(3)
いきなり変なことを言い出した俺に、ひろがのけぞって驚いた。
「く、くぎぃ?!」
「たとえだよ」
「……なんの?」
「ひろが、妊娠したことをなぜ俺にストレートに言わなかったか。それは、ひろにでっかい釘が刺さったままだからさ。そして俺もそうだってこと」
「意味が……」
「ひろは、親と大激突してる。親に対する深刻な不信感を抱えたままだ。だけど普通は、親ってのは子供にとって最後まで信頼出来る存在のはずなんだ。世界中が敵に回っても、親だけは自分の味方になってくれる。そういう存在」
「……」
「でもそこが揺らいでしまうと、人を信用するということに常に懐疑的にならざるを得ない。いつまでも不安の中を漂うことになる」
「……う」
ひろが、顔色を変えて俯いた。
「つまり、望んでいた子供が出来たのに、ひろは俺を信用しきれなかった。本当に俺がひろやその子供をきちんと愛し続けてくれるのか、分からなくて不安だった。だから、試さざるをえなかったんだ」
しばらく黙って顔を伏せていたひろが、静かに顔を上げて一つ頷いた。
「うん……うん、そう。みさちゃんの指摘はきついけど……たぶん……そうだと思う」
「だろ? そして、俺がもしひろを掛け値なしで信用していたのなら、俺はその不格好なギミックにぶち切れていたはずさ。姉貴に対してしたみたいにね。そんなに俺のことが信用出来ないのかっ!……って」
「……」
「俺は、冷静だったから怒らなかったんじゃないよ。俺もまたひろと同じで、人を信用し切れていない。それは、俺が探偵という商売をやってるからじゃない」
「うん」
「俺が親からされた仕打ち。それに俺が納得しきれていないからだ。俺自身が、一番信用出来るはずの親を信用し切れていないんだ」
「それが……釘?」
「そう。そして、それは俺らの親には何の意味もない。釘を刺したのは親じゃなく、俺ら自身だからさ。抜くのも自分でやらなあかん」
「あ……そういうことか」
ひろがゆっくり体を起こして、大きく頭を振った。
「だから、ご両親に電話して反応を探ったってことなのね」
「そう。親がもう俺らを『子』という枠から外しているなら、俺らももうそれをこなさないとならない。親だったら俺たちに何かしてくれるはずっていう、心のどこかに引っかかっているこだわり……そういう釘を……完全に抜かないと」
「うん……」
「今度は、俺らが自分の子にそれを押し付けることになる」
がたっ! ひろが弾かれたように立ち上がった。
「あ、あああ……そ、それ……」
「うん。ばあちゃんに、それをがっつりどやされたんだよ」
どすん。 腰が抜けたようにひろがソファーに倒れ込み、頭を抱えた。
「やば……」
「だろ?」
「そ……っかあ……」
ふう。
「それでも、俺らはガキじゃない。今の俺らと今の親たちは、俺らがガキの時とはそもそも関係が違って当たり前なんだ。一度心を白紙に戻して、『今』どうなのかを確認したい」
「うん。さっきの感触はどうなの?」
「親は、男の俺は突き放してるよ。それは予想通りさ。でも、姉貴の妊娠には狼狽してた」
「あ……」
「そう。少なくともお袋はその深刻さに気付いたし、今の事態を無視しないと思う。俺は、それが確認出来れば釘が抜ける。姉貴もきっとそうだろう」
「そっかあ……」
しばらく考え込んでいたひろが、ゆっくり顔を俺に向けた。
「あのさ」
「おう」
「わたしのも……抜かないと……だめ?」
「俺は抜いた方がいいと思う。ただし」
「うん」
「ひろから親には連絡するな。それは釘を抜くんじゃなく、もっとひどく打ち付けることになりかねない」
「どういう意味?」
「おまえ、親と冷静に話する自信があるか?」
「う……」
「無理だろ? 速攻でぶち切れるのが目に見えてる」
はあ……。大きな溜息を漏らして、ひろがどすんとソファーにもたれた。
