(4)

 どっから切り出そうかと思ったが、順々に行くことにしよう。


「まず」

「うん」

「おまえは昨日ウソをついてる」

「……」

「おまえが着ているジャケットの胸ポケットに手を突っ込んで、半券をねじ込むバカはどこにもいないよ。おまえがジャケットを脱いでどっかに置いたか、おまえ自身が半券を入れるしかない」

「うん」

「脱いだジャケットに半券を入れるにせよ、第三者がわざわざレシートゴミで偽装するってのはありえない。いずれにせよおまえしかそこに半券を入れるやつはいないんだ」

「ばれたか」


 ひろが、あっさり認めた。


「まあ、そんなのは昨日のうちにもう分かってたんだ。分かんなかったのは、なんでおまえがそんなもんをわざわざ仕込んだかさ」

「うん」

「いろいろ考えたんだが、おまえ自身が半券に深い意味を持たせないようにって、最大限の注意を払ってる。つまり、半券が俺の目を引いても、それ以上の意味は持たせないようにしてあるってことだ」

「ひええ、さすがー」


 ひろが、俺にそんけーの眼差しを向けた。ったく、こいつわ。


「だが、それじゃあ半券自体は何も語らない。入れる意味が分からない」

「……」

「んで、昨日からずっとおまえの行為のメッセージ性をずっと考えてたんだよ」

「うん」

「半券に意味がなければ、それをわざわざ俺に注目させる意味もない。だが、半券が出て来た元はスーツだ。それをセットにして考えれば、半券の意味は変わってくる」

「……」

「つまり、半券は特定のスーツに限って入れられる必要があったってこと。あのスーツをおまえが今日着ていったら、あれは今日入れられただろう」

「うん。そう」

「じゃあ、なぜそれに半券が入れられたか? スーツに着目させるためなら目的は二つしかない。それを出せか、出すな、かだ」

「……」

「で、出されたスーツにそれが入ってたんだから、メッセージとしては、もうそのスーツは出すな、それしかない」

「うん」

「さてそこで、だ。あのスーツは、おまえがすっごい気に入っていたスーツだ。気が引き締まる。戦闘モードに入りやすい。気合いの入るスーツ」

「うん」

「その着用に待ったがかかるってことは、それに何らかの事情があるってこと」


 ひろが、俯いてはあっと息を吐いた。


「確かに、そう」

「で、おまえの性格だと、もしそれが体型の変化によるものならストレートに口に出す。それを隠し立てしない」

「うん」

「それを、なぜあんな回りくどい方法を使ってノーティスを出したか」

「……」

「つまり、『今』太ってるからきついんじゃなく、あれが今後はきつくなるからもう出さないで、ということ。先のことに対する予告だ」

「ふふ……」


 俯いたままで、ひろが少しだけ笑った。


「やっぱ。探偵のダンナなんて持つもんじゃないね。隠し事一つ出来やしない」

「あほー。そんなことは最初から分かってるだろが」


 しょうがないって感じで、ひろがゆっくり顔を上げた。


「で、結論は? 探偵さん」

「まあ、待て。慌てなさんな」


 俺は目の前で指を振る。ちっ、ちっ、ち。


「スーツと半券のことは棚上げだ。そんなのはどうでもいい。それよか、メッセージを出そうとしたのはおまえなんだから、そのメッセージがなぜ出たのかを探らないとなんない」

「……」

「それには、おまえの最近の変化を抽出する必要がある」

「変化……ある?」

「まあな。なんかおかしいなとは思ってたんだけどさ」

「うん」


 俺は、ひろの前でゆっくり指を折っていった。


「あのコンビニレシート。一日の買い物の量にしては多過ぎる。しかも飲み物と甘いものばかりだ。俺は太るぞって言ったけど、実際には逆だ。おまえは痩せてきてる」

「……」

「ここで食ってる朝飯と晩飯だけじゃない。出社中のメシもまともに食えてない、だから間食でつながないと保たない」

「うん。そう」

「だろ? ここに来て、急に食が細くなってるんだ。それに、食べ物の嗜好が変わってる。以前はそれほど食い付きがよくなかった酢のものをがばがば食べてる」

「うん」

「そして、さっきみたいにトイレに行って、ぐったりして戻ってくることがある」

「……」

「つわりだろ?」


 いきなり。ひろが顔を歪めて泣き出した。


「なんで泣く?」

「うぐ……だって……だってえ……」

「めでたいことじゃないか! 俺はごっつ嬉しいぞ!」

「ほ、ほんとにぃ?」

「ったく、そういうことはもっと早くに言えよ。こっちの対応も変えなあかんのだから」

「対応……って?」

「食事も、生活のリズムも、仕事もだ」


 はあっ……。ひろが、小さな吐息を漏らした。


「みさちゃん……」

「なんだ?」

「わたし……産休に入ったら、無収入になるよ」

「ああ、そんなことか。心配すんな」

「え?」


 ああ。それでか。それで、俺には直に言い出しにくかったってことだ。


「おまえが高給取りなのに、なんで俺がこれだけ血道を上げてチラシチェックしてると思ってるんだ」

「あ!」

「ひっひっひ」


 ぽかんと大きく口を開けたひろが、ぎゅっと抱きついてきた。


「さすがねえ……」

「だてに長いこと貧乏暮らしはしてないよ。それに、ひろの産休期間は、俺は一時事務所を閉める」

「ええっ!?」

「定収がないのはちときついからな。出産と育児の目処が立つまでは、フレディのところの臨時雇いで出る」

「いいの?」

「いつかはそういう話が出ると思ってたからな。フレディにはだいぶ前に打診して、快諾をもらってる。それに、その先ずっと雇いっていう話でもないさ。まあ、お互いに辛抱する期間は要るだろ」

「うん。そうね」


 はあ……。張り詰めていた気持ちが緩んだんだろう。安心したように、ひろが溜め込んでいた不安を一気に吐き出した。


「こどもを産んで育てるには、段々年齢がきつくなって来るし、仕事の方も身動きが取れなくなってくる。そろそろかなーと思ってたんだけどさ。こどもこさえていいかって、言い出しにくくてね。ごめんね。黙って実力行使しちゃった」


 その後ひろが、ぽつんと恐ろしいことを言った。


「もし。みさちゃんが半券のメッセージに気付かなかったら。わたしの変化に気付かなかったら。堕ろそうと……思ってたの」

「おいっ!」


 半券如きを運命決めの道具に使わんでくれっ! ったく、もう!


「ちゃんと言ってくれよ。夫婦だろが?」

「ふふ。そうよね」


 ひろが、テーブルの上に乗せてあった映画の半券をそっとつまみ上げた。


「うん。やっぱり……。わたしは映画を見るよりは、映画の主人公で動く方がいいかな」

「はっはっは。そりゃあいいや。じゃあ、主演作は」

「うん」



「子連れ狼だな」



【第六話 半券 了】

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