(4)
沢本さんと話している間に、呼び鈴が鳴った。
「お、来たな」
さっと席を立って、ドアを開ける。そこに居たのは、地味な背広を着た、冴えない、覇気のない、くらーい男。俺よりも若いのに、俺以上に年を取っているように見える。フレディが手こずるはずだよ。
「
「はい」
そう。俺が呼んだのは、フレディとコンビで防いだ殺人未遂事件の犯人だった夏岡
もっとも、彼を犯人と呼ぶにはあまりに気の毒な事情があって、俺は彼に敵意を覚えたことはない。執行猶予のついた有罪判決を受けてしまったが、フレディが身元を引き受け、ずっとJDAで働いていたんだ。
当時と全く変わらず、元気がなくて口数が極端に少なく、根暗な印象爆裂だ。小林さんが好意を持ちそうなタイプでは決してない。そして、小林さんをちらっと見た夏岡さんの視線や表情も好奇や好意ではなく、嫌悪。まあ……容姿が前の奥さんと似たタイプだから、当然そうなるわな。
「これで、お呼びしていたみなさんが全員揃いました。で、最初にまず口説かせてください」
「はあ? 口説くだあ?」
沢本さんが、なんじゃそりゃって顔をしてる。
「夏岡さん。JDAでのお仕事にやりがいはありますか?」
「……」
世話になっている会社に、余計なことを言いたくない。そういう躊躇が見られたから、それを思い切りひっくり返しておく。
「フレディはとてもいいやつなんですが、ビジネスにはものすごくドライです。私も家内の産休・育休期間中にバイトとして雇ってもらったんですが、どんなにプライベートで仲が良くても駒扱いは変えません。フレディは私に雑用しかさせないんです」
すうっと夏岡さんの首が垂れた。自分もそうされているという自覚があるんだろう。JDAにいる限り、安いギャラで底辺の仕事しかさせないよ。フレディは、明言しなくても処遇でそれを示しちゃうんだ。
「でね。私はフレディとは逆です。喉から手が出るほど優秀な人が欲しい」
「僕は、調査員なんかやったことないです」
「その方がいいんですよ。うちが普通の求人をかけないのは、経験者と言う名のろくでなしを呼び込みたくないからなんです」
まず、最初に突っ込んでおこう。重たい話を最初にしておかないと、あとで収拾が付かなくなる。
「夏岡さん。あなたの元奥さんですが」
夏岡さんの顔色が変わった。思い出したくもないんだろう。
「……なんですか?」
「私やフレディが、あの場でぶっ殺されろと罵った通りの末路になってます」
「えええっ?」
呆然。まあ、そうだろ。フレディは、関わった案件のその後をきちんとさらう。夏岡さんにそいつを言わなかったのは、彼を動揺させたくないからだと思う。だが、事実は事実だ。
「複数の男を乗り換えながら、彼らの財産を食いつぶして享楽的に過ごす。本当の悪女ならば、そのシチュエーションを華麗にこなすんでしょう。でも、彼女は本当に頭が悪い」
思い当たる節があるんだろう。夏岡さんがどうしようもないという風に力なく首を振った。
「マッチョフェチの彼女は、そいつらを敵に回したらどんなに恐ろしいのかを全く想像できなかったんですよ」
拳を固めて、自分の顔面にパンチを見舞うふりをする。
「格闘家の……プロの暴力をまともに食らったら、屈強な男でも危ないんです」
夏岡さんに、小さな囲み記事のコピーを手渡した。無表情に紙片に目を通した夏岡さんは、ふうっと大きく息をついた。
「だから言ったでしょ? あなたが手を下すまでもないって。人の心でお手玉するようなろくでなしは、黙ってても地獄に落ちるんですよ」
俺と夏岡さんを見比べていた沢本さんが、ひょいと首を傾げた。
「なあ、中村さん。どういうことだい?」
「私は、彼に刺されたことがあるんですよ。ぶっすりと」
沢本さんと小林さんが、激しくのけぞった。
「うっそおおっ!」
「おいおい!」
「いや、彼の標的は私じゃないです。彼を騙していたろくでなしの奥さんでね」
「ふうう、びっくりさせるない。そうか。中村さんが、そいつをかばったってことか」
「かばった相手は奥さんじゃないですよ。くだらない女に騙されて財産まるまる巻き上げられてしまった夏岡さんの転落を防ぐためです」
「ひでえな……」
沢本さんが、気の毒そうに夏岡さんを見据える。
