(2)

 一通り情報整理ができたので、家を出る。保育園から子供たちを引き取る時間が決まっているから、そんなに余裕はない。いざ沖竹へ! ……ではなく。まず江畑さんを訪ねることにした。それが一番手っ取り早いからね。

 俺が警察に向かっていることを知った尾行者は、いつの間にかいなくなっていた。連中は警察なんざ見たくもないんだろう。俺は業務の一環としてよく警察に出向くから、俺の行為に突飛なところはない。俺としては、そういう手駒を活かしていくしかない。


 警察署の受付で面会を申し込んだら、江畑さんは運良く在室していて、すぐ出てきてくれた。


「おう。みさちゃん、久しぶりだな。元気か?」

「わはは。相変わらずの貧乏暇なしですわ」

「何よりだ。暇で嬉しいのは俺らの稼業くらいなもんだよ」

「忙しいんですか?」

「まあまあな。今のところ、捜査本部が置かれるほどのでかいヤマはない。ありがたいこった」

「何よりです。で」


 例の写真を出して、江畑さんに見せた。


「この男なんですが」


 江畑さんの表情を注視する。だが、江畑さんの顔に浮かんだのは、露骨なクエスチョンマークだった。


「誰だ、こいつ? ワルか?」

「そっかあ。江畑さんがご存知ないんじゃ、裏のスジじゃないってことですね」

「ふうん」


 江畑さんは写真を手にしてしげしげ見つめていたが、特に要注意人物という認識はしていないようだ。


「知らんなあ」

「すみません。お時間を頂戴して」

「いやあ、みさちゃんはこれまでいろいろ嗅ぎつけてくれてるからよ。ほんとに助かる」

「そう言ってもらえると嬉しいです」

「はっはっは! 今度、どっかで飲もうぜ」

「そうですね」

「じゃあな」

「はい」


 署内に駆け戻ろうとした江畑さんは、ふっと一度足を止め、首を傾げた。


「なにか?」

「いや……気のせいだろ」


 うーん……。これまた微妙な反応だ。全く写真の男のことを知らなければ、無反応で終わったはず。でも、何か気になった感じだ。つまり江畑さんの記憶のどこかに、かすかに引っかかる棘があるということだ。俺は、それを考慮しておく必要があるんだろう。


「すいません。お手数をおかけして」

「いや。じゃあ、またな」

「はい」


 じわっと未練を引きずりつつ署の正面玄関を出る。俺にもう少し余裕があれば江畑さんが何かを思い出してくれるまで待てたんだが、今はその余裕がないんだ。


「ふうっ」


 さて。今度こそ沖竹エージェンシーに行こう。あらかじめいろいろ考えといてもらわないと、俺がどんなに探ったところで何も出てこないよ。それを所長にしっかり認識させないと、そもそも承けられる案件にならん。


◇ ◇ ◇


 再び張り付いたちんぴら二人の視線をずるずる引きずりながら、ぼろさに磨きがかかった沖竹エージェンシーの社屋に入る。受付で名刺を出したら、総務の三井がすっ飛んで来た。


「よう、中村ぁ! 久しぶりだな!」


 若い頃は優男の見てくれだったのに、今ではすっかり貫禄がついてる。その姿だけなら、所長よりよほど経営者っぽい。


「ははは。ご無沙汰。貧乏暇なしでね。所長は?」

「いるよ。首を長くして待ってる」

「じゃあ、直接所長室に行くわ」

「そうしてくれ」


 三井がぐだぐだ余計なことを言わなかったってことは、所長が相当ぴりぴりしてるってことなんだろう。そのまま所長室に直行してドアをノックした。こんこん。


「はい?」

「中村です」

「ああ、入ってくれ」


 さすが所長。必要書類一式を全部整えて、俺を待ち構えていた。


「承けてくれるんだろ?」

「条件付きで」

「は? 条件?」


 所長は承けるか承けないかの二択だと思ってたんだろう。そんな単純なもんじゃないよ。


「どんな条件だ?」

「その前に、所長の考えを聞かせてください。依頼を持ち込んでる男をどんなやつだと考えてます?」

「む……」


 絶対にシロだとは思わないし、そうは言わないだろう。でも、クロの証拠が全くないのにクロだとも言えない。所長は直感と事実との板挟みになって身動きが取れなくなってる。そこが、本音と建前を使い分けられる俺やフレディとは全く違うんだ。


