(5)
マルコーニは会員制のバーだ。個室に入れば、店員を呼ばない限り誰も来ない。おしゃれな空間にまるで似合わない、むさ苦しいおっさんが三人、無言でグラスを傾けていた。苦虫を噛み潰したような顔のフレディ。完全にしょげかえっている人の良さそうなおじさんが、岸野くんのお父さんだった。
フレディが、ぼそっと探りを入れてきた。
「なあ、みさちゃん。どこまで知ってる?」
「ああ、フレディがその娘さんをもう見つけてるってとこまでね」
「ふむ」
「それなのに動かない。いや、動けない。同業者ならすぐ分かるよ。ヤの字が絡んだんでしょ?」
「ああ……」
「んで、とんでもない事態になってるんじゃないかと」
「言ってみて」
「その娘さん、ヤの字に突っ込まれたんじゃない? それだけじゃない。調教目的で監禁されてるんじゃないかなって」
「はあ」
フレディが観念したようだ。
「相変わらず冴えてんなあ」
「カネも持たずに家を飛び出してる。遠出なんか出来るはずはない。遊び慣れてるっていうなら別だけどね。ろくに友達もいないのに、そんなのはありえない。しかも、ここは東京みたいな大都会じゃない。紛れ込める場所はそんなに多くない」
「ああ」
「だからこそ、両親もすぐ帰ってくるだろうとぶったらかしたんでしょ」
「だな」
「カネはない。かと言って行くところも隠れるところもない。家には帰りたくない。そういう途方に暮れてる姿ってのは、すぐにえげつない連中の目に止まる」
果物が腐りかけるとハエが集まり出す。それみたいなもんだ。
「力づくだったのか、甘い言葉に誘われたか、それは知らないけど。でも、誰かの部屋に引きずり込まれた時点でアウト。
「そうだ」
フレディがオンザロックのグラスを回した。氷がかちんと音を立てた。グラスに口を付けて、苦そうにそれを飲み込む。
「まあ、よくある話ではあるんだがな。今回は、その相手が最悪でね」
「へえー」
「高一にしちゃあスタイルも面もいい。客を取らせりゃいい儲けになる。連中はそう考えたんだろ。ただ、この街は狭い。ここじゃ、いつその子を知ってるやつに鉢合わせすることになるか分からん」
「ええ」
「さっさと調教して、東京か大阪に連れ出しちまえってことだな。連中は、サツも俺らも動いてることは知ってる。それで移送前に調教を急いで済まそうとしたのさ。連れてった先で逃げられたんじゃ、連中も見付けられなくなるからな」
「シャブ絡み?」
「ああ、そうだ」
ああ、やっぱりか。
「何人かでローテ組んで、突っ込んではシャブ、突っ込んではシャブ。精神壊れるぎりぎり寸前まで仕込んだんだろ」
「ひでえ」
「俺がアジト突き止めた時には、完全に即席ジャンキーさ。あの状態になっちまったら、本人の口から帰るなんて言葉が出るわけがない」
「ああ、それで」
「そう。お巡りに見回りに行かせたところで、娘さんが帰るって言わない限りはどうにもならん」
スタックしてしまったってわけか。
「警察は?」
「もちろん動いてるよ。うちからも情報提供した。だが」
「ええ」
「今サツが強制的に踏み込んでも、何も出てこんよ。捕まるのはシャブ漬けになった娘さんだけさ。覚取りの現行犯でアウト、だ。被害者なのに犯罪者になっちまう」
「あっちゃあ」
「娘を囲い込んでいた男たちには、覚せい剤の反応は何も出ないだろ。そして、娘が自分で帰ると言わない限りは、それがどんなに怪しい状況であっても、帰宅を強制出来ない」
「不意打ちは?」
「無理だ。サツの情報が漏れてる」
「あだだ」
「田舎警察はザル、さ」
八方塞がりか。
「でも、何か考えてるんでしょ?」
「もちろんだよ。うちにもプライドがあるからね。連中が商品移送すんのにヤサを出るタイミングを狙って、奪還するしかない」
「ああ、それで引っ張ってたんだ」
「そうだ」
確かに、それが実行されるまでは何も言えんわなあ。早く助け出してあげたいのはやまやまだけど、犯罪の事実が明白でない限り警察は動けない。ましてや、捜査権限のない俺らはもっと動けない。合法的にアジトに踏み込む口実も手段もないからね。それに、無理に突入して娘さんに万が一のことがあったら、取り返しが付かなくなる。連中が油断して隙を見せるまで、じっと辛抱するしかない。