「まあ、事件そのものは傷害未遂止まりで、大したことにはなりませんでした。私がプロテクター代わりにした雑誌に穴が空いたくらいでね」
「なんとまあ」
あの時に江畑さんからもらった証拠写真を小林さんに見せた。小林さんは、こわごわそれを見てる。本当に怖いのは刺されることではなく、自分ピンポイントに殺意を向けられることなんだけどね。
「ただ夏岡さんは、奥さんの裏切りで全部失ってしまった。仕事も財産も社会的信用もなにもかもだ。誰にも大きな被害がなかった? いや、一番の被害者は夏岡さんなんですよ」
夏岡さんが、仕方ないという風にふっと笑った。
「僕が……甘かったんでしょう」
「いや、そう考えない方がいい」
事務机の上を平手でばんばん叩いて、気合いを入れる。
「自分に大きな非があるならともかく、一方的に食い物にされたのなら、そいつはどっかで取り戻さないとばかばかしいです。私ならそう考えます」
「至極真っ当だな」
沢本さんが大きく頷く。
「じゃあ、どうやって取り戻すか。人のしていない経験をしてしまったのなら、それを逆に活かすしかないんですよ」
夏岡さんの顔に戸惑いが浮かんでる。じゃあ、ベタな話をしよう。
「私が夏岡さんを誘っているのは、今の仕事よりマシだからじゃない。たぶん、待遇はJDAよりもっと悪くなります」
どてっ。沢本さんと小林さんがずっこけた。夏岡さんも渋い顔だ。
「でもね、私はJDAと違って仕事をあてがいません。どう調査するのかを、夏岡さんに全て任せるつもりなんです」
「おっ! そういうことか」
「はい。仕事を自力で組めるんですよ」
最初は呆れていた夏岡さんだが、俺の提案を聞いて熟考モードに入った。その間に補足説明をしておく。
「夏岡さんが、裏切った奥さんに復讐すべく動いていた時。立てた計画は実によく練られていました。フレディに関わっていなければ、奥さんをあの世行きにしていたのは夏岡さんだったでしょう」
「僕は……どこをしくじったんですか?」
「何もしくじっていませんよ。運が悪かっただけです」
「運……ですか」
「そう。奥さんの素行調査を依頼した先がフレディのところだった。それだけです。フレディは人の狂気を怖いくらい鋭敏に嗅ぎ当てるんです。最前線での戦闘経験がある職業軍人でしたからね」
「うわ……」
夏岡さんは、フレディに対して寡黙で有能な経営者というイメージしか持ってなかったんだろう。あれは、あくまでも商売用のポーズさ。
「もっとも今となっては、運がいいか悪いかは正直わかりませんけどね」
俺のウインクに、夏岡さんが苦笑を返した。
「実はあの時に、いつかはこの話をあなたに振ろうと思ってたんですよ」
「調査員の話……ですか?」
「そうです。自分の目先の感情に振り回されることなく、覚悟を決め、必要な手立てを考えて準備し、粛々と実行する。組み立ては完璧ですよ。普通はどこかでぼろが出て、早くに破綻するんです」
「はあ」
「とても、思いつきで起こせる行動ではありません。入念に調べ、周到に準備して、きっぱり行動に移す。調査員としての資質は十分備えておられるんです」
でかい溜息を放って、裏話をげろする。
「じゃあ、なぜ私がすぐにその話を切り出さなかったか。それは夏岡さんの問題ではなく、私の方の問題です。一人探偵の限界を悟るのが遅くて、事務所のスタッフを揃えるという私の覚悟が定まらなかったから。情けないです」
「あのー」
夏岡さんが、首を傾げた。
「それなら、僕じゃなくて、経験者の方が……」
「適任者がいればね」
思わず天を仰いだ。俺は……どん底まで身を持ち崩した挙句に自死した八木のことを思い出していた。公募をかけると、ああいう絶対に調査員をやってはいけないやつがセカンドチャンスを狙って来ちまう。間違っても、そういうやつに関わり合いたくないんだ。
「経験者は、前のところをなぜ辞めたのかが非常に問題になってきます。それをすぐ探り当てることはできないんです。そして未経験のど素人は、調査員としての適性を見極めるのに何ヶ月もかかる。どっちにしても、時間と手間がかかりすぎるんですよ」
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