(5)
「む。待てよ?」
ウエディアルの小島さんにもらったコピーを見ていて、ふと気づいた。
「勤務先が名古屋?」
半年前にこっちに転勤した。それなら、勤務先がこっちになっていなければおかしい。登録時の勤務先は名古屋支社になっているが、それが訂正されていない。まあ……あのオバさんは相当ルーズそうだったから、ただ書き直していないだけかもしれないが、一応確かめよう。
「こいつ、もしかしたら今無職じゃないのか?」
ぞっとした。
社を辞めてからこっちで登録したのではなく、こっちで登録し、宝井さんを標的に定めてから名古屋支社をやめ、宝井さんの取り込みを始めたんだ。なぜ社を辞めたか。宝井さんを一日中監視するためだろう。監視で集めた情報を「おまえがどこに逃げてもすぐ見つけ出すからな」という脅しに使ってるとみた。
「……」
だが、久良瀬にまともな職がないなら、宝井さんからただ搾取するだけ。そして、宝井さんが幼稚園から切り離されてしまうと……共倒れになること必至だ。
「まずいまずいまずいっ!」
小林さんの強い懸念は、ぴたりと当たっていた。監視は退勤時だけじゃない。おそらく一日中だ。ということは……。
「俺らのアクションが漏れている可能性がある」
思わずぎりぎり歯噛みする。
「くそったれがっ! どうしてこんなしょうもない案件しか降ってこないんだっ!」
それでも、久良瀬が宝井さんの勤務中には干渉できないという前提条件は変わらない。周囲の目があるからね。俺らはそれを活かすしかない。
向こうがこれみよがしなデモンストレーションをやらかしているなら、こっちも隠密行動する必要はない。堂々と園の正面で宝井さんを回収しよう。俺らがロゴ入りユニフォームを着て探偵社であることを誇示しているわけじゃない。宝井さんと私的に打ち合わせがあるのでと言えば、それに久良瀬が難癖つけるのはおかしいんだ。
小林さんにリスクが発生する以上、クレーマー演技は要らない。そっちは指示解除。ただし、久良瀬ともめた時に目をつけられると厄介なので、変装指示は継続する。念のために回収は車でやろう。園の正面につけて乗ってもらえばいい。
現時点での情報と概略の推理を三人に伝え、情報収集を切り上げて監視に切り替える。ただし……警告付きで。
『久良瀬はもうどこかで見張ってると思った方がいいです。くれぐれも警戒を怠らないように』
俺らが宝井さんを観察したアクションに気づいた久良瀬が、宝井さんへの執着を「裏切った」という反感に変えてしまった可能性がある。久良瀬の怒りが何に向かってどういう形で吹き出すのか、見当が付かない。
「軟着陸の線はない……か。やばいなあ」
◇ ◇ ◇
今度は沖竹案件の方。どうせ連中は俺の前で馬脚を現すつもりはないんだろう。それなら、くだらん猿芝居に一日中付き合う必要はない。ただし、山崎と妻の美香に関わっている連中を把握しておく必要がある。当事者が二人だけとは限らないからね。
デザイン事務所に出入りする連中を見張れるよう、昨日とは別の監視ポイントに移動し、観察を続けた。今日は、スタッフ全員が揃っているようで、昼飯を食いに社員がぞろぞろとオフィスをあとにする。
山崎は相変わらずちゃらめのファッションで、妻の美香は今日は紺のスーツ、か。夫婦にしてはどうもアンバラな感じがするんだが……。イケメンあんちゃんは、昨日と違って今日は背広だ。女性デザイナーはパンキーな格好。イケメンあんちゃんにぞっこんの事務の女たちは、揃って事務員らしくない派手な柄の服を着ている。まあ、見事にみんなばらばらだな。いくら自由なオフィスって言っても、こんなんでいいのかね。と……言って、気付いた。
「ああ、うちも同じようなものか」
定型の仕事をするわけじゃないから、服装はTPOに合わせて調整してくれればってことだもんなあ。
