(4)

 さあ。正念場だ。根性を据えよう。


「なあ、お袋」

「ああ」

「俺が知ってる親父やお袋は、身勝手で自分のことしか考えないろくでなしだ。俺らを放ったらかして、何もしてくれなかった。家事はひゃっぱー手抜き。学校の行事には一切出てくれない。俺らが悩んでいても知らん顔。進路や就職に何もアドバイスをくれない。おまえらの好きにしろ。それが口癖だったよな?」

「……」

「だが、それは俺らがガキで、親の苦労を何も知らないからそう思っていたのかもしれない」

「……!!」

「俺はさ。今度親になるんだよ。そして、俺が親父やお袋に対して持っていた違和感や不信感を、その子には一切持ち込みたくないんだ」

「ふう……」


 お袋が、小さな吐息を漏らした。


「そういう……ことかい」

「そう」

「分かった。父さんが帰ってきたら、すぐに帰国の手続きを取る。こんなの電話で話してたって埒があかないからね」


 その直後。一方的に電話が切られた。


「ったく……。相変わらず勝手なやつだ!」


 俺がぶつくさ言ったのを聞き付けて、ひろが首を傾げた。


「ねえ、どうだったの?」

「分かりにくいんだけどさ。どうも放置プレイではなさそうだ。親父が戻り次第、帰国手続きするとよ」

「えええっ!?」


 ひろ、びっくり仰天。


「ちょっと! 何か悪いものでも食べて当たったんじゃないのっ!?」

「そうかもな」


 やれやれ。


 だけど正直言って、俺はお袋たちがこっちに来るって言うとは全く予想していなかった。心配の対象は姉貴だろうが、それでも妊娠の経緯を気にかけたということは俺には安心材料だった。


 俺の親にお産扱いなんざ出来るわけはないが、親が気に留めてくれるというだけでも、姉貴には心理的な支えが出来る。それは弟の俺やひろの気遣いとは、種類が違う。親は娘である姉貴に、俺たちよりもっと深く、もっと生で触れるはずだからな。腐っても鯛ならぬ、腐っても親、か。ともあれ、二人がこっちに出てくるというのならこの件はここでペンディングだ。


 そして。俺の釘は……いつか自然に抜けるだろう。その傷跡がしばらくひりひりはするだろうけどな。


◇ ◇ ◇


 続けて片付けちまおう。今度はひろの親の方だ。


 俺とひろは籍を入れただけで式を挙げてない。俺の親はもう海外にいたし、ひろの親は俺たちの結婚をそもそも認めていない。別に結婚を認めてもらえなくても夫婦としての生活になんら支障はないので、俺たちが一切気にしてなかっただけだ。俺には、ひろの親と接点を持たなければならない義理も何もなかったから、俺はひろの両親の顔も名前も知らなかった。結婚して三年以上経つのに、今さらひろにそれを聞くというのもおかしな話ではある。


