(10)

 興奮してはしゃぎ回っていた子供たちは、日付が変わる直前にようやく沈没した。寝付いた子供たちの枕元にサンタさんからのプレゼントをセットして、中村家のクリスマスイブは無事終了。


「みさちゃん、お疲れ様」

「ふううっ。一つ終われば、また一つ。年末年始は慌ただしくなるな」

「そうね。うちの親たちが手ぐすね引いて待ってる」

「はははっ! 典型的な孫馬鹿だもんなあ」

「期待していなかった分、喜びも大きいんでしょ」

「期待していなかった、か」

「そ」


 ふっと小さく息をついて、ひろが紅茶のカップを両手で包んだ。


「親子って言ってもいろいろあるわ。引力も反発も、いろいろね」

「そうだな」


 親子の関係を修復したと言っても、叩けば金属音がするような頑固者同士だ。まだ軋轢は残っているということなんだろう。上目遣いになったひろが、俺にも確かめる。


「みさちゃんの方は相変わらずなの?」

「もうなんの期待もしてないよ」


 やれやれというように、ひろが窓外の夜景に目を向けた。


「ただな、最近強く思うようになったんだ」

「なにを?」

「親は親なりに何か守りたいものがあって、ああいう態度を取ってきたんだろうなってね」

「へ? 守りたいもの?」


 そんなものがあるのかという顔をしたから、素っ気なく答えた。


「自分勝手もいいところのろくでなし両親だけど、あの二人、別れてない。ずっと二人で行動してるんだよ。今もそうだ」

「あ!」


 驚いたひろが目をいっぱいに見開く。俺の恨み節ばかり聞かされていて、その奥にあった事実が見えなかったんだろう。実子の俺ですら見えていなかったんだ。いや、違うな。俺はずっと前からその事実に気づいていた。それを……あえて無視し続けてきたんだ。


「いつもべったり二人でいるってことじゃないさ。行動はそれぞれ別々。でも、二人で暮らすという基本線だけは絶対に崩さないんだよ」

「そうか……」

「子供よりパートナーを重視するんなら、子供なんか作るなって言いたいよ。それも、二人もさ」

「うん」

「でも俺が自分勝手な親を憎みきれなかったのは、結局そこだと思うんだ」

「なるほどね」


 ひろが力任せに引っこ抜いた親への怨嗟という錆び釘。俺は、それを死ぬまで抜くことができない。ただ……両親のパートナーシップが親子の血の繋がりを凌ぐほど強靭だいうことは、事実として認めざるを得ない。俺と姉貴を敵に回し、世間に後ろ指をさされても、頑なに変えようとしなかったからな。

 そのこだわりには覚悟がある。いずれ夫婦のどちらかが先に逝った時、残された方は死ぬまで孤独に耐えるという強い強い覚悟だ。親から放置され続けて来た俺や姉貴は、絶対に親の面倒なんか見ないよ。俺たちが実質絶縁を宣言していることは親にもわかっているはず。親子の縁には生涯頼らないという覚悟があったからこそ、ネグレクト寸前の育児放棄に踏み切ったんだろうからな。


 そんな偏ったこだわりなんか理解できないし、理解したくもない。だが親には親のポリシーと生き方があり、俺が今更それを曲げろとか変えろと迫ったところで誰にも意味がないんだ。一般論を無闇に振り回すとかえって衝突や軋轢がひどくなる。親子の数だけそれぞれに親子関係があるということを、事実として受け入れるしかないんだろう。


 うちのところもフレディのところも、子供が成長すればいずれ親子の間にずれが出てくるだろうし、それをすんなり消化できるかどうかわからない。雄介のように、俺らの想いとは裏腹の好ましくない方向に転げてしまうリスクもある。

 人を無理やり変化させることはできないんだ。それがたとえ実子であっても、ね。それなら……いつも俺自身を見直し、親としての方針や対応を立て直しながら進むしかないんだろう。


 立ち上がって窓際に行き、夜景を見ながら無意識に喉を撫でさする。


 俺の中にずっと刺さったままだった釘は、イコール親に対する反発や怨嗟じゃない。そいつは釘の材料の一部に過ぎない。自分が出来損ないであること、自信のなさ、自分に対する劣等感や不満。それらが釘の形に凝っていたんだ。

 改善点ばかりなら必ず今よりましにできる……鬼沢さんに偉そうなことを言ったが、そういう俺自身の自己研鑽が甘過ぎる。俺はハイレベルな人種じゃなく、いつも手直しが必要なへっぽこなんだ。出来損ないのままでいいと自分を放り出した途端に、足元ががらがら崩れ始めるだろう。

 そうだな。汚い錆び釘が刺さったままだからこそ、俺は前に進める。釘はむしろ貴重な手札だと考えないとな。


 ずっと難しい顔をしていたから気になったんだろう。俺の隣に歩いてきたひろが、こそっと確かめる。


「ねえ、みさちゃん」

「うん?」

「前にさ、釘の話をしてたよね。親のことが釘になって刺さったままだって」

「そう」

「で、さっきの話聞いて思ったんだけど。みさちゃんは結局釘を抜いたの? 抜けたの?」

「抜けないなあ。たぶん、一生そのままさ」

「ええー?」


 不満げな顔をしたひろの肩を抱いて、窓外の闇を見通す。残念ながら雪は降らなかったな。代わりに、冷たく澄んだ夜気を通り抜けた街の灯りが目に飛び込んでくる。その灯りの数だけ安息と幸福があるように感じるのは、今夜がクリスマスイブだからかもしれない。

