(7)

「これで、一番目の山が当座解消できそうですね。次は二番目の山」


 俺は、最初にぎっちり釘を刺した。


「今、佐伯さんのところについているまるは、いずれも不十分です。お分かりですか?」

「え……と」

「高卒は最低限なんです。他の条件が厳しい分、どうしても上積みが欲しい。職歴もそうですね。実態のない家政婦と下働きのバイトは、履歴書に書けません。てか、書きたくないでしょ?」


 ぐっと唇を噛み締めた佐伯さんが、深く頷く。


「そして、履歴書に書ける資格がない。こき使われる立場じゃなく、自分の方から職を選べる立場に這い上がる。その気概がないと、これからの長い人生、結局奴隷で終わりますよ?」

「う……」

「ですので、田中の腐れ金を上手に使いましょう。これから一年間は生活のために仕事をするという考え方をすっぱり捨てて、自分磨きに当てる。どうですか?」

「そんなこと……考えたことも……」

「ははは。まあ、そうですよね。でも佐伯さんが巻き込まれた事件には、佐伯さんには何も落ち度がない。一方的にどん底に突き落とされて、悔しくないですか?」


 唇を噛んだ佐伯さんが、じっと俯いた。俺は、小林さんにも同じネタを振った。


「君もそうだよな。自分が何か悪い事をしたわけじゃないのに、なんでこんな目にって」

「……うん」


 小林さんが見る見る泣き顔になった。


「その状態ですぐ立ち直れなんてのは、絶対に無理です。傷が治るまでうずくまっている時間はどうしても要る。生活のせわしなさを言い訳にして傷を適当にごまかすと、私みたいな半端者になってしまうんです」


 ぐすぐす言いながら目をこすっていた小林さんが、小声で聞き返した。


「どういう……こと?」

「私は元々人を信じられないたちなんだよ。でも、それを誰にも言えなかった。自力で消化できなかったから、取り繕うために外面だけが良くなった。だから、こういうひねたおっさんになっちまうんだ」


 二人に苦笑いを向ける。


「そういう汚い中身を、年を取ってからなんとかしようってのは大変なんです。今のうちにげろった方がいい。ばっかやろ、こんなんやってられっかってね」


 佐伯さんが、弱々しく笑った。そうしたくてもできないのっていう風にね。まあ、本音を出せる場所と余裕は徐々にできるよ。今は、問題点を意識してもらうだけでいい。


「さっきの話に戻ります。すぐに再就職ではなく、職業体験をお勧めしたいんですよ。佐伯さんが希望すればですが、受け入れ先をご紹介したいと思っています」

「それは、アルバイトとは違うんですか?」

「違います。アルバイトはしょせん駒扱いです。代わりはいくらでもいる。でも職業体験は、自分に適した仕事を探すための求職活動の一部です。体験者も受け入れ者も真剣なんです」

「そんなのがあるんですね……」

「中高生対象の職業体験は、あくまでも『体験』に過ぎません。あてがいの仕事しかさせてもらえないです」

「はい」

「でも、大学在学者向けの職業体験、いわゆるインターンシップは、企業からすでに求職活動の一部と考えられているんです」


 二人揃って絶句してる。全然知らなかったんだろう。俺の学生時代にはそんなもんなかったから、最近の話さ。


「誰でもこなせる仕事ではなく、専門性を必要とする作業を現場で実体験するのがインターンシップです。インターンシップを通じて、企業側では就職希望の学生に適性があるかどうかを事前にチェックできますし、学生側は想像していた仕事と実際の業務が違うっていう失望を減らすことができますよね?」

