第三話 体験学習

(1)

 せっかくの休みだと言うのに、ひろの機嫌が悪い。昨日帰ってきた時もむっすり黙り込んでいたから、職場で何かおもしろくないことがあったんだろう。精神的に安定していて、あまり腹を立てないひろにしては珍しい。

 無言でがつがつと乱暴に朝飯を食ったあとで、寝ると言い残して寝室に行った。まあ、それがいいだろう。おもしろくない時には、何をやっても気分転換にはならない。それよりゃ不貞寝した方がなんぼかましだ。とばっちりを食うのは嫌だから、そのままそっとしておこう。いつもとは逆で午前中事務所に行き、午後から家事をやっつけることにするか。


 俺は、座卓の上に昼には戻ると書き置きして、マンションを出た。


◇ ◇ ◇


「おい」


 うーん。がっくり来るなあ。俺は事務所の前で腕組みして、立ち尽くしていた。ひろだけじゃない。俺も、ぶりぶり腹が立ってきた。なんでこういうしょうもないことをするんだ!?


 入り口横の窓のガラスが割られている。物置きと見紛うおんぼろ事務所に泥つくさんが入ったところで、ただ寒いだけで何も得るものはなかろうが。それは窓から中を覗けばすぐに分かることだ。カーテンもブラインドもなくて、丸見えなんだし。

 どう見ても泥つくさんではなく、いたずらだろう。泥つくさんなら、窓の鍵のところを割って内鍵を開けて侵入する。だが、ガラスが割れているのは窓のど真ん中だ。そして、事務所の中に子供の握りこぶしくらいの大きさの石が転がってる。そいつを投げつけて割ったんだろう。事務所は通りに面していないので、学校帰りに思い付きでいたずらしたってわけじゃないね。ガキのくせに下見して犯行に及んでいるってことだ。


 俺が高給取りなら、ガラス一枚どってことないさ。でも、ひろの稼ぎにぶら下がってる俺としちゃあ、せめて事務所の維持費くらいは自力でまかないたい。ガラス一枚って言っても、業者に入れ替え頼めば俺の日当の二日分くらいはあっと言う間にふっ飛ぶんだよ。くそったれ!!

 段ボールでも張っておきゃあ当座はなんとかしのげるが、その状態じゃ依頼者に来て下さいとは言えないもんなあ。それに、俺はここに常駐していない。ガラスを換えても、またぞろ割られた日には本当に干上がってしまう。むうう。


 俺は冷静沈着で、温厚かつ辛抱強い性格だと思っている。思ってはいるが、俺とて生身の人間だ。こういう理不尽なことをされるとむちゃくちゃ腹が立つ。覚えていやがれ! 探偵を怒らせると、どれほど恐ろしいことになるか思い知らせてやるっ!


◇ ◇ ◇


 とは言ったものの。腹を立てるエネルギーがあったら、もっと前向きなことに使えよと言う天の声がすぐに降りてくる。ガラスの入れ替えを発注するのは即座に出来るが、再発防止のめどが立たないと入れ替えに踏み切れない。まず、状況を正確に把握しておこう。地主のじいさんに聞き込みしよっか。


正平しょうへいさーん!!」


 いつも、テレビつけっぱなしで新聞を見ている母屋のじいちゃんに聞こえるよう、玄関口ででかい声を出した。のたのたっと、すててこ姿のじいちゃんが出てくる。


「おお、中村さん。景気はどうだい?」

「相変わらずですー」

「はっはっは。まあ、あんたが忙しくなるってこたあ、何かと物騒だってことだ。仕事がないってなあ、世の中平和でいいんだろ」


 他人事のように言わないでよう、じいちゃん。俺の食い扶持がかかってるんだから。だけど、それをじいちゃんに言ったところで始まらない。


「一つお聞きしたいんですけど、正平さんのとこで、昨日から今日にかけて裏で物音を聞きませんでしたか?」

「裏って、あんたんとこでか?」

「はい。窓ガラスに石ぶつけられて割られててね」

「ああ!」


 じいちゃんが、そういや思い出したって風にして、ぽんと手を打った。


「昨日の夕方くらいに、そんな音が聞こえたな」

「夕方、かあ」

「あんたが、事務所で茶わんでも割ったんかと思ってたんだが」


 んなわきゃねー。じゃあ、俺が帰った直後くらいに投石があったってことか。


「人の声とかは?」

「しなかったよ。静かなもんさ」

「そうですかー。困ったなー」

「俺んとこで、ガラス屋頼んどこうか?」

「いや、入れ替えたのをまた割られたらかなわんです」

「ああ、確かになあ」

「まあ、ちょっと対策考えます。すみません、お休みのところをお邪魔して」

「いやいや。たまには酒でも飲みにこいや」

「ははは。そのうちー」

「おう」


 じいちゃんの家を出て、もう一度事務所の前に戻る。大人数でどやどや来て、おまえやれーとかいうノリで石投げたってことじゃなさそう。もっとひっそりだ。投げられた石も一個だけだし。そしてこのあたりの住宅や事務所で、投石で窓を割られたって話は聞いたことがない。俺のところを狙い打ちしてる。


