(6)
俺がフレディとの飲みを打ち上げて家に戻った時には、ひろがまだ起きて待っていた。珍しいな。
「どした?」
「いや、あの男の子絡みの話だったんかなーと思って、気になってさ」
「まあ、あの子の方は目処が付いた。基本、素直だし、ご両親の教育もしっかりしてそうだから、大丈夫だろ」
「へえー」
「それよか、機嫌は直ったのか?」
「そうそう、それ!!」
ひろが怒りを爆発させるのかと思ったら、びっくり顔をしてる。
「ほ?」
「いや、思いきり被ったんでびっくりしちゃった!」
「どゆこと?」
「うちの社でね、中学生の職業体験受け入れるって言ってさ」
「そっちもか!」
「なの。で、このクソ忙しいのに、社長がわたしに面倒見ろって言うのよ!」
「あ、それでぶんむくれてたんだ」
「そう!」
確かに、やれやれだよなあ。
「でも、それって、ふつー人事の連中が段取りすることじゃないのか?」
「でしょー? でもね、昼に来た男の子見て冷静に考えたら、社長が言うのも分からないでもないかなーと思った」
「ほう」
「みさちゃんがびしっとスジを通したから、あの男の子はそれをしっかり受け止めたと思うけど、ちゃらんぽらんな連中がてきとーに子供たちを扱ったら、それ、子供たちにうつっちゃうよね? あー、こんなんでいいのかーって」
「ああ、確かにな」
「そう考えたら、やたらに人に振れないわ」
「ははは。そうか。まあ、がんばってくれ」
「うん!」
◇ ◇ ◇
フレディとの飲みの二日後。フレディが計画した奪還作戦は成功し、娘さんを監禁していた連中は覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕された。もっともその容疑が、強姦でも傷害でも逮捕監禁でもないことが、事の深刻さを表している。ヤクの所持だけじゃね。連中はすぐに何事もなかったかのように娑婆に出て、再び
救い出された娘さんは、医療施設に直行。これからシャブを抜くのに、地獄の苦しみが待っている。幻視や幻聴に怯え、クスリをよこせと泣きわめき、自傷を重ねることだろう。そして家族はその娘さんの無惨な姿から目を逸らさずに、地獄に向き合わないとならない。
娘さんは思うかもしれない。なんでわたしだけがこんな目にあうの、と。確かに、あまりに理不尽なことさ。だけど自分に非がないって考えてしまうと、娘さんが再びどぶに落ちる危険性が高くなる。それでなくてもヤク中は再犯率が高いんだ。ヤクに溺れるきっかけが、自発的であってもなくてもね。ジャンキーはヤクに呼ばれるんじゃない。辛い現実から逃れようとして、ヤクに逃げ込もうとするようになるんだ。
非はない? そうじゃないよ。どんなに理不尽に思えても、やっぱり自分が招いてしまった事態なんだよ。ほんの少し注意すれば。ほんの少し用心すれば。そして、ガキっぽい反発だけしかなくて自分の中身がからっぽだってことが分かっていれば。それだけで、今回のような馬鹿げたトラブルは防げたんだ。
自分が招いてしまった災厄は自力で片付けないと、生涯ずっと付いて回る。親や兄弟は娘さんを慰め、支えるだけじゃなくて、きちんと諭さないといけない。自分で蒔いた種は自分で刈れ、と。
◇ ◇ ◇
フレディによる娘さん奪還の一報は、すぐに小林くんの家に伝えられただろう。だが娘さんの身に起こったことがあまりに悲惨で、その詳細は誰からも部外者の岸野くんには伝えられないはずだ。
俺は調査完了のメールを流して、学校帰りの岸野くんを事務所に呼びつけた。
「あ、おじさん、お世話になりました。お姉さん、見つかったって」
「小林くんから聞いた?」
「はい! ほっとしました」
「お父さんはちゃんと仕事してたでしょ?」
「はいっ!」
おーおー、嬉しそう。まあ、親父の威厳は保たれたってことだな。
「あれ? じゃあ、なんで僕を呼んだんですか?」
「ああ、決まってる、説教するためだよ」
「え!?」
「まあ、座って」
俺が差し出した椅子に座った岸野くんが、なんで説教なんだろうって変な顔をしてる。
「この前、体験でいろいろ見てもらったから、表の方は理解してもらえたかなと思う」
「表、ですか?」
「そう。どう生きるか。自分をどう生かすか。とても真っ当なテーマさ」
「はい」
「でもね。そういう真っ当な生き方を目指していても、ちょっとしたことでぶっこけることはある。今回の小林くんのお姉さんのケースは、まさにそうだ」
「何かあったんですか?」
「あった。そして、それが何かは君には言えない。ただ、それはお姉さん一人の力ではどうにもならない、とても悲惨なことだったとだけ言っておこう」
みるみる岸野くんの顔色が悪くなった。
「君が最初、うちの事務所に投げ込んだ一個の石」
「はい。ごめんなさい」
「ああ、それはいいんだよ。金銭的にはもう片が付いてるからね」
「は……い」
「ただね。もし、その事務所がやーさんの事務所だったら」
ぶるっと。岸野くんが体を震わせた。
「それは岸野くんだけじゃない。君の家族も巻き込む大きな災難に結びついたかもしれない」
「うう」
「残念ながら世の中には、法を犯してろくでもないことをしようとする人が、少なからずいる。そういう連中は、いろんなところに落とし穴を掘るんだよ。それは自分の足元を気をつけて見ていれば、誰にでも分かるものなんだ」
「はい」
「そういう落とし穴にはまらないように、充分用心してね。君が隙を見せない限り、落とし穴を避けて歩く限り、何の問題もないんだ。それだけ忠告しておく」
「分かりました」
前置きはこれでいいな。本題に行こう。
「ああ、それから」
「はい」
「小林くんのお姉さんのことで、余計な詮索をしないようにね。それは、小林くんの家を壊すことになりかねない。もちろん、君と小林くんとの友情もおしまいになる。さらに」
俺が身を乗り出したことに怖じるように、岸野くんが椅子から飛び降りて後ずさった。
「岸野くんのお父さんの立場を悪くする。君の家の生活にも直結するんだ」
「わ、わわ、分かりましたっ!」
俺は指をぴっと岸野くんに向けた。
「探偵ってのはね」
「はい」
「調べないと始まらない。そして調べるってことは、イコール何かを知ることさ」
「……はい」
「知ったことは、依頼人を満足させることは出来ても、本来私たちにはなんの意味もないんだよ。何を知ったところで、それは終わってしまった特売日のチラシと同じなんだ」
「はい」
「だけど、その意味のないこと、役立たずのこと、汚いこと、そういうのをどんなに嫌でも覚えていかないと、この商売は勤まらないんだ」
俺は、びっしり書き込みをした手帳を開いてみせた。
「それが、探偵ってものなんだよ。だから、私は誰にも探偵になるってことを勧めない。絶対にね」
「う……」
「この前、君は私に聞いたよね? こんなお金にならない、辛気くさい仕事をなんでわざわざするのかって」
「はい」
「それはね、私がもう探偵だからなんだよ」
にっと笑った俺の顔をじっと見ていた岸野くんが、ぺこっと頭を下げた。
「ありがとうございましたっ!」
「はいはい。これで、体験学習を終わります」
【第三話 体験学習 了】
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