第四話 茶壺
(1)
「うーん」
ひろが、おんぼろ座卓に両肘を突いてうなってる。
「どした?」
「いやあ……」
体を起こしたひろが、その座卓を持ってゆさゆさと揺らした。ぎしぎしぎしっ。
折り畳みではない座卓が軋んで揺れるってことは、相当がたが来てるってことなんだろう。
「ちょっと傷んできたねー」
「しゃあないわ。古いし、ずーっと使ってるからな」
「直せない?」
「俺は大工仕事はよーせんぞ」
「ええー?」
ぷうっと膨れるひろ。まあ、気持ちは分からんでもない。あれはひろとここで暮らし始める時に、俺が住んでいたぼろアパートから持ち込んだ唯一の俺の家具だ。ぼろい座卓だったんで俺は捨てようと思ってたんだが、ひろがそれを止めた。俺があれを処分してしまえば、俺の身体以外は全部ひろのものばかりになってしまう。俺は気にしないが、ひろには拘わりがあるってことなんだろう。
「まあ、一度正平さんに見てもらうさ」
「あ、その手があったんだね」
「年取ってるって言っても、元は腕のいい大工さんだからな」
「うん!」
ひろは、俺が座卓を捨てると言わなかったことに安心したのか、座卓の剥げた塗装をそっと指で撫でて呟いた。
「よかったねー。直してもらえるってよ」
◇ ◇ ◇
「正平さーん! おはようございますー!」
事務所の鍵を開けたあと、事務所に入る前に正平さんのところに顔を出した。
「おう、おはようさん」
遅い朝食を食べていたのか、口をもぐもぐさせながら正平さんがのっそり出てきた。
「あ、お食事中すんません」
「はっはっは。構わんよ。俺一人だしな」
「ちょっと正平さんにお願いがあって伺ったんですけど」
「ほ? どした?」
「いえ、うちで使ってる座卓にがたが来てて。直せるなら修理してまだ使いたいんで、一度見てもらえないかなあと思って」
「おう。そりゃあいい心掛けだね。最近の若いやつぁ、何でもすぐにぶん投げる。最後まで使いきらん」
ぶつぶつ。眉間に深い皺を寄せた正平さんが、ぐいっと腕を組んだ。年寄りの小言は長くなる。しまったあ……。
「おっと。忘れるところだった」
え? 急に話が逸れて、面食らう。腕組みを解いた正平さんは、のっそり居間に戻ると一枚の写真を手にして戻ってきた。な、なんだあ?
「こいつなんだが、中村さん、見たことあるかい?」
写っているのは、茶色い小さい壷だ。飾りっけも何もない。口と底が小さくて、あまり安定感のある形じゃないな。口のところには布か何かを張って、紐で縛ってある。
「うーん、壷だってことは分かるけど、このサイズじゃあ、花瓶なんかじゃなさそうですね。酒を入れるにも小さそうだしなあ」
「はっはっは。さすが探偵さんだね。いい勘だよ。こいつは
「へー。じゃあ、中にお茶を入れとくんですか?」
「まあ、そういうことになるんだろ」
人ごとのように言う正平さん。どう見ても、こんなのを使う感じじゃないもんなあ。じゃあ、なんで?
写真をじっと見ていた正平さんが、何度か小さな溜息をこぼしていやいやするように首を振った。それから。白髪頭をがりがり掻いて、弱ったなあという顔で思わぬ話を切り出してきた。
「いやあ、実はな……」
◇ ◇ ◇
正平さんがよく顔を出している老人会に、とんでもなく偏屈で強欲のばあちゃんがいるそうな。梅坂ヤスノさんというらしい。その桁外れの守銭奴ぶりは、ケチとかどうとかいうレベルを超越していて、神レベル。単なるケチなら、それがどんなに極端でも笑い話で済むけど、そのばあちゃんの場合はまるっきりしゃれにならない。なぜなら、ほとんど窃盗すれすれの行為を平気でやるからだ。
例えば。スーパーの、ロールになってるポリの薄い袋。俺も生ゴミの処理用に少し多めにいただいてくるが、そのばあちゃんはそれをロールごと持って行ってしまう。店員がそれを咎めると、あいつらはただで持って行ってるのにあたしのどこがいけないんだって逆切れする。
それだけじゃない。袋を止めるためのセロテープ、不織布の布巾、そして買い物かごまで店から持ち出そうとする。ばあちゃんは、この界隈のスーパーのブラックリストに載っていて、店に来た時にばあちゃん専用の見張り番が付くってくらいに、えげつないことをするらしい。
ばあちゃんのやり口は堂々だ。こそこそとはやらない。だからこそ、みんな呆れて開いた口が塞がらないってことになる。力技も得意で、リアカー引っ張ってきて通販の無料カタログを根こそぎ持ってったこともあるらしい。確かに無料だけど、そこまでやるか?
