第十一話 泥棒犬

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 あのホームパーティーのあと、フレディと姉貴はまるでお互いの中に探していたピースを見つけたみたいに、べた甘のカップルになった。そして、フレディの独占欲は凄まじかった。今まで自分自身に向けていた警戒心を、今度は姉貴の周辺に全部注ぎ込んだんだ。


 まあ、そうだわな。フレディはまだまだ自分に自信がない。いい女の姉貴が他の男によろめいてしまうと、今度は完全に自己崩壊してしまうだろう。だから徹底して囲い込みたい。そうは言っても四六時中姉貴を側にはべらせておくことは出来ないから、フレディは姉貴と一緒の時間を極力増やすしかない。


 フレディの住んでいたマンションは、JDAの社屋からはかなり離れていた。姉貴のアパートも、社から電車で二駅のところだ。古田のこともあるから、フレディは姉貴の身辺が気になって仕方がない。それならばと住んでいたマンションをさっさと売り払い、JDAの社屋の近くに家を買って姉貴を呼び寄せた。

 姉貴のアパートの部屋を百万以上かけて修繕したのにな。もっとも、元のゴミ部屋に戻る前に新居に移れたのは、ある意味ラッキーだったのかもしれない。荷物が少なくて、引っ越しも楽だったしね。


 姉貴は籍を入れたらさっさと社を辞めると思ってたんだが、引き続き働くことにしたらしい。家でぐうたら出来るんだから、あえて勤め続ける必要もないと思うんだけど……。だが、姉貴は電話で俺に言った。わたしには、たぶん専業主婦は出来ないと。ばあちゃんのシビアな警告がきっちり堪えたんだろう。家事を甘く見るなってね。


 仕事があるから家事は最小限で。フレディにそういうエクスキューズをしたいというのが理由の一つ。そして古田の件で親身にサポートしてくれた社の人たちに、自分がきちんと働くことで恩返ししたいと。そう言った。これまですちゃらか社員だった姉貴の口からそんな殊勝なセリフが出るなんて、とても信じられないんだが。フレディの庇護下に入った途端にゆるゆるに緩んで、せっかく少しマシになった自分が崩れてしまうことは、さすがのぼよよん姉貴でもまずいと思ったんだろう。

 姉貴の勤める社は、JDAの近くだ。フレディも退勤時にすぐ迎えに行ける。だからフレディは、共働きになることには特に反対しなかったそうだ。


 それにしても。姉貴はともかく、フレディがあそこまで変貌するとは思わなかったな。まさにでれでれだ。社員に誰彼なく姉貴を自慢し、ラブラブ写真を見せまくり、目尻が下がり口元は弛み、ラブソングを歌いながら所長室で踊り……。フレディがこれまで営々と築いて来た寡黙でこわもてのイメージは、木っ端微塵になった。

 もっとも。ドライで常に警戒心を緩めないフレディに対して、どことなくなじみにくさを感じていた社員たちは、有頂天になってはしゃぎまくる姿を見て、なんだ俺たちと同じじゃないかとほっとしたんじゃないかな。いいことだ。


 そして梅坂ばあちゃんは、姉貴の家事指導を名目にしてちゃっかりフレディの新居にも押し掛けていた。ただ飯食えるところを、ばあちゃんが逃がすわけはないよなあ……。

 フレディはばあちゃんの強烈なキャラに閉口したようだが、姉貴がばあちゃんに心酔してる。実際にお産になった時にはばあちゃんに手伝ってもらえるからと、フレディは割り切ったらしい。まあ、ばあちゃんとしばらく付き合えば、守銭奴の鎧の奥に隠された優しさと芯の強さは見えてくる。勘のいいフレディのことだ。それにすぐ気付くだろう。


 姉貴が精神的に安定し、ひろは産休前のラストスパートで張り切っている。俺もフレディのところでの出稼ぎが軌道に乗った。臨月に近くなり、ベビー用品の仕込みやら命名の相談やら、休みの日もいろいろすることがあって忙しいが、俺たちの現況はすっかり落ち着いた。なので、そのまま出産予定日になだれ込むのかと思っていたんだが。


