(4)

 ウエディアルは、幼稚園のある地区から二駅離れたオフィス街の一角にあった。宝井さんが仕事帰りにこそっと寄れる距離、そして知り合いとはばったり出くわしにくい立地だ。事務所は小さなオフィスビルの二階にあって、こぎれいで落ち着いた雰囲気だが華やかさってものがない。外看板もビル入口の案内板も、いたってシンプル。結婚相談所らしいのは、ドアにあしらわれている装飾付きの社名プレートくらいなものだった。

 自力でばりばり婚活できない理由があるから結婚相談所に頼るわけで。出入りを他人に覚られたくない会員の来所は、どうしてもこっそりになる。そういう人が顧客なら、外から目立っていいことは何もないってことか。うちと大して変わらないな。ほんのりと同族意識を覚え、思わず苦笑してしまった。


 ドアをノックして名乗る。


「失礼いたします。先ほどお電話差し上げた中村と申します」

「はあい、お入りください」


 明るい、しゃきしゃきした声。静かにドアを開けると、所長の小島さんが、にっこり笑顔で迎えてくれた。小柄でやや太め。服装は派手めだがけばけばしい感じではない。栗色に染めたショートヘアで、丸顔。おしゃれなフレームレスメガネの奥に埋まった小さな目が、好奇心できらきら光っている。人懐こくてよくしゃべる、いかにもなお節介おばさんに見えた。だが名刺交換の後で久良瀬の名を出すと、小島さんは露骨に顔をしかめた。


「その男が何かやらかしたんですか?」


 棘だらけの声で、久良瀬の行状を疑う小島さん。慎重にそれに答える。


「まだ確定ではないんですが、どうもいろいろきな臭くてですね……」

「だからやめておけって言ったのに!」

「あの、もしかして、お相手は宝井さんという方ですか?」

「ええ」


 どんぴしゃだったか。


「宝井さんが会われたいと言ったんですか?」

「いいえ、その男がしつこくて。金を払ったんだから、一度会わせろと」

「宝井さんは断らなかったんですか?」

「会いたくないなら無理をしなくてもいいと、何度も念を押したんですけど」

「ふむ」

「わたしもこの商売が長いので、男性の癖はよくわかります。ああ、この人はちょっと……と」


 そうか。たぶん宝井さんは、こう考えたんだろうな。自分は地味だし、一回会えば相手から断ってくるだろうと。それが命取りになったわけか。


「宝井さんは、その後どうされたんでしょう?」

「わからないんです。さっさと退会してしまったので」

「退会の時は、宝井さんが直接みえました?」

「いいえー。退会届の書面だけよ。しかも印刷。失礼しちゃうわ!」


 やはり……か。


「所長さん。それね、相手の男が勝手に手続きしてますよ」

「えっ?」


 小島さんの目がこぼれ落ちそうになっている。いつもなら、その変顔を見て吹き出すところだが、今の俺にそんな余裕はこれっぽっちもない。


「まんまと囲い込まれた、か」

「ど、どうしよう……」


 小島さんも、小林さんや夏ちゃんと同じようにあたふたし始めた。


「なんとかします」

「あの……」

「はい?」

「こう、えいやっとオトコをやっつけるとか」


 あーあ、探偵という商売にそういうイメージを持ってるんだろうな。小説じゃあるまいし、そんなわけないだろ。苦笑に混ぜながらも、きっちり否定する。


「フィリップ・マーロウじゃないんですから。こんな出汁ガラみたいな骨皮筋えもんにそんな真似はできません。警察かますだけです」

「ですよねえ」


 うう、すぐに納得されてしまうというのも情けなくはある。


「調査へのご協力に感謝します。ありがとうございました」

「あ!」


 俺の背後で小島さんが叫んだ。


「なんですか?」


 振り向くと、キャビネットから一枚の紙切れを出した小島さんが、それをひらひら振っていた。


「普通は、成婚退会後に身上書をすぐシュレッダーにかけるんですけど、その男の退会届が届いていないんです」


 通常は絶対第三者に漏れないはずのない身上書が、こうして業者からあっさり晒されてしまうこと。この時点でもう、男の異常性が浮き彫りになっている。


「コピーを取らせてもらっていいですか?」

「いいえー、そんなの要らないわ。差し上げます」


 犯罪に手を染めていそうな男には金輪際関わりたくない。小島さんは、久良瀬に関する一切合切を消去したいんだろう。強い忌避の気持ちは理解出来るんだけど、そうはいかないよ。

 個人情報の扱いに関して、まだまだ管理が徹底されていないんだよなあと思いながら。だからこそこうして恩恵にあずかれるんだよなと、少しばかりの幸運に感謝しながら。俺はコピーだけもらうことにした。


