(5)

 小林さんと夏岡さんを見比べる。


「夏岡さんはJDAで、小林さんはうちで業務を見ていますから、お二人ともある程度探偵業に対する知識をお持ちです。ど素人ではないんです。そしてね、私はお二人に何があったかを、出来事だけでなくプロセスまで含めて知っています。身上調査を省けるだけでなく、適性についても前もって見通しが立てられるんですよ」

「でも」

「はい?」

「もっと馬力のある明るい人の方が……」

「ははは。調査員にそういうイメージをお持ちなんですね」

「違うんですか?」

「そういう人は、調査員には向いていません。私なら、絶対にやめろと止めます」

「えっ?」


 予想外の俺の説明を聞いて、夏岡さんがあっけにとられている。いや、探偵っていう商売は本当に誤解されてるんだよな。


「馬力よりも忍耐や集中力が。明るさよりも人間観察の鋭さや的確さが要求されます。実際、調査会社のトップにおられる方は寡黙で陰気に見える方が多いですよ。フレディだって結婚前はその典型だったんです」

「なるほど……」


 仕事の遂行スタイルを自分で調整できること。業務遂行の上で必ずしも社交性や明朗さを求められないこと。夏岡さんは、JDAで飼い殺しになっている今よりは自分に合っているかもしれないと考えてくれたんだろうか。最初よりは、前向きになったみたいだ。


「僕に、出来るんですかね」

「それを、これから試します」

「は?」


 まさか、すぐに実地訓練になるとは夢にも思っていなかったんだろう。夏岡さんが絶句した。


「このお試しは、私が夏岡さんを試すだけでなく、その逆もあります。雇用者としての私の資質を、夏岡さん自身がきっちり試してください」

「うわ……」

「夏岡さんがこらあかんついていけんと思われたなら、残念ですが破談です。それは、小林さんも同じね」

「……うん」


 立ち上がって、大きく息を吐く。ふううっ!


「現時点で。小林さんにはご家族の。夏岡さんにはJDAの。それぞれ後ろ盾があります。私は、それを振り切ってついてきてくれと偉そうに言える何ものも持っていません。後ろ盾のない私が、一番やばいんです」


 俺は……覚悟をはっきり形で示すことにした。言葉ではなく、形で。


「私は、案件に向き合う姿勢をお二人に評価していただくしかない。見せられるものは、それしかないんです」


 小林さんと夏岡さんの顔を見比べながら、事前調査の件を切り出す。


「今、二件同時に依頼が来そうな気配になっています。一つは非常に難しい上にリスク発生の恐れもあるので、私が単独で当たります。もう一件。小林さんと沢本さんにはすでにお話ししてありますが、柿の坂幼稚園の先生からの依頼をうちで受けられるかどうかを、沢本顧問の助言を得ながら考えてみてください」

「ええーっ?」


 驚いた小林さんが、わたわた俺たちの顔を見回してる。夏ちゃんと組んで外に出るのが不安なんだろう。でも最初は三人グループでの行動だから、単独も夏ちゃんと二人きりもない。心配ないって。

 それに……意識を調査対象者から逸らすことは出来ない。観察には集中力が要るからね。同僚が気になって意識が逸れるようなら、最初から調査員としての適性がない。そこもチェックさせてもらう。


「案件を承けてしまったら、できないでは済まされません。断るなら今。そして、表面に見えているものだけで判断するなら、断らざるを得ないんです」

「あの、どうしてですか?」


 夏岡さんが、わからないというように首を傾げる。


「夏岡さんがJDAに素行調査を依頼された時のことを考えてみたら、理解しやすいかな。あの時夏岡さんは、まだ奥さんを半分信じていた。裏切りが嘘であってほしいと考えてた」

「……はい。確かにそうです」

「そうじゃなくて、あなたが奥さんへの復讐をもう計画していたなら、その意図は依頼の時の態度にどうしても出てしまうんです。そして、裏のある依頼は、私どもでは絶対に!」


