第十一話 二択
(1)
二件の事前調査を開始した翌朝。うちの事務所は重苦しい雰囲気に包まれていた。
沖竹から請けた案件が大型になったことで、宝井さんの案件は無理に引き受ける必要がなくなった。それこそ俺の気味が悪いという直感を信じるなら、絶対に断るべきだろう。だが、俺の懸念は逆に膨らんでいた。沢本、夏岡、小林の三人揃って、どうにもこうにもおかしいと首をひねっていたからだ。
「小林さん、宝井さんの印象は?」
「優しそうな人っていうのは、最初からずっと変わんない。ただ」
「うん」
「わたしと……同じような匂いがするんだ」
同じような匂い。つまり、自分の意思がうまく主張できない、わかってもらえない……そんな感じなんだろう。女性が女性から感じ取るクウキには、理屈のフィルターが挟まらないことがある。オンナの直感はバカにできないんだ。
「夏ちゃんは?」
「僕に似てますね。面と向かってはきはきものが言えない人に見えました」
「そうなんだよ」
がっつり腕を組んだ沢本さんが、ぎゅわっと顔をしかめた。
「押されたら押されただけ下がっちまう。言っちゃ悪いんだが、見るからに男の食い物にされるタイプだな」
「やっぱりかあ……」
三人の印象は、表現が違うだけで共通だ。それは、俺が電話でやり取りした時の第一印象とも一致する。思わず頭を抱えてしまう。
「ねえ、沢本さん。ということは、間違いなくエスオーエスですよね」
「俺はそう思う。こういう形じゃないと言えないんだろ」
「うーん……」
さあ、困った。強引すぎるカレシのペースにずるずる引きずられている気の弱い女性。一方的な彼との距離を強制的に空けたい。その気持ちはよくわかるけどさ。俺のところは調査会社であって、法律事務所でも別れさせ屋でもない。自分とカレシとの間にくさびを打ってくれってのは、うちの業務範疇外なんだよ。
「あのね」
黙り込んでしまった俺を見かねたのか、小林さんが切羽詰まった表情で身を乗り出した。
「婚約者が、幼稚園の外で宝井さんの仕事が終わるのを待ってた。二人で一緒に帰ったの」
「男は歩き?」
「そう。彼氏の方も仕事帰りだったみたいで、普通のサラリーマン風」
「ちんぴらとか、そんな感じじゃないってことね」
「うん。でもね」
苛立っていた小林さんが、咳き込むように一気に吐き出した。
「彼氏がすっごい強引で一方的なん。黙って俺についてこいみたいないやーな感じ。ちょー態度でかい!」
ああ、なるほど。小林さんのお父さんに似たタイプだってことだ。カレシの態度は、彼女の生理的嫌悪感を直撃するんだろう。でも、夏ちゃんも小林さん同様に口を尖らせた。
「どうもおかしい。間近に結婚式を控えているという幸福感みたいなものが、どこにも見えなかったんです」
「宝井さんに?」
「いいえ、二人とも」
「えええっ?」
なるほど、そらあ……。顔を歪めた俺を見て、沢本さんが勢い込んだ。
「なあ、中村さん。あらあだめだ。良い悪い以前の問題だよ。男の方に間違いなく裏がある」
「そうか。それならうちで請けられるってことですね」
「俺はそう思う。あの男、これまでも女絡みで何かやらかしてると見た」
刑事だった沢本さんの総合判断だ。印象も評価も正確だろう。それなら俺は、宝井さんの案件を通常調査からレスキューに切り替えざるを得ない。あとは……具体的にどうするか、だな。
「じゃあ、今日宝井さんの勤務終了後に、事務所に来てもらうことにしましょう」
「それはいいんだが、あの男の迎撃をどう巻く? たぶんあの感じだと日参だぜ」
「うーん、そうか」
俺たちはあくまでも隠密行動に徹さないとならない。被調査者の前で正体をさらすのは禁忌だ。それに、俺たちの事前調査はあくまでも外観からの判断。当事者からしっかり話を聞いて判断したわけじゃない。勇み足が過ぎると、全てをぶち壊してしまいかねない。
「そうだな。クレーマーをこさえるか」
「はあ? クレーマーだあ?」
目を白黒させてる沢本さんを置いといて、小林さんにさっと話を振る。