 十月に入ってすぐの日曜の朝。俺の携帯に一本のメールが着弾して、そこから思わぬ事態に巻き込まれることに……なった。


◇ ◇ ◇


『おじさん お元気ですか? ちょっと相談したいことがあるんですけど、いいですか? 岸野』


 は? 岸野? って……誰だっけ? 俺はそのメールの文面を見て、しばらーく考え込んだ。


 えーと。この岸野くんていうのは……えーと。メールの文面を見て、うんうん唸っていた俺の背後からひろがひょいと顔を突き出した。


「依頼?」

「分からん。相談ありだそうだが、誰だっけかなー」


 ひろは、すぐに気が付いたようだ。


「みさちゃんのこと、おじさんて言うのは一人しかいないでしょ。体験学習でうちに来た子でしょ?」


 ああ! ぽん! 思わず手を打つ。俺はクライアントをほとんど覚えているんだが、彼の件は依頼だとは考えてなかったんだよね。ちょっと意識から落ちてたかも。


「うーん、どうしようかなあ」

「なに?」

「いや、事務所閉めちゃってるからさ」

「ああ、うちに呼んだらいいじゃない」

「それもそうか。うちには来てるしな」

「うん」


 ということで、彼にメールを返信した。


『現在探偵業は臨時休業中なんだ。話聞くだけしか出来ないけど、それで良ければマンションに来て』


 すぐに返事が来た。


『すぐ行きます。よろしくお願いします』


◇ ◇ ◇


「お邪魔します!」


 玄関先で俺たちにぺこりと頭を下げた岸野くんを見て、思わず唸ってしまった。


「おおう!」


 岸野くんが体験学習でうちに来てから、まだ一年経っていないと思うんだけど、その間にぐんと大人っぽくなった。背が伸びて、雰囲気も落ち着いた。来年は受験で、すぐに高校生だもんなあ。


「久しぶりだね。元気だったかい?」

「はい!」


 俺は岸野くんの変わりようにびっくりしたんだが、岸野くんも驚いていた。もちろんその驚きの対象は、腹が破裂しそうにぽんぽんに膨れたひろだ。


「あああ、なんか大変な時に……すいません」

「いやー。まだ出産日じゃないから大丈夫よー」


 ひろがけろっと答える。


 とは言っても岸野くんには、間近に見る妊婦の姿は刺激が強いんだろう。どうにも目のやり場に困るという表情をしていた。


「あの……いつ生まれるんですか?」

「予定日は11月10日なの。あと一か月くらいね」

「そうですかー」

「で、相談ていうのはなんだい?」


 俺が問い掛けたことで、岸野くんの視線が俺に戻った。どうしようかという少しのためらいの後で、岸野くんが話を切り出した。


「あの……お金がないので、依頼は出来ないんですけど。ヒントが欲しいんです」

「は? ヒント?」

「はい」


 ほう、なんだろう?


「ええと。学校のこと? 家のこと?」

「うーん。どっちでもないかも」

「イジメとか、かつあげとか?」

「いや、そういうんじゃないんです。だから、親父もまじめに僕の質問に答えてくれなくて」


 ああ、そうか。岸野君のお父さんは、フレディのところの調査員だったな。お父さんが相手にしないってことは、いわゆるヒマネタなんだろう。


「あ、悪い。ちょっと先に聞いておきたいんだけど」

「はい」

「岸野くんの行ってるサクラ二中は、学校の中でトラブルとか起きてる?」

「うーん。うちの中学は、先生が恐い人ばっかなんで、みんな大人しくしてます。少なくとも僕は嫌な話は聞いたことないです」

「なによりだね」

「はい」

「小林くんとは仲良くしてるの?」

「はい! 部活同じだったんで、今でもつるんでます」

「部活は何やってたん?」

「バスケです!」


 へえー、線が細いから文化系かと思ったけど、意外だな。


「でも、三年生はもう引退なんでしょ?」


 ひろが、首を突っ込んできた。


「はい。でも、高校入ったらまたやりたいです!」

「いいなー、若いなー」

「なに、ばばあみたいなこと言ってんだよ」


 ばしっ! 俺が突っ込みを入れたら、速攻で後頭部を張り倒された。


「いててて」


 くすっと笑った岸野くんが、すぐに真顔に戻った。


「そのう。僕やコバが部活やってた時から困ったことがずっと続いてて。みんな悩んでるんです」

「困ったこと?」

「はい。泥棒が」


 おわ!?


「おいおい、それは探偵じゃなく、警察の仕事だぜ。学校の中だろ?」

「いいえ」

「は?」

「体育館は他の部活でも使うんで、僕らは体育館だけでなくて、外でも練習するんですけど」

「うん」

「その外での練習中に、ベンチとかに置いてあるお弁当やおやつを盗まれるんですよー」


 ううう。確かにそれじゃ警察は動いてくれんわなあ。警察にとってもヒマネタだ。だけど……。子供っぽい悩み事といえばそれまでだが、彼らは伸び盛り、食い盛りだ。ハードな練習でお腹が空いて、さあ食べようと思った時にそいつがなくなりゃ、アタマに来るわなー。


「犯人は見つかってないの?」

「いえ。犯人はもう分かってるんですけど」

「え?」


 岸野くんが次に言ったセリフ。俺とひろはそれを聞いて、思いっ切りずっこけることになった。


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