「小島さん、原本を他者に渡すのはまずいですよ。たとえ相手が悪党でも、契約は契約。約款に個人情報保護をうたっておられますよね?」

「あ……」

「それを一方的に破棄すると、いちゃもんつけられた時に抗弁できなくなります。コピーなら出どころをごまかせますけど、原本はそうはいかないので」

「うう」


 頬を赤らめる小島さん。わはは。


「他人に成り済まして本人の同意なく退会手続きをするのは、強要という犯罪です。犯罪行為は規約違反ですから、強制退会処分ですよね?」

「ええ、もちろんです!」

「その手続きを踏んで、原本はできるだけ早く破砕処理された方がいい。不要な個人情報はさっさと減らすに限ります」

「そうですね」

「うちもかなり長いことこの商売をしてますけど、いわゆる事件ファイルってのを残しません。全部個人機密ですから、契約完了後しばらくしたら全消去します」

「知らなかった……厳しいんですね」

「この業界の基本です。でも基本を守って安全運転ばかりじゃ稼ぎがねえ……。食うや食わずの貧乏事務所にしかならないですわ」

「あらあ」


 小島さんが俺をじろっと見回した。


「失礼ですが、ご結婚は?」

「してますよ。子供が二人」

「そうでしたの!」

「女房子供がいるので、貧乏探偵の父ちゃんは水飲んでがんばらないとね。ご協力ありがとうございます」


 もらったコピーをカバンにしまい、げらげら笑っている小島さんの声に背を押されるようにして、ウエディアルを出た。


「さて、次だ!」


◇ ◇ ◇


 昼前。俺のまとめた調査結果を沢本さんに送り、向こうの調査結果を俺が受け取る。やはり夏ちゃんは一味違った。検索の精度もクオリティも高い。俺が欲しいと思っていた情報がきちんと整理・解析されていた。本当に優秀だよ。そしてその内容は、俺がウエディアルで聞き取ったことおよび身上書のコピー情報ときれいに一致した。


 集めた情報から明確にわかることがある。久良瀬という男の魂胆には悪意がないんだ。つまり、久良瀬の中にある信条や価値観は首尾一貫している。それが世間の常識に合わないだけ。そういうケースは不実や不貞、犯罪性向といった邪意が背景にある場合に比べ、むしろ厄介になる。よからぬ言動や行動をしているという後ろ暗い意識が極めて薄いからだ。


 まあ、こう言っちゃなんだが、沖竹所長の性格だって似たり寄ったりなんだよ。潰れかけのおんぼろ探偵事務所にまるっきりそぐわないぴちぴちぱつぱつのかわい子ちゃんがいて、しかも元気がない。小林さんの訳ありなんか、誰が見たってわかるだろ。それを、いけしゃあしゃあと「家出娘を囲い込んでいるのか」と言いやがった。小林さんにとってものすごく失礼な言い方なんだが、同時に俺もひどくおとしめている。

 でも、所長の中には侮蔑したという意識が微塵もない。感情を修飾することに全く興味がなく、好悪両面に作用する言葉の威力と怖さが理解できていないんだ。そして……俺もブンさんも、そんな所長をどうしても変えられなかった。いくらかましになってるとは思うけどね。


 そんな所長が今までぶっこけなかったのは、実質引きこもりだったからだ。自分と周囲との架け橋をぎりぎりまで絞り込めば、偏った性格の悪影響を外部に撒き散らさずに済む。それが本能か学習かはともかく、所長はしっかり自分のネガに備えてるってこと。だから、会社組織のトップが務まるんだよ。


 だが、久良瀬は違う。あいつは所長と違って自分をコントロールしようとしない。自分の狭苦しい価値観をどこまでも押し通し、理想郷を「女」という形で実現させようとする。そこに他者を貶める悪意はない。だが他者を尊重する善意もない。自分だけの王国を作ろうとする……それが久良瀬のスタイルなんだろう。

 これまで数限りなく失敗してきたはずの婚活。だが、久良瀬はそれを「失敗」だと思っていないはずだ。自分の理想を刻み込める素材にまだ出会えていない……それだけ。宝井さんは、まんまと久良瀬の張った蜘蛛の巣に絡め取られてしまったんだ。


「どうやって、宝井さんが使えるツールを確保するか、だなあ」


 沖竹所長が「この案件は引き受けられません」と言えないのと同じで、宝井さんも理由なく「婚約を破棄します」とは言えないだろう。宝井さんにではなく、第三者の俺らにも使える久良瀬の不実理由が要る。


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