「実質、勘当だもんね。わたしから頭下げるつもりなんか、さらっさらないし」
「ばかばかしい押し問答になるだけだよ。血圧が上がるし、胎教にもよろしくない」
「ふふ」
「だから、そこは俺がやる。俺がひろの親から引き出したものを見て、ひろが冷静にそれをこなしてくれ。それが是であっても否であっても、ひろは自力で釘を抜くだろ。それでいいさ」
「うん……ごめんね」
ひろが、涙目で俺を見た。
「いや、それは一向に構わん。それに直接ひろと親を交渉させないのには、ひろを激怒させないってことの他にもう一つ理由があるんだよ」
「え? な、なに? なんで?」
「ひろ。エコー検査の結果は、男の子だったんだろ?」
「うん、そう」
俺らの間の最初の子。俺は女の子の方がいいなと思ってたんだ。それは、俺が娘が欲しかったからという理由じゃない。いろいろ制約がある中で育てるなら、娘の方が楽だろうというのが一つ。それと……。
「ひろの両親がそれを知れば、家の相続絡みで必ずちょっかいを出してくる」
「あっ!!!」
呆然とするひろ。
「ひろへのこだわりは、単なる娘への愛情云々で済まないものが混じってるんじゃないか。俺の直感がそう訴えてるんだ。だから俺はそれを確かめて、備えないと。自衛を始めないとならないってことさ」
「……」
俺は、ひろの両親が欲深な人種だとは思っていない。ひろは負けず嫌いで鼻っ柱が強いが、紛うことなき直球派でひねくれたところがない。親がひろに深い愛情を注いで、のびのびと育てたということがよく分かる。
親がひろに過剰に干渉し、深窓の令嬢の枠に無理にはめようしたのは、男勝りになってしまったひろの将来を不安視したからだろう。たまたまそれがひろの反抗期と重なって、思い切りしこりになってしまったんじゃないか、と。決して、ゼニカネの問題が一義ではないと思う。だが、結局親はひろを制御出来なかった。その後悔や怨嗟を俺たちの子に持ち込まれるとえらいことになる。
俺たちの釘は抜かなければならないが、ひろの両親には逆にぶっとい釘を刺しておかないとならない。それが、強力なバリケードになるようにね。
「さて……」
もう一度紙飛行機を手に取って、それをしげしげと見つめた。
親からの離陸。それは、トシを取れば勝手に済むなんて生易しいものじゃないよな。俺らがどんなにトシを取ろうが、親にとって俺らは子だし、俺らにとって親は親だ。それが逆転することも、消えることもない。だからこそ。俺たちはいつも、親子の意味ってのをしっかり考える必要があるんだろう。いつも心を白紙に戻して、常に新しい関係を築いていけるように、と。
俺は……手にした紙飛行機を宙に放った。それは、俺たちが負ったもので少し重くなったかのように、すぐに床に……落ちた。それを拾おうとして立ち上がったら、俺の携帯が賑やかに鳴り出した。
番号を確認する。
「お袋だな」
俺が携帯を開くやいなや、お袋のだみ声が炸裂した。
「ちょっと、操っ! 栄恵はどうなってるのよ! 何を聞いてもうんともすんとも言いやしない!」
だろうなあ……。姉貴の中では、俺以上に親が遠ざけられている。いかに姉貴がすちゃらかでも、親に期待できるものが何もないってことは分かってるんだろう。姉貴は、まんま親のコピーだからな。この親にしてこの子あり、だよ。ったく。
「お袋」
「なんだい?」
お袋が苛立ったように聞き返した。
「お袋は、それを聞いてどうすんだ?」
「……」
「姉貴に何があって妊娠したか。俺や姉貴にとってはそれはどうでもいいことなんだよ。姉貴は今を。そしてこれからを凌がないとなんないんだ」
「だからなんだってのさ」
「お袋や親父が役に立たなきゃ、要らない。余計な手出しや口出しをすんなってことだよ。だから黙ってるんだ」
「……」
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