かっぱいで歩いたのを溜め込むだけならまだしも、それらをつらっと転売、換金する。ばあちゃんが、守銭奴と呼ばれる所以だ。稼いだカネで御殿でも建ててるっていうならともかく、家は紛れもなくぼろ家で、せっせと溜め込んだカネをどこに隠しているのかは誰にも分からない。
当たり前だけど、人生の基準がカネで出来てるばあちゃんだから、みんなにはひどく嫌われている。そういう鼻つまみものが、カネがかかるだけでカネにはなりそうにない老人会になぜ顔を出すのかが不思議だが、正平さん曰く、そこにカネの臭いがするからだろうと。
弔問名目にくたばったじじばばの家に上がり込み、遺品の処分に困ってる遺族からそれをかすめ取ってはカネに換えてるそうな。そのためには、普段から金蔓との付き合いは欠かせないと。まあ、そういうわけだ。
正直、聞いてるだけで頭が痛くなってくる。傍迷惑な変人だ。
「で、それとこいつとは何の関係があるんですか?」
「ああ、そのばあさんがさ、その壷を探してるんだよ」
「へ?」
「態度のでかい、とんでもない強つくばばあだからよ、わしゃ絶対に関わりたくないんだがな」
しぶぅい表情を浮かべた正平さんが、はあっと大きな溜息をついた。
「だけど、いつもと様子が違ってたからな。まあ、話ぃ聞くだけ聞いといてやるって言ったんさ」
「って、私にですか!?」
「ああ」
がんべんじで。やだ。そんな箸にも棒にもかからなそうな強欲ばーちゃん。めげ。
「いくら正平さんの頼みでも、ただ働きはしませんよ。正平さん自身のことなら相談に乗りますけど」
「だよなあ……」
二人して、その写真を見つめたままはあっと溜息をついた。うーん、正直そのばあちゃんには絶対関わり合いたくないけど、座卓の修理を正平さんに頼まないとなんないし。
「まあ、話だけなら。ばあちゃんが自力で探すんなら、そのアドバイスは出来るかもしれないから」
俺が渋々とでもばあちゃんとの面会を飲んだことで、正平さんはほっとしたみたいだ。正平さんも頑固一徹の朴念仁のように見えて、意外にお人好しだからなあ。
「助かるわ。じゃあ、中村さんのとこに電話するように伝えとく」
「はい。次来た時に座卓持ってきますので、修理にどれくらいかかるか見積もりをお願いします」
「んなもん、タダでやってやるよ。中村さんのことだ。高級品じゃねえんだろ?」
どてっ。
「あはは。間違いなく、安物のぼろです。私は助かるんですけど、いいんですか?」
「あのばあさんを、押し付ける形になっちまったからな」
正平さんと顔を見合わせて、苦笑いを交わした。まあ探し物系なら、状況さえ分かれば手掛かりはなんとか掴めるだろう。俺は、そう軽く考えていた。
◇ ◇ ◇
翌日。午後にそのばあちゃんが俺の事務所に来るということで、昼前に座卓を正平さんのところに持ち込んだ。
「うーん……」
「どうですか?」
「まあ、ようここまで我慢して使ってきたな。中村さんも物持ちがいいね」
「大概びんぼーでしたから。家具も電化製品も、ぎりぎりまで引っ張ってましたよ」
「はっはっは。そうかい」
正平さんは、座卓の隅々まで見て、触って、動かして何やら確認していた。
「こいつぁ、中村さんが言うほどものは悪くない。でもな、足の継ぎ手ンとこが全部いっちまってる。天板はいいが、足は全部換えねえと、折れたら終いだ」
「ええー?」
「まあ、俺に任しとけ。今は使えるもんまでぶん投げる時代だ。足の代わりなんざ、わざわざ買って揃えなくてもなんぼでも手に入るからな」
正平さんは、そう言って胸をぽんと叩いた。
「じゃあ、お手数ですけど、お願いします」
「おう。二、三日で上がるよ。声掛けるわ」
「はい」
座卓の修理が思ったより安く、早く終わりそうだってことで、俺は少し気分がよくなった。これからとんでもなばあちゃんの相手をしないとならないっていう負担感が、いくらかましになった。
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