(6)

 俺はそこで立ち上がって、フレディと姉貴を縛り付けていたフラワーロープを外した。


「俺の謎解きは、これでおしまい。あとは補足だ」


 やれやれっていう感じで体を揺すって解したフレディが、俺に聞き返す。


「補足?」

「ああ。これはあくまでも俺の推測。違っていたらそう言ってくれ」


 俺は席に戻って、足を組んだ。


「フレディが姉貴の警護をしたのは、単に古田のことを心配したからじゃないと……俺は思ってる」


 フレディが黙する。


「俺は、最初に姉貴を連れてフレディと三中さんに挨拶に行った時に、姉貴のことをくっそみそに言った」

「ああ」

「フレディは、それが気になったんだろ? いくら自分が好きになったとはいえ、それがナメクジじゃあ……ってね」


 姉貴が、俺のセリフを聞いてしゅんとなった。


「だから、姉貴の暮らしぶりをこっそり観察してたってことじゃないかと。俺はそう踏んだ」

「む」


 フレディはしぶぅい顔をした。


「みさちゃんは、時々えげつないな」

「時々ぃ?」


 ひろが、すかさず突っ込みを入れる。


「時々じゃないわ。いっつもよ」


 おいおいおいおいおい!


 フレディはからっと笑って答えた。


「はっはっは。みさちゃん。残念ながらハズレ、だ」


 お? 違うのか?


「確かに、そういう意図がまるっきりなかったわけじゃない。だが、俺は神様じゃないからな。人様にこうしろああしろって偉そうに言えるようなご立派なものは何もないよ」


 一度口をつぐんだフレディが、静かに続きを言った。


「俺は……単に栄恵さんがどういう人かを自分の目で見て、耳で聞いて、直接知りたかった。それだけさ」


 フレディは、少し俺たちから距離を取るように椅子を下げ、それに深く座り直した。そして……じっと俯いた。


「さっき、みさちゃんに言われたな。俺には傷があるから、女へのアプローチに腰が引けるって」

「ああ」

「俺のは……それ以前なんだよ」


 フレディが、苦渋の表情を浮かべた。


「俺は戦場で人を殺してる。それが正義かそうでないかは関係がない。殺らなきゃ殺られる。それが戦場だ」


 いきなりフレディが、軍人時代の話を始めた。姉貴が、フレディのぎょっとするような話に固まる。


「前にみさちゃんに、俺は女性不信だと言われたが、そうじゃないよ。俺は人間が信じられないんだよ。戦場で極限まで追い込まれたら信じられるものがなくなるんだ。エミリーはそんな俺に愛想を尽かしたのさ」


 俺も……そしてひろも姉貴も俯いてしまった。フレディはふうっと大きな息を吐くと、話を続けた。


「俺が除隊した後、アメリカを出て日本に来たのは……」


 フレディがゆっくり顔を上げ、寂しそうに微笑んだ。


「人だけじゃない。国家も社会も宗教も、何もかもが信じられなくなったからさ。日本が安全だとか、食い物がおいしいとか、仕事をしやすいとか、そういう理由じゃない。アメリカでなきゃどこでもよかったんだよ」


 拳を固めたフレディが、目の前のもう一人の自分に鉄槌を下すかのようにそれをぽんと落とした。


「たまたま軍で同じ部隊にいたやつが、俺と同時に除隊して日本でビジネスをやると言い出した。俺はそいつの尻馬に乗っかっただけさ。しかもそいつは、日本で調査会社を立ち上げたのはいいが、さっさと逃げ出しやがった」

「ええーっ!?」


 慌てて聞き直す。


「JDAはフレディが設立したんじゃないのか!?」

「違う。最初は共同経営だったんだ。ジョイス&ジョンソンズ・ディテクティブ・エージェンシー。JJDAだ。Jは二つだったんだよ」

「げ……」

「まあロブが逃げ出したのも、今になればよく分かる。日本で商売をするって言っても、俺たちが最初考えてたのは在日外国人相手の商売だったんだ」

「おいおい」


 俺が呆れ顔になったのを見て、フレディが苦笑した。


「いかにも脳天気なヤンキーが考えそうなことだろ?」

「ははは……」


 なんと言っていいものやら。


「フレディ。そいつはあまりにパイが小さすぎるだろ?」

「そうだ。まるっきりペイしなかった。だからロブはさっさと商売に見切りを付けたんだ。だが、俺にはそれがとんでもない裏切りに思えたんだ」

「ああ、そらそうだわなあ」

「俺は、あいつの残した腐ったメシを食わされるのなんか、まっぴらだったんだよ」

「分かるわー!」


 ひろが、ど真面目な表情で頷いた。ひろも負けず嫌いだからなあ。


「それなら、俺はあいつに出来なかったことをしよう。真っ向から日本人相手の商売をしよう。そこからは必死だった」


 フレディは目を細めて、シーリングライトを見上げる。


「まず何より先に、言葉の壁をなんとかしないとならない。朝から晩まで日本語浸けで、英語を一切口にしないようにして短期間で会話と読み書きをマスターした」


 すげえ……。


「それからマーケット戦略を練り直し、緻密な調査と丁寧な報告を売りにしようと決めた。几帳面な日本人には合うだろうと思ってね」

「うーん、見事だな」

「はっはっは。まあな。でも、それも軍務が嫌いだった俺の裏返しさ」

「そうか……」

「ああ。調査会社は依頼者の信用を得ないと、商売にならない。俺が誰も信じないという姿勢じゃ、客なんか付かないよ。俺の角が取れてきたのは、その頃からだ。まあ、マイルドになったと思うよ」

