(2)

 翌朝。いつものように慌ただしく朝食を掻き込んだひろが、ばたばたと出勤していった。もちろん今日着ていったのは、おとつい、昨日のとはまた違うスーツだ。おとついのは、いつもなら昨日の午前中のうちに俺がクリーニングに出しに行くんだが、今回は昨日のと合わせて今日まとめて出すことにしよう。


 昨日ひろには言わなかったが、いつもとは違うことが他にもあったんだ。ひろがポケットに紙ゴミを突っ込む癖。それは、今まで例外なくスカートのポケットか、ジャケットの裾ポケットに限られていた。そりゃあそうだろう。胸ポケットにはいつもハンカチが入っている。ハンカチで埋まっているポケットにわざわざ紙ゴミをねじ込むのは、いくらひろの癖がおぽんちだと言っても理に適っていない。それは、無意識じゃあ出来ないんだ。


 だけど、昨日はそこからもレシートごみが出て来た。それが何を意味するか。半券の出現をカムフラージュするために、ひろがあえてレシートごみを突っ込んだってことだ。昨日ひろとこいつをつつき回していた時に、俺が最初に結論付けたこと。第三者が、ひろのポケットにこれを突っ込んだっていう仮説がすでに成り立たないってことになる。もう一度全ての仮定を外して、ニュートラルの状態からこいつを考え直さないといけない。


「ふう……」


 今日は、家事を午後に集中させよう。午前中は事務所に出ず、家でじっくりこいつを考えることにするか……。


◇ ◇ ◇


 もう一度。半券に関わることを、事実とそうでないことに分ける作業が要るな。


 事実。


 映画の半券が、ひろのジャケットの胸ポケットに入っていた。半券は折れたり、畳まれたりはしていない、きれいな状態。映画は三日前のレイトショーのもので、ダブルオーセブンシリーズの新作。だが映画の上映時間にはひろは俺と一緒にマンションにいた。上映時間にひろが映画を見たということは、物理的にありえない。

 スーツは、三日前に俺がクリーニング屋から受け出してきた。それをおとついひろが着ていって、帰ってきてる。着ていた期間はおとつい一日きり。ひろの癖で、スーツのポケットにはコンビニのレシートとポケットティッシュの中紙がくしゃくしゃに丸められて突っ込まれていた。


 事実はこれだけだと思う。他にあれば、また後で追記しよう。


 次に。誰が入れたか。何のためにってところは、とりあえず置いておこう。被疑者は三つに分けられる。俺。ひろ。それ以外のやつ。当たり前だが、俺が夢遊病者でない限り俺が入れたという線はない。残るは、ひろか第三者だ。


 俺は最初第三者の線を疑った。ひろのスーツにそんなものを突っ込む意図が分からないが、ひろがその半券を入れた覚えはないと言っている以上、それは第三者が入れたと言うことになる。しかし、可能性として、それは極めて小さい。なぜならその場所がスーツの胸ポケットであり、そこにくしゃくしゃのコンビニレシートが一緒に入っていたからだ。


 ハンカチが入っている胸ポケットには、いくらひろでもこれまでゴミを放り込んだことはない。それに、第三者がひろに気付かれずに胸ポケットへレシートゴミと半券を紛れ込ませるのには、神業が要る。手練てだれのスリとかなら話は別だが、かっさらうのが仕事のスリには放り込むのは逆にしんどいだろう。入れるのが半券だけならともかく、もさもさのレシートゴミ込みだからな。


 だが、この段階でひろが自分で半券を入れたと断定するのはまだ早い。なぜか。ひろがスーツのジャケットを脱いでどこかに置いてあれば、第三者にそのポケットに堂々とアクセス出来るチャンスが出来るからだ。


 いずれにせよ、ひろがウソをついている可能性は極めて高い。そして、次のどちらかの陳述がウソということになる。


 1)ジャケットはおとついは脱いでない。ずっと着ていた。

 2)半券は誰かに入れられた。わたしは入れてない。


 普通に考えれば、一番は想定しにくい。いくらひろのジャケットがフリーになる時間があったと言っても、第三者がレシートゴミで偽装してまで半券を潜り込ませるとは思えないからだ。もしひろのしょうもない癖を知っていてそれを模倣したにせよ、入れるポケットが胸ポケットにはならんだろう。

 じゃあ二番かと言うと。それもすんなりとは受け入れにくい。可能性はもちろん二番が高いんだが、なぜそんなすぐにバレる偽装をするのかが分からないんだ。


 ただ。一つだけ分かっていることがある。ひろのスーツのポケットから出てきた一枚の半券。これはひろか、もしくはひろ以外の誰かがついうっかり入れちゃったっていう代物ではない。明らかに俺に見せるという意図を持って、俺に分かるように仕込んだものだ。


 俺がものすごく気になっているのは、ひろの発言の真偽よりもむしろその意図の方だ。さっき推理を後回しにすることにした、この半券の発する意図。見ていない、終わってしまった映画の半券を見せつけるようにポケットに入れて、それに何かを主張させてる。実は、それを解き明かすことこそが一番重要なんじゃないのか?


 あいつの性格から見て、もしそれが何かの冗談なら、途中で堪えきれずにげらげら笑い出すだろう。仕事でしんどい思いをしてるひろは、家にシリアスを持ち込むことを心底嫌がっているからな。だが、昨日メシの後でこいつをおかずにした時。あいつは、最後までさらっと流した。自分が見てない終わっちゃった映画の半券なんてなんの意味もないじゃんていう、そういう乾いた反応。

 つまり、それは冗談のたぐいではない。ひろが自分で入れたにせよ、誰かに入れられたのをひろがかばっているのにせよ、そこには何らかの強いメッセージ性があるということだ。


 気持ち悪いのは、そのメッセージの中身が俺にはまるっきり見えてこないと言うことだ。すぐにバレるウソと一緒に半券を仕込んでおきながら、それで伝えようとするメッセージの中身が全く分からない。


 むー……。


 もちろん、俺にはまだ全然判断材料が足りないってことは分かってる。だが、ひろの見え透いたトリックを暴いて問い詰めても、あっそう、で終わったんじゃ何にもならない。あいつは、俺にウソがばれることは承知の上でこういうのを仕込んでるんだ。あいつにウソつくなと言う前に、半券の中に隠されたメッセージを引っ張り出す材料を俺の方で集めないとならないってことだ。それを……買い物しながら考えるとするか。


 俺は、輪ゴムでまとめたチラシの束を持って、マンションを出た。


◇ ◇ ◇


「ぶひぃ……」


 考え事をしながら買い物なんてするもんじゃないな。とんでもない量買っちまったよ。ここんとこ疲れもあるのか、ひろの食が少し細くなってるから食料の仕入れをセーブしようと思ってたのになー。


 買ってきた食材を手早く冷蔵庫に詰めて、今度はクリーニングに出す洗濯物をまとめる。


 俺は、あのスーツをもう一度じいっと見回した。気分が緩むからと言って、ゆったり裁断されたスーツは着たがらないひろ。こいつも、ぴしっと体のラインが見えるタイトなスーツだ。ひろがこれを着ている状態で、気付かれずに第三者がポケットに手を突っ込むのは、どう考えても無理だろう。それをもう一度確認して、布バッグに二着のスーツを畳んで収める。


「おっしゃ、行くか」


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