(8)
「ごほうびをあげられる自分はもうあるんだから、それは減らさなければいい。急いでなんとかしようと思わなくていいです。もっと自分にごほうびをあげられるようにするにはどうするか。足りない部分の補充は、そうやって考えましょう」
萎れていた佐伯さんに、質問を投げる。
「佐伯さん。勝山さんは、優しい人だと思いますか?」
「あ、はい。すごく」
「合ってます。優しい人です。でもね、それは生まれつきじゃないんです。分かります?」
「あ……」
そう。勝山さんの柔らかい物腰に騙されちゃいけない。勝山さんの業は、梅坂ばあちゃんが抱え込んでいる怨嗟や後悔と何も変わらない。いや、もっと強烈かもしれない。
「裏切り、騙し合い、蹴落とし合い……なんでもありの水商売の世界で、自分を崩さないよう意地を貫き通しているうちに、処世術として自分の感情を上手に出し入れできるようになった。だから、外見上とても優しく見えるんです」
「はい」
「でもね、勝山さんの意地は半端じゃないんです。ご主人から見捨てられていただけじゃない。ご主人の縁者や自分の家族からも縁を切られていた。そんな孤立無援の状態で、あの年までほとんど一人で生き抜いてきたんです。恐ろしいほどの精神力ですよ」
「う……わ」
「あなたは、そういう勝山さんのしたたかさをちゃんと学んでくださいね」
「はい」
もう一つ、佐伯さんに学び取って欲しいことがあるんだ。それも指摘しておこう。
「そしてね。長いこと我慢はしましたけど、勝山さんは欲しいものを取りに行って、ちゃんとゲットしてるんです」
「欲しいもの……ですか?」
「そう。誠実な配偶者や子供は得られなかったけど、その代わり財産と自由を手に入れたでしょ?」
「あ、そうか」
「ご主人が亡くなってからは友達を作りに行って、それにも成功してる。そして今回佐伯さん、静ちゃんとの同居にこぎつければ、勝山さんの中で欠けていたピースはほとんど揃うんですよ」
俺は、にやっと笑ってみせた。
「それが、勝山さんにとってのでっかいごほうび。ちゃんと幸不幸の帳尻は合わせたってことになるんです」
さて、と。
「私たちのごほうびをもっと増やすために、最後に宿題を出します」
「えー? しゅくだいー?」
小林さんがぶーたれる。
「難しい勉強が必要な宿題じゃないよ。でも、私も含めて宿題はこなさないとなんない」
「あの……なんですか?」
「佐伯さんへの宿題。その日感じた不平や不満を三つ、必ず書き出してください。誰かに見せる必要はありません。マイナス感情を言葉にして示すこと。それは、あなたに欠けているものを埋めるためにどうしても必要な訓練です」
佐伯さんが、じっと黙り込んだ。
次は小林さんへの宿題。
「小林さん。君は逆に、自分に何ができそうかを調べて、それに必要なものを書き出していって。それなら先々必ず役に立つ。調べたことが無駄にならないだろ?」
「う。はーい。しょちょーの宿題はー?」
「ここの経営をどうやって軌道に乗せるか、さ。ごっつい宿題だよ」
はあ……。
◇ ◇ ◇
調査契約の終了。そして、資産管理契約とフォローアップ契約の締結。クライアントの佐伯さんだけでなく、調査事務所所長の俺にとっても大きな山を一つ越えた。俺は、自ら決断して舵を大きく切ったことをもっと高く自己評価してもいいのかもしれない。だが、俺の中では反省ばかりが次々に湧き上がってくる。佐伯さんと小林さんにごほうびの話をしながら、俺自身はちっとも自分にごほうびをあげられていないんだ。
それは、今に限ったことじゃない。生まれてこの方、俺は自分自身にごほうびをやったことがない。どうしても、なし得たことより出来なかったことに意識が行ってしまう。ああ、ここはもっとこうすればよかったな、と。そういう自己肯定感の低さ、自分自身への不満感があちこちから滲み出ていて、外から見るとものすごく頼りなく感じられるのかもしれない。
だが、まだ若い佐伯さんや小林さんと違って、とことんとうが立ってしまったおっさんの俺は、今さら自分をほめろって言われてもそうできないんだよ。ものすごく情けないことではあるんだけどね。
でも。じゃあ、他のやつらはみんな自分にごほうびをあげられてるのか? 自分に野放図にごほうびをやってるのは、むしろ自己中で性格的に問題のあるやつばかりだ。そう考えると、俺だけが異常だってわけじゃないことに気づく。ひろも姉貴もフレディも正平さんも梅坂のばあちゃんも。みんな、どこかで自分なんかと思ってしまっている節があるんだ。
自慢できない過去、癒すことのできない傷、取り返しのつかない失敗。もっとあの時こうしていれば……そういう後悔ばかりが腐臭のように身体に染み付いてしまい、何かと自分の足を引っ張ろうとする。人っていうのは、後ろの自分と戦いながら前に進もうとするんじゃないかなと。そう思う。
じゃあ、そいつにとっ捕まらないようにするにはどうすりゃいい? 少なくとも俺は、利他という鏡に自分を映すしかないように思うんだ。
俺に依頼してよかったと言ってもらえること。調査やフォローの結果に満足してもらえること。それを笑顔につなげてもらえること。俺は、他人の幸福を介してしかごほうびを意識できないと思う。
そういう意味では、俺はまだ自分にごほうびをやることはできない。何から何まで中途半端で、道半ばだからだ。佐伯さんの件に見通しが立ったことで、今度は本筋の調査案件を積極的に取りに行かないとならない。経営者として寸足らずもいいとこの自分をもうちょいましにしないと、ごほうびどころの話じゃないよ。
「はああっ……」
佐伯さんを送るために車で待っている間、俺は何度も大きな溜息を吐き散らかしていた。
「誰か。俺の目の前にニンジンをぶら下げてくんないかな」
【第七話 ごほうび 了】
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