(9)

 夏ちゃんたちの結婚祝賀会が終われば、すぐにクリスマスだ。


 若い人たちはクリパでわいわい盛り上がるんだろう。だが、俺たち子育て世代はホームパーティーメインになる。まだ子供がいなかった頃はクリスマスこそ稼ぎ時だと家にいなかったひろも、今は休暇を取ってクリスマスを家で過ごす。変われば変わるもんだと思って突っ込んでみたら、意外な理由を聞かされた。


「わたしが年を取ったみたいに、社も相応に年を取ったの。まだ社が若くて社員一丸となってばりばり走り回っていた時には、社での時間が全てだった。わたしが特殊なんじゃなくて、社全体の雰囲気がそうだったんだよね」

「わかる」

「でも古参社員の多くは、わたしも含めて結婚、出産、育児っていうネクストステージに入ってる。社長は、それも込みで会社の成長プランを組んでいたから、わたしだけが今まで通りでいいっていうわけにはいかないわ」


 JDAが探偵社からコンサルティング会社に鞍替えしてしまったほどではないにせよ、社の発展に伴う社風の変化というのは珍しくないんだろう。今野さんと同じ種の喪失感が、ひろにもあるのかもしれない。しかし、ひろはがっかりしているという表情は見せず、穏やかに笑った。


「ふふ。それを仕方ないと考えちゃうと発想がネガになる。今までに経験したことのないステージに入れば手札が増えるの。顧客層も扱う商品の幅もね」

「なるほどなあ。貪欲だ」

「そりゃそうよ。うちは大会社じゃないから、できることにどんどんチャレンジしていかないとすぐに縮んじゃう」


 興奮してばたばたと室内を走り回っている隼人を見ながら、ひろが悪戯っぽく言った。


「それぞれが、社と家庭で過ごす時間の意味と使い方を考える。その中には、働き方だけじゃなくて休み方もあるってことね。統率者は、それを真っ先に実践しないとならないから」

「社長から、ちゃんと休暇を消化しろって言われてるんだろ?」

「もちろんよ」

「ママーっ!」


 足元にじゃれついてきた隼人を抱き上げ、その頬にちゅっとキスをしたひろが、ぐいっと胸を張った。


「クリスマスを家族と賑やかに過ごすのが楽しみ。上辺だけじゃなく心からそう思えないと、部下にちゃんと休んでって言えないもの」

「はははっ! 確かにそうだな。おっとっと、待て待て、こらー」


 視界から消えそうになっていた月乃を追いかけ、慌てて抱き上げる。


「ぶー」


 不満そうな顔で体を反らす月乃。隼人と違っておっとりだと思っていたのは大きな間違いで、やはりひろの子だ。血は争えない。はいはい床掃除を脱してつかまり歩きが始まった途端、行動範囲が爆発的に広がった。発語も表情も豊かになり、かわいさ十割増しになったのは嬉しいんだが、目を離すとなにこそしでかすかわからん。

 行動制御だけでも大変なんだが、食事の世話も加わった。断乳が遅かったものの、今は完全に離乳食に切り替わっているからな。ママのおっぱいに頼れない分、子供のケアにはこれまで以上に手がかかる。

 子供一人ではなく二人いるという重みが、生活にずっしりのしかかっているのを実感する。俺もひろも、子供がいて楽しい楽しいだけでは済まされないんだ。思うようにならないこと、イライラすることはこれからもっと増えてくるだろう。


 それでも。隼人や月乃はどうしようもなくかわいい。うちもフレディのところも、子供に溢れんばかりの愛情を注いでいるという点だけは胸を張って自慢できる。その反動で、雄介や逆城さんのバカ息子みたいなやつが許せなくなる。

 だが……親が子供に無条件の愛情を注ぐという仕組みには、必ずしもなっていないんだ。だからこそ、うちの両親みたいな親と名乗って欲しくないろくでなしが一定数出現する。とことん理不尽だと思うが、だからと言って現実をスルーすることはできない。


 それに。子供にどんなに愛情を注いでいても、子供と一緒にいられる時間にはどうしても仕事の制約がかかる。うちもフレディのところも共働きだし、佐伯さんのようなシンママならそもそも他に選択肢がない。親にはいつも側にいて欲しいという子供のリクエストに、百パーセント応えるのは不可能だ。早くから子供を突き放していた俺の親におまえだって同じことをしているだろうと非難されれば、それを全力で否定することができない。