「手伝う?」
「いや、いい。もう段取りも済んでるしな」
「そうか。じゃあ、アフターだけか」
「娘さんのか?」
「いや、それは小林さんの家族の問題でしょ。何があっても家族が現実として受け止めるしかない。俺が出しゃばるスジじゃないわ」
「じゃあ、誰のだ?」
俺は、両手を膝のところで握りしめてずっと俯いていた岸野くんのお父さんに声を掛けた。
「岸野さん、中村です。初めまして」
「済みません。息子がお世話になったみたいで」
「ははは。とんでもないおっさんに声掛けちまったって思ったでしょうね」
「いえ」
岸野くんのお父さんは、顔を上げて柔らかい笑みを浮かべた。
「親父も大変なんだなって、妙に同情されてしまいました。ははは……」
お父さんは、自嘲気味に力なく笑った。同じ年頃の子供を持つ親として、どうにも出来ないもどかしさに打ちひしがれているんだろう。フレディが娘さんを奪還出来たとしても、もう無傷でというわけには行かない。岸野くんがもしそれを知れば、お父さんに怒りの矛先を向けるのは目に見えている。居場所を突き止めていたんなら、なぜもっと早く救出出来なかったんだってね。
俺のアフターケアはそこだ。事件に噛んじまった父親には出来ない、子供の教育的指導。まさに四千円分ぴったりのアフターだ。
「岸野さん。事件が片付いても、お父さんはこの件について守秘義務を貫いてくださいね。今度は彼も納得すると思います。それこそが調査業務なんだってことをね」
「はい。助かります」
「その代わり、俺が爆弾を落とします。俺は彼の体験学習を引き受けましたから、講義をちゃんと完遂します。彼にはそれをこなしてもらわないといけない」
「えっ!?」
フレディと岸野さんが、同時に腰を浮かした。
「だ、大丈夫か!?」
「それは無茶ですよ」
「いいえ」
俺は、二人に着席を促した。
「いいですか? 小林さんの娘さんも、岸野さんの息子さんも、ものすごく凶悪なことに自発的に手を染めたわけじゃない」
「うむ」
「娘さんは、親とケンカして家を飛び出しただけ。息子さんは、俺の事務所の窓ガラスに石を投げて割っただけ」
「え? そんなことを!?」
岸野さんがむっとした顔で立ち上がった。
「いや、息子さんのはいたずらじゃなくて、俺とのコンタクトの機会を増やそうとしたのが動機です。切羽詰まってたんでしょう」
「あ……」
「ですが、二人ともその行為の影響力を甘く見ていた。それがどんな風に波及していくのか想像出来てなかった。まあ、まだ子供なのでしょうがないです」
「……はい」
「でも、小林さんの娘さんは、それがしょうがないでは済まなくなった。そうですよね?」
「ええ」
「だったら、岸野さんの息子さんには、予めそれを強く警告しておかないとならない。たった一個の投石が、どんな悲劇につながるか分からないよ、とね」
俺は水割りのグラスをテーブルに置いて、背筋を伸ばした。
「息子さんに俺の家事を手伝ってもらって、生活の苦労を体験してもらいました。それは生きるってことへの真正面からの取り組みです」
「はい」
「ただ、それだけじゃ足りないんです。同時に、生きるためには、落とし穴に落ちない努力も必要なんだってことをしっかり理解してもらわないとならない」
「落とし穴か。まさにそうだな」
フレディが、ふうっとでかい溜息をこぼした。
「岸野くんが今回の結末を受けて、お父さんが腑甲斐無かったから悲劇を防げなかったんだって考えてもらっちゃ困る。絶対に困るんです!」
岸野くんのお父さんが、両拳を握りしめてぐっと頷いた。
「それは、俺たちにどうにか出来たことじゃないんだ。あくまでも、娘さんの無知と不注意が招いた自業自得だったってことを、嫌になるまで頭ン中に叩っ込んどいてもらわないと」
フレディが、ふうっと大きな溜息をついて巨体を起こした。
「俺らの仕事ばかりが増えるってことだな」
「です」
「そうですね」
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