「小林さん。今度は表に出て。危険はない。幼稚園に子供を預けているママさんを装って、怒鳴り込んで欲しいんだ。もちろん、宝井さんには話をつけとく」
「あ、そうか! わたしが宝井さんの足止めをするってことですねー」
「そう。事情があれば、宝井さんが彼氏に弁解しやすいでしょ? 対応しないとならないから、今日は先に帰ってくれって」
「わたしに出来るかなあ……」
不安を顔に出した小林さんの背を押す。
「変装の技術は完璧なんだ。でも、それだけじゃまだ半分。変装した上で別人になりきらないと、せっかくの腕を活かせないよ。今度は演技力を磨こう」
「……うん」
「僕は?」
夏ちゃんも不安そうな顔をしている。
「夏ちゃんと沢本さんには、強引そうな彼氏の行動監視をお願いします。先に帰ってと言われても、どこかで待ち伏せするかもしれないから」
「ああ、そうだな。見るからに粘着しそうな感じだった」
「彼氏が離脱しない場合は、私が小林さんと宝井さんを別ルートで回収します」
「わかった。そっちは任せる」
もう一度四人で段取りを打ち合わせ、準備に入った。宝井さんの件は依頼を受ける方向でゴーサインを出したから、あとはいかに宝井さんと落ち着いて契約を結ぶか、だ。契約さえ結べれば、俺らはそれをたてにして可動範囲を広げることが出来る。必要に応じて警察への相談に付き添ったり、法律関係者を紹介したり、ね。
ただし婚約者のことを調べてくれという依頼だから、婚約者の息の届く範囲で契約するのは絶対に不可能だ。どうしても、二人を引き離す必要がある。
そう、ものすごく気になるんだよ。宝井さんがエスオーエスを出したのは、もう事態がぎりぎりまで切迫しているからじゃないのかなと。彼氏の方がはっぴームードを一切出していないということは、外部向けに演技する必要がなくなっているから。宝井さんの取り込みをほぼ完了しているってことだろう。その状態で幼稚園という職場から宝井さんを持ち出され、日常から切り離されてしまうと、俺らにはもう手を出せないんだ。エスオーエスが直接届かなくなるからね。
あとで直接本人に確かめるけど、沢本さんが懸念していたように園の前で待ち構えるというアクションが常態化しているのかもしれない。もしそうなら、待ち伏せの理由は彼女と早く会いたいからじゃない。彼女を逃さないための威圧だ。
「ねえ、所長。すぐになんとかならないんですか?」
自分も被害に遭ったことがある小林さんが、じりじりしてる。気持ちはわかる。ただ、そう簡単には行かないんだよ。
「急いで動きたいところだが、先手は打てない」
「どうしてっ?」
「三中さんが言ってただろ? 女性が被害を食い止めるための三つの『だま』の話」
「あ……」
思い出したかな?
「つまり今回のケースで言えば、宝井さんは黙ってちゃだめなんだよ。これこれこういう状態なので、なんとかならないか……そういう言葉や行動にした形の直接アクションがどうしても要る。我々に対してだけでなく、誰かに、ね」
「電話依頼があったんだから、黙ってないってことじゃないの?」
「いや、電話を寄越した時に頭が煮えていたなら、必ず最初から突っ込んだ話になるはず」
「そうか……」
「明確なモラハラやDVの訴えがないと、余計なちょっかいを出した我々の方が加害者にされてしまう」
「そうなんだよ」
沢本さんが、苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
「宝井さんが相手の男に丸め込まれてしまうと、俺らが加害者さ。下手すりゃ、俺らの手が後ろに回っちまう」
「ううー」
頭を抱えてしまう小林さん。そう、なんとかしたいのは山々なんだけどさ。備えなしで突っ込むと、かえって事態を悪化させるんだ。
「まあ、なんとか手立てを考えます。ソフトからハードまでいろんなケースを考えておいた方がいいな」
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