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 電車で三十分ほど都落ちしたところに、山崎が務めている小さなオフィスがあった。デザイン事務所というから洒脱な社屋かと思ったが、雑居ビルの二階に間借りという感じだ。小汚い外観ではないものの飾り気がなくて、えらく素っ気ない。オシャレ感は皆無。まあ、アート系はよほど大物にならない限りはかつかつの暮らしぶりになると聞いている。その実情を正確に反映しているということなんだろう。

 オフィスはグラスエリアが広く、梅雨時で外が暗いせいか何箇所かブラインドが上げてある、オフィスの中がいろいろな角度からよく見通せるってことだ。それは調査上すごく助かるんだが、同時に違和感も覚える。


「うーん……」


 まあ、いい。考えるのは後にしよう。

 デザイン事務所の社長は、福田という四十絡みのむっさいおっさんだ。背が低くて小太り。鳥の巣頭で、顔は無精髭だらけ。デザイナーというおしゃれ感のある職業とは裏腹に、顔も体型もどうにも冴えない。だが見た目と裏腹にデザイナーとしては結構名が通っていて、検索すると事務所名がそこそこヒットする。仕事はコンスタントにこなしているようだ。つまり、至極まとも。


 社員はざっと見た限り数人のレベルだろう。福田社長と同様にデザインに関わっているのが、少なくともあと一人。そいつが若い女。あとは事務員の姉ちゃんと営業関係のあんちゃんが何人かと言ったところで、山崎は客対をやっているようだ。スマホで誰かとやり取りしては、こまめにメモを取っている。

 デザイン事務所のせいか、山崎だけでなく社員の服装が全体に派手めだ。なるほどな。写真で見た山崎がえらくちゃらけて見えたが、こういう仕事をしてますからと言えば立派なエクスキューズになる。所長が、警戒心だけで突き放せないというのもよくわかる。

 ただ……引っかかるのは、山崎の妻である美香も同じ事務所に務めているということだ。職場で知り合って、フォールインラブして結婚、か。筋書きとしては何もおかしくないが、独身者が多そうな小さな事務所の中に新婚夫婦が居座れば、普通は空気がおかしくなるよな。だが、そういうぎくしゃく感が一切感じられない。下衆の勘繰りかもしれないけれど、どうも気になる。


「うん。ここまでのファクトは隅から隅まで真っ白けだ。俺でなく、沖竹の調査員が調べても何も出てこんだろう」


 厄介だな。俺に尾行がついている時点で、状況証拠は真っ黒けなんだ。どうにもこうにも臭すぎる。だが、何かを仕掛けている山崎はどこからどう見ても真っ白けだ。無臭に近い。その落差が埋まらない。


「もうちょい近くで拝むか」


 遠方監視から接近監視に切り替え、オフィス近くの喫茶店に入って窓際席に陣取る。小さな店だったので、俺をつけてるやつはさすがに入ってこなかった。俺に勘づかれるのはまずいと思ったんだろう。だが、物陰から俺を伺っている視線は途切れていない。

 そいつらを放置して、オフィスへの人物の出入りをチェックする。営業兼任らしい山崎はこれから客先に出向くのか、事務のねえちゃんに何か言い残して事務所を出ると、そのままどこかに歩いて行った。振る舞いには、特に変わったところはなかった。


「ふむ」


 山崎が事務所を出てしばらくして、背の高いイケメンのあんちゃんがのしのしと事務所に入っていった。事務所の中の雰囲気が一気に華やいだから、そいつはムードメーカーなんだろう。事務の姉ちゃんがお疲れ様という感じで飲み物を持ってきて、他の社員も彼の周りに集まった。それも女ばかりだ。


「うん。そこが……な」


 小さなデザイン会社なら、社員がみんな若くても違和感はない。社長を除けばほとんどが二十代、三十代だろう。山崎も今事務室にいるイケメンあんちゃんもアラサーという感じだ。そして、容姿がごく普通の山崎と違って、今いるあんちゃんはメンがよく、ぴっかり明るい印象。どえらく女にもてそうだ。


「臭いなあ」


 恐ろしいくらいわざとらしい誘導……というか演出に感じる。所長が現場に来れば、見え見えじゃないかと呆れるだろうな。そう、俺たちはわかりやすい図式を見せつけられているんだ。

 社長以外の男性社員二人の中では、山崎は地味で、もう一人のあんちゃんはモテ要素満載。でも奥さんが選んだのは山崎で、山崎はその奥さんの真意をまだどこかで疑っている。俺の知らないところで、あのあんちゃんと浮気してるんじゃないかという図式。


「つーことは、だ」


 イケメンあんちゃんの周囲の女たちをチェックする。事務のとっぽい姉ちゃんは、イケメンくんにぞっこんという態度を隠さない。なので、それが山崎の妻だという線はない。デザインデスクに張り付いてる冴えない格好の若い女は、あんちゃんには全く興味がなさそうだ。でかいあくびを何度もぶちかましてる。

 営業関係なのか、派手な服装の女が一番はしゃいでいるが、あんちゃんは全く相手にしていない。もう一人、控えめな感じの清楚な美人がにこにことあんちゃんの話を聞いている。ふむ。きっとあれが……山崎の妻の美香だな。


「なるほどね」


 素人でも勘付くわかりやすい人間関係だよ。美香が誰にでもすぐにわかるほどイケメンによろめいているなら話は別だが、少なくとも俺の目には同僚をねぎらう態度にしか見えない。他のねえちゃんたちとは距離感が違うし、第三者に見られた時に誤解されないようにフェンスをめぐらせてあるという感じだ。つまり、表向きにはどこもおかしいところがない。でも山崎ならずとも、そこにきな臭さを嗅ぎとるやつは多いだろう。


 改めて山崎の妻であろうと思われる女を観察する。二十代前半かな。ぱっと見にも美人だと思ったんだが、じっくり観察すると通常レベルの美人ではなかった。山崎が不安になるというのがよくわかる、スーパーレベルの美人だ。うちの小林さんがアイドル系だとすれば、山崎の妻はトップ女優系。小林さんにはまだ残っている乳臭さがない。そして、顔だけでなくスタイルもいい。立ち居振る舞いにもだらしなさがなく、洗練されてる。小さなデザイン事務所で働いているのがどう見てもおかしいと思えてしまう、まさに掃き溜めに鶴だ。


「……」


 こらあ、発想を根底から変えないとダメだな。とりあえず、初見の印象を所長に報告しておくか。もっとも、所長が俺の送った情報を見たところでまだ何も引っ張り出せないと思うけどね。


「今日はこのくらいにしておこう。沖竹のトイレとここでこってり臭いがついちまったからな」


 支払いを済ませて喫茶店を出る。食いついているダニの表情に緊張感のようなものが浮かんでいない。俺から送られた情報が、沖竹所長の退路を断つことを確信しているんだろう。確かにね。この観察結果を見てしまうと、俺でも断るのは難しい。最初に感じた胡散臭さを鵜呑みにして、依頼を門前払いしてしまう方がずっと楽だ。


「相当かっちり仕組まれてる。この糞の山をどう切り崩すか、だなあ……。ああ、くせえ」



【第十話 臭い、臭すぎる 了】

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