(3)
で、晩飯の支度の前に。もう一度、判断材料の整理だ。まだ考えていなかったことがある。ポケットから出てきたのが、なぜ終わってしまった、しかも自分が行っていない映画の半券なのか、だ。
誰かに入れられたとすれば確かに不可解だが、もしひろが自分で入れたとなるとそれにはちゃんと意味がある。俺はそれを見落としてはいけない。つまり、これを俺に見つけさせようとしたひろにとっては、ポケットから出て来たもの自体に重大な意味があっちゃいけない、そういうことだと俺は考えた。
ラブホのレシートとまでは言わないが、あの半券の映画の上映時間がひろの不在時間と重なるようなら、自分の浮気を疑われることになりかねない。いくらメッセージを乗せると言っても、それで俺たちの夫婦関係にひびが入るようなものは使えない。かと言って、俺がゴミと一緒にすぐぶん投げてしまうようなものにもメッセージは乗せられない。
ポケットティッシュの中紙。あれなんか、あえて俺の関心の閾値を試したんじゃないかって節がある。ビニール包装だけ捨てて中紙を残す意味はないからな。つまり俺にポケットから引っ張り出させるものが、俺の目は引くけど疑念を想起させない物体である必要があったわけだ。
なぜ映画の半券か。
入手しやすい。同僚に、見終わっちゃった映画の半券あったらちょうだいって言うだけで済むからね。本券じゃないから渡す方も気楽だ。
疑念に繋がりにくい。俺もひろも、映画ってのを見ることはまずない。俺はテレビですら、まともに見ないからな。ひろは、仕事の関係で試写に誘われることがあるのかもしれないが、その場合でもまずレイトショーはないだろう。つまりそれがあったからと言って、自分の行動や思考を俺に過剰に疑われる心配がないんだ。
半券の映画がすでに上映済みで、しかもその時間に自分が見ていないということは、二つの点で重要。一つは、謎を増幅し、俺の注目を持続させるため。もう一つは自分に疑念を持たせないようにするためだ。
演目も、調整されている。どんな半券でもいいというわけじゃない。ひろが興味を持ちそうなものであれば、俺はそこに意味を探さざるを得ないからだ。もし山本周五郎ものの時代劇映画だったら、俺はもっと悩んだかもしれない。だがダブルオーセブンには、ひろが絶対に興味を持ちそうにないんだ。それを計算してる。
同じようなメッセージタグを俺が考えようとすると、これがすんなり思い付かない。ひろの疑念をかき立てるものならいくらでも思い付くが、相手の注意を引き付け、かつそれ自体が毒を持たないものってのは……難しいよなあ。そう考えると、ひろにしてはかなり熟考して策を立ててるってことが分かる。思いつきや悪戯じゃないってことだ。
どれ。そろそろ飯の支度をするか。俺は冷蔵庫を開けて、食材を見回す。もともと和食好きなひろだが、ここのところあっさりした献立てに食い付きがいい。今いち食が進まない時には、後口のすっきりするさっぱり系の料理に箸が伸びやすいんだろう。イカとワケギで黄身酢和えでも作るか。
◇ ◇ ◇
「たでーまー……」
「おう。お疲れさん」
「しんどかったー」
「会議か?」
「そう。さっさと済ませてくれればいいのにさー。どうでもいいことぐだぐだぐだぐだ」
「はっはっは。まあ、会議なんざ、もともとそんなもんだよ。時間ばっか食って、生産性が低い」
「ふうん……。みさちゃん、分かったようなこと言ってるけど、会議なんかほとんど出たことないんじゃないの?」
お? 珍しく突っ込みが入ったな。
「まあね。でも、沖竹にいたときゃ、それなりにスタッフ会議があって、必ず出なあかんかったからな」
「あ、そっかー」
「まあ、メシにしようぜ。イサキのいいのが入ってたから、刺身に引いた」
「わあい! お刺身だー!」
「ここんとこ、焼き魚や煮魚に食い付きが悪かったろ?」
「あ。……うん」
「まあ、体調の悪い時はそう言ってくれ。メニューにも反映させなあかんからな」
俺が座卓の上に並べた料理を見回して、ひろがほっとしたように微笑んだ。
「ありがと」
◇ ◇ ◇
メシが済んだあと。俺はテーブルの上にいつもの手帳を広げて、それをじっと見つめていた。新しい材料が加わったわけじゃない。だけど、もう少しで解に手が届きそうな手応えがあった。あと手つかずで残っているのは、ひろが映画の半券に持たせたメッセージの中身だ。
「うーん……」
メシの支度をしている時につらつら考えたこと。いろいろな事実と、そこから想起されるいろんな事象。その是非や真偽を突き詰めるってことに、果たして意味があるだろうか?