「あ、そうか」


 佐伯さんが頷いた。


「先ほど言った一年間。そこで取れる資格を取り、職業体験し、自分の適性にあった求職先を考える。どうです?」

「……」

「これまでずーっと不運だったんですから、このくらいのごほうびはあってもいいでしょう」

「ごほうび、ですか」

「そう。せっかく自分の体と頭を使うなら、ポジティブに行きましょうよ」

「うん。そうですよね」


 佐伯さんが、自分自身に言い聞かせるようにして答えた。


「勝山さんとの共同生活が落ち着いたところで、再度ご提案させていただきます。そんなに何もかもいっぺんには出来ないでしょうから」

「はい。あの」

「なんでしょう?」

「わたしにすぐ取れる資格って……」


 まあ、ぴんと来ないだろうな。


「小林さんも同じなんですが」

「うん」

「運転免許は、持っていると何かと有利です」


 二人が顔を見合わせた。


「仕事に役立つっていうだけじゃなくてね。子供の送迎とか買い出しとか、いろんな面で機動力を活かせます。一度取得すれば一生使える資格ですし、身分証明にもなります」


 二人がこそこそと手帳に書き控えた。


「あとは、お二人の適性に合わせてゆっくり考えてもらえれば」

「わたしには、他に何が取れそうですかー?」


 小林さんが、不安顔で聞いた。


「君の場合は、まず卒業資格だよ。最低高卒。できれば大卒」

「う……」

「今は、学校に行かなくても卒業資格が取れる。お勧めは高卒認定試験をクリアして、どこかの大学に潜り込むことかな」

「勉強きらーい」

「阿呆は、いい調査員になれないよ」


 ぐっと小林さんが詰まった。


「観察だけなら、猿でもできる。でも、そこから『なぜか』を引っ張り出すなら、いろんなことを知っておかないとならない」

「うう」

「私は、大学ではバイト三昧であまり勉強しなかったけど、調査員になってからは死ぬほど勉強したからね」

「ふうん」

「上司が鬼だったからなあ。何万回、このバカがって言われたか」


 ブンさんの怒声を思い返し、苦笑でそいつに蓋をした。ああ、わかってるって。おまえはまだまだ勉強が足りないっていうんでしょ? はいはい、その通りです。はあ……。


 今度は、佐伯さんに振る。


「佐伯さんの場合はもう高校を卒業されているので、あとは学歴も含めて仕事に必要な資格をどう取るか、ですね。じっくり検討してください」

「はい、わかりました」


 さて。あとは個別だな。


「座学はこれまでにしておきましょう。これから実践ですね。その前におさらいをします」


 ホワイトボードの文字を拭き消して、そこに赤いボードペンで花丸を描く。


「リスタートの基本は、足りないものの補充からじゃありません。まず何があって、どう使えているか。その把握からなんです」


 二人を交互に指さす。


「お二人は、もう自分が持っている力を使ってちゃんと歩き出してる。そのことに誇りを持ってる。だからこそ、取っ組み合いになったんですよ。自分なんかどうでもいいと思っていたら、けんかにならないんです」


 真っ赤になった二人が、引きつり笑いしてる。ははは。


「何があっても取り崩せない自分を、ちゃんとキープしてる。それがなにより肝心なことです。大いに誇っていい。自分にごほうびをあげていい」


 小さいが、二人はうんと頷いた。


「自分を捨てていないからこそ、私も含めてばってんだらけの人間がこうやって生きていられるんです。それはうんと自慢していいです。自分にごほうびをあげられる限り、それがきっと『次』を連れて来てくれますから」

「次……ですか?」


 佐伯さんが、おずおずと聞き返した。


「そう。もっとごほうびをあげられる自分を、ね」


 俺は、拳でボードをぽんと叩いた。


「逆にね、人からのごほうびを最初から期待したらダメ」

「あ……」

「それは、必ずしもごほうびでないことがあるからね。人からごほうびをもらおうとして、自分の持っている財産を取り崩して渡してしまったら、もう自分にごほうびをあげられなくなるかもしれません。それは馬鹿馬鹿しいでしょ?」


 小林さんがぐんと頷き、佐伯さんはしょぼくれた。その姿勢の差は、そのまま彼女たちの現状の違いを反映している。子供を抱えながらばりばり仕事してる佐伯さんの方が、未だにぐだぐだの小林さんよりマシに見えるんだけど、逆なんだよ。自我欠損の少ない小林さんの方が、ずっとマシなんだ。


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