「うーむ」


 ぼろ事務所へのいたずらなら、最初から窓ガラスを割るって話にはならないと思う。郵便受けにごみを突っ込んだり、やわな壁に蹴りを入れたり、出してあったゴミ袋の中身をまき散らしたり。そういう実害の少ないところをまず試して、それから徐々にエスカレートするってのがスジだろう。


 いたずらは、憂さ晴らしが元のこともあるけど、半分以上はガキどもの自己顕示だ。いたずらするやつぁ、それがばれることは承知の上でやってるんだよね。この手の軽微な器物損壊は、犯罪とは言いながらそれで厳罰が下されることはない。捕まってもごめんなさいで済んでしまう。せいぜい実費を弁償させられるくらいが関の山だ。だからオトナならともかく、虚栄心でいたずらをするガキどもならもっと堂々とやる。

 だが今回はずいぶんちゃちで、しかも陰気くさい。もしいたずらじゃなくて俺や俺の商売に対しての敵意が元なら、もっと派手な破壊活動になるはず。金属バットで窓を全部叩き壊すくらいのことはするよな。石一個投げて窓ガラス割っておしまいってのは、それをやってるやつの狙いが見えてこないんだ。いたずらでも怨恨でもなく。石を投げて事務所の窓ガラスを割る理由なんて、他にあるのか? いや、それ考えるよりゃ、自衛策考える方が先だ。


「しばらくは、事務所に詰める時間を増やさんとなあ」


 自分で言って、自分で気付いた。あああっ! そ、それだあっ! そして、俺のアクションを確かめるかのように、気弱そうな男の子が財布を持っておずおずと近付いてきた。


◇ ◇ ◇


 そうだよ。俺は、普通のリーマンみたいに、定時に出勤して定時に帰る仕事をしているわけじゃない。依頼がある時には本当にピンポイントにしか事務所に寄らないことがあるし、昼間不在にして夜間まるまるここに詰めることもある。在所時間が本当に不規則なんだ。

 ほとんどの依頼人は最初に電話で俺にアプローチするから、そこでアポを詰められる。だけど飛び込みで来ようとする人は、なかなか俺を捕まえられない。電話を使わないで飛び込みで来る理由なんかほとんどないはずなんだが、今回がそのレアケースってわけだ。電話出来ないって言うか、電話する勇気がないってのが正解だろう。


 目の前の男の子は、見た感じたぶん中学生だろう。眼鏡をかけてて、財布を握りしめて小刻みに震えてる。今時の子にしては、ずいぶん気弱そうに見える。


「あ、ああ、あの……僕が窓、割りました。ごめんなさい」

「なんか依頼があるんでしょ?」


 俺がそう言ったことで、男の子が飛び退った。


「え、ええーっ!? ど、どして」

「私は、ここにずっといるわけじゃないからね。いないことの方が多い。君も学校があるからいつでもここに来れるわけじゃないし、タイミングが合わなくて、なかなか私に会えない。事務所に何かすれば、私が警戒してここに長くいる。そう考えたんじゃない?」


 男の子が青ざめた顔で、首をこくんと振った。


「まあ、私はその動機が分かりゃ安心出来る。窓ガラスの弁償はしてもらうけど、依頼は別だ。まあ、入って」


 俺にものすごく怒られるかと思っていたその子は、少しほっとしたのか、ばりばりに力が入って上がっていた肩を下ろして、大きく深呼吸した。


「ふううっ」


 気持ちは分かる。初々しいなあ。


 事務所の鍵を開けて、飛び散ったガラスを二人で片付けて、ガラス屋に入れ替えを頼んだ。再犯の心配がないから、安心して補修できる。それまでは一時しのぎで段ボールをガムテで張った。おんぼろ事務所がますます貧相に見えるなあ。とほほ。


 男の子に紅茶を出して、俺はコーヒーを入れた。


「さて、私は中村操です。一人で探偵っつーか、調査業をやってます」

「はい」

「じゃあ、君の名前を教えて」

「ぼ、ぼくは……岸野って、岸野裕介って言います。サクラ四中の二年生です」

「岸野くん、ね」

「はい」

「で、どんな相談?」

「はい、あの」


 切羽詰まった様子で男の子が話したこと。それは、とても厄介な事案だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る