 もらえるはずの愛情が不足して飢餓が限界を越えると、怨嗟が凝って不幸の種子になる。足りない分を奪ったり盗んだりするやつが現れるし、もらえないのは自分が醜いせいだと自傷に走る子も出てくる。しかも増えてしまった不幸は、往々にして代をまたいで連鎖する。鼠算式に犯罪の温床を増やしてしまうんだ。

 不幸の連鎖を防ぐためには、不足している愛情を誰かがなんらかの方法で補ってやらなければならない。それが実の親子の間でなくとも、単なる知り合いに過ぎなくとも、だ。ブンさんが、自らの半生を惜しみなく投じて沖竹所長を育て上げたようにね。俺はブンさんほどの大きなエネルギーは持ち合わせていないが、常に手を差し出せるような心構えはしておきたい。


 佐伯さんのケースでは、俺の差し出した手が辛うじて届いたんだろう。ただ……そこにはいくつもの幸運が積み重なっている。佐伯さんのように恵まれているケースは滅多にないんだ。

 俺らのような商売の場合、今後も同様の悲劇に遭遇してしまうことは避けられない。その時々に何をなしうるか、最善の対応を模索していくしかない。だから、行政や福祉関係者との間を公式に繋げられる鬼沢さんと協業できる意義はとても大きいんだ。ひろと出会えたこととは別の意味で、邂逅のチャンスをくれた神さん仏さんには大いに感謝したい。


◇ ◇ ◇


 抱いていた月乃の手が頬に当たって、はっと我に返った。俺の意識が他に行っていたのが不満だったんだろう。下ろすか構うかどちらかにしろという表情だ。頬がぱんぱんに膨れている。


「ぱー。ぱー」

「ああ、すまんすまん。たかいたかいー」


 月乃をひょいと頭上に差し上げる。月乃は一転大喜び。だらだらよだれを垂らしながら、無邪気に笑っている。上機嫌で手をぱたぱた振り回している月乃を見て、ふと隼人が生まれたばかりの時のクリスマスを思い出す。

 るちあと言ったっけ。あの猫は……突然失ってしまった飼い主の愛情をどこかで取り戻せただろうか。注がれていた愛情を失ったのは、パトロンから捨てられた女も同じだった。残念ながら、愛情というのは必ずしも授受のバランスが釣り合わないんだよな。鹿間家の親子がいい例さ。親から無尽蔵の愛情を注がれていながら、雄介はそれをゴミ扱いしている。アンバランスがいつどこで生じたかわからないが、どうにもやり切れない。


 それでも俺は、こと愛情に関しては「求めよさらば与えられん」という有名な格言が当てはまると信じている。求めていないのに愛してくれる奇特な人なんざいないよ。雄介が心底誰かの愛情を求めない限り、真摯に愛情を注いでくれる者には永劫に巡り会えないだろう。

 即物的な刺激と快楽だけを追い求めているうちに自我すら失い、最後は泥沼の底にあくたとなって沈む……そうならなければいいけどな。


「みさちゃん、どうしたの?」

「ぱぱー?」


 月乃を抱き直して顔をしかめていたら、ひろと隼人に同時に突っ込まれた。慌てて言い繕う。


「いや、サンタさんのそりは今頃どこを走っているのかなあと思ってさ」

「ふふ。隼人ー。楽しみだねー」

「うん! おれ、サンタさんのかわりにそりにのるー!」

「おいおい。そらあハイジャックだぞ」

「きゃはははっ!」


 得意げに鼻の穴を膨らませている隼人を見て、ひろが大爆笑している。


 保育園で一足早いクリスマス会があって、楽しかった隼人はすっかりクリスマスびいきになったらしい。隼人のわくわく顔を見ながら、しんみり思う。

 これから家族で過ごすクリスマスの回数が増えるたびに、俺は愛情の形を。その変化を。そして行く末を考えることになるだろう。俺やひろが子供たちに渡す愛情のバトンが、より大きな愛情の木に育ってくれるよう心から祈る。俺からサンタにお願いしたいのはそれだけだ。


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