「へえー」

「ただな」


 フレディは、言いにくそうに、そのセリフをぼそっと放り出した。


「俺は……中身は変わってないんだよ」

「中身、か」

「俺は、どうしても人を信じきれない。エミリーやロブが俺を見切って捨てたように、人を信じられない俺は誰からも相手にされないんじゃないか。そういう恐怖から……どうしても逃れられないんだ」


 そこで一度話を切ったフレディが、俺とひろを見比べて儚げに笑った。


「だから、俺はみさちゃんと奥さんがうらやましいのさ。どこまでもお互いを信頼していて、お互いをこれっぽっちも疑わない」

「うーん」


 俺は思わず唸った。


「え?」

「いや、そんな単純なものじゃないさ。俺たちもまだまだ手探りだよ」

「そうなのか?」


 意外なことを聞いたという感じで、フレディが目を見張った。


「そらあ、元々違う人間同士だからな。価値観も、嗜好も、青写真も微妙にずれてる。必ずしも一致はしてない。それでいらいらすることもある」

「信じられんが……」

「姉貴なら分かるだろ? 俺たちはこの前派手にやらかしたからな」

「あはは。ごめんねー」

「いや、あれは姉貴のせいじゃないよ。元々あった俺とひろの意識のズレが表に出ただけさ」

「うん。そうだね」


 ひろが、ふうっと大きく息をついた。


「わたしは……みさちゃんが鷹揚な人だと思ってたの。いや、そうだと思い込もうとしてたの。そんなはずなんかないのにね」

「違うのかい?」


 フレディが、慎重にひろに確かめた。


「違う。恐ろしいくらいに厳しいよ。まあこんなんでいいかなんて絶対に言わない。潔癖に近いね」


 フレディが黙った。


「でもね、みさちゃんはだからって、決してわたしを曲げようとはしないの。そこが頑固なくらいストイックなの」


 ひろは、そう言ってふわっと笑った。


「ははは。ひろは曲げらんないよ。そらあ、とんでもなく大仕事だからな。ちょっと家事を手伝わせようとしただけで、殴り合いだ」

「ちょっとおっ! わたしがみさちゃんに殴られただけでしょっ!」


 どてっ! 信じられないことを聞いたって感じで、フレディがぶっこけた。


「みさちゃんが手を上げたのか!?」

「いや……わたしが悪いんだけどさ」


 ひろは、ばつが悪そうだ。俺もばつが悪い。


「ちょっと二人揃って血圧が上がってたからな」

「うん」

「まあ、それはそれさ」


 俺はフレディに指を突き付けた。


「なあ、フレディ」

「ん?」

「人を信用する、信じるなんてことは、口で言うほど簡単なもんじゃないよ」

「ああ」

「だから俺はこう思ってる。俺は人を信じてるんじゃない。信じようとしてるんだ……ってね」

「……」

「だけどさ。何も分からない相手を信じることなんか出来ないよ。だから、俺は依頼人に突っ込むのさ」


 俺はひろの肩を抱いた。


「信じるためにね。そうしなきゃ、何も信じられないからな」

「なるほど……」

「俺が昔からそうだったってわけじゃないよ。俺もフレディのことは言えん。基本的に人を信用しない。猜疑心が強い。それに我の部分がまず前に出る。わがままだ。それは、姉貴と同じさ。表現型が違うだけだ」


 フレディが、俺と姉貴を交互に見た。


「俺のその悪い癖が直ってきたのは、探偵という商売をするようになってからだ。そこはフレディと同じだな」

「そうか……」

「ああ。俺が一人で貧乏探偵をすることにこだわるのも、それがあるからなんだよ。組織での調査だと見落としてしまう依頼人や調査相手の心の影や弱みも、マンツーマンなら見えてくる。いや、それが見えるように訓練したんだ。いっぱい失敗を重ねてな」

「失敗……したのか?」

「今でもやらかすよ。だからへっぽこからなかなか抜け出せない。自分では、全ての思い込み、決めつけ、先入観をどかしているつもりなのに、つい我が出る。この前も、痛い目にあったばかりなんだ」

「何かあったのか?」

「依頼人が死んだんだよ。俺の致命的な見落としが元でな」


 全員蒼白になって、がたっと立ち上がった。


「おいっ!」

「そ、そんなの初めて聞いたっ!」


 ひろが血相を変えて俺に詰め寄る。


「説明しようがなかったんだ。とても常識では考えられない事件だったからね」


 ふうっ……。


「俺が依頼人に頼まれたことは、ちゃんと遂行したよ。それで報酬も受け取っている。探偵社としては全て過不足なく事を終えてる。でも……」

「ああ」


 フレディが身を乗り出した。その目が血走っている。


「依頼人の様子が変だということを、俺は甘く見た。依頼人は、この近辺では有名な札付きだったからな。俺もその先入観に捕われてしまったんだ。だから最後の結末が、俺的には絶対に納得が行かなかったんだよ」


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