 でかい声を張り上げる。夏岡さんと小林さんが、そろって後ずさった。


「絶対に承けられません!」

「ああ、そうだな」


 沢本さんが、大きく頷く。


「もともと人の裏を探るってのが商売なんだ。それを悪用する探偵ってのがいたら、どうしようもない悪党だよ」

「あ……そうかあ」


 小林さんは、納得してくれたようだ。


「こっちはまじめにやっても、結果が……」

「でしょ? だから、最初にそこからやらないとならない。持ち込まれた依頼を全部承けるってことはできないし、やっちゃいけないんですよ」


 話を元に戻す。


「でね。小林さんと夏岡さんには、依頼の後ろに何が隠れているのかを観察で見抜いてほしいんです。それは依頼じゃないから、一円にもならない」


 沢本さんが苦笑する。


「おいおい」

「でも、依頼の本当の理由を隠す背景はいろいろあるんですよ。必ずしも悪用だけじゃない」

「む! そういうことか!」

「わかります?」

「ああ。エスオーエスのケースがあるかもしれない。そういうことだろ?」


 さすが、沢本さんだ。デカ魂は枯れてないね。一発で当ててくれた。


「そうです。その背景に私たちが直接関われるかどうかも含めて、慎重に判断しないとなりません」


 もう一度、全員を見回して宣言する。


「最終判断は所長の私がしますし、それがどう転んでもみなさんには責任を下ろしません。でも、だからと言ってだらっと調査するんじゃなく。自分が所長だったらどうするかという前提で、しっかり事前調査をしてほしいんです」


 改めて念を押した。確かに責任は及ばないけど、それが稼ぎを直撃することくらいは誰でもわかるだろうからね。


「みなさんがゲットできた情報をもとに、案件を引き受けるかどうか話し合いましょう。もし引き受けることになれば、そこから先は本番です。私はもう一件の方に掛り切りになりますから、沢本さんという補助輪は付けますけど、調査を夏岡さんと小林さんのコンビで仕切ってもらわないとなりません」

「う、うそー……」


 小林さんが、ものすごくびびってる。まあ、そうだよね。そこから先はいきなり実戦になっちゃうから。でも俺を含めて四人いれば、柔軟に役柄を動かせる。一人にかかる荷重が軽くなるからなんとかなるよ。


「ふっふっふ。血が騒ぐな」


 沢本さんが、皺だらけの指を組んでぽきぽき鳴らした。現役の時の緊張感が鮮やかに蘇ってきたんだろう。


「沢本さん、よろしくお願いいたします。監視、尾行、調査、記録、連絡、報告。調査員としての基本を短時間で学んでもらいたいので」

「任せとけ! 銭をもらう以上、一切手抜きはしないよ」


 そう。沢本さんには、俺には痛い額の顧問報酬を払うことにしている。そこで二人にしっかり元を取ってもらわないと、俺は完全に行き詰まってしまうんだ。


「ふうっ!」


 一息ついて、全員を見回す。小林さんも夏岡さんも、すでに大きな傷を抱えている。それを自力で塞ぐための荒療治が、今回の事前調査だ。もしそれをクリアできなければ、残念だが俺のプランは白紙に戻さざるを得ない。三人に幼稚園周辺の街路図と依頼者である宝井さんの顔写真を渡して、調査開始を宣言する。


「じゃあ、早速行動に移しましょう。沢本さん、指導と定時連絡をお願いしますね」

「おう! さあ、行こうか」


 沢本さんに促された二人がぱっと立ち上がり、慌ただしく身支度をして事務所を出て行った。


 三人の背を見送りながら、ぶるぶるっと身震いする。まだぴよぴよもいいところの弱小探偵事務所が、やっと胎動を始めた。彼らを事務所の屋台骨に育て上げるためには、まず俺自身が全力で二つの案件と格闘しなければならない。

 まだ案件を請けていない段階だから、手元に情報がほとんどない。佐伯さんや武田さんの時みたいに、早くから見通しを立てるっていうわけにはいかないんだ。沖竹所長が持ち込んできたやつは、あの所長が苦戦してるくらいだからひどく厄介な案件になりそうな予感がする。だが、それをこなせないと未来はやって来ない。


 ともあれ、やっと最初のハードルを越した。小林さんと夏岡さんを口説き落とし、調査員として働いてもらう算段を整えたからね。でもそれはまだ、苦難の道程のほんのとば口に過ぎない。

 そう。口説くのなんかものすごく簡単さ。何を言っても単なる口約束に過ぎないから。だが口約束だけで終わってしまうと、誰もが損をし、ひどい徒労感に苛まされ、傷だけを残してしまう。それだけは絶対に避けなければならない。


「今回ばかりは最初から最後まで全開で行こう! 気合いを入れんと乗り切れん」


 ぱん! 両手で頬を思い切り叩き、勢いよく立ち上がった。


「沖竹所長との対決が最初のでかいヤマだな。さて、俺も行くかっ!」



【第九話 口説く 了】


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る