 それなら俺も今日くらいは錆び釘の上に赤いペンキを塗り、電飾がぺかぺか光るクリスマスリースをぶら下げることにしよう。


「釘を抜かないってこと。それは、親に対する恨みの感情を持ち続けるって意味じゃないよ。俺もいい年だし、俺自身がもう親だからさ」

「うん」

「釘があるからこそ、俺は自分を見る。抜かなければならないものから抜いてはいけないものに、いつの間にか釘が変わってたんだ」

「ふうん」


 ひろは、刺さっていた釘を引っこ抜いてしまったと思っているだろうな。でも、さっき言ってたじゃないか。親子の間には引力も反発もあるって。釘はまだ刺さってるんだよ。それを意識しなくても済むようになっただけなんだ。

 そして、俺はひろとは違う。俺は意識して、刺さっている釘をプラスに転じなければならない。そうしないと釘が中から俺を腐らせてしまう。


「俺自身がもう釘なんだよ。そいつを抜いたら俺でなくなる。だから錆びた古釘にもできることを探すさ」

「あははっ! なるほどね」


 闇で塞がれている窓に、俺の顔が写っている。どうにも冴えない、しょぼくれたおっさんだ。ブンさんが今の俺を見たら全力でどやすだろう。なんでそんな下手くそなトシの取り方をしやがるんだって。はははっ。

 ああ、そうだブンさん。へっぽこの俺にもやっとわかったことがあるんだ。見える色の向こうの色を見ろという戒め。その対象から自分を外しちゃいけないんだよな。闇の向こうには、好ましい自分も見たくない自分も一緒に隠れてる。それは俺が漫然と日々を浪費している間は決して見えてこない。俺自身の真実すら必死に探さないと見つけられないんだ。刺さっている釘の痛みは、そいつをずっと警告し続けてくれるだろう。そうだ。忘れないうちにちゃんと書いておこう。


 尻ポケットから手帳を抜いて白紙のページに赤ボールペンを走らせ、書きつけた短い一文をぐりぐりと何度も丸で囲った。


『必死に探せ!』


 紙面を覗き込んだひろが、何を探すんだろうという顔をしている。自分自身のことも、人のことも、なにもかも、だよ。それは、俺の新たな目標じゃない。これまでの俺の生き方そのものであり、これからもずっと変えるつもりはないんだ。


「ねえ、みさちゃん」

「なんだ?」


 俺の視界を塞ぐように、正面に回り込んだひろがはぐっと抱きついてきた。


「来年は、探し物がいっぱい見つかるといいね」

「それが商売だからな。見つからないのは困る」

「あははっ」


 ひろを抱き返す腕に力を込める。俺は、欲しいものをずっと探し続けてきたからひろを見つけられたんだ。探さないものは見つからないが、必死に探せばきっと何か見つかる。俺はそれを不変のモットーに、そして誇りにして。これからもへっぽこらしくじたばたと探し続けることにしよう。


「あ、そうだ。みさちゃん」


 ばつが悪そうに、ひろが俺を見上げた。


「うん?」

「ごめんね。隼人たちのプレゼントのことで頭がいっぱいになってて、みさちゃんの分揃えるのを忘れちゃった」

「ははは。それは俺もそうだ。祝賀会のこともあったし、完全に頭の中からすっ飛んでたよ。だけど、俺はもうひろからプレゼントをもらってる」

「え?」


 俺は抱いていたひろをとんと離し、両肩を持って窓に向けた。ひろの肩越しに、眼下に広がる無数の光点を指さす。


「無限にある砂粒の中にたった一つしか存在しない、何にも代え難い宝玉。探し続けて、見つけて、それは今俺の目の前にある。プレゼントはそれだけでいい。ひろ以外は何もいらない」


 くしゃっと顔をほころばせたひろは、そのあと泣き顔になった。


「う……」


 俺も……涙がこぼれ落ちそうになる。その顔を見られたくなくて、慌てて夜景を見下ろした。


 闇に塗り潰されるまいと小さくてもしっかり輝く家々の灯りが、目の中で滲んできらきらと光片を振りまく。それはとても美しいけれど、星のような希望と幸福のシンボルにはなれない。単なる存在証明の一つに過ぎないんだ。

 だから俺は、見えている灯りがちゃんと幸福のあかしになっているかを確かめ続けたい。必死に。全力で。もちろん、探しものの中には俺とひろ、そして子供たちの灯りも入っている。灯りがどんなに仄暗くなっても、目を逸らさない限りその温もりを見落とすことはないだろう。


 俺の目に溜まった涙が、どこに行ったらいいのか戸惑っている。その出奔と照れをおちゃらけでごまかす。


「うーん。俺が言うと、気の利いたプレゼントにならんなあ。どうにもへっぽこだ」

「そんなことないよう」


 せっかくロマンチックな雰囲気だったのに。ぷっとむくれたひろが目尻の涙を拳で拭った。済まんな。へたれの俺にはこれで精一杯だ。チラシでとびきりの特売品を見つけたようだと言わなかっただけましということにしよう。ははは。


「そういやフレディに言われたなあ」

「なんて?」

「俺のへっぽこにはごっつい筋金が入ってるってさ」

「そりゃそうよ」


 俺の腕をぐいっと抱き込んで、ひろが屈託なく笑った。


「だからどうしようもなく好きになったんだもん!」

 


【最終話 真実とへっぽこ 了】




 *** へっぽこ探偵中村操の手帳  完 ***

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る