「見るからに胡散臭いから、断れる材料探しを君に頼もうと思ったんだ。君のところで言った、そのままだよ」

「胡散臭いのに、何も出てこなかったんですよね?」

「そうだ。書類も揃ってる。事前調査でも何も出てこない」

「そらあ、何も出て来ませんよ。所長はそこがものすごく甘い」


 不愉快そうに、所長が顔をしかめた。


「時間がないので、事実だけ」

「ああ」

「所長はすでに監視されてます」

「なっ!」


 いきなり目の前に殺人鬼が飛び出してきたみたいな驚きようだ。思わずこめかみを押さえてしまう。自分が誰かを調査する時には氷のように冷徹なのに、自分自身に何かかぶって来そうな時には今みたいに極度に怯える。対人関係の調整が面倒だから引きこもるというより、そもそも人そのものが極度に苦手なんだ。相変わらず。ちっとも改善していない。


「ど……ういうことだ?」

「その通りですよ。監視者がどのスジかはわかりませんけどね。公安みたいなプロの尾行術は持ってないちんぴらですけど、まともなやつでもない。所長の案件の被調査者につながってる筋じゃないかな」

「……」

「素行調査の依頼人にとって、多くの場合被調査者は加害者ですよね」

「ああ」

「でも、調査された側にしてみれば、俺ら調査業者が加害者なんです」

「依頼人から何か漏れたってことか?」

「そんなのは最初から折り込み済みですよ。俺らは依頼人の秘密を絶対に守ります。でも、俺らの秘密を守ってくれとは言えないんです。商売でやってますから、俺らが調査したっていう実績はどうしても公開しないとならない」

「確かにな」


 所長に向かって、体を乗り出す。


「だからこそ、俺もフレディも裏の連中絡みの案件は慎重に避けてるんです。所長もそうですよね?」

「もちろんだ」

「それを避けきれなかったってことでしょう」


 それは俺の失態ではなく、所長のちょんぼだ。誰のせいにもできない。所長がむっすり黙り込んでしまった。


「でもね、とても奇妙なんです」

「奇妙?」

「そう。ヤの字のお礼参りなら、堂々と乗り込んできますよ。こんな姑息な手は使わない」


 ぐいっと腕を組んだ所長が、アタマをフル回転させ始めたらしい。


「強請りではないってことか」

「企業を強請るってのは難しいと思いますよ。企業が隠している後ろ暗いところを掴んで、そこにたかるのが連中の常套手段だ。でも、ここはただの調査会社。大金を抱えているわけでも、権力者に強力なコネクションを持っているわけでもない。強請るネタなんか何もありませんよ」

「ああ」

「じゃあ、なんで連中が所長に食いついたんでしょう?」

「……」


 そこまで言って、一度話を切り上げる。


「男の事前調査は承けられます。でも、所長の事前調査以上のものは絶対に出て来ません。それでもいいという条件なら承けますけど」


 所長が苦虫を噛み潰したような顔になった。


「依頼する意味がない」

「そうですよ。だって、所長が俺のところに来たことは連中に筒抜けになってる。俺もずっとつけられてるんです」

「な、なにいっ?」


 これだよ。ぜーんぜん気付いてないし。


「だから! ブンさんが! 現場に出ろって! 言ったんですっ!」


 全力でどやす。これまで、何万回言ったと思ってんだよ! ったく!


「外ではハリネズミになれとまでは言いませんけど。自分が誰からどう見られているか。それくらいは察知できないと、怖くて組めません」

「……」

「俺が通常の素行調査をやったところで、連中に俺の行動が漏れていれば、あいつら絶対にぼろを出しませんよ。一週間分の調査費をどぶに捨てるだけになる」

「どうすりゃ……いいんだ」

「シンプルに断わりゃいいと思うんですけど。忙しいからできないって」

「……」


 ほら。黙り込んじまった。相変わらず、どうしようもなく融通が利かない。適当な理由をつけて断れるようなら、とっくにそうしてるわけで。逆に、適当な理由を思いつかない限り律儀に背負いこんでしまう。


「すいません、所長。ちょっとトイレに行ってきます」


 席を立って、所長の様子を目の端で確かめる。所長をがりがり追い詰めたところで何の意味もない。ファクトをこなせる時間を確保しないとな。

 所長は俺から意識を離し、固く腕を組んでじっと考えこんでいる。俺からの予想外の情報を入れて、推論を立て直しているんだろう。そのアクションは真っ当だし、すごく助かる。俺も所長と同じようにプランを組み立て直そう。


 ……臭いところでね。

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