 まあ、いい。ひろがいやいや書いたメモ書きを見ながら、俺は携帯のボタンを操作した。


 俺の時はお袋が出たが、ひろの方はどっちが出る? それによって微妙に対応を変える必要がある。呼び出し音が続く間、俺はずっと緊張していた。


「はい。左馬さまですが」


 やばい。親父の方が出たよ。こいつぁ……手強いだろうな。まあ、腹を括るしかない。


「左馬さんのお宅でしょうか? 私は中村と申します」

「なかむら?」


 明らかに、不機嫌な声に変わった。


「なんの用だ」


 いきなり横柄な口の聞き方に変わったということは、俺が誰かを察したということだろう。


「家内が身ごもりました。今年の十一月に出産予定です。それだけお知らせしようと思いまして」


 俺はひろの父親と一切会話を成立させず、そこで一方的に電話を切った。


「え? みさちゃん。それだけ!?」


 ひろが、絶句してる。


「親父が何か余計なことをごちゃごちゃ言ったの?」

「いや、その前に俺が切った」

「えと……なんで?」

「向こうの関心を計るためさ」

「あ……すごおい! そういうことかあ」

「俺の親の時と同じだよ。最低限の情報しか与えず、その後の親の反応を探る。そこをクリア出来なきゃ、扉はもう閉める。それ以上やり合うだけ無駄だ」

「うん……」

「まあ、俺はそこは楽観視してる。きっと逆上して、俺の携帯じゃなく、ひろの方にかけてくるだろ。そしたら、ひろは出るな。俺が全部受ける」

「分かった! 頼むね!」

「おう」


 ひろと短い打ち合わせをしている間に、案の定ひろの携帯が鳴り出した。親からだろう。


「はい、中村です」

「え?」


 娘ではなく、俺が出たことに電話の主が戸惑っている。その声は、さっきの男の声ではない。女性の声。お母さんだろう。


「ああ、済みませんね。中村です。ご心配をおかけして申し訳ありません。結婚して三年も経つのに、お父さんお母さんにはこれまでご挨拶なしで、面目ないです」

「……」

「ですけどね、家内が親とは一切関わり合いになりたくないの一点張りでしてね。私が一方的に余計な行動を起こすと夫婦仲にひびが入ってしまうので、申し訳ないんですがこれまでずっと失礼してきました」

「そう」

「先ほどお父さんに申し上げたんですが、私どもの最初の子が十一月に生まれる予定です」

「……」

「私たちが望んでいた子です。出来るだけ身辺をごたごたさせず、落ち着いた環境で愛情を注いで育てたい。それをどうかご了承ください」

「それだけ?」

「それだけです。お父さんお母さんの方で、家内と完全に縁を切られても、新しい親子関係を模索されても、それはどちらでも構いません。ですが、私どもはそちらの干渉や注文は一切受け入れません。それは家内の態度を硬化させるだけで、お互いに益がないからです」

「……」

「私どもも生活が変わります。だめならいつでも一人と一人に戻ればいいという逃げを打てなくなります。家内とは今後のことを巡ってすでに大衝突してますが、衝突は私どもと子供の将来をまじめに考える上で必要なことだと考えてます」

「それが?」

「ですからお父さんお母さんと家内とのやり取りも、建設的なもの以外はご遠慮させてください。もし、その覚悟をして下さらないのであれば……」


 力を込めて、強い警告を絞り出した。


「今後、一切の接触をお断りいたします。いかに親子とは言え、一個の人間と人間なんです。一方の思惑だけで振り回そうとすることは、たとえ好意からのアクションであっても迷惑にしかなりません!」

「……」

「私は」


 俺が喧嘩腰になったんじゃ意味がない。さっと口調を戻す。


「家内を芯の通ったしっかりした娘さんに育て上げたご両親の愛情を疑うことは、決してありません。ですが、家内はもう小さな子供ではない。オトナなんです。これからは一個の人間同士として、親子の新たな関係を考える必要があると思ってます。そして……」


 最後の言葉を出来るだけそっと置いた。


「今度生まれてくる子が和解のきっかけになってくれればいいなと。心から願っています」


 言い終わってすぐに携帯を切り、電源を落とした。


「え? き、切っちゃうの?」

「一時間だけな」

「あ、そうなんだ」

「俺の言ったことは、すぐには受け入れられないよ。自分の娘のことで他人に指図されるいわれはない……これでもかと逆上するはずさ。でもここに俺がいる以上、ご両親は俺の取り次ぎをパスしてひろ単独に接触することが出来ない」

「そうかあ……。どうしてもわたしの携帯にかけるしかないから、頭を冷やす時間を確保するってことね」

「ああ。冷却時間だと思ってくれるかどうかも賭けだけどね」

「うん……」

「同じように、ひろにもいろいろ考える余裕が出来るってことだ」

「そうだね」


 俺が返した携帯を受け取ったひろが、黒く黙してしまった液晶画面を見つめてじっと思案している。


「ねえ」

「うん?」

「みさちゃんの釘は抜けたの?」

「まだ分からん。だけど俺は先々どっかで抜くつもりだし、抜くのはそんなに難しくないと思う」


 ひろが慎重に確かめる。


「……どして?」

「お袋が姉貴を放り出さなかったからさ。お袋の気紛れや心変わりか、俺たちを育て損ねた後悔からなのか、理由は分からんけどな。でも親が俺らに積極的に関わる姿勢を見せた時点で、俺は過去に遡って親への見方を修正出来る」

「修正が、釘を抜くってことね」

「俺はそう考えることにする。感情的なしこりはすぐには収束しないけど、抜いた後の傷だからそのうち塞がるだろう」

「……」


 ひろは両手を自分の腹に置いて、じっくり長考に入った。ずっぷり刺さっている釘が抜けるかどうかは、親ではなくひろがどう考えるかにかかっている。そうさ。釘を打ったのは親じゃなく、俺たち自身なんだ。だから釘は俺たちにしか抜けない。


 ただそれだけのことだ。


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