあちゃんにその付き合いがなかったら、俺は簡単には被害者に辿り着けなかったでしょう。間に合わずに、まんまと連中にやられていたかもしれません」

「近所付き合いは大事だってことだな」

「はい」


 ゆっくり体を起こして話を進める。


「戸倉は……何かアクシデントがあってもそれが自分に及ばないようにと、自分以外の全てを使い捨てパーツで組み立てていた。それは組織ではなく、単なる寄せ集めに過ぎません」

「ああ」

「寄せ集めの一番外側を壊れやすくしておけば、絶対に自分まで跳ねない。あいつはそう考えていたんでしょう」

「阿呆だな」

「そうです。バカですよ。あいつに言った通りです。どんなに手間がかかっても、集団をきちんと組み上げれば崩すのは容易なことじゃないです。ですが、単なる寄せ集めなら簡単に壊れる。真ん中まで、すぐにね」

「確かに。事実そうなったからな」

「まあ。そういう理屈が分かるくらいなら、あいつはもうちょっとマシなことに頭を使ってたでしょうけどね」

「阿呆の尻拭いさせられるのはかなわんわ」


 言い捨てた江畑さんが、これでもかと渋面を作った。


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