オフィスに残っているのは社長の福田だけになった。その服装がまた。デザイン系ならおしゃれなのかと思いきや、地味そのもの。グレイのシャツに同系色のパンツ。囚人服みたいだよ。それにしても、福田っていうのは本当に愛想のないおっちゃんだ。それでなくともむさ苦しい面なのに、にこりともしない。常時不機嫌そうで、社員が昼飯で出払うと、不機嫌五割増しになった感じだ。この前検索をかけて調べた時には、もっとにこやかな顔で写っていたけどな。
「……」
なんか……引っかかる。
社長も外に飯を食いに出ればいいと思うんだが、デザインデスクとパソコンの間をうろつきながらビニ弁を食ってる。寝食を惜しんで仕事しているという感じでもない。時々、作業用の椅子に身体を投げ出し、気が抜けたように溜息をつき、ぼんやりしてる。
「なるほど。社員と社長の間の落差が大きいんだ」
陽気な社長の下に気のいい社員が集まるならわかる。だが、楽しそうに談笑しているのは社員だけ。誰も社長の機嫌を取ろうとしない。だらしない格好をした女性デザイナーは、そもそも最初から仕事をする気がないみたいだし。事務の姉ちゃんたちもぐだぐだだ。それなのに……社長が咎めようとしない。
「……む」
そうか。監視役のちんぴらは阿呆だから、俺の目があるという情報しか伝えていないはず。それを受けて俺にどんな印象を与えるかは、山崎が決めているんだろう。で、社長以外はちゃんと演技してるように見える。
……社長以外は、ね。
山崎は昼食を終えて戻ってくるなり、あのイケメンあんちゃんと一緒に客回りに出かけた。オフィスの中は女性陣だけになったが、どうもおかしい。仕事に勤しんでいるのは社長だけで、あとの連中がどうにもだらけているように見える。あの、超美人の美香ですら、だ。
「うーん」
印象を整理しきれず首を傾げていた間に、外に出ていた二人のうちイケメンあんちゃんの方が戻ってきた。社屋で繰り広げられる光景は昨日と同じだ。ここでも、社長は一人蚊帳の外に置かれている。
「なるほど。あのイケメン男に俺の意識を強く置かせようってことだな」
腕時計を見ると、もう三時半を回っていた。車で宝井さんの現場に向かう必要があるから、今日はそろそろ撤退しなければならない。まあ、連中のは見せ演技だからこれ以上付き合う必要もないだろう。そう思って店じまいしようと思ったら、昨日とは違う動きが。
「え?」
デザインデスクの前でだらけきっていた女性デザイナーがトイレに行くのか席をたった。そこにぽこんと空白ができて。少ししてから、もう一度客先に行くのかイケメンあんちゃんが社屋を出た。美香は? 俺の位置から死角になるから美香の在否がうまく確認出来ない。
「あっ!」
思わず店の中で声を出してしまい、他の客に不審がられる。イケメンあんちゃんの後を追うようにして、紺のスーツを着た美香が社屋を出た。手にメモ紙を持っているから、事務用品の買い出しにでも行くのかもしれない。だが……二人の距離は徐々に近づいていく。そして……。
「くそおっ!」
もう少し時間があれば
『車で来やがった! まずい!』
四の五の言ってられん。こっちの現場は撤収せざるを得ない。稼ぎでいけば沖竹案件の方がずっと大きい。そして、俺の目の先で繰り広げられている密会の画が、もう一度撮れるという保証はない。それでも……。
「俺は一生へっぽこのままだな。くそったれえっ!」
店を出る前に、もう一度オフィスを見上げる。不機嫌そうな社長。トイレに行ったきりなかなか戻ってこない女性デザイナー。そして……美香が外に出た後も室内にちらりと見えたような気がした、紺のスーツ。
紺の……スーツ。
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