半券そのものには何も意味がない以上、それを誰が入れたかとか、どうやって入れたかを深く掘り下げても何の意味もないだろう。それより、半券を通してひろが俺に伝えようとしているメッセージを探らないとならない。そして、その手がかりが何もない。なんと言っても、ノーティサー(気付かせ役)の半券には、ノーティサー以外の意味がないんだ。
ひろは、複数のノーティサー候補の中から、使えそうなものを消去法的に絞り込んでいったのだろう。入手のしやすさ。後腐れのなさ。それ自身の情報量の少なさ。俺が存在に気付いて、でもノーティサーとしての意味以外ないぎりぎりの線を満たすもの。それが半券だったんだ。
その極めて乏しい情報しか持っていない半券から、どうやってメッセージを引っ張り出す? 俺が腕組みして半券と手帳を睨み付けてる間に、ひろがトイレから戻ってきた。
「お? どした? 腹でも壊したのか?」
「うん……ちょっとね。横になる」
そのまま、ひろがソファーにごろんと横になった。なんか……変だな。
待てよ……。何か引っかかったぞ。もう一度、最初から材料を並べてみよう。
おとつい。ひろが胸ポケットに自分で映画の半券を入れている。そこに入れれば、それは誰かに入れられたという状況を排除出来るからだ。その時点で、入れられた半券にひろからのメッセージ性があるということが分かる。
レシートゴミのカムフラージュがあったから、あからさまなメッセージではない。単純な偽装くらいは見抜いてよっていう意図があったってことだ。それは最初に半券を二人でつついた時に、あいつがとぼけたことからも分かる。つまり、メッセージの内容は決して軽いものではない。冗談のレベルに落とせない、それなりに重要度のあるものだ。
次に。そのメッセージの中身だ。もしメッセージがあいつの身辺に起きているトラブルに起因しているのなら、あいつがそれを俺に回りくどく探らせる必要はない。ダイレクトに、これこれこういう困ったことがあると言うだろう。つまらない心配事ではなく、でも仕事や友人関係のトラブルでもないとすれば、あいつ自身のことであるとしか考えられない。
あっ!! 俺は思わず飛び上がってしまった。そうか! そういうことか!
あの半券。やっぱり半券自体にメッセージがあったわけじゃなかった。あの半券を入れられたもの。つまり、スーツに俺の注意を向けるためのものだったんだ。なぜそんなことをする必要があったのか。ひろは、あのスーツはもう着たくない。他のスーツの時にはそういう行動を起こさなかったんだから、ピンポイントにあのスーツだけなんだ。
だがあのスーツはひろがとても気に入っていて、服を揃えて準備する俺にリクエストを出し、ヘビロテしていたとっておきのスーツだ。それが急に嫌いになるということは考えにくい。好みの変化以外で考えられる原因としては……あれが一番タイトなスーツだっていうこと。
太った? いや、そういう傾向はない。あいつの体型はほとんど変わっていない。仕事がきついせいか、むしろ痩せ気味になってる。俺が食事を調整して、少し太らせようと思っていたくらいだ。
じゃあ、なぜあのスーツを忌避する? 一番タイトなスーツを?
「……」
ばん! 俺が手のひらでテーブルを強く叩いたことにびっくりして、ひろが、ふっと視線を俺に向けた。
「ちょっと。おどかさないでよ」
「ああ、悪い。昨日からずっと考えてた半券の謎が解けたからな」
「へー?」
ひろが、むっくりと体を起こした。
「何か分かったの?」
「ああ」
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